第12話 砂漠のお屋敷に到着
出発してから2ヶ月とすこし、ようやく砂漠を抜けた。
砂と岩だった地面が土に変わり、草が生え、大木が茂っている。山のふもとに、緑の森が広がっている。
森のふちで小柄なオオツノテンジカが草をはみ、テラノヴァが歩いてゆくと、あたまをあげて警戒して、森のなかに走っていった。
「……生き物です」
ただの草食動物を見つけただけなのだが、砂漠では見られなかった緑色のなかの躍動感に、感動をおぼえる。
ここからは森にそって北東に進めば、目的地の屋敷につくはずだった。
地図は縮尺があいまいで、あまりあてにならない。
信じるならば、直進して森をこえれば最短ルート、しかし見晴らしの悪い森のなかで、3次元の襲撃を警戒せねばならない。以前森を進んだときは、なんどか危険な目にあったので
「無理に危険をおかす必要はありません。安全な草地を通ってゆきましょう。森のなかは危ないです」
『どうした? 普段と言ってることが違うけど、頭がおかしくなったのか?』
『かしこい』
『森に突撃しないなんて、コラリアが化けているだろ』
『じゃあなんで今までそうしなかったんだよ』
「そこまで言わなくても良いと思います。ただ、今まで砂漠を歩いていたので、あたまのうえを木でおおわれると、圧迫感があります。開放的な地形になれすぎた、私のわがままです」
『なら仕方ないか……』
『うんうん』
『考えられてえらい』
『チキン』
何より山すそにある森は、険しい山の斜面にそっているので、起伏に富んでいた。確実に歩きにくいので、それも避ける理由のひとつだった。
「あっ
『へー』
『シルエットが大きいようだが……』
はるか上空にいる
「すごい……鹿を片足で持ちあげています。あれは鷲ではなくてグリフォンです。勘違いしていました」
『えっ?』
『半分正解ってところか……』
『笑った』
「山の洞窟に住んでいるのかもしれません。やはり森を通らなくて正解でした。きっと森のなかはグリフォンの狩場なのでしょう。ですが一匹だけですので、川のそばにたくさんいた鬼アブよりはマシかもしれません」
『こわい』
『アブとくらべられるグリフォンかわいそう』
『生理的に無理なやつを思い出させるな』
「あれは粘着質な魔物でした。もう追ってきていないといいのですが……」
砂漠の終わりちかくに、海に流れこむ地下河川の出口があった。
そこは扇状地になっており、みどりの絨毯ができていたが、魔物もたくさんいた。牛を丸呑みにできそうな両生類が群れており、さらにその血を吸う20センチくらいのおおきさの鬼アブが発生していた。
どちらもあいてにしたくなかったので、かなり
そのあとテラノヴァが短剣でとどめをさしたが、どろりとした黄色い体液があふれだして、月の人に不評だった。
その日は太陽が沈んでからもアブにおわれた。
テントの外側で羽音が聞こえつづけ、非常に不快な夜になった。
『田舎のカエルの鳴き声みたいなもんだ。そのうち慣れるから気にすんなよな!』
「……はい」
よくわからないアドヴァイスをもらった。
テラノヴァは認めたくなかったが、月の人との会話は、孤独を最上とする価値観をすこしだけ変えた。
物理的に離れているので気楽に話せるし、ときどきあまりに低俗なコメントのなかから、別種の考えかたに対する知見もえられた。
ときどきお金も送ってくれる。
まったく無駄としか思えなかったが、それが月の人の娯楽なのだろう。生活必需品以外におかねを使う余裕があるので、蛮地ながらもかなり進んだ社会である。
おそらく月の人たちは、毎日毎日、洗練された劇ばかり見ると飽きてしまうので、テラノヴァのような、ゆるい配信を見ているのだろう。
「そういえば、月の人はどこで配信を見ているのですか? かんたんに集まれる劇場が近くにあるのですか?」
『家』
『家で見てる』
『電車に乗っているときにス※※で』
テラノヴァの予想は外れた。月の人たちは家で見ていると言っている。しばらく考えこんで、正面に浮かんだ配信球を見て、ようやく理解した。
