第25話 飛行偵察5 魔術師 師弟再会

 奇跡も奇跡、大奇跡だと中川一等飛行兵曹は、ある種の感動すら覚えたが、とりあえず、ベロニカが海中に浸かったままではお話しにならない。


 零観揚収とベロニカ引き上げのため、艦隊は、やむを得ずとはいえ停止してしまっている。


「ティアマト号のイザベラ姫御一行様は、随分と焦れているかも知れないな。」


 艦橋から、零観揚収作業を見守っていた令川丸の南郷艦長は、少し気の毒に思っていた。


 中川一飛曹が


「おーい、浮き輪を投げてくれ!」


と大声で艦に呼び掛けると、甲板上から、ロープが結びつけられた浮き輪が投げ込まれた。

 彼は、その浮き輪を右手で掬い上げると、ベロニカの頭から上半身に通してやり、艦上に向かって


「よーし、引っ張り上げぇー。」


と今度も大声で叫ぶと、ベロニカの身体は、ずんずんと引き揚げられて行った。


 中川自身は、再び零観の上翼に登り、揚収される機体と一緒に艦上へ上がって来た。

 そして、偵察員席から偵察鞄と飛行帽を取り出すと、坊主頭に着いた海水をパッパッと手で払い。飛行服から水滴を滴らせながら、先に引き揚げられていたベロニカの方へ近付いて行った。


 ベロニカは、まだ、ソフィアと何か言い合い中である。


「おーい、お二人さん。またまた何を言い合っているんだい?」


 ソフィアから渡された「言葉のことわり」の腕輪ブレスレットのお陰で、中川は、二人との会話に不自由しなくなった。


「あーら、別に言い合いとかじゃあなくってよ。再会を喜んでいるだけよ、ねえ、ベロニカ・デ・エスコバル。」

「ふん、どうかしらね。ソフィア大年増お姉さま。」

「まあ、相変わらず口が減らないわね。このクソガキときたら。」

「若いんだから仕方ないわよね。そう言えば、また皺が増えたんじゃなくて、おば…お姉さまは。」

「あらまあ、どの口がそんな下品な口の利き方をするのかしらね。」

「痛タタタタタ…。」


 ついに、ソフィアはベロニカの頬を捻り上げた。


「痛い、痛いったら。何すんのよ、クソババア!」


 とうとう掴み合いになりかけた。


「おいおい、ここは日本海軍艦艇だ。喧嘩なら他所でやってくれないか。」


 廣田少尉が見かねて割って入った。

 中川も加勢して女二人を引き剝がした。


 周囲は、野次馬で人だかりができている。


「よう、お二人さん。あんたらがどういう関係なのか、分かるように説明しちゃくれないだろうか。」


 ちゃっかりソフィアから「言葉の理の腕輪」を追加でせしめた廣田が、年長者らしく、落ち着いた口調で求めた。

 中川は


「さあさあ、見世物じゃないんだから、散った散った。」


と言って野次馬を解散させている。


「このおば…女性はね、あたしの魔術の師匠人よ。」


 ベロニカが言うと


「このガキ…少女はね、私の不肖のの弟子よ、魔術のね。もっとも、修行に音を上げて逃げちゃったから、今でも弟子かどうかは分かんないけど。」

「は、よく言うわ。雑用でこき使っておいて。こっちは、本当に

せいせいしているわ。」


 ベロニカが吐き捨てるように言った次の瞬間、空気に黒い影が走り


 バシッ


と音がしたかと思うと、ベロニカが左頬を押さえて右横を向いた。

 ソフィアは、ベロニカの頬を右手で張り飛ばし、さらに般若の形相で睨んでいる。


「ちょ、ちょっと。」

「おい、いきなりビンタかよ。」


 廣田と中川がどう割って入るかまごついていると、次にソフィアは、後ろまわしを取ってつかみ投げを掛ける力士のようにベロニカに抱き着き


「あなた、どれだけ心配したと思っているの!従妹たちが魔術学院からいなくなったって聞いて心配していたら、あなたまで失踪してしまって。あのヒコーキの方たちが助けてくだすったんでしょう。『ムセン』とかの中身を、この艦の艦長さんが教えてくださったのだけれど、あなた、悪い奴に捕まってから、逃げていたんでしょう。本当に、ヒコーキの方々がいなかったらと思うとゾッとするわ。」


 打って変わって、ソフィアは涙ながらにベロニカを抱きしめている。


「見捨てずに助けて、良かったですね。」

「別に見捨てるつもりだったんじゃねぇしよ。人聞きの悪いことを言うんじゃねぇよ。」

「はいはい。」


 廣田と中川は軽口を叩いているが、考えてみると、実に危ういところであった。


「あのまま通過していたら、今頃は…。」


 実際、ソフィアの弟子を見捨てたなどということが、後日、発覚でもしたらと思うと、廣田は冷や汗千斗で、胸を撫で下ろしているところであった。


「とにかく、師弟の再開は実にめでたい。そちらの…ベロニカ嬢に、何か着替えを準備しましょう。そのままでは風邪を引いてしまいそうだ。」


 艦橋から降りて、途中から遣り取りを見ていた南郷艦長が言った。


 主計科の若い士官に先導されて、ソフィアとベロニカは、艦内へと入って行った。


「さて、貴様らには、偵察の状況を詳細に報告してもらうぞ。中川一飛曹、貴様も着替えて、二人とも士官食堂に来い。ああ、異世界の御仁を交えた報告会であって、食事をするんじゃないから期待はするな。先に主計科で昼飯を食わせてもらえ。あとは、至急、撮影したフィルムを現像に回し、引き伸ばし写真を焼いてもらって来い。」


