第三章 ~『証拠集めと閃き』~



 待合室の外に琳華りんふぁたちが足を踏み出した頃には、夕暮れ時になっていた。繊細に彫られた柱が連なる回廊には、夕日の光が差し込み、長い影を落としている。


「冤罪を晴らすためにも調査を開始しないとね……ただ琳華りんふぁのことだ。きっと犯人の目星は付いているよね?」


 天翔てんしょうが会話を切り出す。琳華りんふぁは一瞬の躊躇いの後に、自信を含んだ声で答える。


桃梨とうり様で間違いありません」

「根拠もあるんだよね?」

「実は……」


 琳華りんふぁは今までの出来事に理由も付けて解説する。その内容に納得したのか、天翔てんしょうは大きく頷く。だが翠玲すいれんの表情には疑問が浮かんでいた。


「どうして琳華りんふぁを罠に嵌めたのかしら?」


 翠玲すいれんの問いは謎の核心に迫っていた。琳華りんふぁは顎に手を当てて、桃梨とうりの動機を探る。


「誘いを断った報復にしては過激ですからね」

「オパールを盗み出すことが主目的で、罠に嵌めたのは副次的な理由だとしたらどうかしら?」

「それについても疑問が残りますね……なにせ、桃梨とうり様は上流階級の出自でしょうから。真犯人だと露呈すれば投獄される危険を背負ってまで、オパールのネックレス一つを盗み出すとは思えませんから」

「たしかにね……」


 三人は互いに顔を見合わせるが答えには辿り着かない。だが沈黙を続けても問題は解決しないため、天翔てんしょうは謎を解く糸口を切り出してくれる。


「過去に確執はなかったのかな?」

桃梨とうり様とはここ最近の出会いですから。恨まれてはいないはずです」

「でも逆恨みならどうだろう?」

「それは……」

「特に琳華りんふぁは出世コースに乗っていたからね。同じ中級女官の桃梨とうりにとってライバルの失脚は自分の地位向上にも繋がる。罠に嵌めた動機としては筋が通るんじゃないかな」

「その発想はありませんでしたが、一理ありますね……」


 眩しい輝きはその裏に影を作り出すように、琳華りんふぁの活躍は嫉妬も生み出していたはずだ。そのことを理由に琳華りんふぁの排除を狙ったとしても不思議ではない。


桃梨とうり様について、もう少し詳しい情報を集める必要がありますね」

「なら私は人事情報を調べてみるわ」

「お願いします」


 文書管理課で働く翠玲すいれんだからこそできる調査だ。そこから手がかりを得られると信じて、彼女は歩き去っていく。


 残された天翔てんしょう琳華りんふぁは、調査を具体化するために話し合いを続け、彼がやるべきことを提案する。


「僕らは目撃証言を集めよう。宝物殿に侵入する瞬間を誰かが見ていたら、密室の謎を解くヒントになるかもしれないからね」


 琳華りんふぁたちは宝物殿の傍で、聞き取りを開始する。休憩所で息抜きをしていた二人組の宮女に、天翔てんしょうが人懐っこい顔で声をかける。


「昨夜、宝物殿の近くで不審な動きをする者はいなかったかい?」


 天界で暮らす仙郎のように美しい彼の質問に、宮女たちは一様に目を輝かせて快く答えてくれる。だが役立つ情報は得られなかった。


 一方、琳華りんふぁも別の角度から質問を投げかける。


「不審者ではなく、物音や話し声などは聞こえませんでしたか?」

「それなら……水に何かが落ちる音が……」

「それはいつですか?」

「夕方頃だったような……」


 記憶が曖昧なのか、はっきりとしない答えを返す宮女に対し、もう一人が補足する。


「もしかしたら桃梨とうりさんかも。あの人、いつも夕方頃に井戸の水を使って、水槽を綺麗にしているから」

「他に気になる点はありましたか?」

「特には……」


 宮女たちは首を横に振る。深堀りしてみるも、密室の謎を解くような具体的な証言には繋がらなかった。


 時間は刻々と過ぎていき、夕日がゆっくりと地平線に沈んでいく。空は暗くなり、星の輝きが石畳を照らしていく。


(今夜はもう手がかりを得られないかもしれませんね)


