第9話 砂漠の旅と、テントウムシ
シュアン市を出発して1ヶ月がすぎた。
砂漠を
10メートル以上の高低差がある崖のそばを、毎日歩いてゆく。
崖から海面をのぞきこむと、はるか下で、岩壁にぶつかって砕ける白波が見えた。
吹きあがってくる海風は熱をうばい肌寒くなる。この冷たい風のせいで、海岸から内陸部にかけて、不毛地帯になっていた。
植物がすくないため、生き物はほとんど見かけない。
荒れた地面には、1メートルほどの乾いた植物がわずかに生えているだけ。乾いた黄土色の幹に、なめらかな骨のような枝がのび、その先端に赤紫色の葉がささやかに生えている。貧弱な外見どおり、すこし力をいれると簡単にぬけた。
「乾いた木を見つけました。これで今日は火をおこせます」
『たき火ASMRたすかる』
夜になると焚きつけにして火をおこす。
砂漠の夜は極寒になるため、日が暮れるまえに食事の準備をして、テントに避難する必要があった。
初日はそれを知らずに大変だった。
日が落ちたあと、急速に低下する気温に体温をうばわれ、対抗するために火をおこすと、魔物に襲われた。
熱を感知する危険な星泳長魚が、空のうえから長いからだをうねらせて突っ込んできた。半透明のすきとおったからだは、白い内臓や鋭い牙が見たくもないのにくっきりと見えた。
地面を転がって避ける。
たき火が四散した。鍋がスープをまき散らして宙をまい、テントに火の粉が飛ぶ。
10メートルもある長魚が通過してゆくとき、テントがこすられなぎ倒された。距離を取ってふたたび垂直に舞いあがり、からだをうねらせる。
空中にいるため、接近戦は絶望的。
テラノヴァは立ちあがった。口のなかの砂をはきだす。
ふたたび襲って来ようと、からだをうねらす長魚にむけて、迷妄の杖を両手でにぎり、脚をひらいて肩でかまえた。
「コラリア、
土煙をあげて突進する巨体に、水弾が命中。ビスビスと穴があいて青白い体液がもれる。勢いは止まらず、テラノヴァの正面に滑空してきた。
「コラリア──」
足元を通過してゆく星泳長魚のからだを、最高強度の迷妄の杖で叩いた。
「ふぎゃ」
長魚は空に上昇、テラノヴァは砂漠に墜落した。
迷妄にさらされた星泳長魚はおかしくなった。砂が獲物の肉にみえた。口いっぱいにふくめば、体液がえられると考えた。星泳長魚は丘のむこうに激突して、盛大に土煙があがった。
地面がゆれ、さらにべつの鳴き声があがる。
砂漠をはいずる半腐乱
誘蛾灯のごとく魔物がひきよせられてくる。
その日から、夜に火を使ってはいけないと学んだ。
「今日はいつものスープです」
『またか』
『いつもの』
『この貧しい食事をみながらだと、普通の食事が旨く感じるんだよな』
「みなさんは何を食べましたか?」
『おしゅし』
『牛丼』
『ガ※トのハンバーグ』
「へぇー
蛮地にすんでいる人は流石だとテラノヴァは思った。
雑談しながら、乾燥したじゃがいもと玉ねぎを、一口サイズに切る。
夕焼けが消えさるまえに火をおこし、いそいで調理する。沸騰したお湯に塩と切った根菜をいれる。このスープは暖かくて腹持ちがいい。
すべてが茶色くとけて、とろとろと煮詰まってゆく。
食べ飽きているが、日中の移動で飢えているからだには、おいしそうな匂いだった。
硬い乾燥芋をガリガリとかじりながら、スープをゆっくり混ぜる。夕焼けがゆっくりときえてゆく。まだ煮詰まっていないが、たき火に砂をかけた。
鍋をもってテントに入った。
日が落ちると、地面の熱が消滅して、かわりに冷気がやってくる。そとは危険な魔物の世界。
安全なテントのなかでスープを飲む。
旅をしていると、安全な空間で休める幸せがよくわかる。
不可視のテントのおかげで魔物に襲われないし、見張りもいらない。やわらかい寝具にも入れる。
「ふぅ……今日の砂妖魔はおしかったです。つかまえられれば、何かに使えたかもしれません。残念です」
『あれは不審者すぎた』
『絵面が子供を襲うヘンタイだったぞ』
『白い服のちっちゃい魔物がいるなーって思ったら、短剣をかまえて走っていくって、あんなの誰でも逃げるだろ』
「ふふふ、月の人がいっていた、公園のハトをちらす気持ちです」
