第6話 元夫に殴られ天使に癒される
シャルルの顔立ちは、そのままだと女の子にしか見えない。だから王子に見えるよう、眉をしっかり描き、目もとも涼やかに見えるような化粧が必要だ。
普段から手入れされていない髪も一本に束ね、丸くて大きな瞳を切れ長に見せるため、前髪は適当に下ろす。
(毎度ながら、自分の顔がよくわからないわ……)
あーでもないこーでもないと顔をいじられ、やっとのことで王子シャルルができあがった。人前に出るたびにこの手間があるため、外に出るのも一苦労だ。
すでに疲労
国王の
なかでもバロワン伯爵令嬢マリエルは、シャルルの見た目を気に入ったようだ。淡い金髪の巻き毛をクルクルいじりながら、上目遣いに話しかけてくる。
「シャルル殿下はまるで天使のようですわ。ギフトが判明するのが楽しみですわね」
「ははは。【悪魔】でないことを祈るよ」
「まぁ! シャルル殿下にかぎってありえませんわ!」
ベルティーユであったころなら賛同していた。シャルルは見た目からして悪魔とは程遠い。天使のような顔立ちだ。
そこでふと思い出す。【天使】のギフトを持つ彼は、周囲に崇められながらも、不幸を背負ったような顔をしていた。
(【悪魔】としてやり直したいま、【天使】は天敵だけど……できれば仲よくしたいな)
そこへ、ベージュ色の服に、若草色のストラを首からかけた司教がやって来た。
「ご機嫌麗しゅう。マルガレータ妃」
「まぁ、カルメ司教様!」
ほかの貴族たちに向けたのとは違う明るい声を弾ませ、マルガレータは立ち上がって迎えた。カルメ司教は金髪碧眼で、三十代の成熟した色気を持ち、線が細くて中性的。マルガレータの好みなのだろう。
(この時はまだ司教だったわね……)
父王ジェラールの葬儀で会った彼は、若くして枢機卿にまで上り詰めていた。
カルメ司教はシャルルと目線を合わせて優しく微笑み、次いで王妃セリーヌが座るテーブルへ手を向けた。
「シャルル殿下、あちらにヴィクトル殿下がいらっしゃいますよ。同い年ですし、お話しされてみては?」
その言葉に目を見ひらいたのはマルガレータだ。
「っ……どうして⁉」
いままで
対してマルガレータは、薔薇に囲まれたゲスト用のテーブルを用意しておけば、ご機嫌なのだから扱いやすいものだ。
ヴィクトルの無事を確認して安堵し、シャルルはこれ幸いと礼をとる。
「お気遣い感謝します。では、ぼくはこれで……」
向かうはヴィクトルのところ……ではなく、ベルティーユのところだ。城内ではいつも護衛がつき、会話をすることもままならなかった。けれどガーデンパーティーの会場内なら護衛はつかない。
薔薇の生け垣を一本越えたところで辺りを見まわす。
(たしか、この辺りでベルティーユは……)
噴水から漏れていた水に足を取られて転んだところを、彼に抱き起こされたのだ。未来の夫、パトリスに。
(――遅かったか)
礼拝堂の鐘が鳴る。噴水の前では、パトリスに手を取られて頬を染めるベルティーユがいた。このあと、パトリスを王妃セリーヌに紹介し、ふたりは婚約を結ぶ。阻止しなければ、将来ベルティーユが不幸になってしまう。
シャルルは道の途中に立ちはだかった。
「ベルティーユ王女、話がある」
見るからに警戒したベルティーユを、パトリスが庇うように進み出る。
「君は側室の……、話ならぼくが聞こう」
「部外者は引っ込んでてくれないかな?」
「そうはいかないよ! ぼくは婚約者として、ベルを守る義務がある!」
「こっ……、婚約者⁉」
――もうそこまでの仲になったのか? 愛称呼びだってもっと時間がかかったのに。
おどろいてベルティーユを見れば、彼女も目を白黒させている。それでもパトリスは強気だった。肩越しにベルティーユへ顔を向ける。
「王妃陛下に紹介してくれるってことは、ぼくを婚約者にと考えているんだよね?」
「え? ええ……まぁ……」
前回はベルティーユから婚約を迫ったという負い目があったから、愛人の存在を咎めはしなかった。しかし、今回は違う。
「フェイユ公爵令息! ベルティーユ王女を泣かせたら許さないからな!」
「なっ、泣かせたりしないさ!」
「そうか。なら、『愛人を作ったら慰謝料として全財産を渡す』という誓約書を作ってもらおう」
「エッ⁉」
パトリスがたじろぎ、シャルルとベルティーユは声をそろえて聞き返す。
「「――え?」」
この流れなら、たとえ嘘でも『臨むところだ』と
パトリスの瞳が泳ぎ、ベルティーユの顔から表情が消えた。
「パトリス、あなたと婚約することはないわ」
「そんなっ⁉ 困ります! 父上になんて言われるか……あっ」
