第9話 ドロテ夫人のギフト
ある日の昼下がり。
王子教育を終えて王城の廊下を歩いていると、宰相の後ろ姿を見つけた。朝焼けの空を思わせるオレンジ色の髪は彼しかいない。その隣には、チョコレートのような焦げ茶色の髪を結い上げ、今朝見たのと同じ紫色の服を着ているドロテがいる。めずらしい組み合わせだ。
しかもここは王族の居館区域。プライベートな空間に宰相がやって来ることはほとんどない。
(怪しい……)
シャルルは柱の陰に身をひそめつつ、あとを追った。丁字路で一瞬迷う。右に進めば自室へ戻れるが、宰相たちは左に曲がった。
(いま戻れば、マルガレータとふたりきりになれるかもしれない)
それに宰相は女好きのようだし、ついて行った先で情事がはじまったら目もあてられない。
そう思い直し、右手に進もうとしたところ、目の端で紫色のドレスがひるがえった。
「あら、シャルル殿下ではありませんか」
「……ドロテ夫人」
情けなくもへっぴり腰で後ずさる。
ヘビのようなドロテの瞳に見つめられると、勝手に体が逃げを打つ。
「ぼ、ぼくは部屋へ――」
「ベラを迎えにやったのだけど、すれ違いになってしまったようね」
「ベラを? そこまでして……ぼくに何か用?」
「ええ。面白いものをご覧にいれましょう。殿下もいらっしゃいな」
「はぁ……」
気乗りしないと声音で訴えつつ、シャルルは宰相を見上げて違和感を覚えた。温和な印象の強い宰相だが、いまは興奮しきったように高揚しており、見くだすような視線には傲慢さが透けて見える。
(何か、変だわ……)
迷った末、歩き出したドロテのあとに続く。宰相はドロテに手を引かれるようにして歩いているが、ぱっと見には宰相がエスコートしているようにも見える。彼の足が止まりそうになるたび、ドロテは宰相の耳もとで何事かをささやいた。聞き取ろうと近付いてみても、背の低いシャルルには拾えない。
地階へ続く階段を下りるときになってやっと、会話の一部が聞こえた。
「あなたならできるわ。偉大なる宰相様ですもの」
「あ……ああ、私は、この国の、宰相だ」
「そうよ。権力は使ってこそでしょう?」
シャルルはハッとした。ドロテが持つギフトが、おだてることで相手を意のままに動かせるギフトであるならば、ヴィクトル付きの侍女や離宮の侍従が、シャルルの質問に答えられなかったことにも納得がいく。
(彼らはおだてられ、自ら行動に移したんだわ)
『命令したのは誰か』という問いに答えられなかったのは、誰からも命令などされていなかったからだ。ただ、その気にさせられただけ。
思考に浸っていたシャルルの目に、突如ありえない光景が広がった。階段の踊り場から、ドロテが宰相の背中を押したのだ。まるで体当たりするかのように。
すべてが非現実的に見え、声をあげることもままならなかった。十段はある階下へと宰相が転がり落ちていく。
「うわっ⁉ 宰相閣下⁉」
階段下にいた衛兵の声で我に返り、シャルルはドロテを目で追いかける。彼女はすばやく階下へ降り、衛兵と一緒に宰相を揺さぶりながら声をかける。
「宰相様⁉ 足を滑らせるなんて! そこのあなた、すぐに医師を呼んできてちょうだい!」
「は、はっ!」
ふたりいた衛兵のうち、ひとりが動いた。シャルルを見ておどろきながらも、一礼してすぐ階段を上っていく。
ドロテが突き飛ばしたところを見たのはシャルルだけのようだ。衛兵の後ろ姿を見送ったシャルルは、もうひとりの衛兵がドロテの毒牙にかかるところを見逃してしまう。
「さぁエドモン、扉をあけてちょうだい。宰相の代わりにあなたが仕事をすれば、陛下は必ずやあなたを引き上げてくださるわ」
「陛下が……俺を……」
最下層の階段室には、見るからに頑丈そうな扉がひとつだけ。その右側に衛兵を立たせ、ドロテは左側に立つ。
宰相の懐が乱れており、ドロテの手にはメープル型の鍵。衛兵も同じものを持ち、くぼみに鍵をはめ込む。五つ葉に接合された突起をつかみ、ふたり同時に鍵をまわした。
ひらかれた扉の向こう側には、たくさんの小物が棚に陳列されている。階段の中ほどから様子を窺うシャルルに、ドロテが手招きをした。
「シャルル殿下、お宝を見てみたいでしょう? こっちへいらっしゃい」
ドロテの言葉に暗示の要素は感じられない。宰相を突き飛ばしたことや、衛兵をひとり遠ざけたことから、一度に操れるのはひとりだけなのだろう。
入るべきではないとわかっているが、ドロテの目的は知りたい。シャルルは渋々と階段を下り、おそるおそる中をのぞく。王族が公務で使用する宝石類などは別の場所にあると知っている。けれど、この倉庫については知らなかった。
「ここは?」
「魔法の道具を納めている宝物庫ですわ」
ギフト持ちの中には不思議な道具を作り上げる者もいる。そういった作品を納めているようだ。少し薄暗いなか、意を決して足を踏み入れる。
