第14話 薄よごれた地下の通路を探検配信


 シトロンはベルを鳴らしてメイドを呼んだが、ひとりも来なかった。しばらく待っても、反応がない。

 館のなかを歩いてさがすが、すがたが見えない。新しい主人の部屋にもいってみたが、誰もいない。メイドだけでなく主人もいなかった。書斎にも、バルコニーにも見あたらない。

 

「変ね……」


 新しい主人は、あまりうごかないので見つけやすい。しかし、今日に限って見当たらなかった。 

 2階の部屋をすべてさがしたが、どの部屋も無人でシンとしていた。


「どこにいったのよ」


 地下の書庫に行ってみる。そこにまだいる予感がした。

 主人は最近、起きているあいだは、熱心に魔法のスクロールを書いていた。作業中に話しかけても、返事がないほど集中していた。時々移動して、魔導書をさがし、場所をかえてふたたび書きつける。

 

 しかし書庫にもいなかった。まさかとおもい転移魔法陣の部屋をみるが、青い光がかがやくだけで、起動した形跡はなかった。


「……」


 メイドを連れてそとに行ったのだろうか。それなら一声かけてくれてもいいのにと思う。

 シトロンはできるだけ役に立ちたかった。

 テラノヴァのそばにいるだけで、心地よい魔力の放射がやってくる。真冬のストーブ的なあたたかさがあって、安心する。

 シトロンは人間体を維持するために、睡眠をとらなければならなかったが、そうでなければずっとくっついていただろう。


「なんなのよ」


 何かあったのかと、早足になってとびらをひらいてゆく。食堂、実験室、倉庫、どこにもいない。シトロンはしだいに早足になっていった。

 だれも見つからず不安になってきた。

 

 よくない想像をしてしまう。

 2階の窓がひとつ開いていたが、魔物避けがこわれて、館に魔物が入ってきたのかもしれない。砂漠にいる体長1kmもある黒紐殺人獣が、ほそながい腕をのばして主人を捕まえ、空のうえにさらっていったのかもしれない。

 

「もう……私を悲しませないでちょうだい」


 シトロンは自分の想像に怒りながら、そういった。せっかく新しいご主人様が来てくれたのだから、ずっといてほしい。ながく忘れていた寂しいという感情を思い出した。離れてほしくなかった。


 おざなりに見た脱衣室をもう一度あける。奥にあるかごに、主人がいつもきているローブと、下着がたたまれてあった。メイド服も3人分ある。


「ああ、よかった……」


 みんなで風呂に入っていたのだ。


「一度見たのに、どうして気づかなかったのかしら。それに、この香り……」

 

 浴室につづくとびらを開くまえから、濃厚な花のような香りがただよってくる。シトロンは記憶にあるが、思い出せない。あごに指をそわせて考えた。


「何だったかしら……?」


 これほど濃厚で、においをかぐだけで、あたまがくらくらと揺さぶられる香りは知らなかった。

 たしかめるためにも、いっしょに入浴すると決めた。


 鼻歌を歌いながら、黒いリボンと赤いバラをあしらったボンネットをはずす。おなじく黒いレースをあしらったブラウス、ジャンパースカート、チョーカーなどをぬいだ。結び目がおおいため、普段はメイドが手伝ってくれるのだが、ひとりで手早くはだかになる。

