第15話 十歳で死ぬ運命は、偶然か必然か

 十歳になったヴィクトルが王太子に任命され、盛大なお披露目パーティーがひらかれた。マルガレータの散財を埋めるため、ヴィクトルとシャルルの誕生日パーティーも兼ねている。

 一番にカルメ司教が挨拶に訪れたが、セラフィンの姿はなかった。いつもそうだ。カルメ司教は人前に天使を出したがらない。ここのところ会えなくて寂しい。


(初めてできた友達なのに……)


 昼から始まったパーティーには、子どもたちを連れた貴族が列をなして挨拶をしていく。王太子ヴィクトルの前には一段と華やかな令嬢たちが並んだ。娘を王太子妃にしようと必死な親たちの声は大きい。


「やはり、次代の王となるべきは、ヴィクトル殿下しかいらっしゃらないと思っておりました!」


 早口に言い放った男の顔には見覚えがある。マルガレータの前に列をなし、媚を売っていた男だ。

 ヴィクトルも心得たもので、


「はて、見たことのない顔だな。バロワン伯爵家は新興貴族でもないだろうに」


 と痛烈にやり返し、周囲から失笑が漏れた。こういう風見鶏貴族たちはこぞって、シャルルで鬱憤うっぷんを晴らそうとする。

 だがシャルルの前へやって来ると――、


「これはシャルルでん……、シャルル殿下?」

「ええ。ごきげんよう、バロワン伯爵」


 皆一様いちようにして言葉を失った。


 これまでは王子メイクを施していたが、もう必要ないので化粧などしていない。利口に見えるよう、侍女が眉を整えてくれるだけ。それでもシャルルには華があった。手入れされたラズベリー色の髪も、ハーフアップにした髪を左右に分け、花を形作れるほどに伸びた。以前の面影などまったくない。


 可憐な美少女を前にして、大人たちは口をつぐんだが、年の近い――シャルルにすり寄っていた――令嬢たちはいきどおった。

 まだ感情のコントロールがむずかしい年頃だから仕方がない。それは理解しているが、バロワン伯爵令嬢マリエルはひときわ直情的だった。


「ひっ、ひどいわ! バカにしてたのね!」

「……バカにしたことなど、あったかしら?」

「どうせ、心の中で笑ってたんでしょう⁉」

「笑う必要などないわ。わたくしが見ていたのは、“お友達”になれるかどうか、ですもの」


 言外に『あなたとは友達になれない』と受け取ったのか、マリエルは顔を真っ赤にして、礼も取らずに涙目で階段を下りていった。

 少し大人げなかっただろうか。ため息をこぼしつつ、あとでフォローしておこうと思い直す。


 次に顔を見せたのは、パトリスを連れたフェイユ公爵夫妻。ひととおりの挨拶をすませてすぐ、息子を売り込んできた。先ほどまでベルティーユの前で粘っていたようだが、袖にされたのだろう。


「男女は二歳差がちょうどいいと思うのです。一度ぜひ、我が息子とお話を」

 と必死な様子。


(よくまわる口ね……)


