第17話 堕天するかもしれない
ボックスウッドの生け垣に囲われたクレマチスの庭に、天使セラフィンが舞い降りる。翼を消したセラフィンは、小さな木製ベンチに腰かけてシャルルを手招きした。
「シャルル、どうしたの? また怪我をしたの?」
「そうじゃないわ……」
言いながらジッとセラフィンの瞳を見つめる。先ほどは曇りガラスのような瞳をしていた。ベンチ横にある庭園灯のおかげで、サファイアの澄んだ瞳を確認でき、ホッとして隣に腰かける。
「なんだか、さっきのセラフィンは……」
――作り物めいて見えたから。
という言葉は飲み込んで、ありきたりの言葉を選ぶ。
「悲しそうだったから」
「……そう?」
目をそらしたセラフィンは、バツが悪そうに下を向いた。
ティモンの亡骸を、セラフィンは目にしたはずだ。その瞬間に見えないバリアを張ったような気がする。遠ざけられたシャルルからは窺い知れなかったが、悲惨な状態であったに違いない。だが、あの落ち着きようからして、過去にも経験したことがあるのだろう。
やり直す前に見たセラフィンが、なぜ人形のように見えたのか、わかった気がする。きっと心が壊れないように守っていたのだ。
瞳の色が変わるのは、何かしらの能力が働いたのだろう。いくら【天使】のギフトを持っていても、たった十歳の少年なのだから。
「セラフィン。つらいことがあったら、吐き出したほうがいいと思う。わたしでよければ、いつでも聞くから」
「……ありがとう。でも、何もないよ」
言いながらセラフィンが目をそらす。
まだ打ち明けてもらえるほどの仲ではなかったか。
ヴィクトルが鼻で笑うさまが脳裏をよぎる。
「……やっぱり、友達だと思ってるのは、わたしだけなのね」
頭に
「ともだち? ……そうか、友達……。うん、シャルルと僕は友達だ」
何度も言葉を噛みしめ、セラフィンは口もとを緩ませた。
それを見逃すシャルルではない。
「だったら、もう少し心の内を見せてくれても、いいんじゃない?」
ジットリと横目で睨めば、逡巡したのち、セラフィンがおずおずと口をひらく。
「今日……、そこの侍女に運ばれて来たでしょう?」
「うん」
「意識のない君を見て、僕がどんな気持ちだったか、わかる?」
「……うん?」
わからないから教えてほしいのに、謎かけで返されるとは思わなかった。
セラフィンからしてみれば、単に心配したと告げたかったのだが、前回の人生を含めて、上辺だけの人付き合いしかしてこなかったシャルルは気付かない。一生懸命に答えを探す。
(セラフィンはきっと……傷付いているんだわ)
命を取りこぼすたびに嘆かれ、先ほどのようになじられることも多々あるのだろう。さらに命を助けても、『【天使】だから』と人々はあたり前のように恩恵に
それでもセラフィンは、これからも平然とした顔で救っていくに違いない。すり減っていく心を隠して。それはまるで――、
「ヒーロー……。セラフィンは、わたしにとって
「………………ひ、ヒーロー⁉」
遅れて言葉を理解したセラフィンが、一瞬にして真っ赤に熟れた。昼間なら銀髪まで桃色に見えたかもしれない。表情を引き出せたことに、シャルルは安堵した。
(あ、そうだ。【悪魔】のギフトを書き換えてもらえるかな?)
チラリと視線を動かすと、耳を塞いだままピピが
「セラフィン、聞きたいことがあるの」
「うっ、うん⁉」
まだ真っ赤な顔を俯けて、セラフィンは手遊びをしている。真面目な話をしたいのだが、まぁ、耳が近いのは都合がいい。セラフィンの耳もとで声をひそめる。
「ギフトの書き換え、できるようになった?」
「ッ――!!」
セラフィンの肩が跳ね、手遊びが止まった――否、すべての動作が止まっている。
不審に思いながら、セラフィンの顔を正面からのぞき込む。
「……どうなの? セラフィン?」
シャルルの顔が迫る。近くで見たアメジストの瞳は
とうとう、耳から煙を噴いたセラフィンが、不穏なことを口走る。
「ぼっ、僕……、堕天するかもしれない」
「え…………嘘っ⁉ ど、どうして⁉」
「ち、近……」
「なんて⁉」
「――天使から離れてください、殿下!」
突如、低い男の声が割って入った。咎めるように鋭く、冷たい声だった。
「カルメ司教……」
いつになく険しい顔をしたカルメは、セラフィンの腕を取り、強引に引き離す。
「男女間の距離とは、最低でも……………………これぐらいです」
その距離三メートルは優にある。これで最低だと?
