卒業、出来なかったね




僕は、どうしてもあの娘が好きだった。

もう一度抱き寄せたかった。ごめんなさいって伝えたかった。あの娘が望むなら、思いつく限りの戯れを尽くされてあの娘に愛でられていたかった。


___



二年に進級してあの娘の後ろの席になった時はまだ恋心を自覚していなくて、ただなんとなく目で追ってしまう、そんな不思議な存在だった。それは僕と違って綺麗な髪の所為だと思っていたし、隣の席の子に訝しげな目で見られた時に「髪が綺麗だから」と正直に伝えてしまったことは今も鮮明に思い出せる。……ちょっと恥ずかしかったな。


片想いという現象は何処までも都合のいい代物で、ありもしないことばかり妄想してしまうくせ、いざ本人と顔を合わせると何も話せなくなってしまうものなんだろう。…ああ、他の人はそうじゃなかったらどうしよう。僕だけがこんな無様な思いをしてるなんてのは受け入れたくないし…


先述した通り、僕はどうしてもあの娘が好きだった。手に入れたかった。けど、こんなナリをしていながら引っ込み思案な僕と人気者のあの娘じゃ好意を寄せることすら身分不相応なんじゃないか、なんて在り来りな不安は靴底のガムみたいに頭にへばりついて離れてくれないものだった。

よくある悩みってことは、それくらい大勢の人が悩んでしまうくらい重大なものなんだとも思えるし。


片想いや失恋のラブソングを素直に楽しめるようになるどころか、コメントに 『この曲聞いてると好きな子とのこと考えちゃいます。いいねで応援してください!〜いいねで告白します!』といった所謂自分語りコメを投下してしまう始末。応援してください!と絵文字で彩られた応援のセリフから嘘松や乞食といった暴言が飛び交い、最後はいいね数を達成しないまま『翻訳すると呪われるメッセージ』や『ち.ゃ.ん.ね.る.と.う.ろ.く.』といったスパムに支配されてコメントが削除されてしまったのも良い思い出だ。一般的には黒歴史と云われて嘲笑の的になるそれも、恋をして愚かになった結果だと思ったらそんなに嫌じゃないし。中学生が中学生らしいことして何が悪いんだって胸張って生きることにした。なんやかんやで親しくなった隣の席の子に、「好きな曲にこういうコメントあるのやだよね」と確かに自分が綴ったであろう文字列を見せられた時は背筋がブルッと震えたけど……とにかく、僕はそれくらいあの娘のことが好きだったってこと!密かに想いを寄せて拗らせて妄想してを繰り返していたら夏休みに突入してしまって、結局あの娘と付き合えたのはその長い休みが終わってからだったんだけど。


友達として何度か二人で出かけて、手を繋ぎたい気持ちをグッと堪えて頬に赤を射しながらの大告白。壊れたオモチャみたいに吃りながら、バカみたいに慌てながら。気持ち悪くてごめんなさいだのこんなこと言ってごめんなさいだの、長ったらしい謝罪を続けた末にやっと喉から出てくれた小さな「すき」に笑顔で頷いてくれた時はもう涙で顔がグチャグチャになってしまった。それからは…カフェに水族館に、美術館に博物館に…あの娘が好きな、地元の漫画家さんの原画展もいっしょに行った。デートらしいデートのラインナップから、あの娘の知的さや個性に溢れた行き先に染められていくのも楽しくて、付き合いはじめは毎週のように出かけていたようにも思う。テスト期間は勉強という名目で健全な図書館デートを楽しんでいたんだけど、事件は12月の24日……クリスマスイブに教室でプレゼントを贈り合った時だった。学校は休みでも、部活の時間が被れば会えたから。「今日はデート」とみんなが色めき立つ雰囲気だとか、テレビがお届けするイルミネーションやレストランの情報だとか、非日常感に惑わされて恋に酔った結果なんじゃないかな。なんて、笑って済ませられる話ではないんだけど。


僕には薄桃の、相手には赤のリップスティックを贈り合ったはずが、使い終わったあと返したら関節キスになるように…なんて天才的なあの娘のアイデアにより逆にして塗り合いっこをすることにした。


