第二章 ~『天翔と皇后』~


天翔てんしょう視点》



 琳華りんふぁたちが部屋を立ち去り、重厚な扉がゆっくりと閉じられる。その瞬間、謁見の間に一瞬の沈黙が訪れる。


「もういいわよ」


 皇后が呼びかけると、部屋の片隅に設置された小部屋から天翔てんしょうが姿を現した。待機室としても用いられるこの小部屋は、通常、外部の目から隔てられており、皇后が公の場に出る前の最後の準備を整える私的な空間である。


 天翔てんしょうがここに隠れていたのは、謁見の間での琳華りんふぁたちのやりとりを、誰にも気づかれずに見守るためだった。


「私のことが苦手なのにわざわざ様子を見に来るなんて……そんなに琳華りんふぁが心配だったの?」

「友人だからね。琳華りんふぁのためなら、我慢もするさ」

「ふふ、意地っ張りなところは子供の頃から変わらないわね」


 皇后は嬉しそうに微笑む。一方、天翔てんしょうは苦手とする母親の軽口に、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「でも天翔てんしょう琳華りんふぁを気に入ったのも理解できるわ。私も二度話しただけで好きになってしまったもの。人の好き嫌いも親子で似るのね」


 天翔てんしょうは母親の言葉に複雑な心境を抱えつつも、小さく首を振る。


「好みは似てないよ。琳華りんふぁが誰からも愛される人なだけさ」

「高く評価しているのね」

「それだけの価値がある女性だからね」

「一理あるわね……賢明で、洞察力に優れ、外見はちょっと地味でも容姿は整っている。それに何より誠実な人間性が素晴らしいわ。次期皇后としても悪くない人材よ」


 皇后の思いも寄らない言葉に、天翔てんしょうは目を見開く。


「……正気かい?」

「私は本気よ。縁談を断り続ける天翔てんしょうが唯一興味を示した女性なんですもの。しかも皇后としての適正まである。私も背中を押したくなるわ」

「余計なお世話だよ。なにせ僕と琳華りんふぁはただの友人だ。結婚する予定も、利用されるつもりもないからね」


 天翔てんしょうは堂々と宣言する。


 皇族の権力は絶大だ。やろうと思えば琳華りんふぁの意思を無視して妃に迎え入れることもできる。


 だが天翔てんしょうは身分や立場に囚われず、琳華りんふぁを一人の人間として尊重したいと願っていた。たとえ天翔てんしょうのためになるとしても、皇后による横槍を望んでいなかったのだ。


「私も鬼ではないわ。無理に婚姻を結ばせたりしないわよ」

「僕の意思を酌んでくれると?」

「もちろんよ」

「信用できないな」


 天翔てんしょうの疑念に対し、皇后は優しい笑みを浮かべながら静かに答える。


「無理もないわね。私は皇后としての責務を果たすため、母より役目を優先して生きてきたもの。でもね、あなたの母であることに変わりはないわ。息子に幸せな婚姻を果たして欲しい気持ちに嘘はないの」


 天翔てんしょうは皇后の言葉に黙って耳を傾ける。彼女の真摯な表情からは嘘を感じられない。幸せを心から願ってくれているのだと実感する。


天翔てんしょうが本気で琳華りんふぁとの婚姻を望むなら私は応援するわ。陛下の説得にも一肌脱ぐつもりよ」

「あの人は反対するだろうからね……」


 母親以上に不仲な父親を説得するのは骨が折れるはずだ。想像しただけで疲労を覚えた天翔てんしょうは、玉座に背を向けて、立ち去ろうとする。


 だが言い残したことを思い出した彼は、足を止め、頬を赤くしながら振り返る。


「もし僕が琳華りんふぁと結婚したいと本気で願ったら……その時は頼むよ」

「ふふ、素直じゃないのは父親似ね」


 皇后の軽口に気恥ずかしさを覚えたのか、早足で謁見の間を去る。その背中を見つめる彼女の瞳は、母としての愛が込められていたのだった。

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