 気持ちがあせりながら、うすい湯着を身にまとい、とびらを開けた。

 気位の高いシトロンは、あくまで平静をよそおっていた。


「新しいご主人様は、湯あたりしてないかしら?」


 あきれながら心配する口調を作った。

 湯気のなか、濃厚なにおいのする浴室。

 浴槽につかっていたテラノヴァがぼんやりとふりかえり、メイドたちは精液まみれで、床にならんでいた。


「まあ……!」

「あっ」


 テラノヴァが気まずそうな声を出した。


「まぁ! まあ! あ、あなたたち……私に隠れて……!」


 シトロンは驚きすぎて、つづけて言葉がでなかった。匂いの正体が理解できた。魔力の乗った精液の香りだった。


 メイドたちは新しい主人の愛をたっぷりと受けとり、新しい主人は満足して湯船につかっている。

 そこにはすでに事後の雰囲気があり、シトロンの出る幕は終わってしまっていた。


「む、むむむむむむ」


 シトロンはほほを膨らませると、その場で浴室用の湯着をぬぎすて、テラノヴァのとなりに飛びこんだ。

 水しぶきがテラノヴァの顔にかかり、目を閉じてのけぞっていた。

 わざととなりにすわり、圧をかける。


「私が最初にしたいって、確かにつたえたはずだけど、新しいご主人様は忘れてしまったのかしら?」

「そうではありません。あなたのことは気にかけていましたし、一番に思っています」

「まあ、もうすこし感情を乗せてちょうだい。まったくもう! 天にまします太陽が、これほどの不義を見逃すはずはないわ! あなたは不実に顔を背けていたのよ」

「……?」


 テラノヴァは首をかしげた。

 シトロンは話しながら腹が立ってきた。 


「新しいご主人様がずっと、いやらしいスクロールを作っていたのは知ってたわ。私は邪魔にならないように、見守っていたの。その結果がこれ? 新しいご主人様は私のかわりに、メイドたちにお情けを与えたわ。それもたくさん、たーくさん、たーーくさん! どういうつもりなの!?」

「怒らないでください。突発的な衝動でした」


 テラノヴァはすんだことだと言わんばかりに、平然と返事をする。

 それがシトロンの逆鱗に触れた。彼女のなかでは主人をのぞけば、ココティエとふたりでならび立つ館の代理主人だった。それがないがしろにされて、よわい精霊のメイドたちが優先された。

 ばしゃばしゃとお湯をかけた。手で熱せられたそれは熱湯に近かった。


「あっつ! あつっ! や、やめてください! やむを得ない事情がありました。やめてください!」

「むぅぅぅぅ! どんな事情なの?」

「近くにいました」

「……まさかそれだけ?」

「そうです。や、やめてください! あつい!」


 シトロンは新しい主人が嫌がって湯船から出るまで、お湯を浴びせつづけた。


 #


 シトロンの不満もよそに、館のなかにはいい変化があらわれた。

 メイドたちの知能が発達し、伝言を頼むとき、いちいち紙に文字を記さなくてよくなった。

 さらに言葉を持ったので、返事をしてくれる。いままでは頭部の動きに注視して、理解を確認していたが、それも不要になった。間違いなく利便性があがっていた。


 ただ、それを納得するかどうかは別問題だった。

 弱小精霊メイドたちは魔力をそそがれ、第9階位から第8階位に進化した。シトロンとココティエのいる第7階位に近づいている。

 階位はただの力の指標にすぎないが、シトロンはメイドたちが同格にちかづくのが気に入らない。立場が脅かされる気分になったのだ。


 さらにシトロンには個人的な理由があった。

 新しい主人が館にいてくれるだけでうれしいが、そのうえで自分とココティエを優先してほしいという願望があった。今までそうだったのだから、これからもそうしてほしい。ある意味、既得権益である。


 個人の感情と、主人を優先する功利主義的な感情の整合性がとれずに、シトロンは普段どおり接しているつもりでも、とげとげしさと、ぎこちなさがあった。

 人間らしい感情を理解できるからこそ起こった軋轢である。


 テラノヴァはひとりで好き勝手やれば満足であったし、そのうえ食事や風呂を用意してくれるなら、他に何も求めない。

 ゆえに不満に気づかない。


 それがまた、シトロンには気に入らなかった。指にぬけない棘が刺さったかのような、微細な不機嫌がつきまとう。その感情を主人にさっしてほしかった。謝らせては不敬だが、謝ってほしかった。


 解決方法が分からなかったので、シトロンはココティエに相談した。


「酷いと思わない?」からはじまった午後のバルコニーでのお茶会は、一方的にシトロンが愚痴を言い、ココティエが相槌を打ちながら、それは新しいご主人様が悪い、それはシトロンが悪い、と同意したりしなかったりした。


 ココティエは面白がっていた。どちらとでもとれる内容なら、気分で相反する答えを言った。


「それはシトロンの気にし過ぎよ」


 と言ったと思うと、ほとんどおなじ内容の会話に、


「それは新しいご主人様が、気づかないのがおかしいわ」


 などという。


 ココティエにとってはどちらでもよく、面白くなればそれでよかった。ココティエは闇の精霊だったので、やや性格が悪かった。


 シトロンは翻弄されてわけが分からなくなった。お茶会がおわったあと、ひとりでかんがえ、日和見主義で、適当極まりない返事を聞いたのが、そもそも間違いだったと気づいた。

