第35話 若殿 戦車に大はしゃぎ
不平を言いながらも、大谷地中佐は、商工ギルド
属領主府の紋章の入った馬車で乗り付けたから、屋敷の家令やメイドが、何事かと揃って玄関先まで出て来たが、大谷地を見てすぐにそれと悟ったらしく、一人が客間の豊平少尉のところへ知らせに走り、一人が丁寧な応対で大谷地を客間へ案内した。
豊平たち日本軍将兵と魔術師ソフィア、ベロニカは、ヴィットリアの飲食のもてなしが、これから佳境に差し掛かるところであったので、大谷地の出現は、少々水を差される格好となった。
「みんな、盛り上がっているところ済まないのだが、お城の若殿様が、是非に戦車を見たいと仰せでな。何でも少尉、貴様は格が違うとかいうような理由で誘いを断ったそうじゃないか。それで、わざわざ俺が来させられた訳だ。」
大谷地は、しょうがないんだよ、という表情で言った。
「中佐殿もお聞きと思いますが、お城の客として自分たちは釣り合いません。格が違うのであります。第一、自分たちの任務は、魔術師殿をこの街まで送り届けることでありますから、すでに任務は終了しており、支配人殿のご厚意でここに逗留しておりますが、じきにギムレー湾へ引き返すつもりであります。」
「それは分かっちゃいるんだ。一つ頼まれちゃくれないか、命令とは言わん。」
「自分たちは帝国陸軍の軍人でありますから、いかに高位であっても海軍士官の命令を受ける筋合いはなく、当然の事であります。申し訳ありませんが、お断りさせていただくものであります。」
「強情だな、貴様。」
「それは、性分であります。何よりも、自分たちの任務は、占守島の守備に就くことでありますから、本来であれば、こんなところで道草を食っている場合ではないのであります。」
豊平はド正論を言った。
蛟龍以下の第25航空戦隊、北東方面艦隊、それに小笠原増援輸送隊も、それぞれ本来任務を抱えているのであって、面白半分に艦艇や装備を見せびらかしに来た訳ではない。
「貴様の言うことは分かる。だが、元の世界に戻るためには、仮住まいでも根拠地を置かなければ、とりあえずの食料と飲料水も補給ができない。もっと言えば、この世界でも石油や石炭を探し回らなければならないだろう。そのためには、有力者と繋がりを保ち、場所と資源を提供してもらう必要があるのだ。」
「あー、つまりは、ご機嫌取りが必要と言うことでありますか。」
「身も蓋もないが、言ってしまえばそういうことになる。」
豊平は、少し考えてから
「分かりました。しかし、自分らも商工ギルド支配人という、いわば民間の有力者と縁を得たところであります。なんでも、商工ギルドには17のギルドが加わっており、この街の経済を牛耳っておる模様でありますから、実利は大きいと思われるのであります。」
と言った。
「その辺は、若殿様が何とかしてくれるだろうさ。で、城へ来てくれるのか来ないのかだが?」
「仕方がありません、参りましょう。」
「ありがとう、助かる。」
「全員、出発用意!」
豊平の命令で、戦車、装甲兵車、乗用車のそれぞれの下士官兵たちが動き始めた。
「ところで、魔法使いのお嬢さんたちはどうするんだ?」
大谷地が豊平に確認した。
「そうでしたね。ソフィア殿、ベロニカ殿、お二人はどうされるのでありますか?」
豊平がソフィアたちに聞いた。
「そうね、私はここに残るわ。どうせ夜会に呼ばれるんでしょうし、その時に行けば十分ね。ベロニカはどうするつもり?」
「私は、お師匠と一緒に残るわ。一人でお城へ行っても仕方がないもの。」
魔術師二人は、こう言ってヴィットリアの屋敷に残ることとなった。
考えてみれば、ソフィアたちが屋敷に残れば、招いたヴィットリアの顔が立つことになる。
「意外と気配りが良いな、この魔法使いの姉さんは。」
豊平は、そう思った。
全員が乗車し、大谷地が乗った馬車を先頭に、戦車2輌、乗用車、装甲兵車の順で車列を組み、ヴィットリアの屋敷の敷地を出ると、さほど遠くはないトゥンサリル城を目指した。
車列は、堀を超える石橋を渡り、城の正面玄関前へ向かった。
正面玄関は、属領主やその近親者、賓客、高位の貴族・神官などが使用するので、一応、車列は賓客の扱いだった。
グリトニル辺境伯は、玄関前で、イザベラ姫とともに車列の到着を待ち焦がれていた。
イザベラも、日本の艦艇や水上機は見ていたが、戦車や装甲兵車を見るのは初めてである。
