第15話 レーニとゆれうごく心
レーニは心地よい夢を見ていた。
ひろくて深い川を泳いでいた。水遊びにきた人たちが、あちこちで歓声をあげている。レーニは泳いだ経験がなかったが、なぜか泳ぎが上手で、水をかくだけですいすいと進める。
重労働で疲れていたはずなのに、からだが軽い。気分も清々しい。疲れていたから泳ぎにきたのだと、夢のなかで整合性をつけていた。
心地よい解放感があった。手をひとかきするだけでぐいぐいと進む。深い底にある丸い石にふれるのも簡単。
こんなに気持ちがいいなら、もっとはやく泳ぎに来ればよかった。
水温はあたたかく、すこしもぐれば水没した街道がみえた。あれはイドリーブ市に来るときに通った道だとわかる。いつのまにか水中に沈んでいたなんて知らなかった。
「待ってください」
水面に浮きあがると、うしろから声がかかった。
そういえばテラノヴァといっしょだった。
「置いていきますよー」
「泳ぐのは得意じゃないです……」
水着のテラノヴァは、もたもたと泳いでついてくる。町を救った強い魔導士が、水のなかで翻弄されていておもしろい。
ふたりで川の上流まで泳いで、どこからか用意されていた敷物のうえで食事をとった。
細かく賽の目に切ったかぶと、みずみずしい葉野菜と、細切りにして焼いた豚肉をつめて、甘辛いスパイスソースをかけたサンドをほおばる。
「これ、おいしいですよね。さくさくしていて、食べやすいです」
「はい」
「テラノヴァさんっていつもリアクションが薄いですよね」
「そうですか? 私もおいしいと思います」
「どんなところがです?」
「お肉の……味がします」
「もっとまじめに言ってください。どんな味がおいしいんですか?」
テラノヴァは困って無言になった。レーニは普段とちがって、マウントをとっている気分になって楽しい。
お腹が満たされるとテラノヴァが身体を抱きよせてきた。肩と肩が触れるだけで、あまい刺激がはしる。
「そとでなんてだめですよ」
「誰も見てません。それに、見られているほうが興奮すると、本に書いてありました」
「そんなことって……ろくな本じゃないと思います」
わき腹から腰にかけて触れられる。しょうがないひとだと思うが、ざわざわとした欲望がわきあがり、もっと触れてほしくなる。
絶対嫌なのに、だれかに痴態を見られる想像をしてしまった。おなかの奥が熱くなる。
ぶつけられる蔑んだ視線、軽蔑、侮蔑、嘲笑──嫌だからこそ、
「だ、だめですから、ほかのひとに、見せたくないですから、や、やめてください……」
そう拒否しても止まってくれない。胸を触られ、全身をまさぐられると、もう抵抗できなかった。蜘蛛の巣にかかった獲物の気分で、強引にやられてしまう。
「んっ……んっ……んっ……ダメ、ですっ……ダメ……んんっ……んー……」
このあたりで夢が終わりはじめた。ねぼけて薄目を開けると、楽しい川辺が消えて、うすぐらい部屋に戻っていた。
楽しさがなくなり、冷たい現実がある。
お腹に残っている、あまい快感の面影に寂しくなった。寝返りを打つと、となりにやわらかい感覚があった。
「おはようございます。レーニさん」
「あっ……おはよう、ございます?」
寝ぼけた目に、挨拶しているテラノヴァが見えた。見慣れた顔がとなりで寝ている。
「今日は……実験の日でしたっけ?」
「いいえ。ちがいます」
「んん……え……それじゃ、なんで?」
「レーニさんの寝顔を見ていたら、我慢できませんでした」
「……夢? じゃない?」
「気持ちよかったです」
「なんで……おなか、ふあ!? んぅぅぅぅ!?」
レーニの意思とは無関係に、からだが急速にあたたまり、感覚が高ぶる。膣内にそそぎこまれた精液から、熱がジクジクあふれ出し、爆発的に広がる。
制御できない絶頂が襲ってきた。
「あっ! あっあっあっ! ああああ……!」