気を張らなくてもすむ空間はかなり貴重だ。
ゆっくりと食事を終えると、マントをぬぎ、脚をのばす。歩きどおしだった筋肉が弛緩してゆく。そのまま毛布のうえに寝転がった。ローブがまくれあがる。
『みえ……』
「見ないでください。まだまだ、目的地まで遠いです……」
砂漠のいりぐちの街まで馬車で1週間。そこから徒歩で3週間。
旅の道程は、まだ半分にも達していない。
毎日毎日、海と砂漠にはさまれた隙間をすすむ、海と陸地、どちらにも適応できない昆虫の気分だった。
海岸沿いは
昼間にであう生き物は、海のうえをとんでいる鳥と、乾いた植物、ときどき魔物だった。
薄暗い天井を見つめる。とおくに波音が聞こえる。
すばらしい孤独だった。世界に一人だけ取り残されたと錯覚するほど。
世界を独占しているようで楽しい。
ひとりで生きて、ひとりで死ぬ。そこには何の
「今日は……おわります……」
幸せな気持ちでいると、すぐに眠りがおとずれた。
つぎの日も、そのつぎの日も、海岸にそって歩きつづけた。
ときどき崖がくずれて地面が陥没しており、クライミングを余儀なくされた。
海との高低差があるため、陥没孔もふかくなる。ぐずぐずの地面でのぼりおりをすると、よけいな疲労がたまった。
遠くに見える山脈にちかづくにつれ、地面が荒れた。
限定的な地震でもあったのか、海面ちかくまで崖がくずれ、わずかな砂浜ができていた。遠浅の海は、茶色い岩礁がそこかしこに飛び出している。巨人が岩をけり飛ばして、その破片が海に突き刺さったような光景だった。
利便性がまったくない土地だった。海岸は高くて港に使えない。地面には礫がおおくて、馬が使えない。
整備された道がないので、
砂漠にあしを踏みいれると、灼熱の太陽光が体力をうばい、危険な魔物もいる。
オアシスにたどり着けなければ乾いて死ぬ。
おおよそ生存には適さない。
「氷の世界とどちらが住みにくいでしょうか?」
水筒で喉をうるおす。
海のむこう、極地には氷の大陸があるらしい。
そこでは氷のエレメンタルが常時発生していたり、肉食のイッカクがいたり、流氷が海をうめつくしていると本に書かれていた。
『さあなあ。知らねえ』
『南極なんているだけで凍え死ぬだろ』
「海だけは互角に思えます」
テラノヴァはとおくの海をみた。
明らかに数十メートルはありそうな魚のヒレが、海のなかを移動していった。
貧しい海なのに、怪物はたくさんいる。
岩礁には黒緑平野でみた蟹よりも、さらに巨大な甲殻類がうずくまり、甲羅が光を反射している。
得体のしれない怪物が、水面に触手を伸ばしている。
対策もなしに海に入ると、ほどなく食われるだろう。
「見てください。海の一部が赤くなっています。あれは
『赤潮みたいな色だな』
『つよそう』
『倒しに行くのか?』
「水中行動の魔法がないと倒すのは難しいです。船があれば
『泳いでいけ』
『最近はずっと旅をしていて、エロがなくて寂しい』
「ときどき考えるのですが、ピーノセアーノさんを生かしてつれて来れば、月の人の期待にこたえられたかもしれません。あのときは私が疑われないために、つい殺してしまいましたが、治療をよそおえば誘拐できる可能性はありました。今から考えると残念です」
『あの状況なら仕方ない。切り替えていこう』
『絶対に従わないだろ。どうやって説得するんだよ』
『荷物持ちに使えたかもなぁ』
『1日目の夜に刺されそう』
「説得……腕をロープでしばって、迷妄の杖を使いつづけて……やっぱり無理かもしれません。そんなに手間をかけても、恨みをもった人が、隷属した人にかわるだけです」
『うんうん』
『いいだろうがよ奴隷だぞおまえ』
『旅をしながらやることじゃねえな』
『テラノヴァちゃんがオナニー配信をしてもいいんだヨ』
「いやです。それ、ほんとうに私がすると思って言っているのですか? ふふふ、絶対にしませんから」
『言いつづけていたら、いつか心変わりが起こるかもしれないからネ。これは心理学的にも実証されている事例があるから、間違いでもないんだヨ』
「……」
『ちょっと信じててかわいい』
『なに不安になってんだ』
『詐欺に注意してほしい』
雑談は気晴らしになるが、民度は低かった。