「この配信球が送る役目をするのなら、受け取る役目をする魔道具を、月の人たちは持っているはずです。そうでしょう」
『そうだよ』
『へぇーそういうのわかるんだ』
『かしこい』
「私も月の人たちの配信を見てみたいです。文化が全然ちがって面白そうです」
『魔法はないけど機械が発展してるよ』
『そっちよりも人が多い』
『バカどもの戦争風景はどこも似たり寄ったりだ』
「戦争……月の人は干し首をつくっていそうです。あっ、家がありました。行ってみます」
『俺たちのイメージどうなってんだよ』
森のそばにぽつんと、屋根のやぶれた家があった。労働者の市民が住んでいそうなおおきさだった。
「……まさかここがお屋敷?」
『ちがうだろ』
『廃屋じゃん。うける』
あわてて地図を確認するが、正確な場所まではわからない。
そばに行くと、完全にくち果てており、人の気配はない。
半壊した丸太の壁には、コケがびっしりとついていた。ドアははずれ、なかの床も腐って、半分以上が草原と同化していた。
ベッドらしき残骸は、中心からくずれ落ちて、かろうじて4つの脚が形を残していた。
「長いあいだ使われていないみたいですが……箱が残っています」
地面に埋もれたチェストが、部屋のすみにあった。ふたをおおった土をどけて、開いてみる。
なかには一辺が4センチほどの青い立方体が、すみにぽつんと置かれていた。ほかには何もない。
手に取ってみると、テラノヴァの魔力に反応したのか、くすんだ青色がぼんやりと光った。
「魔道器械に使う魔力核ににています。これをはめこむ機器は見当たりませんが──拾っておきます」
かばんにしまう。ほかにめぼしい品物はなかった。屋根ととびらを修理すれば、夜露をしのげそうだが、ここが賞品の屋敷だとは信じたくない。さらに北東を目指して進んだ。
山すそに入ってから15日、ついにそれらしき屋敷があった。
敷地は白い壁でかこまれ、屋敷の窓に高価なガラスが反射している。貴族の屋敷をおもわせる壮麗なつくり。庭もひろい。裏側は森になっていた。
鉄門をひらいて、前庭に入った。もう使われていないはずだが、玄関に続く石畳はよく掃除されている。庭木も剪定されていた。
あたりを見回すが使用人のすがたは見えない。
「誰が管理してるのでしょう? 不思議です」
『ここじゃない可能性もあるから気を付けろ』
『ダンジョンだったら笑う』
「家についている妖精がいるのかもしれません。お掃除してくれるブラウニーとか」
玄関にたどり着いた。誰かいるかもしれないので、おおきなとびらについたリングでノックする。
しばらくまつと、ガチャリと鍵の外れる音がした。
「……!」
ゆっくりと開いてゆく。両開きのとびらのむこうには、ふたりの女の子がいた。白と黒のゴシックドレスを着て、ひとりは明るい金髪、もうひとりは暗い藍色の髪。色白で、作り物をおもわせる、整った顔つきをしていた。
「まあ、めずらしい。お客様よ」
「どうぞお入りになって」
「お邪魔します……」
赤い絨毯がしかれた玄関ホールに、恐る恐る足をふみいれる。
少女たちはスカートをつかんで会釈した。
「いらっしゃいませ、お客様」
「どんなご用件かしら」
テラノヴァも思わずあたまをあげた。
「こんにちは。私の名前はテラノヴァです。ここは魔導士ゼーフントの屋敷で間違いありませんか?」
少女たちは顔を見合わせた。
「ゼーフントはわたしたちのご主人様。今はもういないけど。確かにここに住んでいたわ」
「だからここは元ゼーフントの屋敷ね」
「私がこのお屋敷の新しい所有者になりました──これが書類です。あなたたちは、どなたですか?」
「見せてもらうわ──まぁ大変! このかたは新しいご主人様よ!」
「まあ、まあ、どうしましょ。お出迎えの準備を何もしてないの。お酒は残っていたかしら」
「ココティエがつくった砂サボテンのお酒があるでしょ。お口にあうといいのだけれど」
少女たちは早口で話しあっている。
「あの──」
「ううん。まずはお風呂よ。新しいご主人様は、長い旅をしていらっしゃったはずだもの。お湯につかってお身体を休めていただきましょ」