レーニの疑問を押しながして、ただ幸福だけがそこにあった。
(なん……で……)
不安も疑問も消滅し、快感だけがいっぱいになった。
#
レーニがあまりにも無防備だったので、テラノヴァはベッドに忍びこんだ。
となりにいると抱きついてくる。暖かく、いいにおいがする。背中をさすると、テラノヴァのうすい胸にあたまをもぐりこませて、こどものように眠っていた。
「かわいいです。ゆっくり休んでください」
仕事で疲れているレーニをいたわる。あたまをなでていると、規則正しい寝息がきこえた。
合意を取っていない緊張感があった。この状態で起こしてしまえば、関係がまた悪化する。それがおもしろくて、ついエスカレートした。服をはだけさせて、下着を脱がせる。
以前とくらべて、ふっくらとした肉付きのからだはさらに魅力的であり、手のひらサイズにまで成長した胸は、そっと触れると柔らかい弾力が返ってくる。おしりもおおきくなっている。
たった半年でつぼみが開花しかけていた。それはテラノヴァの行った性交による刺激もおおきい。莫大な快楽を流しこまれたため、メスとしての器官が発達していた。
「もっと触ってもいいですか?」
眠っているレーニにつぶやく。返事がかえってくるはずがないが、陰部にふれていると、無意識の合意が体液でかえってきた。ぬらりとした愛液が、またのあいだに分泌されている。
「わかりました。ありがとうございます」
客観的にみて性犯罪者の情緒だったが、テラノヴァはそれで納得した。
#
起きたあとは、怒っていた。
「なんで……いるん、ですかッ……!」
レーニは怒りながら悦んでいた。潤んだ瞳でにらまれる。
「レーニさんがかわいかったので、我慢できませんでした」
「んくぅぅ……っ! このっ、変質者! なにっ、考えてっ! んっ、んっ、あっ!」
「やっぱりよくなかったですか?」
「あたりまえ──イッ、んいいいいっ! あっ……ああっぁ……」
遅れてきた快感で、がくがくと震えるレーニにキスをすると、積極的に舌をからめてくる。
ちゅ、ちゅくっ、れろ、ちゅ──
レーニにしてみれば突然テラノヴァがとなりにいて、からだが犯されていて、制御できない快感が襲ってくる状況だ。
理性的な思考はできない。ただ、かつておぼえた肉欲を思い出し、埋火のような熱さではなく、全身が溶けるような、至福の快感をもういちど味わいたくなった。
獣欲に囚われているといってもいい。
「ううう、テラノヴァさんのせいですからね……!」
「はい」
「全部テラノヴァさんが悪いんですからね!」
抱き合ったままベッドにたおれて1時間。レーニはゆっくりと理性がもどる。
「きもち、よかった……れす……」
まだ呂律があやしいが、テラノヴァを見つめる。ぼんやりとした視線はまだ余熱がわずかにのこっていた。
あたまをなでて、ときほぐす。しばらくそのままでいると、やや理性が復活したレーニは、うれしそうに目を細めた。
「レーニさんはいつもかわいいです。私の宝物です」
「……!」
率直な感想を言っただけなのに、レーニは顔を赤くし、胸にあたまをうずめて振っていた。テラノヴァはぺしぺしと叩かれた。
もうすこし落ち着いたあと。
テラノヴァはレーニのせなかを拭いていた。汗と精液を布でぬぐってゆく。
「一年も旅に出るって言っていたのに、もう帰ってきたのですか?」
「はい。レーニさんを、食事に誘おうと思ってきたのですが、よく眠っていたのでやめました」
「誘うかわりに襲うって、おかしいですからね。はぁー、もっとデリカシーを覚えてください」
「はい」
「倫理観も持ってください。やってることはケダモノと同じですよ。私以外にやったら、犯罪ですから」
「気をつけます。ところで、元気になりましたか? 魔力は進化をうながす効果があると、精霊が言っていましたし、疲れが取れているといいのですが……」