スティック越しに伝わるあの娘の柔らかな唇の感触、光景、僕を揶揄うみたいにきれいに歪む表情、此処にある事実ぜんぶが背徳的でクラクラした。反対に、カサついた唇がルージュで彩られていく時はくすぐったいんだか気持ちいいんだか分からなくて目を瞑ったり閉じたりを繰り返したし、その様子をくすくす笑われながら「ちゃんと保湿しないとだめだよ」なんて甘ったるく囁かれるもんだから、興奮で脳の血管が幾つか切れたような気もするし。


だから、口付けてしまった。急すぎる僕の行動にあの娘も頬を赤く染めていたけど、直ぐに目を細めて僕の背に腕を回してくれた。リップクリームもなしにお互い塗り合った薄桃と紅が交じり合う。

触れ合うだけの戯れでいっぱいいっぱいになっていたところあの娘の舌に唇を突っつかれて、何人相手にしてきたんだ!…なんて悲しみに近い怒りが頭に過ぎったものの、行動が大人びているだけで上手下手は僕と変わらない事に気付いてしまって。ちゅー、なんて可愛らしいものではなかったけど、接吻と呼べるほど色っぽくもなくて、ただただ愛らしさが胸に溢れるささやかな触れ合いだった。


その後の交際も順調そのものと言っていいと思う。あの娘が「蒼」と呼んでくれるたびに僕は自分の名前を少しだけ好きになれたし、僕が「春」と呼ぶたびにあの娘は弾んだ声色で言葉を返した。進級の時も運良く同じクラスになれたので、掲示板前の人混みの中こっそり手を繋ぎ寄せて「嬉しいね」って喜び合った。熱心に、どこか不安げにクラス表の文字列を追うあの娘の横顔もかわいかった。


けど、僕のクラスの雰囲気が…その、あまり…好ましいと言えるものじゃなかったから。選択制の制服とはいえスラックスを履いている女生徒はごく一部で、僕の容姿や振る舞いが中性的なことも含めて「王子様」として持て囃された。最初は恥ずかしいような嬉しいような感覚だったのに、あの娘に贈られた可愛らしい髪留めをつけて登校した日「蒼くんそういうのつけるんだ?」と笑われたあとは身体のどこが痛みを訴えているのかわからなくて怖かった。…けど、いじめられてはいない。若葉の頃には王子様扱いが下級生にまで広まっていて、好きでもない甘味を胃に押し込む日が続いた。男の子も、先生も、僕の机やロッカーに無造作に置かれた贈り物を目にするたび「羨ましい」と言っていた。好意を寄せられて、かっこいいと持て囃されて気分を害す僕が悪いんだと思う。この制服を選んだのは自転車通学を理由としてだから、あの娘との休日はいつも通りスカートを履いてデートをした。


あの娘は僕を男として扱わない。最近悩んでいた僕を見かねてかはわからないけど、かっこいいところも可愛いところも好きだと僕に伝えてくれた。

…プリクラで猫耳を生やされたのは流石に恥ずかしかった。けど、やっぱり好きな人との時間は幸せで愛しくて。寂しさを胸に秘めつつ「楽しかった」と笑い合いながら駅で感想会をしていたところ、後ろから同級生の声がした。少し恐れたような表情で振り向く様子を、あの娘は訝しげに思ったかもしれない。頭のてっぺんから爪先まで纏わりつくような視線を感じる中、『やっぱそういうのが好きなんだ?』だの『蒼くんらしくないね』だの日常会話の一環として揶揄われ、なんと返せばいいかわからなくて黙ってしまった。隣で心配そうな表情をしたあの娘が『蒼』と名前を呼んだところで我に返って、言葉を返す。似合わないよね、変だよね、とか。こんなの着てたこと言わないでね、とか。今自分がしている格好を恥ずかしいもののように扱って、あの娘が贈ってくれた言葉を忘れて男勝りな人間として振る舞う様子はとても愚かで滑稽で。身体をひどく冷えさせながらおかしな談笑を続けていたら、あの娘が手首を掴んで「電車の時間なの、ごめんね」って白馬の王子様みたいに連れてってくれて、自分は情けない存在なんだと自覚させられた。見た目だけの僕よりも、あの娘の方がずっと王子様らしいのに







あの娘の家で、王子様扱いが嫌なことを震えながら伝えて涙を流す。やさしく抱きしめられて、涙を拭われて、慰めのようなキスをした。


「…ぁ、え、 」


あの娘の指が服の中に入ってくる。なんで、どうして。素っ頓狂な声を出してしまい、恥じらいから前を向くと、あの娘の顔はイブの時みたいに愉しそうに笑っていたから。不安、恐怖、焦燥。色んな感情が一つずつ心に積み重なっていく。拙い謝罪を告げたあと、あの娘の声も待たず自分の家に逃げ帰ってしまって、わたし、



