第20話 北の王子と天使の故郷
グレーのドレスを見たアメリは渋い顔をしていたが、晩餐会にはなんとか間に合った。
大会食の間にはベルティーユとシャルルしかいない。両親とヴィクトルは玉座の間で王子と挨拶をすませ、こちらへ誘導する手筈だろう。
「ベル姉様、ドレスをありがとうございます」
「いいのよ。でも……身長差だけで裾を上げたから、ウェストの位置がおかしいわね」
「胸のフリルが、お腹まで隠してくれるので助かりますわ」
「そ、そう……」
少々似合わなくとも、着古したドレスで礼を失するより余程いい。
ベルティーユのドレスは翡翠を思わせるやわらかな青緑色で、パールの装飾が清廉な上品さを醸し出している。身内の贔屓目かもしれないが、とても美しかった。
(なんだか、いつものベル姉様とは違うわね)
ドアの向こう側が騒がしくなり、ベルティーユの頬が色付いていく。視線につられて前を向き、その理由がわかった。艶やかな黒髪の美男子が、サファイアの瞳を輝かせて立っている。
「イヴェール王国の第二王子ランバートだ。そなたがベルティーユ王女か?」
「はい。ベルとお呼びくださいませ」
わずか数秒ではあったが、そこにはふたりだけの世界が、たしかに存在していた。
ランバートの後ろにいたヴィクトルが、軽く咳払いをする。
「ンンッ。ランバート王子、お席へどうぞ」
「ああ……すまない。おっと、こちらはたしか、妹姫の……」
「シャルルでございます」
ドレスの裾をつまみシャルルが礼をとると、「そうだった」とランバートは手を打った。
「我が国では『カール』と発音するものだから。女性を前にしてイメージが湧かなくてな」
一緒に付いてきたイヴェールの外務大臣や外交官たちが青ざめた。
すかさずベルティーユが口を挟む。
「わたくしたちは『シャーリィ』と呼んでおりますの」
「シャーリィか……それはいい。私も仲間に入れてくれるか?」
意外と人懐っこい性格のようだ。シャルルも笑って愛称呼びを受け入れた。
「もちろんです、ランバート王子」
晩餐は楽しいひとときだった。ランバートのまっすぐな物言いにはときどきおどろかされるが、心根もまっすぐだとすぐにわかった。ベルティーユもまったく気にすることなく、終始笑顔で楽しそうに話している。
食事が終わると大人と子どもに別れ、ソファで寛ぐ。そこへセラフィンを連れたカルメ司教があらわれると、大人たちから張り詰めた空気が漂いはじめた。
カルメがランバートの前で軽く会釈をする。
「お久しぶりですね、ランバート殿下。弟君をお連れしましたよ」
カルメの隣でセラフィンも同じように、胸に手をあてた。
(お……おとうとぎみ?)
大人たちは動じなかったが、ロートンヌ側の子ども三人はそろって首を捻った。
ランバートは口角を上げて応じるも、その瞳は笑っていない。
「セラフィンか、元気そうだな」
「……兄上も、ご健勝のことと存じます」
「昔から人形のような顔をしていたが、さらに磨きがかかったか?」
「…………」
微笑を浮かべたセラフィンの瞳が曇ったのを、シャルルは見逃さなかった。
「カルメ司教、どういうことか伺っても?」
ヴィクトルが説明を求め、カルメが言うことには――
その昔、イヴェールの王城で司祭を務めていたカルメは、セラフィンの素質を見抜いて国王に直談判したという。
もし【天使】のギフト持ちであった場合、子孫を残さねばならない王子は堕天してしまう。それは国のためにならないし、教会にとっても損失であると。
セラフィンが側室の子どもで、第三王子だったことも後押しした。
(たしか……七歳のときに見つけたと、レナール司祭が言ってたわね)
それから故郷を離れて教会に身を寄せたのだろう。セラフィンが神々しく感じられるのは、育ちのせいもありそうだ。
話を真剣に聞いていたヴィクトルが、カルメを捕まえてあれこれと質問をはじめた。シャルルはその隙に窓際へ移動し、セラフィンを手招きする。やって来たセラフィンの瞳は青さを取り戻しており、口もとはホッとしたように緩んでいた。
「セラフィン、イヴェールの王族だったのね」
「もう違うよ。いまはただの……なんだろうね?」
「言ったでしょ? セラフィンはわたしのヒーローよ」
肩を揺らしたセラフィンが、真っ赤になって手遊びをはじめる。
そこへ鋭い声が乱入してきた。
「おいおい、聖職者になっても堕天するんじゃないだろうな?」
「兄上……」
先ほどとは違い、刺々しい表情を隠しもしないランバートが、赤みの残るセラフィンの顔をマジマジと見つめた。
「ふぅん? お前、こういうのが趣味なのか。やっぱりヒョロイ奴は真逆を求めるものなんだな」
「っ……」
わかりやすく貶められ、シャルルの頬にも朱が走る。