「そういえば……からだが軽くなりました。最近は繫忙期で夜遅くまで採取してたんです。家に帰って寝ても、すぐに朝になっちゃって、疲れが取れませんでした」
「治ってよかったです」
「でも襲っていいわけじゃないですから、勘違いしないでくださいね。反省してください」
「はい」
そのあと食事に誘ったのだが、レーニは腰が立たなくなっていたので、お流れになった。
代わりに散らばっている衣服を洗濯屋に持っていき、ついでにデリバリーを注文し、部屋にたまっていたゴミを片づけた。レーニはベッドから立とうとしたが、腰に甘い刺激がはしり、恥ずかしいのか毛布をかぶって丸くなった。
「……明日にはちゃんと治ってますから、つれて行ってください」
「仕事を抜けられますか?」
「しばらくは忙しいですけど、無理を言って帰してもらいます……でも、急がなくてもいいかも。ずっと街にいるんですよね?」
「いいえ。もうしばらくすると、また旅にでます」
「……そうなんですか」
落ちこんだ声色だった。そのあとしばらく黙りこんでいた。寝返りをうち、掃除をするテラノヴァをながめている。長い沈黙のあと、やがて口を開いた。
「あの、カギを返して……もう来ないでください」
「えっ、理由を聞いていいですか?」
「このままじゃ、私……だめになります。こんなに気持ちよかったら、テラノヴァさんから離れられなくなります。また、あまえたくなります……」
「私はレーニさんが一番好きです」
「その言いかた、やめてください。なんとなくわかりますけど、テラノヴァさんの好きってたくさんありますよね。私だけじゃないですよね?」
「……」
「やっぱり。だから嫌なんです。私は好きのひとつにされたくないです。でも、それでもいいって思ってしまいます。私、どうすればいいでしょうか? ……わかりません」
配信をつけていないので、助言してくれる月の人はいない。テラノヴァは思ったままを口に出した。
「今のままでいいと思います。無理やりはっきりさせる必要はありません。ただ楽しいことは、楽しいと思ってはいけないのですか?」
テラノヴァは執着心がうすいため、レーニの気持ちによりそった言動ができなかった。
レーニは傷ついた表情をした。
「それは……でも、私が嫌だって思っても、テラノヴァさんにはどうでもよくて、その逆もあって……ううう」
「おたがいの気持ちを話しあって、妥協点を探してゆきましょう。私とセックスするのは嫌ですか?」
ポーションの成分を調整するように、と思い浮かんだが、テラノヴァは我慢した。
「いやじゃないです……気持ちいいこと、好きです」
「私もです。それでは、私のことは嫌いですか?」
「……すき、です」
テラノヴァは言ったあとで照れていた。その調子で共通点をさがしてゆく。同意できない部分は、理由を話しあった。
ときどき怒られながら、数時間がたった。
「たくさん共通点が見つかってよかったです。私はレーニさんをここに連れてきた責任がありますから、特別な関係だと思っています。ほかの人とは違います」
「私が一番ってことですか?」
「そうです。何度も言っている通りです」
「えへへ、わかりました……いちばん……えへへへへ」
(うっ……)
テラノヴァは心臓が痛くなった。強烈な罪悪感のトゲがつき刺さった。肝心な部分で、月の人の言った言葉をそのまま使ってしまった。
暇乞いを告げて、鍵をかけて部屋を出る。
夜道を人ごみにまぎれながら歩いていると、悲しみが襲ってきた。久しく感じていなかった暗い感情だった。
「よくない……」
おたがいの感情に差があるにもかかわらず、テラノヴァの言葉を信じて、レーニはよろこんでいた。それが露見した時、また失望させてしまう予感がした。そのときのレーニの気持ちを想像すると、悲しくなった。