 歯がゆい思いが解消されないまま、日々がすぎてゆく。

 新しい主人からの反応はない。

 もはや我慢の限界だった。シトロンは新しい主人の部屋に行った。


 #


 テラノヴァは昼のさなかから、ベッドに寝転んで本を読み、時々ちかくをはっているコラリアを捕まえて、触手をにぎって遊んでいた。そのとき、突然とびらが開き、シトロンがノックもせずに部屋に入ってきた。


「新しいご主人様。少しお話いいかしら?」

「どうぞ」


 シトロンはすたすたと歩いて、テラノヴァのベッドにすわった。


「ぶしつけな質問を許してちょうだい。新しいご主人様は、いつになったらペニスが生えるスクロールを作るのかしら?」

「何か約束をしましたか?」

「えっ──いえ、したわ!? したわよ! まさか忘れてしまったの?」

「スクロールをもう一度作る気はありませんでした。工房に戻ってふたなりポーションを取ってくる予定でした」

「まあ。それはいつなの?」

「まだ決めていません」


「どうして決めてないのかしら? 私は早いほうがいいのだけれど……」

「そんなに望んでいると知らなかったので、急ぐ必要はないと考えていました」

「それじゃ急いでくれるの?」

「はい」

「約束よ」

「考えておきます」


 シトロンがほほにむけて手を振りおろしてきたが、手首は途中でからめとられた。触手にがっちりつかまれ、うごかせない。


「なによ、はなしなさい。ぬぐぐぐ……」

「コラリア、離して。じゃれているだけだから」


 あんまりな言葉にシトロンは飛びかかって、胸をぱたぱたと叩いたが、発散している魔力で心地よくて、次第に闘争心を削がれていった。


「むぅぅ」


 そのまま胸におさまって落ち着いてしまう。

 思い通りにならない相手なのに、いつまでもそばにいたくなる。その好悪入り交ざった感情は、シトロンが肉体にはいってから、はじめて感じる複雑な情緒だった。

 シトロンはしばらく抱き着いてから、部屋を後にした。


「なんだったのでしょう……」


 #


 もらった屋敷に住みつづけて2ヶ月。

 世話を焼いてくれるゴスのひとりから無言のプレッシャーを受け、日に日に罪悪感が高まっていったテラノヴァは、一時的な帰還を決めた。

 それを伝えると喜ばれ、テラノヴァもうれしくなり、もっとはやく戻ってあげるべきだったと思った。


 おみやげをかばんに詰めこむ。

 ポーション工房向けにもってかえるのは、頭を落とした油雷魚の干物と、切り身のジャーキー。ココティエが作った乾燥した魚は、肉厚で棍棒のようにおおきく、存在感があった。お酒のあてにいいらしいが、そのまま食べてもおいしかった。

 レーニはめずらしい食べものが好きなので、ジャーキーとココナッツのお酒。

 リードは激怒した父親との兼ねあいもあって、高価な土の魔石をわたす予定にした。時間があいた今なら許される気がする。


「いってらっしゃいませ」

 

