第三章 ~『宝物殿の管理』~


 琳華りんふぁ翠玲すいれんは図書室の一角で一息ついていた。効率的な組織運営のおかげで、仕事も落ち着いており、両者の顔には忙しい日々から解放された安堵の表情が浮かんでいる。


「しばらくは定時帰りができそうですね」

「これも琳華りんふぁがいてくれるおかげね」


 翠玲すいれんは感謝の気持ちを口にする。図書運営や文書管理課の仕事が上手く回っているのは、琳華りんふぁが効率化を図り、筋肉質な組織として運営してきたからである。


 琳華りんふぁが感謝を受け入れて微笑んでいると、図書室の扉が開き、慶命が琳華りんふぁたちの元へと駆け寄ってくる。その表情は真剣さを帯びており、世間話をしにきた様子ではない。


「慶命様、どうかされましたか?」

「実は仕事を頼みたくてな。お主を探していたのだ」


 琳華りんふぁたちの注目が慶命に集中する。彼は少し躊躇しながらも、具体的な話を続ける。


琳華りんふぁに宝物殿の管理を手伝ってほしいのだ」


 慶命の言葉に琳華りんふぁは驚きを隠せなかった。宝物殿の管理は貴重品を扱う関係上、後宮内でも特に重要度が高く、非常に責任のある仕事だ。そんな重要な仕事を後宮に入って日の浅い琳華りんふぁに依頼されるとは思わなかったからだ。


「詳しく聞かせていただいてもよろしいですか?」

「宝物殿には貴重な文化財や歴史的遺物、金銀や宝石類まで多彩な品が保管されている。その管理が主な仕事となる」


 文書管理課の枠組みの一つとして、宝物品の管理もして欲しいという依頼だった。翠玲すいれんからは、こじつけの理由で仕事を押し付けられることがよくあると愚痴を聞かされていたが、こういうことかと納得する。


「もちろん無理にとは言わない。どうだろうか?」


 慶命にはいつも世話になっている。それに仕事も落ち着いており、余裕もある。断る理由がないため、琳華りんふぁは首を縦に振る。


「私にできることなら喜んで協力させていただきます」

「おおっ、そうか。欠員が出て、困っていたのでとても助かる」

「前任者は退職されたのですか?」


 琳華りんふぁの問いに、慶命の表情が険しくなる。


「横領が起きてな。職を辞することになったのだ」

「そのような事件が……」

「ただこれは珍しい話ではない。なにせ過去にも一度起きているからな……宝物品には魔力がある。魅了されて、つい犯罪に手を染めてしまったのだろう」


 宝石鑑定士をしていた琳華りんふぁだからこそ、この気持ちは理解できる部分があった。高価な品を扱う仕事は、それに見合うだけの自制心が求められる。前任者の二人は、そこが不足していたのだ。


 ただ琳華りんふぁはある疑問を抱く。


「それほど簡単に横領ができるのですか?」


 宝物品の管理は厳格に行われるべきものだ。横領が容易にできる環境に疑問を呈すると、慶命は眉間に僅かな皺を寄せる。


「宝物殿の管理は二人一組の体制にし、互いに監視して、不正を働けないように工夫してきた。だがそれでも問題は起きた。だからこそ琳華りんふぁを選んだのだ」

「私を?」

「宝石のような高価な品を扱い慣れている琳華りんふぁなら横領に手を染める心配もない。これ以上の適任者はいないと判断したのだ」


 声がかかった理由を理解し、翠玲すいれんに目を向ける。彼女は困ったような表情を浮かべながらも、琳華りんふぁの決断に同意して深く頷く。


琳華りんふぁを貸し出すのは構いませんが……期間限定ですよね?」


 なにせ琳華りんふぁはうちのエースですからと、翠玲すいれんは付け加える。彼女の声には愛情と誇りが満ちていたが、琳華りんふぁが不在になることへの懸念も僅かに混じっていた。


「分かっている。新しい人員も並行して探す」

「約束ですよ」


 翠玲すいれんと慶命は双方にとって最善の選択で合意する。


「ではさっそく宝物殿へ案内しよう」


 琳華りんふぁは慶命に先導される形で、図書室から宝物殿へ移動する。後宮の複雑な回廊を抜け、厳重に警備された区域に足を踏み入れると、二人の前に堂々とした宝物殿の扉が現れた。


