第16話 天使のお仕事
ピピは温室のすぐ近くで、重たそうに壺を運ぶ女官を見つけた。
「道具部屋が火事なの! 消火するよう警備に伝えてっ!! 私は……、そう! 洗濯物を運ばないといけないからっ」
王女が気絶しているところなど、見せるわけにはいかない。シャルルの姿が見えないようエプロンで隠し、ピピは洗濯物を抱えるようにして風のごとく走った。
ピピのギフトは特殊だ。両手が塞がっていても、誰よりも速く走れる。気絶した者を悠々と運べるだけの能力がある。もちろん、
目指すは、生成りの祭服に白いストラをかけたカルメ司教のもと。
王城の廊下に、その後ろ姿を認めて呼び止める。
「カルメ司教様! お助けください!!」
「おや、どうなさい……これは、シャルル殿下ではありませんか!」
「温室の奥に閉じ込められていたんですっ! どうか、天使様のお力をっ」
ひざまずくピピの視線は、カルメの隣に立つセラフィンに向けられていた。
「シャルル……なの?」
いつもならカルメの顔を見上げて伺いを立て、それから負傷者のもとへ寄るセラフィンが、シャルルに気付くなり走り寄った。焦るような手つきで両手をかざす。放たれた暖かな光は黄金色に輝いており、まるで守るかのようにシャルルを包み込む。
「黄金の、光?」
カルメはおどろきに目を瞠る。いままで見てきた治癒の光は青白いものだった。なぜ色が変化したのだろうか。能力が成長したと結論づけるにしても、治癒を司る<勤勉>の実はすでに熟している。
「まさか、加護を……授けたのか?」
この様子をピピもおどろいて見ていた。常に微笑をたたえ、表情を動かすことのない天使が、唇を噛んで心配そうに眉根を寄せたのだから。
だがすぐに、ピピの意識はシャルルへ向かう。
「殿下⁉」
身じろぎをしたシャルルはボンヤリと目をあけ、セラフィンを見つけてうれしそうに笑った。
「……セラフィン、ありがとう。また助けられたわ」
その笑顔にセラフィンは、固い蕾が綻ぶように微笑み返し、晴天の瞳を青く輝かせた。
「いいんだ。これが僕の仕事だから」
はにかんだ様子のセラフィンを見て、ピピは恋の予感に
(よかった。いつものセラフィンだわ。人形みたいな天使じゃない)
【悪魔】のギフトをなおざりにしてきたシャルルは、笑顔を崩さないカルメ司教から発せられる、不穏な空気に気付けなかった。
***
ヴィクトルの王太子就任という晴れの日を、シャルルの
子どもたちも参加するパーティーは夕方五時でおひらきだ。貴族たちは子どもを追い立てるようにして次々と馬車へ向かう。そんななか、バロワン伯爵夫妻が人の流れに逆らいながら、マリエルの名を呼び続けていた。
「バロワン伯爵、どうなさったの?」
「殿下! 娘とご一緒だったと伺いました!! マリエルは⁉」
「……温室で別れたのだけど、もうずいぶん前のことよ?」
「そんな……」
ふたりで庭へ下りたのが三時半だったから、温室への移動時間を引いても、別れてから、かれこれ一時間は経っている。
「警備には告げたの?」
「ええ、人手を割いて探させております」
「そう……、心配ね。ピピ、わたくしたちも探しましょう」
「かしこまりましたっ」
シャルルたちが向かうのは温室だ。そこで別れたのだから、手がかりが残っているかもしれない。
「ねぇ、ピピ。わたしを助けたとき、温室には誰もいなかった?」
「そうですねぇ。人の気配には敏感なほうですから、誰かいたらわかると思います」
「じゃあ温室に行っても――」
――ムダね、と言いかけて、言葉を失う。
見上げた先には、もうもうと煙を上げる温室があった。警備兵や庭師たちがバケツリレーで火を消そうとがんばっている。
ひとりの警備兵がシャルルの姿を認めてギョッとした。
「殿下⁉ お戻りください! ここは危のうございます!!」
「なんで、こんなに燃えているの……?」
シャルルが見た発火元は、
隣から、ピピの頼りない声が落ちてくる。
「そんな……すぐに消火するよう、女官に伝えたのに。小部屋だけの火が……どうしてここまで」
その女官が報告を
呆然と見つめるシャルルたちの後ろから、走り寄る音とともに怒鳴り声が響く。
「どいてくれ!! 【魔術師】を連れて来た!!」
【魔術師】のギフト持ちは宮廷に仕えている。現在は三名おり、そのうちのふたりが駆けつけた。水では埒が明かないと判断して、土で消火をはじめる。
それを見た庭師たちが
「待ってくれ! 中に人がいるんだ!! 生き埋めになったりしないだろうな⁉」
魔術師のひとり、マルクが目を見ひらいた。
「なっ⁉ 冗談でしょう?」
「それが、入っちまったんだよぉ! ティモンの親方がぁ!!」
「どうして⁉」
「中から人の声が聞こえるって言い出して! 止められなかった!!」