 転移室のまえで、ゴス2人とメイド5人がならんで、一斉にあたまをさげる。

 まるで貴族が出立するときのような見送りだった。テラノヴァはちいさく手を振りかえした。


「行ってきます」


 目的地はニューポート市。術式を起動し、転移魔法陣にはいる。緊張するなか、青い光が視界いっぱいに広がった。


 初夏のような暖かさの光に包まれた。心地よい光の粒が通りすぎる。無重力のたよりない感覚で、からだが浮かんでいた。

 ねんのため短剣と杖を手に持った。ニューポート市の出口が、どうなっているのかわからない。

 数分でからだがうえに引っ張られた。


「……」


 魔法陣からでると、灰色の玄室のなかだった。

 温かみが去り、代わりにカビの匂いが鼻をつく。薄暗い玄室が貧弱なひかりで照らされている。他に光源はない。

 長いあいだ使われていなかったのだろう。足をふみだすと埃の層がまいあがった。


 配信球を取りだし、魔力をこめる。しばらく待っていると、月の人がやってきはじめた。


「こんにちは。ひさしぶりの配信です。今日はこの地下室から出口を目指してゆきます」


『こんテラ~』

『生きてた! 久しぶり!』

『何か月ぶりだよ。やりかたを忘れたのか?』


「屋敷で奉仕されて引きこもっていました。本を読んだり、スクロールを作ったり、ガーゴイルみたいにずっと一か所にいました。」


『いきなりダメ人間みたいな話をしないで』

『お世話されて引きこもるって、高等遊民かよ』

『うらやましい』


「ふたなりポーションがもっと必要になったので、イドリーブ市にむかいます。この通路はその途中です」


『なんだぁ? 下水でふたつの都市がつながっているのか?』

『人通りがないようだが……』


「あまり使われない方法です。では、ゆきましょう」


 コラリアと視界を共有し、配信球は暗視モード。両開きのとびらを開いた。

 部屋のそとは、さらにすえた臭いが立ちこめている。

 どこからか水の流れる音が聞こえる。通路に従ってまっすぐ進んだ。


「乾いた下水道みたいな匂いです。どぶくさいです」


『うえ』


 通路を左に曲がる。壁にむかった人骨が立っていた。壁に手をつき、うなだれているポーズをしている。まるでひどく落ち込んだときのよう。

 テラノヴァは蜘蛛の巣の杖をにぎる。

 スケルトンかもしれないため、警戒して近づいてゆく。


「……うわ。見てください」


 金属の釘が首の骨を貫通している。ほかにもいくつか釘がうたれ、そういうポーズで固定されていた。

 通路を彩るオブジェなのだろうか。

 死んだあとに固定したのか、それともそのまえか、いずれにせよ悪趣味だった。


『理科室のセンス』

『メメント・モリだ。死を意識する品物を置いて、逃れられない死について考える芸術だよ』


「死について考える芸術って、死は身近な存在ですが……安全な場所にいる人が、戒めとして考えるという意味ですか?」


『まだ死んでないなら、酒を飲んで憂いを忘れろって意味だよ』

『死んでヤハ※※のまえに行ったとき、恥ずかしくない行いをしろってこと』

『解脱だよ』


「月の人の話を聞くと、生きるための心構えに思えました。でもこのオブジェは私には悪趣味に見えます。私だったら廊下に人間の骨を飾りたくありません」


『それはそう』

『狩猟をする人は、はく製を飾っていたぞ』


 このようなオブジェが先に進むにつれて増えた。

 両手両足をくっつけ、ひし形にしてはりつけにされたり、あたまを腹の前で抱えていたり、骨をバラバラにして鳥の形に再配置されていたり、積み木遊びのような展示がある。


「私が読んだ物語では、悪党が死体をかくすときに、家のかべに塗りこんでいました。もし、この飾りを作ったかたが、似たような趣向のひとだとすると、きっと恐ろしい感性を持っています」


『うんうん』

『不安そうでかわいい』

『テラノヴァも人殺しだから、そんなに変わらないぞ。気にすんなよな』


 月の人はひどいことを言うと思った。


「……階段がありました。昇ってみます」


 一定間隔で、壁のくぼみにしゃれこうべが埋めてある。なかに光源があり、どういう原理か、テラノヴァの移動にあわせて視線をうごかしている。がらんどうのくぼみと目をあわせると、内部にかがやく光の魔石がみえた。


「ほんとに悪趣味です……」


 墓場にはっせいする頭蓋マイマイを思いだした。

 さらに進むと踊り場にでた。らせん階段が続いている。ここにも骨。人間の骨を石壁にうめこんで模様にしている。


 骨、石壁、カビの匂い、頭蓋骨、階段、そしてまたカビの匂い。


 ろくでもない造詣の陰気な通路は、たった数百メートルでテラノヴァの気を滅入らせていた。

 階段をのぼりきったさきには、金属製のとびらがある。ドアノブのリングを引いてみると、きしみをあげてゆっくりと開いていった。


 扉のさきは広いホールだった。正面の壁にとびら、左の壁際に白い骨の山がある。真珠のように白い骨には、肉がひとかけらもついていない。よく見ると肉食獣の骨格をしていた。

 あたまだけで1メートル以上はある。ほかにもう1種類の頭部が混ざっていた。

 鋭い犬歯の生えた頭部と、角が生えた頭部がひとつ。テラノヴァは何の骨かわかった。


「白骨化したキマイラです。あれはライオンのあたま、こちらが山羊です」


 尻尾を見ると確かに骨の蛇が生えていた。


「うごくでしょうか」


 石くれをひろって投げつけた。ライオンの頭蓋骨にあたり、こつんと小気味のいい音をたてた。骨塊がふるえた。コキコキときしみをあげて、散らばっていた骨があつまり、くっついた。スカルキマイラがからだをもちあげてゆく。