俯いたシャルルの耳に、セラフィンの地を這うような声が響く。
「なるほど。シャルルが魅力的だと言いたいのですね。節操のない男は嫌われますよ」
「ふえぇ?」
言葉の選択がおかしい。そんな話ではなかったはずだ。
「なっ⁉ お前、教会にこもって頭がおかしくなったのか? それとも丸っこい女が好きなのか?」
今度こそ直撃を受けてシャルルはお腹を押さえた。ランバートはまだ十二歳の子どもだと頭ではわかっている。それでも、すり減ってしまうのが乙女心だ。
涙目で動かなくなったシャルルの頬に、セラフィンの手が伸びてきた。
「シャルルはどのような姿でもかわいらしい。特にこのほっぺなんか……」
手先がちょんと当たり、シャルルのほっぺたが弾力をもって押し返した。
ハッとしたセラフィンが、胸を押さえてうめき出す。
「はうっ……、だ、堕天しそう」
「「エッ⁉」」
「なんだか……胸が、苦しくて」
「お前……」
「セラフィン⁉ しっかりして! 【天使】……はセラフィンだから、医師! 医師を」
オタオタと踊りはじめたシャルルの肩を、ランバートが押さえる。
「落ち着け、シャーリィ。こいつに必要なのは医師じゃない」
そうなの? と涙目で見上げると、セラフィンを睨んでいたランバートが一瞬にして破顔した。
「なんだよ、お前も人間らしいところあるじゃないか! シャーリィ、セラフィンを頼んだぞ」
ポンポンと肩を叩いて、ランバートはソファへ戻って行く。あっけに取られたシャルルは、復活していたセラフィンに気付くのが遅れた。
「……ずいぶん、兄上と仲がいいんだね?」
「え? そんなことは……」
見上げたセラフィンの瞳がいっそう青さを増し、深い海のような色合いになっている。光の届かない海底は、きっとこんな色だろう。
「シャーリィ……って、呼ばせてるんだ?」
「いや、呼ばせたわけじゃ……あの、あのね? わたしの名前が男性名だから、それで……」
「シャーリィ」
「はいっ」
「……僕も、そう呼んでいい?」
続く声があまりに弱々しくて、「もちろん」と返しながらも笑ってしまった。
つられて笑顔の戻ったセラフィンだったが、シャルルの胸に手をかざし、不思議なことを言い出した。
「そうだ。加護のかけ直しをしておくね」
黄金色の光がセラフィンの手から放たれ、一瞬にしてシャルルの胸に吸い込まれていった。あまりに瞬間的な光だったため、気付いた人は誰もいない。
「加護? ああ、<感謝>の能力は、人に加護を与えられるんだっけ?」
以前読んだ本によると、【天使】の加護は特殊で、もともと持っているギフトの能力を最大限に引き出すというもの。
「でも、かけ直すって?」
「前に侍女がシャル……シャーリィを運んで来たことがあったでしょう? あのとき、治癒と一緒に加護も発動させちゃって。<謙虚>の能力で視たら、シャーリィが持つ【幸運(小)】のギフトが【幸運(最大)】になってたんだ」
「さ、さいだい……」
ちなみに <謙虚>の能力はギフトを視るだけでなく、さまざまなものを見通す視覚を得ると本に書いてあった。レベルが上がれば嘘と真を見分けることも可能だとか。
「……【悪魔】ギフトも最大になってる?」
「ううん。加護の力はひとつのギフトにしか影響しないよ。それに、効果はまだ四ヶ月くらいしか持たないんだ」
「そっか」
現在ギフトを五つ持っているが、リストの一番目にしか効果はないのだろう。
どのみち、【悪魔】ギフトを書き換えてもらおうと思っているシャルルには、関係のない話だ。
「セラフィン。書き換え能力が結実したら、わたしのギフトを書き換えてほしいの」
「……いいの?」
「うん、もう必要なくなったから」
セラフィンの瞳が揺れている。そんなに迷うことだろうか。
「僕も考えたんだ。ギフトはその人に必要だから授けられるんだと思う」
「……わたしに、【悪魔】のギフトが必要だってこと?」
「過去の文献によれば、書き換えるギフトを【天使】は選べない。神の采配によるものだから、どんなにレベルが高くても書き換えられない事案があった」
「……え?」
「正確に言えば、書き換えても同じギフトになるってこと」
「そんなことが……」
その神の采配を無視して、シャルルとベルティーユはギフトと体を交換してしまったのか。地獄に落ちるんじゃないだろうかと、少し不安になる。
「ねぇ、セラフィン。相談したいことが――」
「――帰りますよ、セラフィン」
「「…………」」
時間切れのようだ。いつもの笑顔に青筋を立てたカルメが、セラフィンの手を引いていく。後ろを振り返りながら手を振るセラフィンの顔は、眉尻が下がりつつも、瞳が曇ることはなかった。
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