第22話 依頼主の正体と暗殺者の計画

 ――犬笛の音が聞こえる。


 シャルルをベッドに寝かせたあと、ピピは「誰も入れないように」とアメリに告げて寝室を出た。


 向かうは礼拝堂。昼間には人の出入りもあるから、ピピは堂々と正面玄関から入った。ところが、人払いされたかのように礼拝室はガランとしており、祭壇の前にはカルメ司教と、フードを被った人物がふたりいるだけ。


 そのうちひとりは長椅子に腰かけている。そばに立っているのは護衛だろう。剣を携えた男と比べて、やけに小さい背中を不審に思いながらも、ピピはカルメのそばにひざまずく。


「お呼びでしょうか?」

「……ピピ、報告をお願いします」


 カルメの声にピクリと身じろぎをする。得体の知れない人物がそばにいる状態で、何を報告せよというのか。

 聞き返すまでもなく、カルメが答えた。


「こちらは依頼主様です。シャルル殿下についての報告を。症状の進行は如何いかほどに?」


 そういうことか、とピピは歯噛みした。逆らえない拳を握りしめる。


「ヒ素を使い慢性中毒にしました。黒皮症を発症し、嘔吐を繰り返して痩せこけ、そろそろ体力も底をつくでしょう」


 シャルルの飲み物に毒を混ぜ、病に見えるようゆっくりと殺す命令を、カルメから受けていた。最近では水すら飲もうとしないので、ベルティーユのお茶会を利用するよう指示を出したのもカルメだ。