「……この炎では、どのみち……助からないでしょう」
庭師たちは言葉を詰まらせる。マルクは消火に努め、火は瞬く間に消し止められた。魔法で作られた土は、しばらくして消えていった。あとに残ったのは黒く溶けかかったガラスの残骸。フレームは木製だったため、植物ともども焼け落ちている。
もうひとりの魔術師ジスレーヌが焦げ跡に手をあて、臭いを嗅いだ。
「油が撒かれていますね……菜種油、かしら?」
「まさか……、放火なの?」
シャルルの幼い声に振り返り、大人たちは今更ながらに慌てた。
すぐさま魔術師ふたりがやって来てひざまずく。
「殿下!! このようなところにいてはなりませんわ!」
「侍女殿、殿下をお部屋へ!!」
「――待って!! 人を探しているの! 中から人の声が聞こえたのでしょう? 彼女じゃないって確認させて!」
「彼女?」とジスレーヌが聞き返す。
「バロワン伯爵家のマリエル嬢を探しているの」
ほかの誰かならいいというわけではない。けれど、マリエルであってほしくない。
祈るように手を組み、撤去作業を見守る。後ろに立つピピも、ウロウロと落ち着かない。
「お、親方ぁ――!!」
泣き崩れるような声が聞こえ、真っ青な顔をしたピピが膝をついた。
震える肩にシャルルはそっと手を添える。
「ピピ?」
「うっ……うぅ、ティモンさん……」
「知り合いだったの?」
「……ティモンさんは、わたしが城になじめなかったころ、声をかけてくださったんです」
ギフトが判明した十歳のとき、特殊なものだったため、ピピは生きるか死ぬかの選択を迫られた。ギフトを教会のために役立てるという誓いを立て、生きる道を選んだ。そうすれば妹の食い扶持を稼ぐことができる。仕事に不満はなかったが、配属された城での生活は窮屈だった。
こっそり持ち場を抜け出し、庭を歩いてどこかの畑に行き着いたところ、ティモンに出会った。
『干からびた顔してんなぁ。ほれ、食ってみろ!』
そう言って口に突っ込まれたのはキュウリだった。もっとほかに美味しいものがあるだろうに。隣のイチゴとか。そう思いながらも咀嚼すると、ほのかに甘みを感じ、みずみずしさが口に広がった。聞けば、植物の能力を最大限に引き出すギフトを授かっているという。
ピピの眉間のシワが伸びると、ティモンはニッと笑った。
『よぉし! みずみずしい顔になったじゃねぇか。干からびそうになったら、また
それ以来、何かと餌付けされていた。ピピにとって心の拠り所ともいえる人だった。
話を聞いたシャルルも、つられて瞳を潤ませる。
――ふいに、鳥の羽ばたきが頭上から聞こえた。
皆が仰ぎ見た空から、白い翼を滑空させて天使が舞い降りる。日はとうに落ちて薄暗い中でも、天使は光を帯びて見えた。
「……【天使】だ!」
「天使様ぁ――!!」
庭師たちがひざまずき、天使に期待の眼差しを向ける。しかし、天使は曇った瞳を悲しげに伏せた。
「残念ながら、死者をよみがえらせることはできません」
「そんな⁉ なら……どうして来たんだよぉ⁉ 期待させやがって!!」
庭師の男が叫び、怒りを地面にぶつける。
無言で受け止めた天使は、ティモンが守るように覆い被さっていた低木を指差した。
「この下に、まだ助かる命があります」
ハッとした庭師たちがシャベルを握る。低木の下には陶器の天板がついた木製チェストがあった。
「親方が助けようとした命だ! 待ってろよぉ!!」
数人がかりでロープを引っかけ、棚を吊り上げていく。中に入っていたのは、淡い金の巻き毛の少女――マリエルだった。
チェストには一緒に植物が入れられていた。ティモンのギフトで強化された植物だろう。ひときわ清涼な空気を放っている。
それでも酸素が足りなかったか、マリエルはグッタリとして反応がない。よく見れば頭に赤黒いものがこびりついている。転んで打ちつけたのだろうか。
天使が歩き出すと、庭師や警備兵たちが道をあけていく。天使はマリエルに手をかざし、青白い光で包んだ。しばらくして、マリエルの睫毛がふるりと揺れる。
「ん……あたし、どうしてこんなところに?」
「「おお……!」」
マリエルが自力で身を起こしたのを見届け、天使はいつもの微笑をたたえて空に舞い上がる。それをシャルルが手を振って引き止めた。
「セラフィン!! ちょっと話せる?」
浮力のついた天使が着地する地点へシャルルも走る。一緒について来たピピに、「内緒話がしたいから聞かないで」とお願いすれば、「お任せあれっ! ピピは応援しておりますから!」と涙の残る笑顔が返ってきた。
言われた意味はわからないが、少し離れた位置で耳を塞いでくれた。
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