「それもそうね。ここでは熱いお湯に不自由しないし。すぐに用意して」
「ええ。あなたはお酒とお食事の準備ね。新しいご主人様、少々お待ちになって」
「あの──」
「私たちで精いっぱいのおもてなしをさせてもらうわ。ああ、忙しい、忙しい」
「急げば間にあうはずよ。走れば間に合うはずよ」
「あの、あなたたちは──」
せめて名前を教えてもらおうと思ったが、ふたりの少女はぱたぱたと走って、いなくなってしまった。
テラノヴァは玄関ホールにぽつんと残され、止めようと伸ばした手は、所在なく宙をつかんだ。
「……無人だと聞いていましたけど、使用人のかたが残っていました」
『おれ金髪の子がいい』
『生意気そうな目つきの藍色は俺のな』
『メイドつきとか豪華だなぁ』
「主人がいなくなったあとも住んでいるなんて、普通ではないです」
『そのうち理由を聞けるだろ』
もっともだったので、ホールでそのまま待っていた。
もてなしの準備をしてくれると言っていたので、終わればもう一度やってくるだろう。
月の人と雑談しながら内装をながめていると、壺や絵画といった調度品は、きちんと手入れがなされている。窓ガラスもよくみがかれて、曇りがない。
玄関ホールできょろきょろしていると、メイドが通りかかった。今度はさらに幼い、10歳程度の子供だった。
ロングスカートのメイド服を着て、黒髪のボブカット。両サイドの髪もまっすぐ切りそろえている。まじめそうな髪形は清潔さをかもしだしていた。メイドはテラノヴァのまえで止まり、会釈をして通りすぎようとした。
「待ってください」
「……!?」
「あなたはここに住んでいるのですか?」
メイドは驚愕に目を見開いた。あわあわと手をうごかし、持っていた雑巾とバケツが床に落ちた。
「……! ……!」
何かを伝えたいのに、うまく表現しきれない。そういったジェスチャーだった。口をひらいているのだが、声が出ない。ぴょんぴょんと飛びはねている。
「落ち着いてください」
メイドの肩をつかみ、ぽんぽんと叩いて落ち着かせる。
メイドはうれしさを全身であらわす犬のように、自分の身体をなでまわし、飛びはね、なんどもテラノヴァの腕を両手でつかんでふった。
表情から何かに喜んでいるらしいが、その理由がわからない。青い瞳がテラノヴァを見上げて、満面の笑顔。思わずつられて笑いそうになる笑顔だった。
メイドは膝立ちになった。テラノヴァのローブのすそをまくりあげた。
「何でしょうか」
突然下着をさらされて、思わずあとずさりした。ひとりぶんの距離があいた。
メイドは口を開いてちいさな舌をだし、手で輪を作って口のまえで前後にうごかす。そのあとでにっこりと笑った。
『えぇ……』
淫靡な笑みは、そういう意味で間違いなかった。
「……しなくていいです」
「……」
メイドは残念そうにうなずいた。掃除用具をもって、肩を落として歩いていった。
「ここに住んでいた魔導士ゼーフントさんは、かなり特殊な趣味を持っていたみたいです。こどもに仕込むなんて普通じゃないです」
『娼館みたいだな』
『ブーメラン』
『いい趣味をしてる主人だ』
「すこし怖いです。他人の情事をのぞき見している気分になりました」
以前の主人であった魔導士ゼーフントが、この館でメイドたちに何を仕込み、何に喜びをおぼえていたのかと想像すると、テラノヴァの背中に戦慄がはしった。
屋敷のなかに、他人が作りあげた愛欲の残滓がべったりと残っている。
険しい表情をしていると、金髪ゴス少女がやってきた。
「お客様、お風呂がわいたので案内します。あら? どうかなさいました?」
手を取られたので、思わずはらってしまった。
「あっ……」
失礼な行為をやってしまったと思ったが、ゴスは気分を悪くしたふうでもなく、ふたたび手を握る。
「こちらへどうぞ、新しいご主人様」
白磁のようなすべすべとした手に触れられると、不思議と不快な気分がおさまっていった。廊下をふたりで歩く。
「ここお着替えください。では、ごゆっくり」
