第36話 交渉と異世界根拠地整備の着手

 ブリーデヴァンガル属領主代官セーデルリンド・グレーゲルソン・ファン・グリトニルが、豊平少尉の九七式中戦車に乗って大喜びしている様子を、トゥンサリル城敷地内にある天地道教会堂の戸外に立って眺めていた、司祭長ビルベルタ・ミルテ・ファン・ビューレンは、傍らに立っていた修道尼テーレーサ・ド・ノルビへ


「代官の若様は、変わった物がお好きで、子供のように大はしゃぎなすってらっしゃるわ。でも、あの車、とてもやかましいけれど、魔力とか魔術の気配をまるで感じない、不思議な車ね。」


と話し掛けた。


「本当でございますね、司祭長様。あの、後ろの方から吐いている煙が、何か関係あるのでございましょうか。」

「あなたは、目の付け所が良いですね。物を燃やすと煙が出るけれど、そんな仕組みがあるのかも知れないですね。」


 ビューレン司祭長は、返答したノルビを褒めてやった。

 ビューレンは、王国で広く信仰されている天地道教会の中では、珍しい女性司祭長で、女性としては最高位にあるが、その聡明さは、各方面から高く評価されていた。

 ただ、それだけに保守的な男性司祭とは対立することも多いが、本人は


「神の御前においては、男女は等しい立場である。」


と言って憚らなかった。


 その保守的な男性司祭たちは、戦車に喜ぶグリトニルの姿を見て


「若造がはしゃいでいる。」


と小馬鹿にしていたが、戦車の価値に思いを致す者は少なかった。

 彼らは、あくまでも保守的だったのである。


 その夜、大谷地はグリトニルの晩餐会へ呼ばれ、イザベラらと夕食を共にした。

 席上、大谷地は、今後、属領代官たるグリトニルへ行われるであろう要求、要請の概略を話した。

 おおむね、停泊地、飛行場、将兵の宿泊先、食料・飲料水の補給などについてである。


 会食中、大谷地は、室内に懐かしい匂いが漂っていることに気付き、それが灯火に用いられているオイルランプの匂いだと分ると、意気込んでグリトニルへ聞いた。


「この灯火の燃料は何でしょうか。」


 唐突な質問に、グリトニル辺境伯は怪訝な表情を見せながらも


「これは灯油です。鉱物油を精製したものを、灯火の燃料にしています。」


と答えた。


 それを聞いた大谷地は、小躍りするような思いで質問した。


「鉱物油は、このブリーデヴァンガル島で、採掘されているのですか。」

「鉱物油の採掘場である油田は、島のあちらこちらにあります。かなり豊富に採れると言って良いでしょう。」


 グリトニルの言葉に


「艦隊の燃料が補給できるかも知れない。」


と考えた。


 重油ボイラーとタービンを使用している艦は、最悪、原油の燃焼でも運用が可能である。

 事実、製油所がなかったブルネイ泊地では、各艦に原油を補充し、燃料にしていたのである。

 ただし、ディーゼルエンジンは、原油を使うと、少なからず含まれる水分や硫黄分が邪魔をしてエンジンが破損してしまうので、使用できなかった。

 もっとも、ボイラーで原油を燃焼させると煙がひどく、あちこちに粘り気のある煤が付着するのであるが。


 いずれにせよ、灯油が広く用いられているのであれば、石油精製が手広く行われているということで、重油だけでなく、ガソリンや軽油も、かつて、日本や欧米がそうだったように、余り物として入手できる可能性がある。


 大谷地は嬉しくなり、食事もより美味しく感じられた。


 豊平たちは、清田上等兵曹らの立検隊と合流し、無礼講で飲食を大いに楽しみ、用意された清潔でフカフカの寝床で眠りに就いた。


 一方、令川丸は、ギムレー湾を出てからおよそ3刻、すなわち6時間後の日が変わる頃に、デ・ノーアトゥーン港外で停泊中の駆逐艦くぬぎと合流した。

 櫟は、ここで停泊以降、何かを売りつけようと接近する物売りの小舟や、近寄って見物しようとするボートの群れの扱いに、単艦で苦労していたところなので、松戸艦長以下289人の将兵は、正直ホッとしていた。


「心ヨリ来港ヲ歓迎ス」


 実に正直な感想の信号が、櫟の艦長から送られてきた。


 翌朝、デ・ノーアトゥーン港南側の浜辺へ、大発を使って陸揚げされた乗用車と側車サイドカーは、25航戦参謀山花大佐と旭山少佐、アナセン准男爵 騎士オーケルマンを乗せて、トゥンサリル城へ登城した。