…母の声がして、美味しいはずのご飯を胃の中に押し込むだけの作業をいつもより早く終わらせる。

お風呂場で痛々しいくらい赤くなるまで肌を擦り洗っても奇妙な不快感は剥がれない


クラスラインのものなんだろう。いつも通り盛り上がり続ける通知音も、それに交じるあの娘専用の着信も、返信する気力がないからと言い訳を並べている。皆におかしな目で見られることよりも、あの娘があんな手付きで触れてきたことの方が嫌だった。僕はまだ泣いていたのに、初めてをあんな場面で済ませようと思われたことが悲しかった。

……させてくれないなら別れる、なんてことになったらどうしよう。あの娘がそんな事言うはずないのに、何処までも愚かな想像ばかり続けて布団に潜る。眠れはしなかった。


翌朝、着替えがへたくそな子どものような手付きでスラックスを身に付け高校への道を辿っていった。

自転車に乗るような気分じゃないからって、時間の余裕がある訳でもないのに徒歩を選んだのは失敗だったかもしれない。大して暑くもないのに流れ続けるおかしな汗で前髪が額にへばりついている。


遅刻寸前で教室のドアを潜ると、僕を王子だと持て囃す子たちがあの娘を取り囲んでいた。

あの娘の前に突き付けられているスマートフォンには、僕とあの娘の映った写真が表示されていて。あの娘は、何も言えず、立ち尽くしていて、…いて?


キスを、していた。


恐らくクリスマスの時に撮られたもので、僕が壁に追いやられる形に…傍から見れば無理矢理その行為を強いられたような構図の写真。慌てて撮影されたのか、撮影者本人の指が少し映り込んでいて、それは男の人の物だった。この写真を撮ったのは僕を王子様だとわらう彼女らではなくて、僕を“女のくせに”と揶揄する誰かの中に居るのだと理解した。


あの娘が加害者として扱われている。

僕の存在に気付いたみんなは、『無理矢理とか最低』だとか、『気持ち悪い』だとか、…思い出したくもないような、思い付く限りの言葉で僕を哀れみ、あの娘のことを傷つけ続けた。毒々しい無邪気さで僕の言葉を求める彼女らに対し、じっとりとした同調圧力を感じながら、ぼくは、なにを、



『 …ごめんね、 』



罵詈雑言の中から、あの娘のちいさな声がした。





_



春。卒業の季節





だからあの娘は虐げられた。だからあの娘はもういない。卒業式もすっかり終わって夕色の射し込む教室を恐る恐る訪れてみると、落書きも消えきらないまま端に追いやられた机が視界に入る。

自分の卒業アルバムは多種多様な筆跡や内輪ノリのおふざけで溢れていたけど、未練みたいに残された隅の余白にあの娘からのメッセージが書かれる事はないのだと思うと、途端に胸が苦しくなる。陽が沈むまでの寂しげな時の流れは、脳が青い春を凝縮した記憶を再生するだけの器官になってしまうには十分だった。自分の罪も忘れてページの余白を眺めてしまう僕は、…わまたあの娘に縋りたい気持ちになった。なのに、あの醜い罵詈雑言が自分に向けられることを思うと、身体が動いてくれなかったのだ。あの嵐の的にされるべきはわたしで、あの娘じゃない。わたしから想いを告げた。わたしから口付けた。全て裏切っておきながら、未だこの余白にあの娘の名前が刻まれることを望み続けている



「 だいすき 、」


この言葉を吐く資格はない。あの娘が持つわたしへの愛は愚かにも枯らしてしまったから。

汚れた机を撫でながら自分勝手な言葉を投げると、陽が落ち切る頃に誰もいない教室をあとにした。







_



わたし、どうしてもあの娘が好きだった。

手に入れたかった。縛りたかった。柔らかな髪を撫で、白い肌をくすぐり、甘く囁く。そんな思いつく限りの戯れを尽くしてあの娘を愛でていたかった。


蒼のこと、好きだったの

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誰かの特別になりたい。それか、笑えるくらい顔のいい女に人生狂わされて終わりにしたい 犬です。 @inudesu111

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