第二章 ~『豪華な馬車』~
朝日が優しく部屋を照らし始めた頃、
(休日の朝は最高ですね)
二日続けての休暇には理由があった。昨日、
忙しい日々の中で稀有な休日だ。どう過ごそうかと思いを馳せ、ゆっくりと流れる時間の中で身支度だけ整える。そんな穏やかな朝に、玄関扉が叩かれた。
「どちら様でしょうか?」
「
「いえ、少し前から目は覚めています」
朝日が彼の姿を金色に縁取り、優雅な雰囲気を漂わせている。黒髪は輝き、肌は柔らかな光を反射していた。
「休暇だと聞いてね。もしよければ、一緒に過ごさないかい?」
「喜んで。ただ、その前に一言だけ――私の実家の織物屋を購入してくれたようで、ありがとうございました」
「
「はい。知らない第三者の手に渡るよりは良いだろうと配慮してくれたのですよね?」
「まぁね。君が欲しいのならプレゼントしようか?」
実家の織物屋の権利は金貨千枚の価値がある。それを譲ると軽く口にする彼の経済力は、
(
だからこそ友人として対等な関係を維持するためにも彼の善意には甘えられない。
「高額ですから。その贈り物を受け取るわけにはいきません。それに、第三者ならともかく、
織物屋の経営権を失って、家族が困ったとしても
「無欲なんだね」
「私は宝石店さえあれば十分ですから」
「なら
「それは……」
可能ならば一目でもいいから店の状態を確認したい。だが
「私はまだ後宮に入って日が浅いです。外出を申請しても、許可が下りませんよ……」
「そこは任せて欲しい。こう見えて顔が広いんだ。僕がお願いすれば、きっと申請は通るはずさ」
「無理をさせることになりませんか?」
「ならないさ。なにせ僕が
「
「一時間後、東門の前で集合しよう」
「はい、楽しみにしております」
一年の我慢を覚悟していた宝石店に一時的とはいえ帰れるのだ。約束に胸を踊らせながら
(そういえば、これはデートなのでしょうか?)
僅かな不安を胸に抱きながら、約束の時間に東門へ向かうと、豪華な馬車が出迎えてくれる。
輝く黄金の装飾が施された車体は眩いばかりに美しく、それを引く馬も毛並みの艶やかさで高貴な血統を物語っていた。
馬の手綱を引く御者は東門の門番を担当していた宦官の一人で、屈強な体つきをしている。ムスっとした表情で全身から緊張を滲ませていた。
「
「外出許可が本当に取れたのですね」
「僕から頼めば、たいていのことは断られないさ」
その言葉には説得力がある。彼の立場が低ければ、御者を担当している門番が東門より
(
宦官とはいっても、去勢前なら子供を残せる。後宮に入る前に生まれた子供の可能性も捨てきれない。
それに何より総監の息子であれば、後宮内での厚遇にも一定の説得力が生まれる。ジッと
馬車が石畳の道を進むたびに、商人や行き交う市民たちは一時的に自らの営みを停止させる。この珍しい馬車に目を奪われてしまうからだ。通り過ぎると街の喧噪が遠のいていき、馬蹄の音と車輪の軋む音だけが残る。
「
「宝石の買い付けで何度か……ですが、街の人達の反応は大違いです」
「この馬車は目立つからね」
もっと地味な馬車の方が好みだが用意できたのはこれだけでねと、
「子供の頃から派手な生活ばかりでね。疲れてしまうよ」
「裕福な家庭で育ったのですね」
「
「これだけの厚遇ですからね」
「だよね。でも僕の正体はまだ秘密だ。折角の友人を失いたくないからね。ただそれ以外の質問なら何でも答えるよ」
本人が秘匿したいことを追求するわけにもいかない。
「では
「彼は教育係さ。血の繋がった父親とは不仲なこともあってね。最も身近な大人だった」
「
「口煩いことも多いけどね。ただ子供の頃の僕はその小言が嬉しくてね。なにせ周囲の者たちは誰も僕を諌めようとしなかった」
「お母様もですか?」
「母か……」
「母は公平で賢く、尊敬できる人だ。だからこそ周囲から頼られ、常に多忙で、子供より役目を優先する人だった。そのせいか叱られた経験もないんだ」
「故に母から愛された覚えもなくてね。なにせ熱を出して倒れたときでさえ、側近の女官に看病を任せる始末だ……母は僕に興味がなかったのさ」
「そんなことはありませんよ!」
「私は
「……どうしてだい?」
「お母様は
これが愛情でなければ何なのかと続けると、彼は驚きと共に、僅かに口元を綻ばせる。
「母が僕を愛してくれていたか……
「私が太鼓判を押します。なにせ愛情がない場合は、私の母のようになるはずですから……」
「母親との不仲は子供の頃からかい?」
「父が亡くなってからですね。母が露骨に私を差別するようになったのです」
「それほど扱いに差があったと?」
「妹の詩雨が熱を出した時は寝室で付きっきりの看病をする母が、私が倒れた時は病気を移さないようにと物置に閉じ込めるほどでしたからね……」
「辛いことを語らせてしまった。すまない」
宦官の彼との間に愛は生まれないかもしれない。だが両手から感じる温かさは、確かな絆を実感させてくれた。
「私は大丈夫です。慣れていますから」
「しかし……」
「それに
後宮に入ってからの
「励ますためとはいえ、急に抱きしめてすまなかった」
頬を染めながら、
「いえ、
彼の優しさに応えるため、
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