ドロテはまっすぐに進み、ある道具の前で立ち止まった。それはシャルルも知っている、ギフトを判別するための石版だ。
石版を手に取ったドロテに首をかしげる。
「そんなもの、どうするつもり?」
「うふふ、こうするのよ」
ドロテは石版を高く掲げ、勢いよく床に叩き付けた。石版は脆くも砕け散る。鈍いけれど大きな音だ。衛兵が正気に戻ったことを期待して振り返ったが、彼は明後日の方向を見つめ、うっそりと笑み崩れている。時折聞こえてくる言葉は妄想めいたものばかりだ。
「ムダですわ、殿下。わたくしのギフト【
ドロテは衛兵の名を知っていた。何度か接触する必要があるのだろう。
「そのギフトでヴィクトルたちを殺そうとしたの?」
「わたくしは背中を押しただけ。事に及んだのは本人たちの意志ですわ」
言いながらドロテは、石版が置かれていた台座をしきりに見まわしている。
――逃げるならいまだ。
そう思ったのも束の間、シャルルが少しずつ後ろへ下がっていたのはお見通しのようだ。こちらを見ることもなく、彼女は淡々と言った。
「エドモン、シャルル殿下をこちらへ。これは国王陛下のご意志です」
呆けていたはずのエドモンが動き出す。
すばやくシャルルを捕まえ、台座の前に引っ張っていく。
「何をさせるつもり⁉」
「殿下にはこの引き出しをあけていただきたいの」
ドロテの視線を追うと、台座には小さな引き出しがついている。
「どうしてぼくが?」
「これは王族の血が流れていないとあかない、厄介な仕様なのよ」
「中には何が入ってるの?」
「知りたければあけることですわ」
シャルルの心に芽生えたのは単なる好奇心だったが、『ドロテの目的を知るためだ』と言い訳をして、引き出しに手をかけた。
中には丸められた紙束が入っており、ドロテが広げると、表紙には“石版のレシピ”とあった。作り方が載っているのだろう。レシピを手にしたドロテは、感慨深げに息を吐き出した。
「やっと見つけたわ! 十年は長かった」
ドロテの意識がレシピに向かったせいか、シャルルの拘束が解けた。衛兵はまた夢の世界に入りつつある。一歩下がったシャルルは、<嫉妬>の実に触れる。
「十年かけるほどのモノ? 陛下を籠絡しなかったのはなぜ?」
一番手っ取り早い方法だ。十年もかける必要がない。
「試したわよ……でもあの男は、権力を民のために使うことしか頭になかった!」
――ああ、お父様。国王たるあなたを心より尊敬します!
「ドロテ夫人、そのレシピをどうするの?」
「うふふ、教会に売るのよ」
レシピから目を離さないまま、ドロテはうっとりとしてしゃべり続ける。
「石版がなければ、王族とて教会にギフトを判別してもらわざるをえない。だから教会は、と~っても高い値段でこのレシピを買い取ってくれるの。一生遊べるくらいのね」
その瞳に浮かぶのは豪遊する未来か。シャルルのことなど見えていない。いまがチャンスだ。シャルルは大鎌をあらわして振りかぶり、衛兵ごとドロテを切り裂く。刈り取れたのは<強欲>に<傲慢>、少しの<嫉妬>。ギフトを奪った手応えもある。
(やった! ……って、うん? 【胃腸強化(中)】……あっ)
衛兵エドモンのギフトを奪ってしまった。人生を送るうえで必要なギフトだろうに。彼が暴飲暴食しないことを願うばかりだ。
一度では無理だったか。再度大鎌を振りまわしても、【籠絡】のギフトは奪えなかった。さすがに生きてきた年季が違う。ギフトレベルで負けているのだろう。しかも衛兵は倒れ込んだが、ドロテが気絶することはなかった。
(しぶとい……残念だけど、ここまでね)
四つん這いなったドロテが肩で息をしているうちに、大鎌を消しておく。
階段を下りてくる足音が複数聞こえ、シャルルは大きく息を吸い込んだ。
「助けて――!!」
大声で我に返ったドロテが、シャルルを黙らせようと首に手をかけ、引き寄せる。医師を呼びに行った衛兵は、ほかにも三人の衛兵を連れてきた。その後ろでは、医師が宰相に呼びかけている。
叫び声を聞いて飛び込んだ衛兵たちの目に、醜悪な顔つきでシャルルの首を絞めるドロテが映り込む。
「殿下を放せ!!」
ドロテの片手はレシピで塞がっている。シャルルが身をよじって抜け出した瞬間、衛兵は軽やかにドロテを捕らえた。レシピも回収され、口をあけたままだった引き出しに無事納められた。
「殿下、ご無事ですか⁉」
「う、うん……なんとかね」
こうしてドロテは牢に入れられ、宰相の意識が戻ってから裁判が行われることになった。シャルルも事情聴取を受けたが、半分はお説教だった。
それはさておき、ドロテのギフトについても話しておいたし、籠絡するにも時間がかかるようなので、牢から逃げ出すのは不可能だろう。
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