 姿勢を低くして、ほえる仕草をした。骨だけなので声は出ない。

 しっぽの蛇がうねってテラノヴァにむけて口を開き、接着があまいのか、尾のつけ根からとれて、床でバラバラに崩れた。


 スカルキマイラが歩こうとすると、左の後ろ脚が脱落。乾いた音をたてて腰から床に崩れおちた。


 ヤギの頭がしきりに口を開いている。生前ならば稲妻のブレスを吐いていただろう。しかし今は何も出ない。

 獅子の頭部が首を伸ばし、中空を噛む仕草をした。前足が両方とも折れて、床につっぷした。


「骨の強度が足りていません。もうあまり動けないみたいです」


『期待外れだな』

『えぇ……』


 進む力を失ったスカルキマイラは、芋虫のようにもがいていた。次第に動きをとめ、再びうずくまった。

 散らばった骨がゆっくりと、本体にむけて戻りはじめた。元の場所から20センチも動いていない。

 修復能力があるが、本体の耐久性がほとんど残っていない。耐用年数を超えたアンデッドだった。

 テラノヴァはおぞましさと痛ましさをもったそれから目をそらした。


「メメント・モリの意味が分かってきました。適切な場所できちんと死ねないと、死んだあとも見苦しくなります」


『そういわれると悲しくなった』

『ぶん殴っても元に戻るなら、ストレス解消にいいな』

『番犬なのかオブジェなのか、どっちだろう……』


「進みます……」


 昔は優秀なガーディアンだったのかもしれないが、いまはうごけない。衰退を感じさせた。


 対面のとびらに入る。ふたたび階段だった。のぼったさきの小部屋は、壁で囲まれていてとびらがない。


「行き止まりです。長いあいだ使っていなかったみたいですし、とびらを埋めてしまったのでしょうか?」


 どこにあるともわからない通路を探して、壁を破壊する作業を想像する。重労働かつ落盤の危険があった。絶対にやりたくない。


「隠しとびらがあるかもしれません。探してみます。月の人も、何か気づいた点があったら教えてください」


『わかった』


 四方の壁には、人間の軍隊がスケルトンの軍勢と戦っている様子が、彫られている。

 壁の半分には指揮をする王と騎乗騎士、槍を持った歩兵たち。もう半分は同じ構図で白骨化していた。


「対比をえがいているのでしょうが、陰気な彫刻です」


『死の勝利に似ている』


 ぐるりと一周する。両軍がぶつかりあう部分では、左右対称になっておらず、倒れている人間が多い。死が優勢である。すでにすう勢が決したのか、中央上部ではスケルトンが、人間の王の生首をかかげている。

 王冠をつけ、マントを羽織った骸骨が鬨の声をあげていた。


『骨が勝ってる』

『その首、方向がへんだぞ。むかい合っていないといけないのに、正面を向いている』


「視線のさきに何かあるのでしょうか?」


 スケルトン王の視線のさきにむかうと、抜刀した騎乗騎士たちの彫刻。一騎だけ、兜のしたがしゃれこうべの騎士がいた。まぎれこんでいた裏切り者の顔は、また違和感のある方向。


『アヘ顔みたいな目つきでダメだった』

『こんどは斜めうえか』


 視線のさきをおいかけて、部屋のなかをうろうろする。最後はひざのうえで兵士を介護するローブの女でとまった。ほかとちがってその顔は暗い金属でできていた。あきらかにスイッチだった。


