第二章 ~『皇后との謁見』~


 月が高く昇り、静寂に包まれた夜、琳華りんふぁは後宮の奥深くに位置する皇后との謁見の間へと向かう。


 隣を歩く麗珠れいしゅは堂々としており、その姿勢は自信に満ちていた。彼女たちが進む回廊は、昼間とは異なり、静かで神秘的な雰囲気を漂わせている。周囲には提灯がともされ、二人の足音だけが小さく響く。


 やがて目の前に現れた謁見の間の扉は、重厚な木材で作られ、細やかな金の装飾が施されていた。


 扉が開かれると、琳華りんふぁの目に飛び込んできたのは、宮廷の権威を象徴するような豪華な内装だった。


 壁は金色の布で覆われ、その上には皇家の栄光と歴史を物語る絵画が飾られている。床は大理石の上に精緻な模様の絨毯が敷かれ、謁見の間の威厳を際立たせている。


 部屋の中央には金の玉座が置かれ、背後には鳳凰が描かれた巨大な屏風が設置されている。


 琳華りんふぁは豪華な内装を前にして驚いてはいない。比較にならないほど、玉座に腰掛ける皇后が輝いて見えたからだ。


(あれが皇后様……)


 長い黒髪を宝石が嵌め込まれた髪飾りで優雅にまとめ上げている。白磁のように滑らかな肌は丁寧に手入れされており、顔立ちも整っている。知性を湛えた深い黒の瞳は吸い込まれるように魅力的だ。


 最高級の絹で作られたほう服を纏い、首元にはエメラルドのネックレスが輝いている。煌びやかな雰囲気と威厳はまるで天女のようだった。


(こんなに綺麗な人が世の中にはいるのですね……それに遠目で分かりづらいですが、エメラルドのネックレスも素敵ですね)


 絶世の美貌の持ち主である皇后が身につけているからこそ、宝石はより輝いて見えるのかもしれない。できれば近くで鑑定したいという欲求に駆られるが、グッと我慢して頭を垂れる。


「顔をあげて頂戴」


 皇后の声は透き通りながらも深みがあり、年月を経て培われた自信と高貴さが反映されていた。


 琳華りんふぁが指示に従い顔をあげると、皇后は柔和な笑みを浮かべていた。


「あなたが琳華りんふぁね。麗珠れいしゅからはとても優秀だと聞いているわ」

「お褒めに預かり、光栄です。ただ麗珠れいしゅ様は優しいですから。そのせいで私の評価も少し美化されているのかもしれません」

「謙虚なのね。でもあなたを評価しているのは麗珠れいしゅだけではないのよ」

「他にも誰かが……」

「総監の立場にある慶命けいめいが、あなたを特殊な能力を持った才女と評価していたわ。彼は滅多に人を褒めない。誇っていいわよ」

慶命けいめい様が……」


 期待されているとは知っていたが、皇后にまで琳華りんふぁの評価が伝えられていたことに驚かされる。


「さらに、あの天翔てんしょうまでもが琳華りんふぁについて話す時は嬉々として語るのよ。私が苦手なはずなのに、あなたの話をしている時だけは笑顔なのよ」


天翔てんしょう様が苦手……二人はいったいどういう関係なのでしょうか?)


 皇后の言葉に困惑する。心中で様々な憶測を巡らせるが答えには辿り着かない。そんな彼女の心情を読み取ったのか、皇后は微笑みを浮かべる。


「私と天翔てんしょうの関係を知らないのね」

「何も聞いておりません」

「そう、あの子らしいわね」


 皇后は懐かしむように遠くを見つめて目を細める。


「昔は仲が良かったの。でもね、長い付き合いの中で彼と不仲になった……いえ、正確には私が嫌われたのね。私だけが一方的に片思いをしている状態なの」


 皇后の言葉に驚かされる。もしかして過去に愛人関係だったのだろうかと疑念を抱くが、すぐにその可能性を否定する。


天翔てんしょう様はそのような軽薄な男性ではありませんし、皇后様も皇帝陛下の妃の立場でそのような浅はかな真似をするはずがありません)


 膨れ上がった葛藤に結論を下す。その判断には天翔てんしょうへの信頼と後宮における倫理観への深い敬意が込められていた。


「だから私は、あの天翔てんしょうでさえ称賛する琳華りんふぁに興味があるの」


 静謐に満ちた謁見の間で、皇后が軽く手を鳴らす。その合図を受けて、控えていた女官の一人が静かに前へと歩み出る。


 軽やかな足取りで、琳華りんふぁの前に手帳サイズの木箱を運ぶ。その中には微かに輝く二つのエメラルドが収められていた。


琳華りんふぁは宝石に詳しいと聞いたわ。だからあなたの得意分野で優秀さをテストさせて欲しいの」

「私は何をすれば……」

「エメラルドの秘密を解いて欲しいのよ」


 木箱を手に取り、エメラルドを確認する。表面には細かいひび割れが多く、光を受けても緑の輝きは曇ったまま。二つのエメラルドはどちらも等級の低い宝石だった。。


「このエメラルドは信頼できる者に仲介を頼み、最高級品として購入したものなの。でも、いつの間にか輝きが衰え、質の悪い宝石に変貌してしまった……」

「その仲介者はなんと?」

「原因不明だそうよ」

「そうですか……」


 琳華りんふぁの目には二つのエメラルドは最初から粗悪品だったように見える。だがネックレスとして装着され、大勢の人の目に触れられてきたのであれば、皇后の言う通り、途中から輝きを失ってしまったのだろう。


「もしこの謎を解き、私の求める答えを導き出せたのなら、あなたの望みを何でも叶えてあげるわ。大金を与えても良いし、上級女官への昇格でも構わないわ」


 皇后の言葉に静まり返っていた謁見の間が騒然となる。それも無理のない反応だ。


 上級女官になれば、フロアが丸ごと私室になるなど、中級女官とは比べ物にならないほどの厚遇を受ける。謎を解いた報酬としては破格だった。


(ただ私が望むモノは……)


 何でも叶うなら、給金や出世よりも宝石鑑定士の仕事を今すぐにでも再開したかった。


 もちろん後宮での一年間の義務を蔑ろにするつもりはない。


 故に琳華りんふぁは休暇時の自由な外出許可を獲得し、後宮勤務の副業として宝石鑑定士への復帰を果たせればと希望を抱く。


「謎解きの結果が出るのを楽しみにしているわね」


 皇后の期待を受け、琳華りんふぁは頭を下げる。エメラルドの謎を解き明かしてみせると、心の中で固く誓うのだった。


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