 諦めようとした時、琳華りんふぁたちは宮女たちから聞いた井戸の傍まで通りがかる。そこで桃梨とうりの姿を発見する。


 水槽を綺麗にしようと井戸から水を汲み上げていた桃梨とうりは、周囲の物音が気にならないほど作業に集中していた。そんな彼女に声をかける。


桃梨とうり様、こんな遅くに何をしているのですか?」


 声をかけられた桃梨とうりは、驚きでビクッと身体を硬直させる。


桃梨とうり様?」

「こ、これは……水槽の水が汚れたから綺麗にしに来ただけですわ。何か問題でもありますの?」


 桃梨とうりの声にはわずかに緊張が感じられるものの、何かを隠しているのか、単に驚いただけなのか判断が難しい反応だった。喧嘩腰では手がかりも得られないため、世間話を振る。


桃梨とうり様は本当にお世話が好きですね」

「ただの日課ですわ……」

「汚れた水を毎日交換するのは大変ですし、立派だと思いますよ」


 水槽を一瞥すると、水は白く濁っていた。微細な浮遊物により色が変化した水の中を鮮やかな魚が優雅に泳いでいる。


(何か違和感が……)


 宮女からの証言で、桃梨とうりが水を替えたのは、昨日の夕方頃で間違いない。計算としては約一日の経過で、水が白く濁ることになる。


 だが桃梨とうりが宝物殿を去る際には、水槽の水は透明度が高く、澄んだ状態だった。つまりあの時の水槽の水は、入れ替えてから数時間程度しか経過していなかったことになる。


(私が宝物殿に案内されたのは昼頃で、桃梨とうり様の帰宅は夕方頃ですから。きっと水を替えたのは、昼より少し前でしょうね)


 だがこれには疑問が残る。桃梨とうりは毎日水槽を持ち帰り、魚の世話をしている。夕方頃に水を替えている証言と計算が合わない。


(水を透明に保つ必要があったとしたら……)


 琳華りんふぁの頭に閃きが奔る。そんな彼女の思考を邪魔するように、桃梨とうりは疑問を口にする。


「そんなことより、どうして琳華りんふぁが釈放されていますの?」

天翔てんしょう様と翠玲すいれん様が身元保証人になってくれたおかげです」

「大人しく捕まっていればいいものを……」

「私が解放されて、残念なようですね」

「当然ですわ。私、あなたが嫌いですもの」


 桃梨とうりは敵意を隠そうともしていない。一方の琳華りんふぁは冷静さを崩さずに余裕の表情で受け流し、改めて視線を水槽へと移す。


(あのとき、水槽の中にオパールを確認できませんでした……ただ……)


 もし水が濁っていたら、琳華りんふぁは水槽の中をより詳細に確認しただろう。透明度が高く、硝子越しに水槽の中身を確認できたからこそ、問題なしとの判定を下したのだ。


「あなたと話していると不快になりますし、用がないなら帰らせてもらいますわ!」


 桃梨とうりは声を荒げながら足早に立ち去った。その背中を見送ると、琳華りんふぁ天翔てんしょうに笑みを向けた。


「密室の謎が解けたかもしれません」

「本当かい!」

「ですが、もう一つ。どうしても必要な情報があります。無理なお願いにはなりますが、外出許可をいただくことはできないでしょうか?」


 琳華りんふぁの真剣な願いに、天翔てんしょうは大きく頷く。


「君の無実を証明するためだ。必ず、申請を通してみせるよ」


 琳華りんふぁ天翔てんしょうの助けに感謝して頭を下げる。後宮の夜が静かに深まっていく中、琳華りんふぁの瞳は新たな希望に向けて輝いていたのだった。

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