第28話 姉に怯える王太子の不安

 突如、牙を剥いたヴィクトルの手は、ジョエルの背中に当たって弾かれた。ジョエルはシャルルを抱きしめるように身を屈めており、ユーグが進み出て膝をつく。


「どうかお収めください、王太子殿下」


 ヴィクトルはバツが悪そうに額へ手をやった。

 もう手をあげることはなさそうだと判断し、ジョエルとユーグは定位置に戻る。


「シャルル……その話、まだ誰にもしてないだろうな?」

「ええ、あなたが初めてよ」

「いいか、姉上はランバートを気に入ってる。お前は口を挟むな」


 食い下がれる雰囲気ではなかった。ヴィクトルは怒るというより、追い詰められているように見える。もしかしたら、国家間のやり取りで複雑な事情があるのかもしれない。


「……わかったわ」

「それから、部屋にピピは居るか?」

「いいえ? お父様からご用命を受けて留守にしているわ」


 チッと舌打ちが返ってきて、シャルルは目を瞬かせた。


「ピピに用事があるの?」

「……とにかく、お前は部屋から出るな」

「出るなって……」

「お前、天使の加護が切れてるんだろう? 絶対に出歩くなよ!」

「あ、ちょっと……待ってよ! ねぇ⁉」


 シャルルの質問にはひとつも答えず、ヴィクトルは行ってしまった。ここのところ、「とにかく」がヴィクトルの口癖になっており、肝心なところで煙に巻かれる。


 ヴィクトルから受ける視線に嫌悪は感じられない。だけどあからさまに、シャルルからベルティーユを遠ざけるようになった。やはり、シャルルが【悪魔】のギフトを持っているせいなのか。


(仕方のないことだけど、寂しいわね……)


 ヴィクトルは大広間のほうへ戻って行った。大臣との会話中に抜けてまでシャルルを連れ出したのも、ベルティーユのためなのだろう。



 ***


 大広間に戻ったヴィクトルは、ランバートを慰めるベルティーユの後ろ姿を見つけ、そうっと近付く。ふたりは壇上に用意された椅子に並んで腰かけ、うなだれたランバートの背中をベルティーユがさすっている。


 ヴィクトルはその斜め後ろ――台座に置かれた大きな花瓶の後ろに隠れて様子を窺う。ここからだとランバートの顔は見えないが、左手に座るベルティーユの横顔はよく見える。


「ランバート様、わたくしもお胸が育つよう努力いたしますわ。ですから、お母様のことはあきらめてくださいませ」

「そう……だな。そなただってこれから……だが、年下のシャルルがあの胸だろう? 正直…………あまり、期待が持てない」

「そんなことおっしゃらないで」


 ――なんだこの会話は⁉


 紳士淑女の会話じゃない。しかもなぜベルティーユは怒らないのか。ヴィクトルでさえ怒りに身が震えているというのに。


 ――姉上の考えがわからない。


 両親はすでに退出したあと。お祝いに集まった貴族たちは気を緩ませ、ダンスや会話を弾ませている。

 ふたりのもとへ、イヴェール国の外務大臣ウォード侯爵がやって来た。


「おや、如何いかがなされた? おふたりとも、祝いの席だというのに浮かない顔をして」

「ウォード侯爵、私はやはり――」

「――なんでもありませんわ、侯爵。一年後、イヴェールの地を踏めることを楽しみにしております」


 ウォード侯爵は愛好をくずす。


「実に喜ばしいしいことです。ベルティーユ王女のように優秀な妃を迎えられれば、ランバート殿下の王太子就任は間違いございません!」


 ランバートは肩を落としたまま、力なくつぶやいた。


「私に王太子など荷が重い。それに兄上がいるのだから」

「そうですわ。わたくしたちは、一緒にお兄様をお支えできればよいのです」


 だが、酒の入ったウォード侯爵は止まらなかった。


「何を仰る! 私は殿下を必ずや王太子にしてみせますとも!」

「エェ……」

「まぁ、侯爵ったら。困った御方……うふふ」


 眉をハの字に形作り、ベルティーユはわかりやすく苦笑を浮かべた。その横顔が満更でもない気がして、ヴィクトルは逡巡する。


 ――姉上は王妃になりたいのか。


 近隣国で年の近い王子はランバートしかいない。王妃になれるチャンスはイヴェールでしかつかめないだろう。第一王子の体調は思わしくないと聞く。それならランバートをがす手はない。


