第三章 ~『宝物殿の先輩』~


 慶命が部屋を去った後、桃梨とうりの態度に変化が生じる。傲慢さが滲み、琳華りんふぁを見下すように腕を組む。


「宝物殿の管理は私が先輩ですから。私の指示には従うこと。よろしいですわね?」

「善処はします」

「はっきりとしない答えですわね」

「理不尽な命令には従わない主義ですので」


 琳華りんふぁ桃梨とうりは先輩、後輩の関係かもしれないが、立場は同じ中級女官だ。無理に従う理由もない。


 そんな琳華りんふぁの返答が気に入らないのか、桃梨とうりは不機嫌を顕にする。眉根を釣り上げて、鋭い視線を向ける。


「相変わらず生意気な女ですわね……そんなあなたには雑用がお似合いですわ。まずは掃除から始めなさい」


 桃梨とうりの声には命令的な強い響きが含まれていた。


(反論は容易いですが……)


 掃除は誰かがやらないといけないことだ。素直に頷くと、その反応が意外だったのか、桃梨とうりの表情に僅かな驚きが現れる。


「指示を聞く気になったのかしら?」

「私は理不尽な要求に従わないと答えましたが、筋の通った命令には逆らいませんよ」

「ふん、ならせいぜい頑張りますのね」


 桃梨とうりから宝物殿の隅に置かれていた拭き布を受け取る。険悪な雰囲気は変わらないが、掃除に支障はない。持ち場に向かおうとすると、その背中に声をかけられる。


琳華りんふぁ、明日からもっと動きやすい服装にしてきなさい」


 忠告を受けて、琳華りんふぁ桃梨とうりの服装が以前と変化していると気づく。薄着で動きやすい袍服は、実用的ながらも美しくデザインされていた。宝物殿の掃除に支障をきたさないようにという配慮なのだろう。


「その服、とても似合っていますね」

「お世辞はいらないわ」

「いえ、本心ですから。素晴らしいものは正直に褒めるようにしているのですよ」


 内面はともかく、桃梨とうりの外見には品があった。本心を偽って、他人を貶す趣味もないため、そのままの感想を伝えると、桃梨とうりは頬を僅かに赤く染めながら、フンと鼻を鳴らす。


(素直じゃないですね)


 琳華りんふぁは微笑みながら、目録の上から順番に掃除を始める。壊さないように注意しながら、埃や指紋を取り除いていく。


 丁寧に掃除を進めていくと、部屋の一角に設置されている水槽を発見する。色鮮やかな魚が優雅に泳いでおり、天窓から差し込む光が水面を反射して、幻想的な光景を作り出していた。


 桃梨とうりは水槽の前に立つ琳華りんふぁに気づいたのか、ゆっくりと近づいてくる。


「その魚が気になりますの?」

「宝物殿に魚がいるとは思いませんでしたから……」

「価値ある貴重な魚らしいですわよ。だから宝物殿で管理していると聞いていますわ」

「確かに綺麗な魚ですからね」


 水槽で泳ぐ魚たちは宝石のように輝いている。これも宝物の一種なのだと、その美しさを前にして納得する。


「お世話も私たちの仕事の一環なのですか?」

「そうですわね。ただあなたは触らなくてよろしいですわ」

桃梨とうり様が世話をすると?」

「この魚たちは非常にデリケートですもの。慣れている私がやった方が安全ですから。夜に部屋に持ち帰ってから水を替えておきますわ」

「そうですか……」


 世話係を譲ろうとしない桃梨とうりは、もしかすると魚好きなのかもしれない。そう納得し、琳華りんふぁは引き続き、掃除を再開する。


 だが宝物品の数は多く、掃除に集中していると終わった頃には夕日が沈んでいた。温かみのある色がゆっくりと室内に満ちていく。


 その日は掃除だけで一日が終わり、肉体的にも精神的にも疲労を感じていたが、清掃を終えた宝物殿の輝きはそれだけの価値があるものだった。


「終わったようですわね」

「ただ宝物品のチェックができませんでしたから。明日はそちらをやる予定です」

「それは許されませんわ」


 強く否定するように、桃梨とうりは首を振る。


「あなたの仕事は明日も掃除ですもの。これは命令ですわ」


 桃梨とうりの言葉は有無を言わさぬ力強さがあった。だが琳華りんふぁは理不尽な命令には従えないと、真っ向から反論する。


「それはできません」

「あなたも掃除の大切さは理解しているはずですわよね?」

「ええ。ただ頻度も重要なはずです。少なくとも桃梨とうり様は、週に一度、いえ月に一度の頻度だったのではありませんか?」

「わ、私は、毎日していましたわ!」


 自分の主張を正当化しようと桃梨とうりは声を荒げる。だが琳華りんふぁは矛盾を見抜いていた。


「それ、嘘ですよね?」

「は?」

「私が掃除した際、一ヶ月分ほどの埃がたまっていました。もし毎日掃除をしていたのだとすると、この状態に説明がつきません」

「うぐっ……」

「それに宝物品のようなデリケートなものは頻繁に触れるのを避けるのが一般的です。以上からあなたの言葉は嘘だと判断しました。何か反論がありますか?」

「……っ……ありませんわ……」


 嘘を見抜かれた悔しさで、桃梨とうりは唇を噛み締める。


「では明日は宝物品の検品をさせていただきますね」


 琳華りんふぁの言葉を受けて、桃梨とうりは無言を貫く。そんな彼女に疑念を抱く。


(まさか不正でもしているのでしょうか……)


 二人体制でやるべき検品をさせないために、掃除を押し付けようとしているとさえ感じる。怪しんでいると、それが桃梨とうりにも伝わったのか、苛立ちながら、「好きにすれば良い」と言い放つ。


桃梨とうり様……もし不正に手を染めているなら、明日までに自首してくださいね」

「私がそんな愚行を犯すはずがありませんわ」

「なら良いのですが……」


 静かに言葉を続けると、桃梨とうりは怒りで眉根を釣り上げながら、琳華りんふぁに鍵を投げ渡す。


「私は帰るから。鍵を閉めておいて頂戴」

「分かりました」

「それと、水槽を持って帰るから他に宝物殿から持ち出してないかのチェックをお願い」


 桃梨とうりの身体検査をしてから水槽を確認する。薄着で隠す場所もなければ、水槽もガラス越しに魚が泳いでいるだけだ。


「問題ありません」

「そう」


 それだけ言い残して、桃梨とうりは扉の向こう側へと消えていく。その背中を眺めながら、琳華りんふぁも帰り支度を整えるのだった。


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