師匠が死んだときほどではない。
家を失ったときよりもちいさい。
しかし無視できないおおきさだった。
テラノヴァは路地に入ると、急いでかばんをさぐり、迷妄の杖を出した。焦るようになんどもあたまに振る。
ぼんやりとした霧が広がり、心を占めつつあった悲しみが、曇ってかき消されていった。
「はぁ……あぶなかった」
平時心に戻った。
さらに封じこめるために、別種の罪悪感がいる。
テラノヴァは裏路地にむかい、スラム近くにある治安の悪い酒場を目指した。
うすぐらい路地を進んでも、だれも襲ってこない。チンピラ、追いはぎ、強姦魔、その他の犯罪者がスラムにはいるが、そのまま酒場についてしまった。
「……」
適度に物盗りが絡んできてくれれば、それで目的は達成できた。
テラノヴァは知らなかったが、すでに何回もやらかしてしまっているため、スラムの犯罪界隈では、テラノヴァの顔は危険人物として知られていた。
粗暴な借金取りを殺したり、貧民を殺しまくっていた貴族崩れの男を殺したり、大量殺人現場の近くですがたを見かけられたり、おそらく常習的な人殺しであると、好悪が入り交ざった評価をされていた。
口さがないものは『街のゴミを排除してくれる殺人鬼』という心無い呼びかたをしていた。
テラノヴァは酒場に入った。それなりの客がテーブルについているなか、カウンターにむかった。
「いらっしゃい」
「そこの蒸留酒を一本、瓶ごとください」
「あいよ」
「質問があるのですが、このあたりで悪い人のたまり場はありますか?」
「何を言っているんだ。そんな場所はない。名が知られた悪党なら、ギルドで賞金をかけられているだろ。そんなやつが分かりやすい場所にいるかよ」
「それもそうです」
「賞金首を探しているなら、うちにある手配書をもってきてやる」
羊皮紙で作られた指名手配書を何枚ももらった。本来は店に張り出すようにもらったのだが、景観を損ねるのでしまっておいたと、酒場の店主は言っていた。
「しっかり稼ぎな」
「ありがとうございます」
カウンターで手配書を確認する。手配書を回されるほどの重犯罪者を見るのははじめてだった。
「うわぁ」
人間の屑がそろっていた。
一枚目は村ひとつをペテンにかけ、冬のたくわえをすべて奪った詐欺師。立ちゆかなくなった村は口減らしを行って、老人や子供が何人も死んだ。
二枚目は横領犯。とある商家に勤めていた男が、架空の取引をでっちあげて、カネを奪って逃げていた。資金が焦げついた商家は心中していた。
盗賊、暗殺者、麻薬商人、人身売買のための人狩り──めくるたびに人間社会の澱みのようなゴミ人間が出てくる。犠牲者の数と比例して賞金額はあがっていた。
被害者に同情しながら手配書をめくった。
「あれ?」
一枚だけ、みょうに金額が高い手配書があった。
金額は金貨20000枚。ほかとくらべて1ランク上だ。
何をやらかしたのかと罪状をみたが、一般的な殺人と強盗。決して軽くはないと思うが、村ひとつを陥れた詐欺とくらべては、物足りなさを感じる。
気になったので詳細を読んでみた。
魔導士ガリー・ヒイム。
イドリーブ市の北東にある村の近くに、ひとり隠れ住んでいる。
時々村にやってきて、家畜を盗む。家に押し入って食い物を奪うこともある。
※村人が略奪を止めようと試みたが、魔法で家が破壊された。そのときの家屋が倒壊して、7人が死んだ。
「これだけ……?」
どうみても楽勝の依頼に見えた。住んでいる場所が分かっているなら、官憲が逮捕すればいいと思う。
死人が何人か出ているが、具体的な犯罪は、定期的に村から食料を奪うだけの強盗だった。
これならば食料も人間も食いつくす平野の魔物、四手大熊のほうが危険だろう。
それに高い懸賞金をかけるよりも、そのカネで食料を買い、数か月に一度わたしたほうが経済的だ。面子は立たないが、困りもしない。