ゴスはとびらのまえでいなくなり、脱衣所ではメイドがふたりまっていた。テラノヴァをみて会釈する。
メイドたちはおなじ服装で、おなじ髪形。目の色だけがちがう。
さきほど通りかかったメイドの目は青かったが、このふたりは緑色と茶色。表情筋が使われていない人形のような印象を受ける。よく見れば顔立ちも異なっている。いずれも幼い。
テラノヴァが観察していると、メイドたちが寄ってきて、マントに手をかけた。そのままでいると脱がされ、畳まれてゆく。
「自分で脱げます」
そういうと、うなずいて離れた。ワーレディバグの巣では、油断して痛い目にあった。
テラノヴァは全裸になると、片手にかばんをもち、もう片方には鈍足の杖を持った。
『お風呂回だ!』
『見慣れた身体だけど、逆にそれがいい』
『隠さないから好き』
「よかったです」
浴室は広かった。10人が足を延ばして入れそうな浴槽が中央にあった。
メイドたちはうすい生地の白い湯衣に着替えてついてくる。
「コラリア、かばんを見張ってて。だれか触ろうとしたら、死なない程度に撃退」
クラーケンの幼生は、かばんのうえで触手を一度、かたむけた。
メイドが湯をくんで待っている。
テラノヴァは杖をひざのうえに置いて座った。
何もしなくても、メイドたちが世話を焼いてくれた。湯をかけ、からだをみがいてくれる。
巨大な植物の綿毛をつかい、もこもこと泡をたてる。よい香りのする泡で身体を包まれると、リラックスした気分になった。
『そういうお店みたいじゃん』
『金を出さなくても奉仕してくれる所はじめてみた』
(私もです)
小声で返事をする。
身体を洗い終わると、たっぷりと湯のはった湯船に案内された。
心地よい熱に自然と目を閉じてしまう。筋肉のこわばりが消えてゆく。
「あなたたちは入らないのですか?」
浴室の壁に並んだメイドたちは、無言で首を振った。
湯につかりながら観察する。
メイドたちのうすく透けた布のむこうに、縫いあとが見えた。大けがをした冒険者には、時々このようなあとが残っていた。
おいでおいでと手招きすると、茶色い目をしたメイドがそばにきた。
「からだを見せてください」
「……」
メイドは無言で脱ぎはじめた。紐をほどき、白い湯衣がおともなく落ちる。
幼いからだには、腹から胸にかけて、まっすぐ縫われた痕があった。大手術でもしたような傷跡だ。完全にふさがっているが、みみずばれのように皮膚が盛りあがっている。
よく見れば首や太ももにも、薄い傷跡があった。斬首した囚人を、棺桶にいれるまえにくっつけたような痕が、首の皮膚を一周していた。こちらの傷はきれいに治っており、指でなぞっても皮膚同士は平行になっていた。
「怪我をしたのですか?」
茶色い目のメイドは首を振った。
「背中を見せてください」
「……」
メイドはくるりと回転した。背中にはとくに縫ったあとはなかった。すらりとした背筋と、うすい尻が見えた。
「ありがとうございます」
もうひとりのメイドを呼ぶと、こちらにも似た傷があった。死霊術かと思ったが、メイドの手を持つとあたたかい体温を感じる。
「縫ったあとが、どのメイドにもあります。死霊術とは違うみたいですが……」
『人造人間だよ』
『新種のゾンビかも』
『もっとメイドみせて』
ふたりのメイドを並べて、くらべてみる。身長はほぼおなじ。体型もおなじ。傷跡の位置は両手足のつけねと、首、そして縦に割れたお腹の痕。
アンデッドではない。人間に擬態した魔物ともちがう。
「……」
わからないまま、風呂からあがった。ついてきたメイドが柔らかい布でからだをふいてくれた。
どのようにしたのか、きれいに浄化されたローブやマントが、畳まれて置かれていた。
脱衣室を出ると、べつのメイドが待っていた。
食堂に案内された。長いテーブルのうえに、食事が用意されていた。
皿のうえにはクラッカーが5枚、黄色いジャムと薄緑色のクリームが盛られている。
おおきな深皿には煮込みらしき料理がはいっていた。真っ赤なスープに白い魚の肉、キノコ、謎の触手が数本と、魚卵らしき塊が入っていた。触手はコラリアのものと似ていた。