『やっとか。なげぇー』

『考えたやつ死んでほしい』

『とりあえず押してみろ』


「はい」


 カチリと奥で何かがはまった。

 ごろごろと岩がこすれる音がして、壁がゆっくりとせりあがった。

 視界が広がる。となりにも部屋が続いていた。


『やった』

『こういうとき、なんていうかわかるよな?』


「ありがとうございました」


 となりの部屋は雰囲気がちがった。モザイクのタイル床のうえに、真新しい石棺が置かれている。金の塗料を使った豪華な彫刻が刻まれているため、有力者の墓だとわかる。


『墓荒らししようぜ』

『副葬品をもらっていこう』


「呪いを受けます。お金に困ったときにあばきましょう」


 とびらには、鍵がかかっていた。


開錠アンロック


 鍵がはずれ、力をこめてふたを押すと、情けない犬のようなきしみ音を立てて開いた。

 みじかい昇り階段のさきは鉄格子のとびら。太陽のひかりが差しこんでいた。いよいよそとだ。開錠アンロックしてそとにでた。


「すー、はー」


 新鮮な空気をすいこんだ。

 周囲には墓石が立ちならんでいる。近くには複合宗教施設。テラノヴァが出てきた場所は、ニューポート市の墓地だった。


「これで館との往復が楽になりました」


『そういう話だったの』

『途中から見ていたけど、よかったね』


 配信球をかばんにしまい、墓地からでる。

 おおよそ3年ぶりに訪れた都市は、人通りがすくなく、以前よりもさびれてみえた。修理のされていない道路が目立つ。

 馬車の数もすくない。


『地方都市って感じ』

『閉まってる店がおおいなぁ……』


「ここは以前、領主さまが住んでいて、税の集積地でした。ですが新しい領主さまがべつの都市にうつったので、人が減ったのだと思います」


 実際、富の流入が激減していた。政治の中心部から遠ざかると、意思決定に従うだけの付属品になる。

 その原因を作ったのはテラノヴァだったので、やはり居づらく感じる。


 そうそうに馬車の停留所にゆき、イドリーブ市に出発した。


「今日はここまでです。次回は何かをしながら、課金コメントを読みあげます。それではまたお会いしましょう」


『おつテラ~』

『エロ配信だぞ約束な』

『夜の部はやくしろ』

『またね』


 #


 ひさしぶりにイドリーブ市に戻ってきた。半年前には見られなかった住宅街が、市壁のそとに増築されていた。

 門のちかくは混雑していた。

 衛兵の詰め所が増設され、防備が強化されている。門のうえに並んだ魔法人形は、あいかわらず奇妙な上下運動をしていた。


 なんとなく早足で工房にむかう。みなれた通りを歩き、みなれた工房のまえに立つと、何も変わっていなかった。

 ポーションの素材の香り、働いている職人たち、ゆっくりと動いている魔導器具。

 製品を運んでいた職人のひとりが、テラノヴァに気づいた。


「よう、ひさしぶりだな」

「こ、こんにちは」

「おーいテラノヴァの嬢ちゃんが帰ってきたぞ!」

「なんだよひさしぶりじゃねえか」


 半年では忘れられていなかった。

 職人たちとしばらく話したあと、2階にあがった。工房長のニコラスにあいさつをする。


「お久しぶりです。もどりました」

「おう、おかえり。日に焼けたなぁ」

「砂漠を歩いてきました。砂漠のお土産をもってきました」

「南に行ってたのか」


「これはオアシスにいる油雷魚です。脂がのっていて食べごたえがあっておいしいです。こちらは魚肉のジャーキーでお酒のつまみにいいです」

「はじめてみるな。おーいノエル、ちょっと休憩にしよう」

「はぁい。あら久しぶり。元気だった? それにおおきな魚! 立派ねぇ!」

「ジャーキーはあぶってもおいしかったです」

「それじゃそうしましょ。すぐにお茶を入れるから待ってて」

「あんた、今日は時間は平気か? よかったら夕食を一緒に食べないか?」

「はい」

「よし。《ウィーパーの安楽亭》を予約しておくから、何をやったか聞かせてくれ」


 夜になってニコラス一家と夕食を共にした。彼らが一番驚いたのは、ワーレディバグの巣で行った奴隷労働だった。


「モグラと一緒に働くなんて、いつものことながらおかしいな……」

「テントウムシの女の子を説得するなんてすごいわねぇ」とノエル。

「テラノヴァさんが無事でよかったです……あまり危険なことはしないでください」ニコラスの長男は心配顔で言った。


「コラリアはすごいんだ。ぼくもコラリアみたいな子がほしい」次男はきらきらとした目を、抱っこしたクラーケンの幼生にむけていた。


 懐かしい顔ぶれ、おいしい料理。気の置けない会話は楽しかった。


 つぎの日から、納期の押している工房の仕事をてつだった。まだいいといわれていたのだが、新しい領主の居住地になってから、人口が急激にふえて、ポーションの需要もあがっていた。

 緊急の注文もはいり、キャパオーバーしかけていた工房は、職人たちの目が過労で危なくなっていた。


「助かる。ずっといてくれねぇかなぁ」

「ほとぼりが冷めたら、また雇ってください」

「女の子に手を出したんだろ。とんでもないやつだな」

「むこうが誘ってきたんです。でもみんな愛しています」

「そりゃしかたねえか」


 月の人たちのおかげで、ゲスい回答をできるようになってしまっていた。

 仕事がおわったあと、夜中に工房を使わせてもらった。カネを払って素材を売ってもらい、ふたなりポーションを量産する。

 そのあいまあいまにリードの甲冑防具店をのぞきにいったが、入る勇気がなかった。なんども途中でひき返した。


 リードには会いたいが、その父親に会うのが怖い。

 5割以上の確率で拒絶されるだろう。怒られるだけではすまないかもしれない。

 