それはちょっと遠すぎるんじゃなかろうか。大声でしか話せない。
シャルルが言い返すより早く、カルメから追撃を受けた。
「いつまでも男児の気分では困ります。淑女教育をお受けなさい」
「うっ」
言い捨てて、カルメは細い腕をつかんだまま遠ざかっていく。セラフィンは苦い微笑みを向け、小さく手を振った。その瞳がまた曇ったような気がして、シャルルは手を振り返しつつも、
(セラフィンの瞳が曇るのは、カルメ司教の教育に問題があるんじゃないの⁉)
低く唸りながらカルメの背中を睨みつけていると、ピピが野犬をなだめるかのように両手を突き出しながら、ジリジリと近寄って来た。
「まぁまぁっ、シャルル殿下。マリエル様も見つかったことですしっ、帰りましょう?」
「……そうね」
歩きながら、先ほど見た光景を振り返る。
ピピの前を通るとき、カルメが声をかけていったのだ。
「ねぇ、カルメ司教に何を言われたの?」
「えっ⁉ あ~……たいしたことではっ」
「淑女教育のこと?」
「へっ?」
「増やせって言われなかった⁉ 淑女教育」
「そっ、そうですねぇ。でもっ、殿下は十分、立派なレディですよっ!」
ホッとしてシャルルは涙腺を緩ませる。
「ありがとう、ピピ! もうこれ以上の苦行は必要ないわ」
「ふ、ふふっ。かしこまりましたっ」
***
パーティー会場のテラスへ近付くと、バロワン伯爵夫妻とマリエルが、泣きながら抱き合っていた。逡巡したのち、シャルルは小さな背中に声をかける。
「マリエル嬢」
マリエルはビクリと肩を揺らし、真っ青な顔で伯爵にしがみつく。その行動は、悪いことをした自覚がある証拠だ。
「わたくしを、温室の物置部屋に閉じ込めたのは、なぜ?」
伯爵夫妻や警備兵にも聞こえるよう、はっきりと咎めた。グズグズと泣きはじめたが、「どういうことだ?」と伯爵に問われ、マリエルはしどろもどろに答えた。
「あ、あの部屋は、悪いことをした子を閉じ込めておく、“お仕置き部屋”だって聞いて、だから……それで……、うぅっ、ごめんなさい――!!」
「誰がそんなことを?」
シャルルの問いは、理解の追いつかない伯爵夫人に遮られた。
「お、お待ちください! 閉じ込められたのはマリエルのほうですわ!」
たしかに、最後だけ見ればそう思うだろう。
「わたくしは侍女が助けてくれたから出られたの。ピピが来てくれなかったら、わたくしも焼け死んでいたわ」
「「っ……」」
疑問はたくさんある。どうしてマリエルは温室に戻ったのか。菜種油が撒かれていた痕跡からして放火なのは間違いない。とはいえ十歳の令嬢が、“お仕置き”でそんなことをするとは思えない。
シャルルが質問を続ける前に、本職――警備隊長がやって来た。
「――お話中に失礼いたします。バロワン伯爵令嬢マリエル様にお話を伺いたい。ご家族揃ってお越しください。シャルル殿下もご一緒に」
「わかったわ」
バロワン一家は王城に留め置かれ、これから事情聴取を受ける。シャルルも包み隠さず話すつもりだ。ここまで火の手が上がってしまえば、隠し通すことなどできない。結局、ヴィクトルの晴れの日に
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