第21話 体調不良は婚約者候補のせいか
晩餐会から三ヶ月が経ったある日、シャルルは父王に呼ばれて執務室へ向かう。
秋もとうに過ぎて、廊下の窓から見下ろす庭園はうら寂しい。
ピピの暗殺的マッサージによって、シャルルの体型は元に戻りつつある。
ベルティーユのお茶会は減ったが、食欲は減らないので口寂しい。
執務室へ着き、勧められたソファへ腰かける。しばし待たされるのをいいことに、目の前の焼き菓子にかぶりつく。焦がしバターの香りが鼻から抜けていった。
「待たせたな」
「むぐっ⁉」
「ああ、いいから食べなさい」
机から立ち上がった国王ジェラールが、向かいに腰かける。
シャルルはお茶で流し込み、何事もなかったように話題を変えた。
「お疲れ様です、お父様。午後からはお出かけになるのでしょう?」
「ああ。できれば昼食でも取りながら話したかったのだが、時間に追われていてね。さっそくだが……お前に縁談が来ている」
ひゅっと喉を鳴らしそうになったが、なんとか
人生をやり直す前、ベルティーユの我儘を聞いてくれた母には感謝している。自分で選んだ男はハズレだったけれど。
「どなたでしょうか?」
きっと父が選んだ男性のほうがいいに決まっている。
そう思い直したシャルルの耳に、とんでもない男の名が聞こえた。
「フェイユ公爵家の嫡男だ」
「――ひっ⁉ パ、パトリス⁉」
さすがにこれは飲み込めなかった。奇しくも太陽が雲に隠れ、目の前が薄暗くなっていく。
ジェラールは一瞬言い淀み、眉間にシワを寄せた。
「……お前、パトリスに殴られたんだって?」
「え? ええ、そうです!」
――だからやめてほしい。
どれだけ内心で叫んでも、ジェラールに人の心を読むことなどできなかった。
「お前に傷を負わせた責任を取りたい、との申し出だ。こちらが優位に立てる相手なら、悪くないんじゃないかと思ってな」
優位性を考えればそうかもしれないが、パトリスだけは信用ならない。
とはいえ、まだ起きてもいないことを理由に断れない。
「……でしたらお父様、パトリスに飲ませたい条件があります」
「なんだ?」
「彼が愛人を作ったら、『爵位をシャルルに譲渡する』という誓約書を書かせてください。わたしが公爵となり、全財産を握ります。その条件を満たすならフェイユ公爵家へ嫁ぎます」
「シャーリィ……」
ジェラールは困ったように微笑んだ。
愛人を持ったくらいで爵位の譲渡など前代未聞だろう。案を押し通したいのではない。それくらい嫌なのだと言いたかったのだが、どうも伝わっていないようだ。ならば別の方向から切り崩すしかない。
「相手は、カッとなったら手をあげる人間なのですよ?」
ハッと息を飲んだジェラールが、「そうか、お前は……」と言葉を濁した。続く言葉を推測するならば、『虐待を受けていたな』といったところか。怜悧な眉がしょぼくれて、瞳が潤んでいる。
「フェイユ公爵家へお前を嫁がせることに、利があるわけではない。だが、ほかの公爵家子息は年齢が合わないし、周辺国も年の近い王子はランバート王子しかいない。彼はベルティーユと縁談がまとまりそうなのだ」
「お父様、わたくしは家柄など気にしません」
「……そうか。では、パトリスを婚約者候補として扱い、他家も視野に入れて考えよう」
「ありがとうございます」
もしパトリスが最終候補に残ったら、シャルル自ら誓約書を書かせよう。でなければお先真っ暗だ。
***
冬は領地に戻る貴族が多い。特に王都より北の領地を持つ領主は大忙しだ。おかげでしばらくのあいだ、婚約者について頭を悩ませずにすむ。
つまり春になったら、パトリスと面会する日がやって来るわけだが……いや、いまは考えるまい。
ほかにも王太子ヴィクトルの側近たちが候補として選ばれ、順番にお見合いをしていく予定だ。
「ハァァ……気が重い。痩せたはずなのに、体まで重いなんて……」
