第14話 まだ悪魔が捕まっていない
翌日、お茶に誘われたシャルルは、ベルティーユの部屋を訪れた。北向きの部屋とはいえ、直射日光が入らないだけでそこまで暗くもない。シャルルと二歳しか違わないのに、家具は黒檀の落ち着いた色で統一されている。
(十一歳にしては、渋いなぁ)
窓際に置かれたテーブルセットへ案内されると、たくさんのお菓子が用意されていた。
「あなたの好きなものがわからないから、いろいろ作らせてみたわ」
「わぁ! 美味しそう」
「遠慮なく食べてね。私は甘いものが好きじゃないの」
「そう、なのですか」
シャルルのためだけに用意してくれたのかと思うと、ありがたくも申し訳ない。その気持ちに応えるためにも食べなければ。イチジクのタルトを皿にのせ、フォークでせっせと口に運ぶ。カスタードクリームにも負けない甘さとみずみずしさに口もとが綻んだ。
美味しそうに次々とお菓子を頬張るシャルルを見て、ベルティーユも口もとを緩める。
「あなたのこと、ヴィクトルから聞いていたけど、全然違うのね」
「――え?」
「その……あまり印象がよくなかったみたいで……」
「あっ」
お茶を濁されて思い出す。いままでシャルルが取ってきた態度のせいで、ヴィクトルは悪感情を抱いたのだろう。それを聞かされたベルティーユの態度が冷たくても仕方がない。いままでは“破滅の樹”を維持するために、わざと悪態をついていたのだから。
「それに……侍女たちの噂話も耳にして、【悪魔】だと思い込んでいたの」
「むぐっ⁉」
タルトのクッキー生地が喉に詰まった。まさかとは思うが、“悪魔の武器”を振りまわすところを見た者がいるのだろうか。
(だ……大丈夫よ、ね?)
侍女の噂話ほど質の悪いものはない。尾ひれをつけて楽しんでいる節がある。あくまで噂がふくらんだだけだろう。
ベルティーユは立ち上がり、シャルルの隣に来て背中をさすった。
「大丈夫? お茶も飲んでね」
「は、はいっ」
よい香りのするお茶だった。飲み干してホッと息を吐く。
ずっと背中をさするベルティーユを見上げれば、優しく細められた瞳とかち合った。
「ふふ。やっぱり妹はいいわね。こうして一緒にお茶も飲めるし……、ヴィクトルとは話もあまり合わないから」
「ああ……」
言われてやり直し前を思い出す。小さいころは後ろから追いかけてくるかわいい弟だったが、五歳くらいから徐々に生意気になっていった。
「これからも、お茶に付き合ってくれる?」
「よろこんで!」
「ありがとう。シャーリィって呼んでもいい?」
シャルルは頷き、ベルティーユのことは『ベル姉様』と呼ぶようになった。
それからは夢のような毎日だった。家族そろって食事をし、ベルティーユとは最初から姉妹だったかのように過ごした。
ヴィクトルとは最初の印象が悪かったため、まだ打ち解けていない。
両親もベルティーユも、シャルルのことを『シャーリィ』と呼んでくれるが、ヴィクトルからは『おまえ』か『シャルル』のどちらかだ。
***
女官長ニネットが用意したマナー講師により、シャルルの言葉遣いは淑女に近付いたものの、王子の気安い話し方――つまり楽――を知ったシャルルの口調は、ときどき砕けてしまう。侍女のピピが気にしないので直らないままだ。
厳しい冬を乗り越え、雲間から差す暖かな陽差しが残り雪を溶かしていく。そんなある日のこと。ベルティーユと一緒にヴィクトルをお茶に誘った。大人しく席に着いたものの、ヴィクトルからは『話しかけるな』と言わんばかりの空気が漂う。
ベルティーユが長女らしく先陣を切った。
「ねぇ、私たちってお互いに、噂だけで相手を見ていたじゃない? それは、ちゃんと顔を突き合せないからだと思うの」
「俺のは噂じゃない。本人から『わざと邪魔をした』って聞いた」