 大広間をあとにして、ヴィクトルはぼんやりと廊下を歩いて行く。護衛のふたりも心得たもので、小さな歩幅に合わせてゆっくりと進む。

 そこへ、ヒールの硬質な足音が後ろから近付いて来た。


「……姉上? どうされたのですか?」

「お化粧直しよ。ちょっといいかしら?」

「はい……」


 震えそうになる声を、ヴィクトルは拳を握って律した。


 ふたりは一階のテラスから中庭を見下ろす。

 ある事実を知って以降、ふたりで話すときには、声が聞こえない位置まで護衛を下がらせる約束だ。


「ランバート様との会話を聞いていたのでしょう? 悪い子ね」

「申し訳ありません。姉上のことが心配で」

「ふふ、わかっているわ」


 父王と同じ蜂蜜色の後れ毛が風に舞い、ヴィクトルと同じ王家特有の、アメジストの瞳に影が落ちる。自分と同じ色なのに、背筋が凍るほどおそろしかった。


「ねぇ、ヴィクトル。私は王妃になりたいの」

「……では予定どおり、イヴェールへ嫁げるよう、最善を尽くします」

「それには、ひとつ問題があると思わない?」


 顔を近付けられ、ヴィクトルの体がさらに強ばる。


「あ、姉上。シャルルには口出しさせませんから!」

「でもね、ランバート様が言うのよ。せめてシャーリィがいいって」


 ベルティーユは困ったように頬に手をあて、その指を顎へ滑らせた。


「あの子……、【悪魔】の力を使ったのではないかしら?」

「そ、そんなことは……」


 言葉を探して目を泳がせたとき、中庭の向こう――ヴィクトルたちが住まう居館に、慌ただしく動く使用人たちの姿を見つけた。

 胸騒ぎを覚えてベルティーユを見やる。深い紫の瞳がすうっと細められた。


「わたくしは戻るわね」


 ニコリと微笑んだベルティーユの後ろ姿を見届け、ヴィクトルは中庭へ飛び出した。おどろいた護衛たちがあとを追いかける。


 ――やられた!! 自身の晴れの日に、事を起こすとは思わなかった!


 シャルルのギフトが【悪魔】だとわかったある日のこと。【悪魔】ギフトへの理解を深めようとベルティーユが言い出した。知らないからおそろしいのだと。

 ヴィクトルも賛成し、ふたりで調べていくうちに、ベルティーユが怯えはじめた。


『ここまでおそろしいギフトだとは、思わなかったわ』


 ギフトを奪えるだけでもおそろしいのに、男を魅了したり、人間の体を支配下におくこともできる。いわゆる操り人形だ。これにはヴィクトルも戦慄した。


『シャーリィを信じるにしても、私たちは対抗手段を用意しておくべきだわ』


 その対抗手段とは、いつでもシャルルを殺せるよう、毒物を手に入れておくことだった。ヴィクトルは姉を尊敬した。

 不測の事態から身を守るためにも、至極まっとうな提案に思えた。シャルルが間違いを犯さなければ、使うことはない。あくまでお守りだと言い訳を並べつつ、結局自分もこわかったのだ。


 ところが、そう簡単に毒は手に入らない。


 そのせいか、ベルティーユは日に日に怯える姿を見せ、シャルルへ向ける視線も強くなりはじめた。

 シャルルの前では取り繕えているが、ふとした瞬間に、凍り付くような目で見ていることがある。最近では、執念じみた何かを感じるほどだった。


 ――シャルルは悪いことなどしていない。シャルルの心は悪魔じゃない。


 父王に頼まれた仕事だけをこなしている。手をくだす必要などまったくない。けれどベルティーユは、己の障害というだけでシャルルを殺す気だ。【悪魔】のギフト持ちは排除されても当然だという考えのもとに。


 ――姉上は、以前の自分と同じだ。


 行き交う使用人たちをかき分け、ヴィクトルはまっすぐに二階を目指す。ドアを守る護衛を押しのけようとしたが、相手が悪かった。


「ヴィクトル殿下、お下がりください」

「アルマン、入れてくれ!! シャルルは……大事ないか⁉」

「なぜそのようなご質問を?」


 ――疑われている。


 当前のことだろう。ヴィクトルもかつてはシャルルを毒殺しようとしたのだから。そして信じてもらえるほどの絆を築くどころか、シャルルを遠ざけて溝を深くしたのはヴィクトル自身だ。


「シャルルは、無事なのか?」


 せめて安否を確認したい。その思いは叶わず、アルマンは首を横に振って冷たく言い放つ。


「お答え致しかねます」


 ――仕方がない。自分はすべてにおいて下手を踏んでいる。


 ヴィクトルは自嘲を浮かべながら自室へ向かう。アルマンの落ち着いた様子からして、一命は取り留めているだろう。謝罪する機会はきっとある。


「シャルル、俺は……」


 のろのろと歩く足は自室のドアの前で立ち止まり、やがて目的を得たように力強く踏み出した。

 一階へ降りると、お目当ての人物が深刻な顔をして向こうからやって来る。すれ違いにならなくてよかった。シャルルのところへ向かうのであろう両親を引き止め、ヴィクトルは頭を下げる。


「父上、お願いがございます」

「ヴィクトル、あとにしてくれ」

「お願いです! シャルルが……命を狙われた経緯をお話します!!」


 ジェラールとセリーヌは顔を見合わせ、ひとまずヴィクトルの話を聞くことにした。

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