 早朝とはいえ、通行人や周辺住民らに揉みくちゃにされながら、ようやく城へ入った。

 登城後、グリトニルが催した、顔合わせのための朝食会を経て、城の広間で、日本側とブリーデヴァンガル属領主府側との実務的交渉に入った。


 日本側は、25航戦司令桑園少将と北東艦隊先任の南郷大佐の信任を受けた25航空戦参謀山花大佐、旭山少佐に令川丸副長大谷地中佐、属領主府側は、庶務尚書ケッペル男爵と軍務尚書レンダール男爵、商務尚書ハーン准男爵、アナセン准男爵、陪席騎士オーケルマンと、特別に商工ギルド支配人ヴィットリアが加わった。


 日本側要請の主なものは、元の世界に帰還するまでの期間を前提として

・停泊地としてのギムレー湾の使用

・ギムレー湾周辺の飛行場及び軍用地としての使用

・艦隊及び乗艦部隊将兵の休養施設の提供

・燃料、食料、飲料水等、資源の提供

・ブリーデヴァンガル島及び周辺における航行と飛行の許可

・艦隊及び乗艦部隊将兵の上陸時の非違行為については、日本及び属領主府が協同

 して処理に当たること

であった。

 ほとんど幕末に来航したペリー提督の要求並みで、属領主府の主権に抵触する内容も含まれているため、日本側としても「吹っ掛けた」内容と捉えており、妥協のための腹案も用意されていた。


 ところが、属領主府側の回答は、意外とすんなり日本側の要求を受け入れるというもので、日本側代表は拍子抜けした。


 ただし、

・トゥンサリル城と高級貴族の館上空は航空機が飛行しないこと

・属領主及びその代官並びにギルドの権益は侵さないこと

・資源探査は、双方が協同して行うこと

・ブリーデヴァンガル島及びその周辺諸島で属領主府の主権の及ぶ領域に、外国勢

 力もしくは異種族による武力侵攻があった場合、日本軍は可能な範囲で戦闘を支

 援すること

という条件が、属領主府から示された。


 日本側としては、元の世界へ帰還できるまでの間、ご厄介になる立場であるため、これらの条件を受け入れ、「条約」として扱うことにされた。


「要は、用心棒にタダ飯は食わさんということだな。」


 山花が、率直に「条約」の内容を言い表した。


 まず、日本側の喫緊の課題であった、将兵の休養場所であったが、デ・ノーアトゥーンは、およそ4万人が暮らすそこそこの規模の街で、特に庶民の暮らす地域が限られており、そこへ艦艇の乗員を含め7千人近い将兵を一度に受け入れる専用の施設を設けることは、相当無理があった。

 そこで、艦隊将兵については、ギムレー湾周辺に、専用の仮滞在施設が属領主府によって建てられるまでの間、人数を細分化し交代で上陸し、宿屋や宿を兼ねた食堂のほか、一部民家や下級貴族の館を利用して宿泊を受け入れることにした。


 また、そもそも艦艇乗り組み将兵のように「家」としての艦を持たない陸軍部隊及び海軍陸戦隊将兵については、600人程度と、大型帆船2隻分の乗組員に満たない人数であることから、船員向けの宿を宿舎で充てることとなった。

 ただし、車輛と重装備は持ち込めないため、港近くの倉庫を保管場所に充て、入り切らない車輛などは、ギムレー湾近くの海岸縁に取り急ぎ仮小屋を建てて保管することになった。


 そのほか、トゥンサリル城内と、敷地の軍施設に、それぞれ部屋を提供してもらい、属領主府との連絡調整を行うこととした。

 両方の部屋は、野戦用の電話で繋ぎ、軍施設の方の部屋には無線設備を持ち込み無線局を設置し、港やギムレー湾に停泊している艦艇と通信を可能にした。

 幸い、どの建物にも尖塔があるので、これを利用して空中線アンテナを張り、電力は、敷地内の脱穀や製粉所、金属工房などで広く使われている水力を利用した発電を目指すことにした。


 ギムレー湾周辺については、砂浜を整備して水上機基地が設けられるほか、7機の陸海軍機が着陸していた草原は、現在でも飛行機の離着陸に差し支えはないが、九七式中戦車のうち、1輌が排土板ドーザーを装備していたことから、石を除き、大きな凹凸を均して、一層、飛行場の適地にすることとした。


 日本側とブリーデヴァンガル島属領主府との協議が行われたその日のうちに、これだけのことが決定されるか又は実行に着手され、異世界根拠地の整備が本格化した。

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