馬車に続き、2サイクルディーゼルエンジンと、石畳を噛んで軋む履帯の音を響かせた、九七式中戦車の姿に、この若い殿様はすっかり驚き、また、興奮した様子で
「姫、これがセンシャというものですぞ。如何でございますか。」
などど、子供のように、はしゃいでいる。
「ええ、大変なものですわね。」
驚いているのは、姫も同様と思われる。
戦車を停止させ
「お殿様を待たせちゃならん。」
とばかりに、豊平がハッチから身を乗り出して降車しようとしたとき、グリトニル辺境伯は、周囲の衛兵が止めるのも聞かずに、前面から車体によじ登り、あれよあれよという間に砲塔の車長用ハッチまで到達してしまった。
「そなた、名は何という。」
「え、あ、豊平であります。」
「そうか。トヨヒラ殿、少しで良いから私と変わってくれぬか?」
「あの、殿さま。ここは指揮官席です。ここの席に着く者は、戦車の指揮を執るのです。」
「いや、本当に少しの間で良いのだ。乗せてくれまいか。」
グリトニルは、鉢巻きアンテナの下からググっと体を潜り込ませ、豊平に迫って来た。
これは、ちょっとやそっとでは退きそうにないと、豊平は思った。
「えい、ご機嫌取りのついでだ!」
根負けした豊平は、ハッチから体を抜き出して砲塔後部に立ち、グリトニルへ車長席を譲った。
「して、この車はどのように動かすのだ?」
若殿様は無邪気に質問してくる。
「あ、動かすんでありますか?」
「当たり前であろう。」
グリトニルは、「何を言っているんだ。」、というように答えた。
ここも、仕方がないと腹を括った豊平は、操縦員に命じた。
「中井軍曹、正面玄関前広場を1周せよ。殿様が車長席にいるから、加減速時の操作に注意しろ。灯火点けよ、前へ。」
戦車は、ガクンと揺れて前進を始めた。
さほど速度は出さないが、変速機を操作する度に車体がガクッと揺れるので
「殿様ァ、両手でしっかり体を支えてください!」
そうグリトニルへ注意を与え、自分も、鉢巻きアンテナに掴まって体を支えた。
ガガガガガガ
キュルキュルキュルキュル
というエンジン音と履帯の軋む音を立てながら、戦車は正門前広場の石畳の上を進んで行く。
聞きなれない音に、城のあちこちの窓から人々が顔を覗かせ、城の敷地内にある教会や学校、兵舎と思しき建物群からは、わらわらと人が出て来てしまっている。
最初、グリトニルは、イザベラに向かってだけ
「姫、如何でございますか。今、私は異世界の戦車に乗っておりますぞ。」
とはしゃいで見せていたが、見物人が増えるに連れて
「あーっはっは、我こそは戦車長なりぃ!」
などと調子に乗って叫び始めた。
「この若殿様、大丈夫だろうな。あんまり子供じみていると、お姫様に振られっちまうぞ。」
豊平は、他人事ながら少し心配になった。
よく考えてみれば、振られるも何も、殿様と姫様は、今日、初めて会ったばかりなのであるが。
やがて戦車は、広場を1周して玄関前へと戻って来た。
「如何ですか、殿様。ご満足いただけましたか。」
豊平は聞いたが、振り返ったグリトニルの表情が、何よりも満足を物語っていた。
「トヨヒラ殿、どうであろう。この車を私に譲ってはもらえないだろうか。」
唐突な申し出に、豊平はズッコケそうになったが、そこは冷静に
「殿様、大変申し訳ありませんが、この戦車は、国家が自分豊平に貸し与えたものでありますから、どなたかにお譲りできるものではないのであります。何より、操縦には相応の習熟が必要となるのであります。」
と答えた。
「そうか。いや、そうであろうな。これは私としたことが、軍人に愚問を発したようだ。済まぬ、忘れてくれ。」
「いえ、どうぞお気になさらぬよう。」
そうは答えたが、豊平は心中
「俺は今、何をやっているんだろう。」
と、貴人の戯れに突き合わされた虚しさが込み上げていた。
降車するグリトニルに手を貸しながら、ふと顔を上げると、大谷地の姿が目に入った。
降車したグリトニルが、上機嫌でイザベラとともに城内へ姿を消すと、豊平は大声で
「中佐殿、自分たちはこれからどうすればよいのでありますか?」
と聞いた。
「飯を食わせてくれて、一晩泊めてくれるそうだ。中へ入ろう。」
大谷地が促すと、車輛を並べ終えた下士官兵が、豊平と一緒にぞろぞろと城内へ入って行った。
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