第31話 王女の好きな甘い毒
国王の執務室の斜向かいに、王妃の執務室がある。もとは宰相の部屋だったが、休職中にさっさとジェラールが造り替えた。
穏やかな陽が差し込むその部屋に、ノック音が響く。
「どうぞ、入ってちょうだい」
王妃セリーヌは、手もとの用紙からドアへと視線を上げ、礼儀が板についてきた娘、ベルティーユに目を細めた。あと十ヶ月でイヴェール王国の知識を詰め込み、王妃教育までも終えねばならない。
セリーヌはヴィクトルの言うことを鵜呑みにせず、楽観的に考えていた。我が娘が人を――それも妹を殺そうとするはずがない。ヴィクトルはまだ子ども。大袈裟に捉えているだけだろう。
ふたりの仲がよいことは、侍女たちから散々聞かされている。イネスをけしかけたのも突発的な行動だろう。その短気こそ矯正しなくては。
椅子から立ち上がり、セリーヌは壁側のソファへ移動する。
「今日はイヴェールが抱える食物事情について勉強しましょう。そのあとは、昨日のおさらいを」
「イヴェール式のお茶会ね? ジャムも出てくる?」
「ええ、もちろんよ」
うれしそうに頬を両手で包むベルティーユに、コホンと咳払いを落とす。途端にスッと表情を引き締め、ベルティーユは隙のない微笑を作ってみせた。
「では、ここから読んでちょうだい」
「はい、お母様」
イヴェール語の資料を朗読するベルティーユを見ながら、セリーヌは考えを巡らせる。
夫ジェラールのことは信頼しているが、家族間で話し合いを持たずして、一方的に姉妹を引き離すのはおかしい。ちゃんと顔を突き合せて話をしないから、疑心暗鬼を生じるのだ。
「お母様?」
「あ……、何かしら?」
ベルティーユはふと逡巡する素振りをみせ、心を決めたように視線を定めた。
「あのね……、シャルルのことが心配なの。寂しい思いをしていないかしら?」
「そう……ね」
「アルマンが会わせてくれないの。私とシャーリィの仲を知っているのに。だけど本当は……、私が寂しいだけだとわかってるの。おかげで勉強に身が入らないわ」
目を伏せるさまはたいそう悲しげで、セリーヌは心が痛んだ。せっかく縁があって姉妹となったのに、このままでいいはずがない。
「大丈夫よ。毒はもう抜けているわ。体力が戻っていないだけなの」
「――じゃあ、会わせてもらえる?」
「そうね、お父様を説得してみるわ。ちゃんと話し合えば、教会に預ける必要もなくなるでしょうし」
ヒュッとベルティーユが喉を鳴らしたのがわかった。先ほどまで色艶のよかった肌が寒々とした色へ変わっていく。
「ベル? まぁ、どうしたの⁉」
「お、お母様! シャルルを教会なんかに渡さないで!! あと一年も一緒にいられないのよ⁉」
たしかに、とセリーヌはぎこちなく頷いた。
「今晩にでも相談してみるわね」
「お父様はダメよ! お母様の権限で、いますぐ会わせて!!」
その剣幕に押されながらも、荒々しく立ち上がったベルティーユをたしなめる。
「ベルティーユ、座りなさい。はしたないわ」
「……ごめんなさい、お母様。私、寂しいの。妹をどこへもやらないでね?」
「わかったわ」
愛好をくずし、セリーヌは侍女のマリアに目配せをする。
「少し早いけれど、お茶にしましょう」
「はい!」
ベルティーユに笑顔が戻る。セリーヌは確信した。娘はこんなにも妹を思っている。やはりきちんと話し合いをしなくては。家族なのだから。
クランベリーのジャムをひと匙口に含み、紅茶を飲んだベルティーユは口もとを綻ばせた。
「甘酸っぱいっ、濃いめの紅茶とよく合うわ」
「そうね」
そこへ女官長のニネットが入室し、セリーヌは中座した。戻って来たときには、ベルティーユのジャムはきれいになくなっていた。それどころか、ジャムの瓶の蓋があいている。
ベルティーユは恥ずかしそうに目を泳がせた。
「美味しかったから……つい」
「もう、仕方のない子ね。お客様の前ではしないでちょうだい?」
「心得ておりますわ、お母様」
娘に甘いという自覚はある。雑務に追われ、幼いころに放置してしまった負い目がそうさせるのかもしれない。
宿題を手に退出していく娘を見送り、セリーヌは執務机に戻った。隅に控えていたマリアが、すかさずお茶を入れ直そうとする。
「ああ、いいわ。飲みかけをここへ置いてちょうだい」
「おそれながら陛下、わたくしどもにお気を使われずとも」
残ったお菓子などは侍女たちのお腹に入る。少しでも多く残したいという胸裏はお見通しのようだ。マリアとの付き合いは長い。結婚した当初からの侍女で、離宮に追いやられてもついて来てくれた。姉のようでもあり親友でもある。
「ふふ。そんなんじゃないわ。節約癖がついているのよ」
「さようでございますか」
飲みかけのお茶とジャムを机の隅に置き、来月に行われる他国との会合予定に目を走らせる。ページをめくりながら、ティーカップを口に運んでむせ返った。
「こほっ、ゴホッ」
「陛下⁉ ただいまお水を……」
ずいぶん濃いめに出していたらしい。口を渋くしてジャムをひと匙すくう。その手がピタリと止まった。なぜか食べる気を失い、マリアから受け取った水を飲み干す。
「もう、いいわ。下げてちょうだい」
「かしこまりました」
瓶に残ったジャムは半分くらいか。本当ならもう少し残る予定だったのだが。我が娘がはじめて見せた食い意地を思い出し、セリーヌはひとり、笑みをこぼした。
女官長の入室が告げられて、セリーヌは顔を上げる。
「陛下、こちらにおいででしたか」
「ニネット……あら、もうこんな時間?」
窓の向こうには黄昏色の空が広がっている。すぐに暗くなるだろう。そうなる前に、いつもマリアが机から引き剥がしに来るのだが、お茶を下げてから戻った様子がない。
「陛下、お耳を拝借いたします」
立ち上がったセリーヌの耳に、ニネットが口を寄せる。聞き終えたセリーヌは目を見ひらき、ふらりと体勢をくずした。
「そんな、マリア……」
「陛下、お気をたしかに!」
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