「ふむ。やっとですか。天使が加護を与えたのは誤算でしたね。【幸運(最大)】の恩恵を受け、無意識に毒を排する行動を取るとは……。ああ、やはり天使は素晴らしい!」


 解毒作用のある食べ物をシャルルが欲しなくなったのは、【天使】の加護が切れたころからだ。セラフィンと会わせないようカルメが【束縛】している。


 カルメは恍惚とした表情で両腕を広げ、なかなか戻って来ない。見かねた小さな背中が咳払いをした。その声を聞いて、ピピの瞳が大きく見ひらかれる。


「カルメ司教、話を進めてくれ」

「っ……、どうしてあなた様が?」


 小さな背中が立ち上がり、ピピの前でフードを下ろした。王妃に似た亜麻色の髪に国王そっくりのアメジストの瞳。王太子となったヴィクトルが、ピピを睥睨へいげいする。


「【悪魔】を見つけたんだ。身内とはいえ、存在を許すわけにはいかない。王家の恥だ」

「あ、あくま……? どなたのことでしょうか?」

「俺はこの目で見たんだ。シャルルが黒い鎌を振り下ろすところを」

「っ……、そんなはずは……」


 ピピから見たシャルルは、どこにでもいる普通の女の子だ。ときどき大人っぽいことを言う、おしゃまな女の子。

 その行動はすべて把握しており、シャルルが鎌を振りまわすところなど見たことがない。だがそれは、ピピが侍女として仕えて以降の話だ。


「で、ですがっ、シャルル殿下のギフトは【幸運(小)】です。カルメ司教様も先ほど、そうおっしゃったじゃないですかっ」


 カルメに報告したのはピピだが、この耳でたしかに聞いたのだ。王妃の執務室の外に控えていても、ピピの耳には筒抜けだった。

 食い下がるピピに、ヴィクトルは伏し目がちに首を振った。


「【悪魔】のギフトは、奪ったギフトから選んで石版に表示させることができるらしい。石版は複数表示できる機能を持っていないから、摘発できなかったんだ」


 すかさずカルメが口を尖らせた。


「ですから、教会で判定を受けるべきなのです。ギフトを判別できる者たちは、石版と違って優秀ですよ?」

「わかっている。だが父が説得に応じない。俺が王になったら規則を変える」

「その言葉、お忘れなく」


 ヴィクトルはカルメに頷き、いまだに戸惑うピピへ視線を落とす。


「仕えていた主が【悪魔】だとは思わなかっただろう? 同情するよ」

「…………でしたら」

「うん?」


 声を震わせながらも、ピピは胸に手をあて、ひたとヴィクトルを見据えた。


「でしたら毒など使わず、このピピにお任せください!!」


 ピピに気圧けおされ、怯んだヴィクトルだったが、ハッとして眉根を寄せる。


「せっかく病死に見せようとしているのに、手を下してどうする⁉」

「シャルル殿下がご病気であったことは、フェイユ公爵令息様が証明してくださるでしょう。外傷なく殺してみせますので、どうか、お慈悲を!」


 ――慈悲か。

 たしかに、長く苦しめるのはヴィクトルの思うところではない。

 逡巡したのち、ヴィクトルは頷いた。


「わかった。シャルルのことは憐れだと思っている。苦しまないようにしてやってくれ」

「かしこまりました。今宵、シャルル殿下は峠を迎え、明朝にはお亡くなりになるでしょう」



 ***


 夜も深まり、城内には完全なる静寂が訪れた。

 お仕着せ姿のピピはシャルルの部屋へ向かう。この時間にドアを守る護衛はひとり。ジョエルに会釈をして部屋に入ると、寝室では侍女アメリが、うつらうつらと船を漕いでいた。


 アメリの肩に手を伸ばしながら、自分らしくないなとピピは苦笑する。いつもなら、自分に嫌疑がかからないよう、他人が看病しているあいだを狙って事を成すというのに。

 このアメリは、貴族令嬢とは思えないほど、平民のピピにもよくしてくれる。彼女を犠牲にはできない。シャルルに何かあれば、真っ先に咎がいく。


「アメリ様っ、交代のお時間ですよっ」

「んっ? あら……ごめんなさい」

「殿下のご様子は?」

「相変わらずよ。時折苦しそうになさっているわ」

「そうですか……」


 ピピの思い詰めたような顔を見て、アメリが背中を叩く。


「殿下はお強い方ですもの。きっと大丈夫よ」

「でっ、ですねっ! あとはピピにお任せあれっ」

「ええ、お願いね」


 アメリが出て行き、寝室のドアが閉まると、ピピはクローゼットに忍ばせていたカバンを取り出す。これには暗殺道具――ではなく、シャルルの普段着や下着が二日分入っている。換金できそうなアクセサリーも入れておいた。


 ――シャルルを殺すつもりはない。

 毒を調整しながら、連れ去る計画を練っていた。


 カルメのギフトは契約者を複数持てるものだが、<監視>の目を向けたり、行動を<制限>する対象はひとりにかぎられる。

 だから定期的に契約者を訪ね、監視下にあることを彼らに知らしめる必要がある。契約者たちは面会前の行動を言い当てられ、常に監視されていると思い、大人しく従うのだ。


 ピピはずっとカルメのギフトを観察していた。教会本部へ向かう途中、わずかに【束縛】の効力が揺らいだ。

 その距離は、ピピが犬笛をなんとか聞き取れる範囲と同じ。常人にはわからない小さな違和感だった。


 そこまで逃げ切ればなんとかなる。シャルルを隠れ家に連れて行き、その足で人質にされた妹を教会から救い出す。


「殿下っ、長らく苦しめて、申し訳ありませんでしたっ」


 シャルルにかけられた【天使】の加護が切れてからというもの、二度と加護を与えないよう、カルメはセラフィンにかかりきりだ。【天使】が行動制限を受けているいま、ピピには制限がかからない。


 寝室の窓をあけ、フゥフゥと荒い寝息を立てるシャルルの身を起こしたところで、ピタリと手を止めた。居室のドアがあいた。隣の部屋から小さな足音が聞こえてくる。


 ――おかしい。

 廊下には護衛が、ジョエルが立っていたはずだ。殺られたか。


 シャルルの体をベッドへ戻し、寝室のドアをジッと見つめる。ゆっくりとひらいたドアから明かりが漏れる。光を背負った人影に目を細めると、あらわれるはずのない人物が肩を弾ませていた。


 苦しげに歪むシャルルの顔を見て、サファイアの双眸そうぼうが大きくひらかれる。


「シャーリィ⁉」


 ベッドの足もとまで近寄ったセラフィンが――突如、動きを止めた。足は縫い止められ、腕が落ちる。棒のように直立したセラフィンの隣に、笑顔を浮かべたカルメ司教が並び立った。

 ピピは剣呑な眼差しを向ける。


「どうして……、天使を連れて来たんですか? 治療されると困るのでは?」


 カルメは顎に手をあて、思い悩むような芝居をはじめた。


「ええ、そのとおり。ですが……よくよく考えたのですよ。ピピが人を殺めるところを見た天使は、どんな顔をするのだろうかと」


 その言葉にピピは舌打ちし、セラフィンは青ざめた。

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