襲われた村としても、寄生虫を一匹養う程度ならば、そんなにも負担はないだろう。
つくづく奇妙だった。
「質問があります。この人だけ罪のわりに賞金が高いのはどうしてですか?」
「あー、そいつはな、今の領主さまの親友だったんだよ。ニューポート市の領主が死んだとき、なぜかそいつは出奔して森に入ったんだ。今の領主様を侮辱して、止めようとした兵隊を蹴散らしたらしい。顔に泥を塗られた領主さまは、恥を雪ぐために賞金をかけたって寸法だ」
「騎士たちに命令すればよくありませんか?」
「へへへ、一度やったんだよ。そんときは森に逃げ込まれて、探し出せなかったんだとよ。それに失敗したあと、領主様を嘲笑するビラがまかれて、賞金はさらにあがったんだ」
さらに詳しく話を聞いてみると、あながち自分に無関係なできごとではないとわかった。
「この人にしてみます」
「今まで成功したって話はきかねぇけどよ」
「ありがとうございました」
人を殺す罪悪感で、親しいあいてから受けた感情を消す。そのいけにえが決まった。
テラノヴァは停留所に行った。夜でもやっている辻馬車を探したが、閑散としている。待合室では数人の影がランプの光のむこうに見えた。
夜用の御者だろうか。しかしそとに馬は見当たらない。
恐る恐る声をかけると、談笑していた4人はテラノヴァをみた。
「あの、やっていますか?」
「お客さんかい?」
「はい……北東のこの村まで、いますぐ連れて行ってほしいです」
手配書にかかれた村の名前を言う。
「急いで2日か。俺は予定があるから無理だ」
「僕もです」
「おれはいけるが、客はあんたひとりだけかい?」
「はい」
「じゃ、駄目だな。気を悪くしないでほしいんだが、おれのペットは大型だから大人数むけなんだ」
「あたししか行けないってのか。お客さん、今からいくなら割増料金になるけど、いいのかい?」
「はい」
行動しないと悲しみがやってくる。料金を前払いして、そとに出た。
「あたしのペットは二人乗りだから、ちょうどよかったね。他に荷物はないのかい?」
「ないです」
「クオジャ、おいで」
女の御者が口笛をふくと、暗がりから鎌のような2本の角をもった動物がやってきた。女のまえに歩いてくると、しゃがみ込んだ。背中には波打った鞍がのってある。
「あたしの使役獣、南水アンテロープのクオジャだよ。旅のあいだよろしくね」
「よろしくお願いします」
「さあ、のってくれ。夜通し走れば、明後日の昼にはつくよ」
「はい」
草の匂いのするアンテロープの背中にのった。鞍にはちいさな手すりがついていた。
アンテロープが起きあがる。視界が一気に高くなった。
女の御者が首を叩くと、初めは徒歩で、次第に速度をあげて小走りになった。
不思議と振動はすくない。馬車での移動は上下に揺れたり、硬い板が尻にこすれて痛かったが、この動物は揺れが少ない。馬に似た四足歩行なのに不思議だった。
身を乗り出して足元を見ると、蹄が地面から絶妙に浮かんでいた。地面をけるというより弾んでいる。目を凝らすと風の魔力を感じる。文字通り、風を蹴って走っているのだ。
「何か用事があったら言ってくれ。それと灯りはつけないでくれよ。よくないものを呼びよせるからな」
「はい。夜の光はアンデッドが好みます」
「わかってるじゃないか。それと眠気が我慢できなくなったら、覚醒草をわたすから、鞍から落っこちるまえに言ってくれ」
テラノヴァは背後にすぎさってゆく闇を感じていた。マントが夜風にはためいて、地面を置き去りにしてゆく。うしろをふり返ると、松明と魔導器で照らされたイドリーブ市の明かりが見えた。
夜中にしらない土地を目指す不安と、緊張感。それが悲しみをおおい隠す。
無理やり行動してよかったと思った。