「どうぞお召し上がりくださいませ」
「とれたての新鮮な油雷魚ですわ」
「……いただきます」
裸を見られるより、食事を見られるほうが恥ずかしく感じたので、配信を切る。
名前を知らない魚だった。
匂いからは毒を感じない。恐る恐るクラッカーから口にはこんだ。
ジャムだと思ったものは塩味だった。何かの肉をペースト状にして、塩と香辛料でつぶしたのだろう。わずかに乗った香草の葉が、味を引き締めていた。
毒は感じない。
「……おいしいです」
「まあ、よかった!」
「新しいご主人様に満足してもらって、用意したかいがあったわね」
「こちらも食べて。私が育てた魚なの」
スプーンで魚身をくずして口に運ぶ。一度焼いているのか、香ばしい焦げと、噛むたびに上品な脂のあまみが口のなかであふれた。刺激的な赤いスープも相まって、食べ応えがある。不味くはない。毒は感じない。
テラノヴァが食べていると、少女たちはじっと見てくる。見られると恥ずかしかった。話しかけて気をそらす。
「先ほど聞きそびれましたが、あなたたちはどういうかたですか? 住みこみで働いている使用人ですか?」
少女たちは顔を見合わせてクスクスわらった。
ふたりはテラノヴァの両隣に座りなおし、腕をつかんできた。
「私はシトロン。お屋敷のなかの管理を任されているの」
「私はココティエ。お外のお庭と養殖槽、それとお料理が私の管轄ね」
明るい金髪はシトロン、暗い藍色はココティエと名乗った。腕をつかまれた意味はわからなかった。
「ねえ、新しいご主人様には、全部話したほうがいいかしら?」
「ええ、もちろん。私たちを使ってくださるんだから、くわしく知ってもらいましょ!」
テラノヴァは腕をつかまれたまま、左右からバイノーラルボイスを聞かされた。
「まずは古いご主人様が、どうやって私たちを作ったか説明するわ」
「それじゃ私は、新しいご主人様に、お料理の説明をするわ」
「楽しんで聞いてくれるかしら」
「楽しんで聞いてくれるはずよ」
「できればひとりずつ──」
願いはむなしく、シトロンは柔らかい声で話をはじめた。
「大きな流れにいた私たちに、古いご主人様が呼びかけてきたの。ここに入ってうごかすなら魔力をくれるっていうから、私たちはいるの」
「これは私が育てた油雷魚の卵を取りだして、お水とお塩とレモン汁を混ぜて作ったペーストよ。クラッカーの他にパスタに混ぜてもおいしいわ」
ココティエの弾んだ声が同時に左耳から入ってきた。
「ちょ、ちょっと待ってください。同時に話をされると聞き取れません。お料理も自分で食べられます」
ふたりが話しかけているあいだに、ココティエが料理を手にとって、テラノヴァの口に運んでいた。餌付けされている雛に思えて恥ずかしい。
そして料理の話題には興味がなかった。
「まずはシトロンさんのお話から聞きます」
「私ね、わかったわ。ごめんねココティエ。ご主人様の言いつけは絶対だもの」
「それじゃ私は、相槌を打つ役目をするわ」
「最初から言いなおすわね。私たちは古いご主人様に呼び出されて、ここに来たの」
「うんうん」
「人間の身体に入って動かしたら、魔石をくれるって言われたからここにいるの」
「そうね」
「私はこの子のなかに入ってうごかしていると、シトロンって名前をもらったの」
「すごいわ」
ココティエが小刻みに相槌をうって、勝手に話を進めてしまうので、テラノヴァは彼女のあたまを抱きしめて、胸に押しつけた。しっかり捕まえて口を開かないようにする。
「まあ! 新しいご主人様は情熱的ね」
「むむ、んむむむむ、むむ」
まだ何か話しているが、声量は下がったし、すきまのない相槌も消えた。さきほど主人の言いつけは絶対だと言っていたので、無理やり黙らせても抵抗しないと予想していたが、当たっていた。
ココティエはまだ何か言っていたが、あたまをぽんぽんと叩いて、頭頂部から丸みにそってなでつけていると、やがておとなしくなった。
