第8話 他者のギフトを奪い取る
その日の夜、閉め出されて行き場のないシャルルは、ベルティーユたちの住まう離宮へ足を向けた。コウモリの姿になれば、夜の飛行も楽だった。視界はよくないけれど木々の位置はよくわかる。
離宮へ行ったところで、誰に会えるわけでもないのだが、離宮の庭を眺めているだけで懐かしさが込み上げてくる。一階のテラスに程近いガーデンテーブルで、母セリーヌとお茶を飲んだ記憶がよみがえる。いつも仕事に追われ、片手で数えるほどしかないけれど。とても大切な思い出だ。
ふいに人の気配を感じ、テーブル近くの木にぶら下がる。暗がりのなか、男の声が近付いてきた。
「ドナ、全員にお茶を飲ませたんだろうな?」
「はい、ご指示どおりに」
答えたのは女の声だ。しかも聞き覚えのある声と名前に、嫌な予感が止まらない。
魅了の魔法は永久ではない。ヴィクトルを池に突き落とそうとした侍女たちの魔法はとっくに切れている。
剣の稽古でヴィクトルと会えるものだから、すっかり油断していた。
全員というのは、王妃セリーヌとベルティーユ、そしてヴィクトルのことだろう。
(何を飲ませたっていうの?)
毒ではないだろう。ヴィクトルには効かないし、セリーヌのギフトは【幸運(中)】だ。危ないものは無意識に避けるはず。
だがそのセリーヌも、四方八方から落石を受け、生き埋めにされては助かりようもなかった。これは三年後の話。いまこの時期には何もなかったはずだが、ヴィクトルが生きていることで未来が変わったのか。
「ではこれを撒け」
「……あの、せめてエマだけでも」
「ダメだ! 一緒に生き残れば疑われる。お前も焼け死にたいのか?」
「っ……」
風に乗って油の臭いがする。使用人ごと屋敷を燃やす気か。『全員』とはそのままの意味だったらしい。ならば飲ませたのは睡眠薬だろう。
二手に分かれた気配を感じ、シャルルは侍女ドナのあとを追った。
油が入ったバケツを運ぶドナの手が震えている。転びそうになり、地面にバケツを置いた――瞬間、人間の姿に戻って後ろから大鎌を振り下ろす。ドナは地面に倒れ伏した。
刈り取れたのはやはり<強欲>、それに<嫉妬>もついてきた。
「ん? だけじゃない?」
<強欲>の蕾が開花し、そっと触れると空中に文字があらわれた。文字はリスト形式で、一番上に【悪魔】、二番目に【幸運(小)】とある。
「奪ったんだわ……ギフトを」
まず感じたのは達成感。目標に一歩近付いたのだ。これでマルガレータのギフトを奪い、野望を打ち砕ける。
遅れてやって来たのは罪悪感。これでドナは【ギフトなし】で生きていかねばならない。ギフトは人生に必要なものを授かると言われている。小さな幸運すら奪ったらどうなってしまうのだろうか。
罪悪感を抱くほど、破滅の樹が元気になる。まるで肥料でも与えた気分だった。
だが、感じ入っている場合ではない。もうひとりからも油を回収しなければ、離宮が炎に包まれてしまう。
「助けなくちゃ……」
ふいに首が絞まるような感覚に襲われ、首もとを押さえながら、慌てて破滅の樹に向かって言い訳を並べた。
「間違えた! 助けるんじゃなくて……ギフトを奪おうとしているだけよ!」
思案するようにゆっくりと、苦しさはなくなっていった。人助けはかなりのペナルティを食らうようだ。あくまで悪行として行わなければ、目的を達成する前に昇天しそうだ。
シャルルは油の入ったバケツを空間魔法で納め、離宮の裏口へまわる。ここまで衛兵に出くわすことがなかった。離宮付きの衛兵まで眠らされたか。
侍従姿の男を見つけ、新たなバケツを持とうとしゃがみ込んだところを、後ろから襲いかかった。
「うっ⁉」