深夜の3時ごろ、休憩で止まった。女の御者はアンテロープの左右についたかばんから、水袋と赤いサンゴのような形の結晶を取り出した。
桶に水を張り、それをぽきぽきと折って中に入れる。断面は白く、乳のような色の液体がしみ出していた。
アンテロープはかがんで水を飲み、それをかみくだいて食べていた。
「その赤い木はなんですか?」
「増筋赤茸だね。家畜用で水に混ぜて食べさせると元気がでる。人間には毒だよ」
「はじめて見ました」
「魔物使いにしか需要がないからね。あんたたち魔導士には関係ないさ」
そういうものかとテラノヴァは思った。
「次は日が昇ってから休む。そのときはもう少し長く休んで朝飯にしよう」
「はい」
10分ほどの休憩で再び走り始めた。テラノヴァは覚醒草を分けてもらい、苦い味のそれを噛んだ。覚醒ポーションの原材料になるが、素材のままだと食べられたものではない。
「うえ」
思わず吐き出しそうな味だった。頬袋にためてかみ、草のエキスを飲みこんでゆく。顔をしかめるほど不味いが、眼がさえ、元気がどんどんわいてきた。
「この草、ポーションよりも効きます」
「そうだろ。あたしの家族が庭で育てているんだよ。味はいまいちだけど、効果は保証するよ! クオジャもお気に入りさ!」
女の御者はうれしそうだ。
彼女も覚醒草を噛み、アンテロープのクオジャまで、覚醒草を食べていた。
夜の魔物も恐れるほどの精気をみなぎらせて、街道を疾走する。
マントが背中に対して垂直になるほどひるがえっている。
「はやすぎませんか!?」
「何言ってんだ。早く着いたほうがいいだろ!」
「はい!」
「それいけぇ! 走れ!」
「ブルグギィィィ!!!」
アンテロープは狂気のごとく駆けた。
生者を探して空を漂っていた
このアストラル体に触れたものは、浄化の力がないと取りこまれて逃げられない。すでに何人もの旅人が犠牲になっていた。
「ハォォォォォ……!」
目標をさだめ、両手を広げて待ちかまえた。手始めに、御者にとり憑こうとした。生者に触れられる喜びで、亡霊の顔は笑っていた。
「ハウッ!?」
触れた瞬間、その身体はぼろ布のように破れた。
疾走するアンテロープは魔力の繭に包まれていた。
「ハァァァァ……」
断末魔だけが最期にのこった。
「あんた何か言った?」
「言ってません」
「それじゃ風の音だね」
「はい」
テラノヴァは活力が満ちあふれすぎていて、魔力がそとにあふれ出し、騎乗動物まで包みこんでいた。
太陽が昇ったら休憩するはずだったが、草で覚醒して、さらに魔力で覆われて増強された2人と1匹は、そのまま北東の村まで走った。2日の行程が1日でおわり、ちょうど正午に村に到着した。
野良仕事に出ていた農民たちは、戦の勝敗を告げる伝令のごとく疾走してくるアンテロープをみて、何かとんでもない事態が起こったのではないかと驚いた。
村の入り口でテラノヴァが降りたとき、村人たちは何事かと集まっていた。
「ありがとうございました」
「この子の調子がよくて、1日でついちゃったね」
「時間を節約できて助かります」
「あたしはクオジャを休ませながら戻るよ。また利用してね」
「はい」
テラノヴァは集まった村人に、そのまま聞きこみをはじめた。
「この人の居場所はわかりますか?」
「えれぇ勢いできおったと思ったら、ただの賞金稼ぎか。人騒がせな……」
「ごめんなさい。急いでました。それで、この人は知っていますか?」
別の村人がかわりに答えた。
「……あっちの森に向かえば家があるぞ。あとはすぐにわかる」
「ありがとうございます」
「ふん。がんばりな」
村人は期待していない表情で投げ槍に言った。
教えられたとおりに進む。農道がとぎれるまで歩き、あとはまだ開拓されていない平原を進んだ。緑の森が遠くに見える。その一部分はピンク色にそまっていた。
「何? 変な色……」