そのうち腰に手を回して、あたまを押しつけてきた。
「まあ、窒息遊びね! 私もやってくれる?」
「違います。お話を続けてください。あなたたちのまえの主人、魔導士ゼーフントは召喚魔法にくわしかったのですか? 精霊をずっと捕まえてるなんて、あまり聞く話ではありません」
「私たちが精霊だとわかったの?」
「はい」
放射される魔力の質から、すぐに人間ではないとわかった。シトロンからは炎の魔力が、ココティエからは闇を感じた。
「まえのご主人様は、私たちに聞こえる声で、ここに居てってお願いしてきたの。私たちは対価がもらえるから、ずっといるのよ」
「精霊は上位になるほど気位が高いと聞きました。それほどの対価を用意されたのですか?」
「きちんとお願いされたもの。古いご主人様はすごくすごく、きれいで強い魔石をくれるから、私たちはこのなかにとどまる気になったのよ」
シトロンは自分の身体を指さす。その首筋にも、つないだ痕があった。
風呂場でみたメイドの身体がつぎはぎの理由が分かった、精霊は死体に入って動かしているのだ。
「死霊術と召喚術の混合──」
「そう、そうよ。古いご主人様は追加でメイドを作ったときに、低級の精霊を呼び出したの。低級の精霊は話が通じにくいのに、古いご主人様は説得してメイドの身体に入れたのよ。どんな説得をしたのかしらね」
シトロンはとんでもない話をしていた。魔導の道はひとつを極めるだけでも大変だが、ハイブリッドはかなりの才能がなければ徒労に終わる。魔導士ゼーフントは才能があったのだ。
「新しいご主人様が来てくれてうれしいわ。またご主人様と話ができるなんて、素敵ですもの」
「んむぅー、んむぅー」
胸に埋もれたココティエも同意していた。
「死体はどこから手に入れたのでしょうか。この近くに街なんてあるのですか?」
地図には砂漠と森、山ばかりが載っていた。
「ううん。古いご主人様は大きな流れのさきから、死体を持ってくるのよ。お金で死体を買えるなんて嘆かわしいって言ってたわ」
「大きな流れ?」
「ええ。ご飯を食べ終わったら案内してあげる」
「わかりました」
おおむねの理解ができたので、捕まえているココティエを放した。
「ふぅ……。なかなかいい抱かれ心地ね。でも、シトロンだけたくさん話してずるい。今度は私のお話を聞いて」
「ココティエ、わがままを言っちゃだめ」
「わがままを言ってるのはシトロンでしょ。新しいご主人様の魔力は気持ちがいいわ。それを独り占めにしてどういうつもり?」
「してない。被害妄想ね」
「嘘じゃないわ。抱き着いているだけで幸せな気持ちになったし、声にも魔力が乗っているし──いてくれるだけでもうれしいのに、そのうえ気持ちがいいなんて、新しいご主人様はすごいわ」
「そうね。私も返事をしてくれるだけで、うれしくなったもの。ねえ、ずっといてくださらない? 新しいご主人様といるだけで、私たちは幸せなの」
ココティエはふたたび胸に抱き着き、シトロンもがっしりと腕に捕まり、ほほをこすりつけた。
テラノヴァは料理を口にはこぶ。ふたりが話しているあいだは、口をはさまないと決めた。
ココティエが抱き着いたまま見上げて、解説をはじめた。
不自由な状態で食べ終わるまで、もごもごとした料理の解説をずっと聞かされたが、半分以上は何を言っているのか聞き取れなかった。
食後は客間に通された。テーブルにお酒と乾燥した果物が用意される。
ココティアは順番に中身を教えてくれた。
赤い瓶はココナッツのお酒、黄色い瓶はレモンのフレーバーをつけたココナッツのお酒、緑色の瓶はシナモンで味付けしたココナッツのお酒、透明な瓶はココナッツのお酒に味を近づけた蜂蜜酒だと言った。
「古いご主人様はお酒が好きだったの。新しいご主人様にも飲んでほしいわ」
ココティエはそう言って笑う。かわいそうに思えたが、テラノヴァはあまり酒を飲みたくなかった。
酩酊は好きだが、酒を飲んだあとにトラブルに見舞われた記憶がある。飲酒は悪い何かがおこる前触れに思えた。
「すみません。お酒は体質的に飲めません」