荒涼とした景色のなかを、何日も、何十日も歩いていると、しだいにブーツが消耗しはじめた。とがった礫が貫通して側面に穴があき、岩でけずられて靴底がすり減った。
立ち止まらずに歩いていたが、あまりに違和感があるので修理した。
馬のたてがみでつくられた糸をつかって、革同士をぬいあわせる。貧困層のはくブーツじみた外見になったが、石や砂が入らなくなった。すりへった靴底はニカワと釘をつかって新しくかえる。修理したブーツははき心地がよく、身長が高くなった気がした。
「不滅の
ないものねだりを言ってみた。しかし自分で修理したブーツは、それなりに愛着がわいたので、悪くないと思った。
つぎの日がやってきた。夜明けの光がテントの布ごしに顔にあたる。
テラノヴァは目をさまし、簡単な朝食をつくる。
食料のストックは2割ほど減っていた。
野菜の酢漬けがはいった壺をあけ、布に包まれたチーズの塊、巨大なかたいパン、乾燥ハムを切る。
『おはノヴァ~』
『朝活たすかる』
「おはようございます。今日もいいお天気です。今はハムを切っています」
野蛮人のこん棒ににた形のハムは、燻製したあとで何か月もかけて乾燥し、鉄のようにかたい。毎日削っていると、おおきさは半分以下になり、骨がみえていた。
コラリアをそとに出しているときは、ハムの欠片をあげる。赤黒いかけらを触手で巻きとり、口に運ぶ。ばきばきとかたい音が聞こえた。
うすく切ったパンのうえに、チーズをのせる。それらをかじりながら、酢漬けの根菜をつまんで食べた。ハムの塩味がするお湯は、たっぷり飲んでからだをうごかす燃料にする。
熱くなる昼間は、氷ドロップがはめ込まれた護符をにぎりしめ、魔力をこめて防熱フィールドをつくった。
あとはひたすら夜まで歩く。
ときどき水を飲み、からだが動かなくなる予兆がくると、乾燥した芋をかじった。
「あれ、なんでしょうか?」
横たわった蛇のような、黒くながい亀裂が、地面にはしっていた。
はじめは本当にそのような生き物がいるのかと思ったが、近づくと浸食がすすんだ海岸線が、大地にきりこんでいた。
亀裂のはしが見えないくらい、内陸部にまでつづいている。
対岸まで100メートル以上はひらいており、崖からしたは30メートル。海とつながっている。
「道をはばまれました。飛びこすには遠いです」
『うーわ高すぎ』
『海にジャンプしろ』
『降りるの無理だろ。遠回りだな』
「私がとれる行動はふたつあります。第一案は直進です。崖をおりて、海をおよいで崖をよじ登ります。第二案は
『死にたいなら最初の案がいいと思う』
『実質一択だろ』
『最初の無理すぎて吹く。はやく飛び降りろ』
「ひどい意見ありがとうございます」
テラノヴァはふちから崖下をながめた。はるか下にある海面は、おだやかな波がたゆたっている。
「直進できれば時間がかかりません。崖はとっかかりがたくさんあるので、おりられそうです。海は……コラリア、私が泳いでいるあいだ、守ってくれる?」
手首に触手をからませていたコラリアは、つぶらな瞳でテラノヴァを見つめると、触手を左右にふった。拒否の意思表示。
「うん。私もそう思う」
犬かき程度の水泳能力では、向こう岸にたどりつくまえに、肉食魚や海底にひそむ怪物に襲われる。
「念のため、確認しておきましょう」
食べかけのハムを取りだして削り、海に投げこんだ。ひらひらと回転しながら、こぶし大の肉が着水、水しぶきがあがった。一呼吸おいて海面が泡立った。
肉食魚が肉をとりあって、うろこがキラキラと反射している。
「わぁ……」
『これ無理だな』
くちばしがレイピアのようにながい魚が、いちはやく肉片をくわえて水面をはねた。水中から水のやいばが飛び、魚を空中で両断した。水面で待ちかまえた大型魚が、ずらりとならんだ歯をひらいて丸吞みにした。
「やめておきましょう」
コラリアも触手をうごかして同意した。
「ということで
『確認できてよかったね』
『うんうん』
『早くあきらめろ』
「月の人はまっすぐ進めと言いましたが、そういう言動はよくないです。反省してください」
『えっ?』
『は?』
『????』
テラノヴァは亀裂にそって歩いた。