 公爵夫妻に挟まれたパトリスは、ポーッと頬を染めてシャルルを見つめるばかり。もしかしたら、シャルルに気付いていないか、殴ったことを忘れているのかもしれない。


「お話ならもうすんでいるわ。『たかが愛妾の息子のくせに』でしたっけ?」

「「――は?」」

「あのとき、【天使】のギフト持ちが治療してくれなかったら、傷が残ったかもしれないわね」

「……き、傷?」


 首をかしげる伯爵の前で、シャルルはこれ見よがしに左頬を手でさすり、チラリとパトリスを流し見る。


「ご子息から、よくよく話を聞くといいわ」


 公爵夫妻の顔色が渋くなっていく。青ざめたパトリスは膝が震え、いまにも尻もちをつきそうだ。この様子だと、殴ったことは覚えているのだろう。

 男だと思っての狼藉ろうぜきとはいえ、王族の顔をグーで殴ったのだ。刑罰を受けないだけありがたく思ってほしい。


 挨拶も終わり、先ほど泣かせてしまったマリエルを探して場内を歩く。しばらくして、庭へ続くテラスにマリエルの姿を見つけた。

 女官としゃべっていたようだが、シャルルがテラスへ近付いたときにはもう、マリエルしかいなかった。


「マリエル嬢、少しいいかしら?」

「はっ、はい……」


 戸惑うような返事とともに目をそらされ、青白い顔で震えている。そんなに追い詰めてしまったとは思わなかった。


「先ほどは言葉が過ぎたわ。反省しているの。仲直りしてくれる?」


 王族は謝罪の言葉を簡単には口にできない。これがシャルルにできる精一杯の言葉だ。マリエルは目を見ひらいて、また泳がせる。


「あ、あの……でしたら、お庭を案内していただけませんか? 温室にめずらしいお花があると聞きましたの」

「ええ、もちろん」


 シャルルが微笑めば、やっとマリエルも表情を和らげた。


「行きましょう」

「は、はい!」


 庭に出て少し進むと、ガーデンパーティーをおこなった庭があり、その向こうに見ごろを迎えた温室がある。南の庭へ案内しようとしたところ、マリエルは西の庭を指差した。


「あっ、あっちにも温室があるって……」

「ええ、でも……西の温室にあるのは果物ばかりだったような」

「わたし、行ってみたいです!」

「そ、そう……?」



 まだ新緑の季節だというのに、さすがに温室の中は暑かった。天気がよいうえ、西日の差し込みも厳しい。植えてあるのもイチゴやオレンジ、リンゴの木などは実をつけているが、青々とした灌木がほとんどだった。


「マリエル嬢、やっぱり南の温室へ行かない?」

「えっと、この奥にめずらしい花があるって聞いて……」


 お目当ての花があるのなら、とシャルルはあとをついて行く。しかし、温室の奥にある、小部屋のドアをあけようとしたので止めに入った。


「そこは、庭師たちが使っている物置部屋よ」

「ここに特別な鉢植えがあるそうなんです」


 臆せず入って行くマリエルに続き、シャルルも足を踏み入れる。外から見えないように目張りがしてあるけれど、天井から入る光で室内は明るい。

 六帖ほどの空間に置かれているのは庭道具や堆肥たいひ、空のプランターばかり。花の苗すら見あたらない。


「ほんとうにあるの?」


 そう声をかけたときだった。ドアが閉まる音がして振り返る。部屋にはシャルル以外、誰もいなかった。


「マリエル嬢?」


 ドアをあけようとしても、なぜかあかない。鍵などついていない木製のドアだが、外からかんぬきで施錠できるようにはなっていた。

 マリエルの荒い息づかいが聞こえる。まだそこにいるはずだ。


「あけて!! マリエル嬢、どうしてこんなことを⁉」

「……お、お仕置きよ! 悪い子にはお仕置きが必要なの!!」


 足音が遠ざかっていく。「待って」といくら頼んでも、すぐに何も聞こえなくなった。

 筋肉質の大男でもなければ、大人ですら閂を破るのは無理だろう。【身体能力(中)】を持つシャルルが体当たりしても、体が痛むだけだった。


「まぁ、無理よねぇ……」


 ちなみに、城内の建築物はガラスに至るまで各ギフト持ちが手がけており、温室のガラスはシャベルがあたっても割れないよう、柔軟性を持っている。つまりはお手上げだ。


「お仕置きって何よ……」


 暑さにやられて床にへたり込む。

 それを待っていたかのように、堆肥の袋にボッと火が付いた。


「うそっ、……なんで⁉」


 発酵させて作る堆肥が、直射日光で自然発火するという話は聞いたことがある。まさか温室の熱がそうさせたのか。


(だけど、温室ってここまで暑いものだっけ?)


 暑すぎて思考がまとまらない。どうにかして脱出しなければならないというのに、頭をめぐるのは、前回シャルルが亡くなった原因だ。


(火事、だったわね……)


 セラフィンが告げ口するとは思えないから、【悪魔】を駆逐しようとする教会の関与は考えられない。だからマルガレータさえいなくなれば、運命が変わると思っていた。シャルルは母親に殺されたものだと思い込んでいた。


(偶然が重なった可能性も……ある?)


 前回のシャルルは、マルガレータの嫌がらせで閉じ込められたのだろう。そこへ不運にも堆肥が発火してしまった。


(結局、十歳で死ぬ運命なのね)


 この状況では【悪魔】のギフトなど、なんの役にも立たない。せめて『温室に近付くな』と教えて欲しかった。

 あきらめた頭にピピの言葉がよみがえり、ポケットから犬笛を取り出す。


『ピンチのときにはこの笛を吹いてくださいねっ! わたし、とぉ~っても耳がいいんですっ』


 そうは言われたが、シャルル付きの侍女は控え室で待っているもの。会場に姿をあらわすこともなく、ましてや庭になど出ない。


(ムダなことよ……、でも……)


 咳き込みながらも、熱風を吸って笛を吹く。何度も何度も。そのうち息を吸うのも苦しくなってきて、木製のドアをひたすら叩いた。


(お願い……誰か、気付いて……)


 朦朧もうろうとする意識のなか、ドアを叩く手もとうとう落ちた。ついでに支えも失い、シャルルの体が傾いていく。だが土を食むことはなかった。


「シャルル殿下!! お気をたしかにっ!!」


 いつの間にかドアがひらいていたようだ。目の前の女性が助けてくれたのだろう。


「……ピピ、あり、がと」


 ピピのおかげで助かった。生きているから。そんな、心が引き裂かれたような顔をしないで。

 どれだけ胸の内を伝えられたかわからないまま、シャルルは意識を手放した。

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