 慶命が鍵を開け、重い扉をゆっくりと押し開けてくれる。


 すると目の前に息を飲むような光景が広がった。宝物殿の内部は広々としており、天窓から差し込む光が大理石で作られた室内を輝かせている。


「綺麗ですね……」


 思わず、琳華りんふぁは感嘆の声を漏らした。彼女の目は室内に展示されている様々な宝物に釘付けになっていた。金や銀、宝石がちりばめられた器具から歴代の皇帝たちが使っていたとされる装飾品まで、価値の計り知れない美術品が整然と並べられていた。


「凄いだろ。儂も初めて訪れた時は感動したからな。気持ちは理解できる」

「ここで私は働くのですね……」


 新しい職場に心を踊らせていると、慶命は分厚い書物を琳華りんふぁに手渡す。


「これが宝物殿の目録だ。保管されている財宝の詳細と品番が記録されている」


 目録には棚卸しの日付と署名の記入欄も存在する。琳華りんふぁの仕事は、一つ一つの宝物品をチェックし、きちんと管理されているかを確認することだった。


「目録の一番上は宝石なのですね」

「歴代の皇室に引き継がれてきた貴重な品だ。興味があるなら、見てみるか?」

「是非!」


 宝石に目がない琳華りんふぁは飛びつくように慶命の厚意に甘える。宝物殿の端に移動すると、そこには展示ケースが置かれ、上から黒い布が掛けられていた。


「もしかして日光対策ですか?」

「さすが専門家だな。この宝石は日光に弱い。ヒビ割れなどを防ぐために、普段は黒い布で展示ケースごと覆っているのだ」


 慶命はそう説明すると、布をそっとめくる。するとその下から、美しく輝く宝石が姿を現した。


 大粒のオパールのネックレスは光の加減で多彩に輝き、琳華りんふぁはその美しさにしばし言葉を失った。


「これほど見事なオパールは見たことがありません」

「国宝級の宝物だからな。売れば、一生遊んで暮らせる品だ」


 慶命の言葉を受け、琳華りんふぁは展示ケースに再び目を向ける。先ほどはオパールの美しさに魅入られて気付けなかったが、その隣に小さな宝石が置かれていることに気づいた。


「こちらの宝石は何ですか?」


 琳華りんふぁが問うと、慶命は少し苦笑いしながら説明を始めた。


「それは街に商人が移住してきた時に贈られたダイヤモンドだ。ただ置き場がなくてな。オパールと同じケースで管理しているのだ」


 琳華りんふぁは宝石を注意深く観察する。石の内部にある無数の小さな内包物を日光が通過するたびに、微妙な色合いの変化を作り出していた。柔らかい光沢と透明感の中に見え隠れする白い輝きを前にして、琳華りんふぁは首を横に振る。


「これはダイヤモンドではありません。偽物ですね」


 琳華りんふぁの鑑定結果に慶命は驚きで目を見開く。


「本当か?」

「間違いありません」

「だが儂も多少の知識はある。他国で大量生産されているモアッサナイトではないだろう?」

「こちらはホワイトサファイアですね。ダイヤモンドより安価で、モアッサナイトよりは高価な品です。少なくとも宝物殿で管理するような貴重な代物ではありませんよ」

「あの商人め、儂を騙したのか……」


 慶命は不満を呟きながらも怒ってはいない。元々、お近づきの品として無償で譲渡されたものだ。だからこそ憤りも抑えられていた。


「見事だ、琳華りんふぁ。さっそくお主を採用した効果が出たな。これからの活躍も期待しているぞ」


 慶命は琳華りんふぁの能力を高く評価してくれていた。その期待に応えたいと意気込んでいると、宝物殿の扉が開かれる。


「丁度良いところに来たな」


 宝物殿に足を踏み入れたのは琳華りんふぁの宿敵――桃梨とうりだった。彼女は不敵な笑みを浮かべながら、駆け寄ってくる。


「紹介しよう、もう一人の管理人、桃梨とうりだ」


 桃梨とうりは一歩前に出て、軽く一礼する。困難の訪れを予感し、琳華りんふぁは口元に曖昧な苦笑を浮かべるのだった。


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