慌てて口を押さえたパトリスの背後では、噴水の欠けた部分がきれいに修復されていた。これは仕組まれた出会いだったのか。
肩を落としたベルティーユの向かい側で、シャルルもどんよりと落ち込んだ。こんな男に舞い上がっていたとは、あまりに情けない。
「あ、あの、ベル……」
「愛称で呼ぶことなど、許していないわ!」
「うっ……、お願いです……婚約だけでも……」
「さようなら」
ベルティーユはパーティー会場へ体を向けるやいなや、パトリスは顔を歪ませ、ベルティーユの肩を乱暴につかんだ。
「君みたいな【ギフトなし】を誰がもらってくれるんだ⁉」
「「なっ⁉」」
我が国の王族は石版でギフトを確認できる。そのやり取りも王と王妃の前だけで行われるもの。王族のギフトは
ベルティーユが【ギフトなし】であることを、パトリスが知るはずはないのだが。どうしてか情報が漏れている。やり直す前のベルティーユも、マルガレータにギフトを知られていた。
「年の近い公爵家の令息はぼくだけなんだよ?」
原因は……考えたくもないが、ジェラールがベッドの中でマルガレータにしゃべったとしか思えない。ギフトを持っていない人間は肩身が狭い。マルガレータにしてみれば吹聴しない手はないだろう。
ベルティーユは真っ青な顔でいまにも泣きそうだ。見かねたシャルルが、パトリスの手を払いのける。
「誰から聞いたのか知らないけど、噂を真に受けていると身を滅ぼすよ?」
「う、噂なんかじゃ……」
公表されていないのだから、噂は噂だ。
ベルティーユは何も言わず、顔を覆って駆け出した。傷付けられはしたが、これでもうパトリスの手を取ることはないだろう。
ホッと息をついたのも束の間、シャルルは胸ぐらをつかまれ、乱暴に突き飛ばされた。
「お前のせいでっ! たかが愛妾の息子のくせにっ!!」
愛妾と側室は扱いが違う。愛妾とは婚姻関係にない相手のことであり、側室とは婚姻を結んでいる。愛妾の子どもに王位継承権はないが、側室の子どもにはある。そんな指摘をする間もなく、馬乗りになったパトリスは容赦なく拳を振り下ろした。
「ぐっ!!」
十歳の力に八歳が敵うはずもなく。一撃を受けてしまったシャルルだが、二撃目を受ける前に、パトリスの横腹を“悪魔の大鎌”で切り裂いた。
大鎌をくぐらせると、その人間のネガティブな感情を吸って成長する。いきなり気を抜かれた人間はその場に崩れ落ちるが、しばらくすれば目を覚まし、何も覚えてはいない。<憤怒>の感情を抜かれたパトリスも例外なく気絶した。
――だが傍観者は違う。気絶もしないし、忘れたりもしない。
「君……、【悪魔】のギフト持ち?」
第三者の声に慌てて武器を消し、パトリスの体を脇へ押しやる。身を起こして振り返れば、青みがかった銀髪にサファイアの瞳をした少年が、しゃがみ込んでいた。
やり直す前に見た瞳は、曇りガラスのような青灰色だと思ったが、目の前の少年は晴れた夏空のように鮮やかな青色をしていた。
「天使……?」
「……君も、そう言うんだね」
少年は悲しげに瞳を伏せた。年はシャルルと同じくらいに見える。まだギフトが判明していなくとも、見た目だけで天使のようだから、皆がそう言うのだろう。壁画に描かれた天使みたいに白い服を着ているせいもある。
そう考えたシャルルをあざ笑うかのように、少年はシャルルの顔に手をあてた。青白い光が、殴られた傷を癒やしていく。
(ひっ⁉ もう【天使】ギフトが目覚めてるの⁉)
心を読んだように、申し訳なさそうな顔で少年は微笑んだ。
「僕は治癒魔法が使えるだけだよ。本当に【天使】なら、君のギフトを書き換えてあげられるのにね」
――冗談じゃない。【悪魔】のギフトがなければ、薄汚い大人たちに対抗できないではないか。
「なんで、ぼくのギフトを書き換えたいの?」
「悪魔は悪いものでしょう?」
「……悪魔は、そうかもしれない。でも、【悪魔】のギフトを持っているだけで、その人間まで悪いものだと思う?」
少年は虚を突かれたかのように目を丸くし、いっさいの動作をピタリと止めた。
善良な人間なのだろう。追い詰められたベルティーユが毒をあおったときの顔は、『書き換えればすむのに、なぜ死を選ぶのか?』と言いたげだった。悪意など知らない、無垢な存在。彼は【天使】ギフトを持つに足る人間だ。
「あなた、名前は?」
「……セラフィン」
「ぼくはシャルル。セラフィン、よく考えてみて。【天使】の力で人生が狂う人もいるってことを」
またサファイアの瞳を大きく見ひらいたが、最後にセラフィンは頷いた。
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