 結局、直接会うのはやめた。テラノヴァは魔術師ギルドに行った。高純度の土の魔石をいくつか納品すると、評価されて金貨5000枚になった。

 8割を借金の返済につかい、残りは預金する。


 さらにおおきな土の魔石を箱詰めしてもらう。リボンをかけてプレゼント包装、リードあてにカードをつけた。事情を話してたのみこみ、ニューポート市から送ったことにしてもらった。


「そういえば、あんたあてにお金がきてんよ」

「何のお金ですか?」

「えーっと、これだ。ペンギンの巣穴がどうとか書いていたけど、へたくそで読めないよ」

「金貨2枚……」

 

 お金といっしょにわたされた手紙には、最後にこう書かれていた。


『おかねを ためている から まって ほしい だけです ヴィエラ』


 たどたどしい文字で書かれた文章を読んで、ようやく理解できた。昔、ペンギンの巣穴でおいはぎをしてきた犬の獣人たちだ。

 悪魔の受付嬢が、机にたおれこんで、からだを伸ばしながら、視線だけをうえにむける。


「知りあい?」

「お金を貸していたひとたちです。全然足りませんけど、かえす気があったなんてびっくりしました」

「どんくらい足りないの」

「あと98枚です」

「ほぼ全部じゃん。うける」


「あのひとたちがまだ生きているだけで、奇跡だと思います。そのうえかえす気があるなら、もっと待ってあげようと思いました」

「ねえ、契約書を私にくれたら、取りたててあげるよ。ひひひ」

「ドレイにするのはかわいそうです。もうすこし待ちます」


「いいんだよ、私がやってあげるって。鉱山におくってさ、しっかり稼がせてあげるよ。いいでしょ。私にまかせて。あんたができないなら、私がやってあげるからさ。できないんでしょ。ねえ、やってあげるって」

「結構です」

「あーん、なんでぇ」


 性格の腐っている悪魔の受付嬢は、テラノヴァが嫌がる言動を的確にしてくるので苦手だった。荷物をたのんで退散する。


 レーニの住んでいる宿は、なんど行っても留守だった。仕事が忙しいのだろう。

 テラノヴァは仕事の空いた時間に、屋敷のふたりから頼まれていたお使いをこなした。


 ココティエは花の種や果実の苗をほしがっていた。砂漠に適応できるか試したいらしい。 

 シトロンはポーション作成用の器具だった。いつでもふたなりポーションを屋敷で作れるように強く求められたのだ。


 屋敷にある設備は、かつての所有者と魔導ジャンルが違うため、足りない機材やあわない機器が多かった。

 テラノヴァは貯金とかばんの重量が許すかぎり注文した。

 ほとんどが自動ではなく、筋肉を動力につかう手動式。そのかわり安い。


 あれもこれもと買っていると、可搬容量がいっぱいになったので、魔術ギルドでもうひとつ鞄を買いに行った。

 

 入り口からそっと中を覗いて、苦手な受付嬢がいないか確かめた。前回は避けられなかったが、今回もばっちりとカウンターに座っていた。しかも頬杖をついて暇そうだった。


(別の日にしようかな……)


 あの悪魔の受付嬢──名前はロンノといった──がいると、テラノヴァはいつも嫌な気分にさせられる。一見友好的なのだが、隙あらば心を傷つける言葉を浴びせられた。それもテラノヴァに非があって、言い返しにくい部分を責められる。


 みたくない現実を直視させられると言う点で、今でも苦手だった。

 ギルドに入ろうか迷っていると、悪魔の受付嬢がそのうごきに気づいて、目があった。満面の笑みで手招きされた。

 

 観念して対面にすわる。おいしそうな獲物をまえにした肉食獣のごとく、カウンターのむこうでにんまりと笑っている。舌なめずりをして手を握ってきたが、となりにいる受付嬢(蛇女ラミアの使い魔・29歳)に腕をつかまれ、麻痺毒を流しこまれて椅子に戻された。