そこを目指して歩いた。
配信球を浮かべる。
「賞金首を捕まえに行きます。あの山すそにある、森の色が変わっている部分に、標的が住んでいるそうです。賞金は金貨20000枚。領主に反旗をひるがえした元親友だそうです」
『がんばれー!』
『また危ないことしてる』
『一部分だけピンク色の森がある。あそこだけ発情期か』
「……実はレーニさんにもう会いたくないと言われました。私に好きな人がたくさんいるのが嫌だそうです。そのまえに寝込みを襲ってしまったのが、よくなかったかもしれません」
『爆笑』
『なぜそれを配信しないのか』
『リードも親にとめられているんだろ。どうするんだ』
「きちんと話しあったら、レーニさんはわかってくれました。でも、私とレーニさんで、感情のおおきさが違います。きっとまた、悲しませてしまいます。その悲しい予感を消すために、賞金首を狩りにきました」
『話のつながりが分からないんだが……』
『カネでなんとかするって意味か?』
「そこまで考えていませんでした。お金で安心してもらうのはいいアイデアだと思います……実は人を殺して罪悪感をもらって、悲しい想像を消しに来ました」
『は?』
『ああ、代償行動か……』
『やられるあいては、とばっちりじゃん』
『きちんとレーニちゃんと話しあったほうがいい。レーニちゃんから言い出したのなら、ノヴァちゃんより勇気があるゾ』
なぜかまともな意見をいわれた。いつもは悪辣なのに、ときどき正論でかえしてくる。
「帰ったら考えてみます。エロ配信は、屋敷の子がやりたいと言っていたので、あと1,2回はできるかもしれません。気長に待っていてください」
『わーい』
『誤魔化したな』
『テラノヴァたゃんの好きに配信すればいいけど、女の子に不誠実なことをするのは、あまりしないでほしいかも。えっちするところは見たいけど、何回か使うと相手の子にも愛着がわいてくるから、いっぱい悲しませないで~(##### → 金貨1枚に変換)』
「四峰アクメさん、ありがとうございます。いつか正面から向き合います。そのときだめだったら、相談にのってください」
『俺も微力ながら相談にのるよ……』
『俺も俺も。なんでも聞いてくれよな!』
雑談しながら森のなかに入ると、あまい香りが漂っていた。腐敗直前の果実に似た、強くあまい香りだった。
四六時中かいでいたら頭痛がしそうだ。ハンカチを出して押さえる。
「ひゅごく強い香りがしまふ。あたまが痛くなりそうなくらいれす。このなかで暮らせる人は、鼻がバカになってそうれす」
ハンカチのせいでしゃべりにくい。
『もごもご』
『おれの職場にいる香水をつけすぎたババアみたいな森だな。本人は気づかねーの』
「香水が慣れるって知りまへんれした」
言われてみれば、下水で暮らしている生物は臭いなど気にしない。むしろその中で死骸や腐肉の匂いをかぎ分けて、餌にありつく。
手配書にのっていた似顔絵は、線の細い青年だった。この香りのなかで暮らしているなら、ドブネズミに近い鼻を持っているのかもしれない。
ハンカチをしまう。においに慣れなければ罠をしこまれる可能性があった。
ピンク樹木地帯にはいると植生がかわった。
真ピンクの葉を鈴なりにたらしたふとい木が、みっしりと生えていた。毒毛虫のごとくけばけばしい色合いだ。あまい匂いがいっそう強まった。頭痛がする。
落葉で赤くなっている地面は心なしか熱をおびており、ブーツの裏からほのかに熱が伝わってきた。樹木の幹は白。葉に埋もれてまっすぐに立っている光景は、どこか見覚えがあった。
「霜降りのお肉みたいな色の森です」
『食べ物で例えるのやめろ』
なんとなく口に出したが、確かに脂肪のはいった肉に似ていた。
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