男は膝をついたが、気絶しなかった。すべてを一度に刈り取れなかったということは、かなり欲が深いということだ。
シャルルはもう一度大鎌を振り上げる。だが男は、驚異的な反射神経でこれを避けた。
「なっ、何者だ⁉」
「……ぼくだよ」
シャルルは大鎌を消し、ニッコリと微笑む。
尻をついたまま、男は目を凝らすように眇め、おもしろいほど
「シャ、しゃ、シャルル殿下⁉ どうしてここに⁉」
「母上に散歩を命じられてね。きみは何をしているの?」
「わ、私は……」
「な~んて、聞くまでもないよね。王妃陛下たちを殺して、きみに何の利があるのかな?」
「ヴィクトル殿下が……彼らがいなくなれば、あなた様の天下です!」
男はおだて上げるように両手を広げた。
それをシャルルは冷たく見下ろし、よく育った<嫉妬>の実に触れる。
「ぼくが聞きたいのは、きみ個人に何の利益があるのか……だよ」
「そ、れは……彼らがいなくなれば、オレは王城勤めに戻れる!! なんで離宮なんかに、このオレが……」
――それが本音か。
「誰に命令された?」
「命令? これは、神のご意志だ! オレは選ばれたんだ!!」
「神……?」
人ならざる者の仕業だとでも言うのか。これ以上聞いてもムダだろう。何にしてもマルガレータを排除すればすむことだ。シャルルは男に向かって大鎌を振り下ろす。男は今度こそ白目を剥いて倒れた。
「ごちそうさま」
左手の甲には<強欲>が結実し、<嫉妬>の実はますます熟れ、<傲慢>の蕾が綻びはじめた。<強欲>の実に触れると、新たに【身体能力(中)】がリストに加わっていた。
「うっ、重い……」
身体能力が上がったとはいえまだ九歳。悪魔の翼がなければ、気絶した人間を引きずることなどできなかっただろう。枯れ葉の絨毯もいい仕事をしてくれている。
逃げられないよう、男とドナを背中合わせにして紐で縛っておく。朝日が昇るまで、まだ時間もある。シャルルはバケツの油を回収して備蓄倉庫へ戻し、すでに撒かれた油には砂をかけておく。悪戯をする気持ちで雑に行えば、破滅の樹は大人しくしていた。
朝になってふたりがどう言い訳をしようとも、油が撒かれたことを問い詰められる。何かしらの罰が下るだろう。
翌日、口さがない侍女たちによれば、離宮に勤めていた侍従と侍女が焼身心中したという話で持ちきりだった。
シャルルは自分の見通しの甘さを嘆いた。
(あれは、侍従の独断なんかじゃなかったんだわ)
失敗したから口封じされたのだ。指示を出している人間がどこかにいるはずなのに、自白にはかからなかった。
(気味が悪い……。だけど、やるべきことはひとつよ)
<強欲>の実は十分に育った。あとはマルガレータのギフトを奪ってしまえば、犠牲者は出なくなるはずだ。
(やっとここまで来たわ!)
ところが、なかなかどうして、シャルルに反撃の機会は訪れない。
マルガレータがひとりになる瞬間を窺うばかりで時が過ぎていく。特に目障りなのが教育係のドロテだ。教育どころか、マルガレータにくっついてお茶会や夜会を楽しんでいるだけにしか見えない。
いっそのこと、まとめて襲いかかろうかと思ったこともある。そのたびに臆病風に吹かれて立ち止まった。
――もし、誰かが見ていたら? 【悪魔】のギフト持ちだと報告したら?
セラフィンはギフトの書き換えをしないと約束してくれたが、まだその能力を獲得していない。そんな状態で知られたら、処刑される未来しか見えない。
(十歳になるまで、まだ時間はある。慎重に行こう)
誰にも知られず事を成すのが一番だ。シャルルは辛抱強く、その時を待った。
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