「今日は魔法のかばんを用立ててもらいに来ました」

「はいはい。それじゃシートを持ってくるからそこいてね。なんか立てないけど、ちょっとまってて」


 悪魔の受付嬢がぎこちないうごきで、棚にかがみこんだ。先端がハート形にゆがんだしっぽが、うねうねと動いていた。


「そんじゃ、一応の希望から聞いてくね。容量はどんくらいにする?」

「一番広いのでお願いします」

「大型にするとオーダーメイドになるからさ、最低でも金貨3000枚はかかるけど平気? 中型だと値段はその1/10になるよ」

「……中型でお願いします」

「うん、そうなると思った。重量の軽減効果は? これも軽くするのはカネがかかるよ」

「一番軽くていくらですか?」

「金貨5000枚からだね。作れる人が限られているから、順番待ちもあるし、割り込むならもっとカネがかかるよ」

「そうですか。ロンノさんが一番、お金と釣り合いが取れていると思うバランスを教えてください」

「何? あたしのおすすめを教えてほしいの? 自分で考えないの?」

「はい……」

「くひひ、仕方ないなぁ……教えてあげる。重量7割減少がおすすめ。そのレベルなら付与できる魔女もそれなりにいるし、既製品も大抵は7割だから在庫があるし。容量は100倍ね。これもおなじ理由。考えれば簡単にわかんだけどなー」

「じゃあ、それでお願いします」

「あいあい」


 そのあとは強度や素材、その他の付与エンチャントについて話しあった。

 個人用にする制限機能はつけなかった。誰でもかばんの中身にアクセスできるが、その分安くなるし、館の子たちが持つかもしれない。結局、既製品を改造してもらうと決まった。


「この魔女は仕事が遅いけど、そのぶん人気がなくていつも空いているからね。改造だけならすぐ終わるし、ちょうどいいよ」

「はい」

「それじゃ手間賃とかを全部こみで計算して、と。──金貨が907枚、銀貨4、銅貨が6だから、端数はおまけして金貨907枚ね」

「わかりました。私のギルドカードから引き落としておいてください」


「はいよ。完成したらあんたの工房に届けさせればいいの?」

「私はいないかもしれないので……ここに取りに来ます。どのくらいで完成しますか?」

「一週間は見てもらえばいいよ。ねえ、しばらく見なかったけど、何してたの?」

「旅に出ていました」

「ふーん。そう。なんだか一人前になっちゃったね。もっと昔みたいに、ぎりぎりで生きててほしかったのに」

「私はこう見えて堅実なんです」

「そっかー。一人前なんだ。そっかぁ……」


 悪魔の受付嬢はそういうと机につっぷした。うねうねとうごいていた尻尾が、力なくたれた。彼女は破滅しそうな人間が好きだった。今のテラノヴァにはあまり魅力を感じていない。迷子の人間をさらなる闇につきおとす行為が、悪魔の愉悦なのだから。


「じゃ、またね」

「はい」


 悪魔の受付嬢の仕草をみていると、テラノヴァは苦手意識をひとつ、克服できた気がした。ギルドに対する忌避感もこれで薄れるだろう。


 気分がいいのでレーニと食事がしたくなった。

 宿場町から連れてきた少女は、仕事をはじめて自立した生活を送っている。部屋のカギをもらっているので、入っても問題はないはずだった。

 彼女が借りている宿に向かい、とびらを叩く。いつも通り返事はない。

 どうしても会いたいので部屋の中で待たせてもらおうと思い、カギを差し込んだ。やりすぎではないかと不安になったが、問題なく開いた。


「こんばんは。おじゃまします」


 扉のさきは四角い部屋である。

 風呂やトイレはない。テーブルのうえに肩掛けかばんがなげだしてあった。

 床には服が山になっている。洗濯物をためこんでいた。


「スゥ……スゥ……」


 ベッドから寝息が聞こえた。布団が上下している。レーニは熟睡していた。

 食事を誘いに来たのだが、無理やり起こしてもかわいそう。


 寝顔は相変わらずかわいかった。このかわいさを身体のしたに組みふせて、欲望を貪りあった記憶をおもいだす。


 喘ぎ声も、柔らかい身体の感触も、疑似ペニスが膣に包まれる暖かさも。

 腰が経験した、雄としての記憶がまざまざとよみがえる。からだに淡い快感がはしった。

 かばんのなかにはふたなりポーションがある。

 テラノヴァは鍵を閉めた。

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