春の訪れが近付くたびに、シャルルは
それでも、ベルティーユのお茶会だけは避けられない。近ごろヴィクトルも参加するようになったのだから。
「……けど、そろそろシミが隠せなくなってきたかも?」
いままで暴飲暴食してきたせいか、体中にシミが浮き上がってきた。顔は化粧でごまかせるが、室内で手袋をしていると不思議がられる。
セラフィンとは晩餐会からずっと会っていない。【幸運(最大)】の加護が切れた辺りから、体調も傾いてきた気がする。健康にまで影響を及ぼすとは、【天使】の能力は偉大だ。
カルメ司教は相変わらず王城の礼拝堂に居座っているが、シャルルが訪ねてもセラフィンと会わせてくれない。
(加護が欲しいわけじゃなくて、ちょっと顔が見たいだけなのに)
ソファでぐったりしていると、ピピがワゴンを押してきた。
「シャルル殿下っ、ニンニク料理、お好きだったでしょう?」
「いまはあんまり……」
「少しでも食べないとっ」
ベルティーユとのお茶会のあとには、よくニンニク料理だとか、タマネギやブロッコリーのサラダが食べたくなっていた。いまはもう、そんな食い意地もない。
「う~ん、ランバート王子の言葉が効いてたのかな……」
『丸っこい』と言われたことに、思いのほか傷付いていたのかもしれない。シャルルとしては、そのあとに聞いたセラフィンの言葉に舞い上がり、気にしていないと思っていたのだけど。自分のことながらよくわからない。とにかくいまは、何か食べると戻してしまう。
「お願いですっ、殿下。ニンニクの欠片ひとつだけでもっ」
「いや、欠片はきついって」
「でもっ、体内の……その……とっ、とにかくっ、健康のためにも食べましょう!」
「うえぇ……」
***
とうとうこの日がやって来てしまった。
春が訪れたとはいえ、昼でもまだ肌寒い。パトリスとの面会は、王城の南にある一階のサロンで行われた。暖炉に近い窓際に丸いテーブルと椅子がセットされており、シャルルはげんなりと、パトリスはにっこりとした面持ちで席に着く。
あくまで“候補”だということを知らないのか、パトリスの第一声に耳を疑った。
「ぼくを選んでくれてありがとう! シャーリィと呼んでもいいかな?」
いまだ体調不良が続くなか、シャルルの頭痛は最高潮を迎えた。暖かな陽が差し込むサロンを選んだはずなのに、空を仰ぎ見れば、灰色の雲が手を広げている。
「……まだ、あなたに決めたわけじゃないわ。あくまで候補よ」
「そうは言っても、ほかの候補はせいぜい侯爵家でしょう? 伯爵家に至っては、お話にもならない」
パトリスは両手を上向け、わざとらしく肩を竦めてみせる。婚約者候補に王子やほかの公爵家がいないのなら、自分を選んで当然だと思っているのだろう。
すでに席を立ちたい気分だが、まだお茶を入れはじめたところ。せめて一杯だけは我慢しようと拳を握りしめる。
「わたくしは家柄を気にしたりしないわ。求めるのは誠実さよ」
「よかった! それなら、ぼくの右に出る者はいないよ」
「――あ?」
思わず低い声が出てしまった。取り繕うこともできないなんて、そろそろ限界かもしれない。目の前が灰色に染まっていく。目が……天井が、まわる。
「殿下⁉」
ピピの焦ったような声が聞こえ、次いでパトリスの戸惑う声が聞こえた。
「え……ちょっと」
抱きとめてくれたのはピピだろう。柔らかな感触と茶葉の香りがする。ベルティーユに勧められたときから気に入っているお茶の香りだ。特別なブレンドの高級なお茶だと聞いた。なのに、いまでは戻してしまうのだから申し訳ない。
「殿下っ!! シャルル殿下っ!」
悲鳴のようなピピの声を遠くに聞きながら、シャルルは意識を手放した。
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