ヴィクトルの言葉にベルティーユが苦笑を浮かべる。いままで取ってきた態度のせいなので、シャルルも言い返せない。
「でもほら! シャーリィだって仕方なく母親に従ってたのよね?」
「うん……ごめんね、ヴィクトル。思ってもないことを言ったの」
「…………そうか」
目は合わせてくれないけれど、少しだけ部屋の空気が和らいだ。この機を逃したら仲よくなれない気がする。怒りはぜんぶ吐き出してほしい。
「あの……怒ってる、よね?」
「……そうでもない」
「じゃあ、なんでピリピリしてるのよ?」
ベルティーユが鋭く突っ込むと、ヴィクトルは逡巡したのち、重い口をひらいた。
「【悪魔】のギフト持ちが、まだ捕まってない」
「「あっ……」」
「姉上のギフトだって、知らないうちに盗まれた可能性があるだろう? いまこの時にも、誰かのギフトが奪われているかもしれない」
そんなことを考えていたのかとシャルルは感心した。次代の王に相応しい。きっとよい国王になるだろう。
そしてふと思い出す。【天使】の能力は書き換えだけでなく、付与もできたはずだと。
「ベル姉様。【天使】にお願いして、ギフトを付与してもらうのはどうですか?」
奇しくもカルメ司教が王城の礼拝堂に配属された。つまりセラフィンといつでも会えるということだ。
マルガレータを送り込んだのは教会の手の者だと、【自白】で証言を得ている。教会は知らぬ存ぜぬを通しているが、教会の威信を回復するために、カルメ司教が名乗りをあげたらしい。
「え? そう……ね。でも、【天使】の能力はまだ開花していないらしいわ」
「あ~……そうでした。カルメ司教が慈善活動を禁じているみたいで……」
「おかしな話よね。【天使】を神聖視しすぎだと思うわ」
「同感です。セラフィンが
セラフィンは細いから、きっとひっくり返ってしまうだろう。想像して笑ってしまう。炊き出しをする姿も見てみたい。どんな仕事でも一生懸命に向き合う姿が目に浮かぶ。
そこへヴィクトルが不思議そうな顔を向けた。
「シャルル、【天使】と面識があるのか?」
「ええ、セラフィンとは友達だもの」
「とも…………、本当かぁ?」
ヴィクトルにうろんな目を向けられて逡巡する。
(友達で合ってるよね?)
考えれば考えるほど、そらした胸が段々と前屈みになっていく。
「う……、セラフィンはどう思ってるか知らないけど、わたしにとっては唯一の友達なの!」
目を丸くしたヴィクトルの口もとが、ゆっくりと弧を描いていく。
やっと身内に向ける表情になったというのに、出てくる言葉は辛辣だった。
「おまえ、ひとりしか友達いないのか! 次のパーティーでは友達作れよ?」
「そっ、そう言うヴィクトルは、友達いるの⁉」
「俺は……いるよ? エルネストにマティアスだろ? それから……」
「それぜんぶ、側近候補じゃない!」
「なんだと⁉」
「ハァ、ふたりとも。仲が良すぎて
ベルティーユは大袈裟にため息をついたあと、吹き出すように笑いはじめた。その笑顔につられてシャルルも笑い、ヴィクトルも頭をかきながら口もとを緩ませた。
(わたし、とうとうやり遂げたんだわ)
家族がそろったありがたみを心から感謝した。もう“破滅の樹”のご機嫌を伺う必要もない。肝に銘じておくべきは『善行を積まない』ということだけ。おかげで欲望の実は
感謝の気持ちが一番効くようで、萎んだ実がひとつ、またひとつと実を落としていく。一度上げたギフトレベルが落ちることはないが、使える能力の低下は否めないだろう。それでいいと思っている。【天使】にギフトを書き換えてもらうのもアリかもしれない。
幸せに浮かれていたシャルルは、まったくもって失念していたのだ。
前回のシャルルが十歳で死んだということを。
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