 南郷は、廣田と中川に、そう命じた。


「承知しました。ところで、残りの2機の報告はどうでしたか?」


 廣田は、令川丸の後部飛行甲板に、一緒に偵察へ出た零観が戻っているのを見ていたので質問すると


「ああ、それぞれ小さな城や、集落を見たといった報告だ。デ・ノーアトゥーンにズバリ出くわしたのは貴様らだけだな。ましてや『ワイバーン撃墜』や『友軍機見ユ』の報告とは、まったく度肝を抜かれたよ。」


 南郷は、少し笑いながら愉快そうに答えた。 


 そこまで聞いた二人は、南郷に敬礼すると、踵を返し歩き始めた。


「中川、貴様は着替ろ。俺が許可するから、士官次室ガンルームの風呂の残り湯で潮も落として来い。俺は、先に主計科へ行って、昼飯と現像の算段をやっておく。」


「了解しました。」


 そう言って中川は、廣田を敬礼で見送った。


 

 それから30分ほどして、平田と中川は士官食堂へ赴いた。


 零観揚収とベロニカ救助のためいったん停止していた令川丸は、すでに他の艦とともに航行を始め、遅れを取り戻すかのように、速度を少し増したように思われた。

 風も、2隻の帆船、特に、元々鈍足のティアマト号へ味方するかのように、順風が吹き始めていると見える。

 そうは言っても、まだ25航空戦隊とも合同していない状況下では、順風満帆であっても、デ・ノーアトゥーン港到着は、明日の未明以降のことになりそうである。

 

 日本艦隊としては


「焦っても仕方がない。」


と開き直っても構わないが、到着後に予定が目白押しのイザベラ姫一行は、気が気ではないだろうと推察されたので、南郷が在艦中のアナセンとオーケルマンから事情を聞き、さらにはティアマト号のバース艦長などを通じてイザベラ姫一行の状況を確認したところ、結論は


「急ぐに越したことはないが、特に差し支えなし。」


であった。


 前日


「お姫様はお急ぎだ。」


と催促していたのとは、大違いである。

 理由を要約すると、通信鳩の連絡で無事が確認されているのであれば、それで問題はない。帆船の航海は風任せであるから、予定が1日や2日狂うことはよくある、というのである。


「だったら、最初から急がせるなよ。」


と南郷は思った。


 さて、令川丸の士官食堂には、昨夜と同じメンツが同じ席次で揃った。

 違っているのは、花川少尉の代わりに廣田少尉と中川一飛曹がいることと、令川丸の面々の背後、ティアマト号一行の正面に移動式の黒板が据えられ、そこに、現像と引き伸ばされて焼き付けが終わったばかりの写真10数枚が、貼り付けられていることである。


 ティアマト号の面々が目を見張っている。

 写真など見たこともないから、「画像の正確さに驚いていることだろう。」と南郷をはじめ、令川丸の一同は思った。


「それにしても、あの魔法使いの姉さんは、いつでもあの変てこりんな帽子を被ったままなのかな。」


 廣田は、とんがり帽子を被ったままのソフィアを見て、そう思った。

 彼女は、さっき弟子のベロニカと「感動の再会」をしたときでさえ、とんがり帽子を被ったままだったのである。


「ひょっとすると頭が禿げていたりして。いや妙齢の女性だし、そんなことはないか。でも、異世界だから何があっても不思議じゃあない。」


 廣田が、そんなくだらないことを考えていると


「廣田少尉。」


 いきなり艦長から指名され、教師に指された生徒のように、ビクッとしてから


「はいっ!」


と大声で返事をし、立ち上がった。


「あまり大声を出さんでよろしい。ちょっと、25航空戦隊とブリーデヴァンガル島の様子について、写真で説明をしてくれ。」


 南郷が、黒板に貼り付けられた写真の方を示して言った。


 「了解しました。それでは…。」


 廣田は、なぜか用意されていた射撃用の指揮棒を手に取ると、25航戦やブリーデヴァンガル島の様子を、時系列的に説明して行った。


 ティアマト号の面々は、やはり25航戦の空母や戦艦に改めて驚いた様子で、さらに、デ・ノーアトゥーンの街の様子が、写真には鮮明に記録されていることにも驚いた様子であったが、トゥンサリル城を捉えた写真には、驚きとともに若干の不快感を隠さなかった。

 自分たちのあるじ、もしくはそれ以上の高級貴族の居所が、上空から無防備に晒されており、彼らの感覚からすれば不敬となるだろうから、それは当然と言えば当然であった。


「やっぱり、は出さんで正解だった。」


 実は、撮影された写真の中には、おそらくはトゥンサリル城の主と思える貴族らしき凛々しい若者が、バルコニーから零観を見上げているものがあったのだが、これはさすがにマズいだろうということで、この場には出さなかったのである。


 この辺りの感覚のには、今後も注意が必要だと、南郷は思った。

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