第23話 牙を剥く教会の犬たち

 ベッドに横たわるシャルルを、カルメは忌々しそうに睨みつけた。

 ――おもしろくない。いつも微笑を崩さない天使が、この小娘にだけは表情をころころと変える。

 ギリリと奥歯を噛みしめたカルメは、しかし、思い直したように口もとを綻ばせた。


「しかも、ピピが殺すのは天使の想い人! なんとそそる状況でしょうか!」


 仰々しくも両手を広げ、カルメは恍惚とした表情を浮かべる。

 ベッド脇からそれを見ていたピピは、鼻で笑った。


「ハッ! ここまで狂ってるとは思わなかったわ」

「なんとでも、甘んじて受けましょう。さぁ、ピピ。殿下の……息の根を止めなさい!」


 カルメの視線はもう、ピピには向いていない。セラフィンの泣き出しそうな顔を愉しげに眺めている。

 ピピはおかしくてたまらなかった。弱点を見破られていることなど露とも思っていない。うっすらとほくそ笑み、ブーツに隠していた短剣を取り出す。


 それに目を丸くしたセラフィンの視線をたどり、カルメが顔を上げた。しかし、天蓋ベッドの柱が邪魔をして、ピピの手もとは見えない。急接近するピピに脳が警鐘を鳴らしたか、カルメは咄嗟にピピの自由を奪った。


 平行にすれ違うカルメとピピの腕は、短剣を足してもそう変わらない長さだった。


「ぐっ⁉」


 顔をしかめてカルメがうめく。けれど、胸につけた傷はわずか数ミリ程度だろう。

 ピピの体は<制限>されて動かない。暗殺に失敗したのは、これが初めてだった。


 ――でもこれで、シャルルは助かる。


 <制限>が解けたセラフィンは、ベッド脇に走り寄ってシャルルに手をかざす。


「やめなさい!!」


 ピピの<制限>を解くことはできない。解けば今度こそ殺される。カルメはセラフィンに手を伸ばしたものの、【天使】の防御壁に弾かれて尻餅をつく。

 黄金色の強烈な光が、瞬く間にシャルルを包み込んだ。


「ああ……、なんということを! セラフィン、その者は悪魔なのですよ⁉」


 天使が悪魔を助けるなど、前代未聞だ。そう言いたげに顔をしかめたカルメを一瞥して、セラフィンは愛おしそうにシャルルをのぞき込んだ。その寝顔は安らかで、眉間に寄せられていたシワも、黒いシミもない。


「違うよ。シャルルは【悪魔】じゃない」

「セラフィン、あなたには彼女のギフトがすべて見えているはずです」

「うん。だからわかるんだ。彼女のギフトは借り物だって」

「…………は?」


 カルメが間の抜けた声を出したときだった。シャルルが小さくうめき、身じろぎをする。ラズベリー色のふんわり睫毛まつげがふるりと揺れて、微睡まどろみから浮上した紫の瞳が、アメジストの輝きを取り戻した。


「……せらふぃん?」

「おはよう、シャーリィ」

「おは……よう? ……………………いや、なんでっ⁉」


 シャルルは勢いよく起き上がり、目の前の不思議な光景に目を瞬く。


「セラフィンがどうして? あれ? ピピ何やってるの? ――エッ⁉ カルメ司教まで⁉」


 室内の暗さからして、夜中だろう。そしてここはシャルルの寝室。ピピはまだしも、何がどうなればこの二人が王女の寝室に入れるというのか。しかもピピは短剣を突き出した格好で固まっており、カルメは尻餅をついている。


「…………あ、夢か」


 シャルルは考えることを放棄して、再び毛布にくるまった。


「「…………」」


 現実逃避が許されるわけもなく、斜め下からのあきれた視線に上からの生ぬるい視線、そしてセラフィンの申し訳なさそうな瞳を受けて起き上がった。


「わかったから、説明してくれる?」



 セラフィンやピピの話を聞いて、シャルルは身震いした。自分を殺すよう依頼したのがヴィクトルだなんて。しかも“悪魔の武器”を振るうところを見られていたという。


「そんな、ヴィクトルがわたしを……」

「殿下、お風邪を引きますよっ」


 ピピにガウンを着せてもらい、ベッドの縁に腰かける。シャルルを守るようにピピが脇に立ち、セラフィンが隣に腰かけた。ベッド横にあった椅子に座るカルメが、剣呑な空気を漂わせる。


「いけません、セラフィン! けがれてしまいます!」


 カルメが手を伸ばそうとした途端、ピピが短剣を握り直した。グッと堪えたカルメが、醜悪に歪んだ顔でシャルルを睨みつける。いつも見る穏やかな笑みなど微塵みじんもなかった。


