第7話 悪魔と天使、敵同士のはずなのに

 シャルルが【悪魔】のギフト持ちであることを誰も咎めてこない。セラフィンは司教に報告しなかったのだろう。心底、天使だと思う。



 ガーデンパーティーがあったその夜。シャルルはマルガレータの部屋に呼び出された。昼間に見たときには豪奢なドレスに目を奪われていたが、あらためて室内を見れば、『こんな王妃は嫌だ』と思う理由を、内装だけで十個はあげられそうだ。ピンク色の壁紙、同色カーテンにはフリルやリボンを散りばめ、ぬいぐるみがそこかしこにある。


 離宮でやるならいい。でもここは王妃の部屋だ。本来は王妃セリーヌの居場所なのにと思うと、余計に残念な気持ちになった。


「お呼びでしょうか?」

「そこに座りなさい! ――床によ!!」


 我が国には、床に座る風習はない。これから何がはじまるのかを察して気分が沈んでいく。

 部屋にはマルガレータのほかにも、産婆だと思っていた女性ドロテが窓辺の椅子に腰かけている。ベラに聞いた話では、マルガレータの教育係だというが、男たちとのただれた生活を正そうともしていない。何のためにいるのかはなはだ疑問だ。


 よそ見をするシャルルの気を引くように、マルガレータがヒステリックな声をあげる。


「おまえ、ヴィクトルに会いに行ったんですって⁉」

「……林の中を探検していたら、偶然に」

「偶然⁉ おまえが邪魔をしたせいで、王妃派を削ぐ計画が水の泡よ!!」


 ――それはよかった。朝早く起きて出待ちした甲斐があるというもの。


 いくら怒鳴られても、シャルルにとっては褒め言葉にしか聞こえない。にやけそうになる顔を俯いてごまかす。

 遠のいていく足音に(終わったか)と安堵して顔を上げれば、ローチェストの引き出しから棒状の騎馬鞭きばむちを手にしたマルガレータが戻って来た。途端にシャルルの顔から血の気が引いていく。


「おまえには躾が必要だわ」

「も、もう、しませんから」

「いまさらっ!! 遅いのよぉ!」


 鞭がしなる音とともに左肩に激痛が走る。


「ぎゃっ!! や、やめっ……ぐっ!!」


 さらには太ももに打ち下ろされて前屈みになると、容赦なく背中に鞭が振ってきた。


「た、たすけ……っ」


 ドロテに助けるを求めるも、冷めた目で見ているだけ。その瞳に浮かぶのは憐れみですらなく、心底興味がないのだと思い知らされた。

 いまでこそベラを味方につけているが、【悪魔】のギフトを持っていることを知らなかった元シャルルには、誰ひとり味方がいなかっただろう。


(シャルルは、こんな暴力にずっと耐えていたというの?)


 よしんばギフトを知っていたとしても、“悪魔の武器”は人を害せるようなものではない。人の欲望を吸い取ってはくれるが、この女のどす黒い欲望は底なし沼。成長しきっていない武器を振りまわしても気絶すらさせられない。ギフトが露見するだけだ。いまはうずくまって耐えるしかない。


「ルーセルが生まれたからっ、おまえはもう用済みなの! 女とばれる前に……」


 ふいに鞭の動きが止まった。

 おそるおそる見上げたマルガレータの顔には、三日月の双眸そうぼうが浮かんでいる。


「おまえが、ヴィクトルを殺しなさぁい」



 ***


 それから間もなくして、午前中は王子教育、午後は剣を習うことになった。しかもヴィクトルと一緒にだ。おかげで毎日、彼の無事を確認できるから助かっている。

 浅はかなマルガレータのことだ、訓練中の事故を装い、殺せばいいとでも考えているのだろう。指導する騎士に囲まれた状態で、そんなことできるはずもないのに。


(できたとしても、やらないけどね)


 訓練が終わると、横に並んでいたヴィクトルのほうから声が聞こえてきた。


「パーティーで、姉上を助けてくれたって聞いた……」


 顔を背けたまま、なんの前触れもなく話がはじまったものだから、シャルルに話しかけているのだと理解するのに少しの時間を要した。


「……あ、うん。パトリスのこと?」


 ヴィクトルは目を合わせることなく、頷いて続ける。


「あ、ありがと……って、姉上が。……姉上が言ってた!」


 うれしいけれど感謝されるのはまずい。“破滅の樹”がご機嫌斜めだ。

 グッと拳を握って冷たい声を出す。


「そんなんじゃない。有力な公爵家と懇意にされるのは困るから、邪魔をしただけ」

「なっ⁉ そうなのか⁉」

「当たり前だろう?」


 やっと目があったヴィクトルは、やはりお前は信用ならないとでも言いたげだ。シャルルはツンとすまして背中を向け、心の中でむせび泣く。

 そんなシャルルをあざけるかのように、“破滅の樹”が息を吹き返した。


(くぅ……なんなのこの樹! 性格わっる!!)