「そう」
断るとココティエはあっさりと引き下がった。
ゆっくりとテーブルの上を片づけている。ときどきテラノヴァに視線をやって、ちいさく首を振った。ため息もつく。
酒瓶が全部片づけられるまで、居心地の悪い思いをした。
「せっかくお屋敷に来てくれたんですもの。メイドたちにもあいさつをして。あなたたち一列に並びなさい」
シトロンがメイドを引き連れて客間に入ってきた。
5体のよく似た髪形をしたメイドたちが、とびらのちかくで横並びになった。
「この子たちは喋れないから、私がかわりに紹介してあげる。端から順番に、アコニ、イコニ、ウコニ、エコニ、オコニよ。名前は古いご主人様がつけたの」
名前を呼ばれるたびに、対応したメイドがスカートのすそをつまんで、あたまを下げた。
「外見だけでなく、名前の響きも似ています」
「まあ。気づかなかったわ。言われてみればそっくりね」
「そうね。さすがは新しいご主人様。聡明でいらっしゃるわ」
クスクスと笑う少女たち。
何が面白いのか判らなかった
メイドたちに近寄って首筋を調べた。どの子も首に縫合した痕がある。上手につなげているが、よく見ると首から下の皮膚の色が違う子もいた。
「あなたたち精霊は、この死体のどこに入っているのですか?」
シトロンがメイドの一人の胸をついてさした。
「ここよ。古いご主人様は心臓に住処を作ってくれたの。72000個の魔石針を埋めているから、私たちはからだを動かせるのよ」
気が遠くなる作業だ。針を大量に作るだけで時間がかかるだろう。それを7体も。魔導士ゼーフントの果てしない努力にめまいがする。
「すごいです」
「そうでしょ。ひとりだと大変だから、私たちも時々手伝わされたの。メイドたちは力が弱いから、作業の途中でときどき魔石を触りに行くのよ。最初に作られたアコニが一番手伝いが上手ね」
青い目をしたメイドは、自分が話題になっていると思ったのか、テラノヴァをみてニッと微笑んだ。
「あなたたちの原動力になっている、大きな魔石が見たいです」
「案内するわ」
「大きな流れも一緒に見てもらいましょ」
「そうね。あなたたち、もういいわ。仕事に戻りなさい」
メイドたちはふらふらと散っていった。
地下に続く階段を降りる。
途中でたくさんの本が詰まった書庫を通った。もう一度階段を降り、再び壁にならんでいる本棚の部屋を歩く。地下は全体的に書庫になっているらしい。
興味を引かれるタイトルがいくつかある。
『図解・魔物の断面図 音魔法リング効果の検証』
『人造体の穴と形而上学の錯覚について』
『長期的に保持される拷問のための予備的検討』
『隙詰長虫の人体消化における魔導ルーペの観察可能性』
思わず止まって読みたくなったが、ふたりが先に進むので後につづく。
地下のどんづまり、書庫の奥にある部屋のなかに、大きな土の魔石が生えていた。
テラノヴァの身長ほどもある、半透明で薄い黄色の魔石が、太いトゲのように突き立っていた。
「これ、魔石の木……」
「古いご主人様が砂漠から探してきたのよ」
「土龍の住処から掘り出したんですって」
ふたりが表面に触れると、わずかにかがやきが増した。
属性魔力が結晶化すると魔石となるが、それが長い年月をかけて成長すると、周囲にある存在を取り込んでしまう場合がある。
それが内部で形を保ったまま、成分が魔石に変質してしまう。
テラノヴァの前にある魔石は、古代の木がそのままおおわれてしまった存在だった。
「この魔力を私たちは受け取っているの。さあ新しいご主人様。大きな流れはこの隣よ」
「こっちこっち。きて」
両手を引っ張られ、さらに奥の部屋に連れられた。青白く光る魔法陣が床にある。そばには石柱の操作盤。テラノヴァはさすがに驚いた。絶えて久しい古代の魔導技術、転移魔法陣がそこにあった。
「……はじめて見ました」
「古いご主人様はここから死体を買いに行ったのよ」
「お屋敷のまわりにある植物も、町で買ってきて改良したの。お世話をしたのは私だけど、すごいでしょ」
「すごいです」