「カルメ司教、それがあなたの本性なのね。聖職者とは思えないわ」

「あなたの本性は悪魔でしょう? 王家に生まれてこの世を牛耳るつもりですか?」

「【悪魔】なのはギフトで、わたしの本性とは関係ないわ」

「フッ、あなたは何もわかっていない。ギフトは与えられた人間の資質と深く結びついている。そこにいるピピが、平気で人を殺せるようにね」

「――は?」


 何を言っているんだと思いつつピピを見上げれば、悲しげに目を伏せられた。


「ピピ? そんなことないよね?」

「……いいえ、殿下。私のギフトは【暗殺】です。このギフトは、私が復讐を果たすためにも必要でした。両親に手をかけた相手を追い詰め、一番苦しむ方法で……惨殺しました。それを後悔するどころか、私は誇らしくさえ思っているのです」


 どこか清々しく感じられるその言葉に、嘘はないのだろう。けれど次の瞬間、ピピは激しく瞳を揺らした。


「ですがっ……罪もない人たちを手にかけたことはっ、慚愧ざんきの念に堪えませんっ」


 ピピはスッとひざまずき、胸に手をあてシャルルを見上げた。


「殿下っ、マリエル様を突き落としたのは、この……私ですっ」

「え……?」


 即座に頭の中が真っ白になったのは、想像できなかったからだ。優しくていつも明るいこのピピが、マリエルの背中を押したというのか。


「ですがっ、マリエル様は生きてらっしゃいますっ」

「――ええっ⁉」

「は……? ピピ、どういうことですか⁉」

「私とジョエルさんを会わせたのは、失策でしたねっ」


 口角を上げ、ピピはドアのほうへ視線を向ける。


「私に監視の目が向けば、ジョエルさんが自由になりますっ。マリエル様のご遺体は【擬態】ギフトによるものですっ」

「擬態……?」


 ピピの視線につられてドアへ目をやると、ジョエルが剣を抜いて立っていた。


「このときを待っていたわ」


 ジョエルから発せられたのは女性の声だった。少し低めではあるけれど、間違いない。


「カルメ、覚悟しろ!!」


 おどろきに瞠ったシャルルの瞳に、剣を振りかぶるジョエルの姿が映る。だがすぐに、長い刃を短剣で受け止めるピピの姿が横入した。

 金属が擦れる嫌な音で我に返る。ピピから距離を取ったジョエルが吠える。


「ピピ! なぜ邪魔をするのよ⁉ こんなチャンス、滅多とないのに!!」

「私だってわかってる! けど、子どもの前ですることじゃないわ!!」

「普通の子どもじゃない。王族であり、【天使】と【悪魔】よ! 人間というものを知っておくべきだわ! いまカルメを殺せば、弟を助けられる……。アンタだって、人質を取られてるんでしょう⁉」


 カルメは椅子から落ちて、再び床にひっくり返っている。

 シャルルはオロオロと声を震わせた。


「ジョ……エル? どういうことなの? 人質って、何?」


 ジョエルは、別人のように冷えた瞳でシャルルを睥睨した。


「アタシらみたいな、人間に害を及ぼせるギフト持ちは、教会から選択肢を与えられる。死ぬか、もしくは教会のために働くか。そのとき、身内を人質に取られるのよ。さらには首に縄まで着けられてね」


 言いながらジョエルは、カルメに鋭い視線を送る。

 そこへセラフィンが、ふんわりとした声でひとりごちた。


「……そうか。僕のギフトも、人に害を及ぼすと思われているんだね」

「「あ……いや、それは……」」


 カルメの性癖だとは言えず、ジョエルとピピの声が戸惑う。

 シャルルは不思議そうにセラフィンの首を見やった。


「セラフィンも首に何か着けられているの?」

「首じゃないけど、【束縛】の契約を結んでいるんだ」

「そ、そくばく?」


 軽く説明を受けたシャルルは、めまいがぶり返す思いだった。


「カルメ司教、いますぐみんなの契約を解いて!」

「……解けば私は殺される」

「逆よ。解かなければジョエルがあなたを殺すわ」

「本当に、何もわかっていない。私もまた、教会の手駒に過ぎないというのに」

「っ…………」


 カルメも何かしらの制約を受けているのだろう。だが、このままというわけにもいかない。ジョエルは剣を下ろしていない。ピピの瞳が揺れている。そこでハタと気付いた。


 ――こういうとき、【悪魔】のギフトで奪ってしまえば、誰も死なずにすむのではないか?


 カルメは叱責を受けるかもしれないが、【悪魔】にギフトを奪われたと言い訳ができる。裏切ったわけではないから殺されることはないはずだ。とはいえ、シャルルはギフトを放棄して、奪う能力は衰えてしまった。


(浅はかだったわ……)


 シャルルではカルメのギフトを奪えない。

 最後の望みは、隣にいるセラフィンだが。


「セラフィン、ギフトの書き換えは……」

「レベルの低いものなら可能だけど、司教の【束縛】は無理だよ」

「……そうよね」


 そのとき、ジョエルが再び剣を振りかぶった。


「殺すのが一番、手っ取り早いわ! どうせこの手は、すでに汚れているのだから!」

「ま、待って――」

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