 泣き言を吐いている場合ではない。どんなに嫌われようとも、マルガレータを引きずり下ろすまでは【悪魔】のギフトが必要なのだ。


 いまシャルルがやるべきことは、ギフトレベルを上げること。マルガレータを数年観察したものの、何のギフトかわからない。

 男女全員を暗示にかけるようなものではないようだし、男性であってもマルガレータを嫌っている者はいる。だが父王が毒牙にかかっていることだけは確かだ。


 ――どんなギフトも奪えるほどの能力が欲しい。

 それには<強欲>の実を育てる必要がある。


(強欲な人間なんていくらでもいるんだけど、夜会には出られないし……)


 前回の記憶にある数人の顔ぶれだけで、<強欲>レベルが結実しそうだが、シャルルの行動範囲にはあらわれない。夜会に参加できる十六歳まで待つ時間もない。



 そうこうしているうちに、一年が経った。


 いつまでも行動を起こさないシャルルに痺れを切らし、マルガレータはまた鞭を振るった。

 まだ九歳のシャルルに持たされているのは木剣で、人など殺せないのだと口を挟む隙もなく、滅多打ちにされたあげく、侍女たちによって裏庭に打ち捨てられた。

 去り際にひとりの侍女が足を止める。


「ねぇ、シャルル殿下。いいこと教えてあげましょうか」

「……?」

「ヴィクトル殿下を殺さずとも、人前に出られない体にするだけで、マルガレータ様はご満足されるわ。よく考えてみることね」


 憐みからの言葉だったのかもしれない。でもシャルルにとってはいらぬ世話だ。


(ヴィクトルがいなくなった人生でも、シャルルは殺されるのよ。施しを与えたような顔をしないでほしいわ)


 落ちた枯れ葉がやけに赤く見えるのは、不気味に染まった夕焼けのせいだろう。鞭はいつも、服で隠れる場所に打ち下ろされるのだから。


 弟のルーセルは五歳になり、シャルルはいつ死んでも構わない。だからもう護衛もついていない。最悪の場合、朝になるまで誰にも見つけてもらえないかもしれない。季節が冬でないことだけが救いだ。


(けど、これは……十歳を待たずして、死ぬんじゃないかしら?)


 はっきりしない視界の端に、ふと白い鳥が降り立った。次に誰かが膝をつくのが見え、体がじんわりと温かくなっていく。ようやく視点が合い、心配そうにのぞき込むサファイアの瞳とかち合った。


「て……んし?」

「うん。僕、【天使】で合ってたみたい」


 ハッとして身を起こす。体の痛みがない。以前より治癒能力が格段に上がっている。


「セラフィン! もうギフトが判明したの⁉」

「まだ判定は受けてないけど、手の甲に“栄光の樹”があらわれたんだ」


 セラフィンが掲げた右手には、金色の樹が七本の枝を広げ、二つの実と三つの花をつけている。シャルルが持つ“破滅の樹”と相反する存在――“栄光の樹”。天使である証だ。


「ギフトの書き換え、できるようになったの?」

「ううん、まだだよ。もしできるようになっても、シャルルのギフトは書き換えないから安心して」

「……どうして?」

「だって、困るんでしょう?」


 ――そうか。きっと天使は相手の嫌がることはしない。


 悪魔が善行を積んだら昇天するように、天使が悪行――とまではいかなくとも、罪悪感をもって行ったことには、何かしらのペナルティが発生するのだろう。

 逆に【悪魔】のギフトは、罪悪感を持って大鎌を振り下ろしたときのほうが、成長が早かったのだから。


「ありがとう、セラフィン。ぼくにとって【悪魔】のギフトは必要なものなんだ」


 突如、左手に咲いた花や実がギュッと縮んだ。まさか感謝の心を持つのもアウトなのか。


(事を成すまでは、悪魔のように振る舞わなくては)


 うれしそうに微笑むセラフィンに後ろめたさが滲む。途端に破滅の樹は枝を広げ、禍々まがまがしさを増した。


「あ……、見つかりそう。もう行かなくちゃ」


 キョロキョロしても、辺りには人影すら見当たらない。

 口もとだけで微笑んでセラフィンが目を伏せた。なぜかサファイアの瞳が曇って見える。やり直す前に見た曇りガラスみたいに。


「誰に見つかりそうなの?」

「カルメ様」

「……そっか」


 そういえば、セラフィンと会うのはカルメ司教が城に来ているときだけだ。司教に【天使】のギフトが知られているのなら、教会はセラフィンを対【悪魔】の戦力として育てるはずだ。

 そしてシャルルのギフトが露見すれば、セラフィンに無理やり【天使】の能力を使わせるだろう。


(そしたらセラフィンはどうなるの? 苦しまなければいいけど)


 何にしても、教会に【悪魔】のギフトを知られるわけにはいかない。慎重に行動しなければ。

 セラフィンと話をするたびに心がギュッとなるのは、【天使】の役割に染まっていく彼を憐れんでいるせいだろうか。

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