テラノヴァはおそるおそる操作盤に触れてみた。石柱の表面に青いラインがはしる。頂点にあるパネルがかがやき、空中に魔法文字を投影した。
「まだ使えるなんて……」
魔法文字で都市の名前とパスワードが表示されている。出口を開くパスワードがなければ地脈に入れない。この転移魔法陣はかなりの場所とつながっている。
操作盤を動かして文字を送り、知っている名前がないか探したが、見覚えのない都市名だけである。
イドリーブ市はなかった。ヒュージスクワイアコンテストがあったシュアン市の名前もない。
この転移魔法陣はいつからあるかわからないが、もし数百年前に造られたのならば、それ以降に生まれた都市は登録されていない可能性があった。
連続して送ってゆくと、知っている名前があった。
「ニューポート市……うーん」
あまり見たくない名前だった。
以前、ここの領主にトラブルを起こされ、報復として暗殺した。暗殺の前準備をする段階で、町にも被害を出してしまい、そのときから近寄りたくない都市になっていた。
いまは領主のかわりに新しい代官が統治しているため、しがらみが減ったといえるが、万が一、事が露見すると危険なので、暗殺以降は近寄ってなかった。
画面を閉じた。操作盤がちかちかと点滅し、やがて暗くなった。
「知っている場所があったの?」
「来たばっかりなのに、私たちを置いてもう帰るなんて、言わないわよね」
「まだ帰りません」
両腕をぎゅっとつかまれる。シトロンとココティエはやや強引な感じがあったが、帰ってほしくないのは本当らしかった。
地下から出て、館のなかを案内され終わったころには、日が落ちていた。
さきほど食べたばかりな気がしたが、魔石ランプで照らされたバルコニーで、ふたたび食事が出された。
テーブルのうえにはコラリアもいて、特別に用意してもらった黄色いパイナップルの輪切りをかじっていた。
バルコニーから平原が見える。緑のその向こうに、砂漠の帯がある。夜の砂漠は冷たい藍色にみえた。
メイドが皿を置き、お酒のかわりに水をグラスに次ぎ、ココティエが隣にすわって解説をはじめた。
「これは砂紅エビをそのまま食べる料理なの。冷たい水につけて息の根を止めたあとに、殻をむいて身をふたつに開くの。そのうえに内臓を使ったソースをのせて完成」
真っ白な皿のうえに、ルビーのように赤いエビの身があった。生である。若葉のような色をしたソースはエビの匂いを漂わせていた。
何度かココティエの顔を見て、ほんとうに食べられるのかと視線を送った。
「さあ、新鮮なうちにどうぞ」
生は寄生虫の問題があるので、基本的には食べない。
特に河川の生き物は危険だ。
先ほど屋敷を案内されたときに、そとにある生け簀を見たが、安全な水なのだろうか。
「失礼な話をしますが、このエビは生で食べても大丈夫ですか?」
「もちろん。古いご主人様もながいあいだ食べていたけど、エビのせいで病気になったりしなかったわ」
「わかりました」
ひとまずは言葉を信じた。
ナイフで身を切りわけて、口に運ぶ。エビの身は、ぶりぶりとした食感で、濃厚な旨味をもった塩味のソースが口に広がる。身自体も甘みを持っている。
目を白黒させて飲みこんだ。
おいしい。しかし慣れていないため、緊張感があった。
「いいお味です」
「そうでしょ。次は焼いたエビで、その次はあげたエビ、最後はエビの煮凝りね。たくさん食べて」
「はい……」
フルコースを食べおわったあと、からだからエビの匂いがしそうだった。
その日の夜は、客人用の部屋で眠った。
久しぶりのベッドが心地よい。テントよりもさらに贅沢で気持ちがいい。
やわらかな掛け布団に包まれ、脱力するとベッドに沈んでいく感覚があった。
シトロンとココティエは悪い子ではないと思う。
もしここに滞在するなら、世話を焼いてくれるだろう。
孤独は得られない。師匠とふたりで暮らしていたときの状況が近いのだろうが、もうあまり覚えていなかった。
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