ほぼ垂直の斜面には、亀裂や穴があいている。
あまりふちに近寄ると、黒い穴から青白いミミズのような魔物がのびてくる。魔物図鑑でみた記憶がないが、ワームに似ていた。
あごのしたに細長い触手が横並びに生えており、胴体は子供をまるのみにできるほど太い。
えものを見つけると、ゆっくりと鎌首をもたげ、しなりをつくり、触手の先端がめくれて、ぬれた針がとびだした。針から白い液体がしたたり落ちている。
テラノヴァは暫定的に崖ワームと名付けた。
「有用な素材が取れると思いますか?」
『殺してから考えよう』
『毒もってそう』
崖ワームはある程度はなれると、穴のなかにもどる。
襲われるギリギリまで近づいて、からだを縮めたとき、
「コラリア、
回転する水の円盤が、ワームのからだを、顎のしたからふたつに裂いた。
魔法抵抗は低いようだ。肉もあまり強靭ではない。
「あっ……」
十分にひき寄せたつもりだったが、ワームのからだは重力にひかれ、海にむかって落ちていった。
着水した音がきこえた。
したをのぞきこむと、魚たちが死体に群がっていた。
「もっと引き寄せるべきでした。おしいです」
はるかしたにある穴から、べつの崖ワームが顔を出し、あたまを垂らして魚を一匹つかまえた。
なんどか試したが、ワームが輪切りになるだけで、死体が手にはいらなかった。崖のあなからワームがすべり落ちて、黒い穴がのこる。
『角栓抜きみたいでスッキリする』
『無益な殺生で笑った』
「……さきに進みます。あまり立ち止まってはいられません」
この一帯には崖ワームの天敵も、おなじ場所にすんでいる。
テラノヴァは視線を感じていた。
海にせりだした崖にはいった、縦にながい亀裂。そこに生物のフォルムがみえる。黒い昆虫の脚と、ながい触覚がはみ出していた。
テラノヴァはななめに移動して遠ざかったが、昆虫はすきまから出てきた。
巨大なハサミムシの魔物だった。人間でもつかまえられそうな尾角、ながい触角のつけ根にあるレンズのような複眼、感情のない暗い色をしている。
スキマのしたにある岩棚には、茶色く変色した環形動物の死骸がのこっていた。
テラノヴァがワームを殺しまくったせいで、競合生物だと思われたのかもしれない。
ハサミムシは食べられれば選り好みはしないのか、テラノヴァめがけて走ってきた。腹がそりかえり、顎のような尾角がカチカチと噛みあう。
鈍足の杖をかけると、土ぼこりをあげながら目のまえでとまった。殻は短剣がとおらないほどかたい。迷妄の杖であたまを叩いて、崖のまえにハムのかたまりを置いた。
鈍足から覚めたとき、崖めがけて走ったハサミムシは、そのまま肉をくわえて、水平線にむかって飛んでいった。高度が尽きたとき、海中で宴がもよおされるだろう。
「またハムが減りました。崖は危険ですし、すこしはなれて歩きます」
『虫だらけだもんなァ……』
「崖にすんでいる生き物は、穴のなかでずっと獲物をねらっています。私だったら退屈してしまいそうです」
『あいつらに高等な感情はないだろ』
『体がでかくて脳がちいさいから、独自のコミュニケーションってメスを呼ぶくらいじゃないか』
「人間のような感情がないなら、退屈もない……食事と繁殖だけが目的なら、合理的です」
『そうだよ』
『生き残るための習慣化された知恵、いわゆる本能に従っている。生物ごとに独自の工夫があるなら、その使いかただけを知っていればいい』
「たとえば蜘蛛がもっている巣とか毒とかは、獲物をとる工夫だと思います。では、誰がそう作ったのでしょうか。神さまがつくったのなら、工夫したのは神さまじゃないですか?」
『おまえんとこは、そうかもな』
『適者生存、生き残りやすい形に進化したんだと思う』
『わかる』
『作ったのは誰かわからない。でも誰も干渉していない』
『※ザナ※と※※ナミが天からおりてきて、国生みをしたんだぞ』
とりとめのない会話をしながら、礫砂漠の深部にはいっていった。
内陸に向かうにつれて、地面が柔らかくなってゆく。
足を取られる砂地が多くなる。亀裂近くの地面はかたいが、あまりに近いと、引きこまれそうで怖い。
柔らかい砂地には、新しい種類の魔物がいた。地面がクレーターのように盛り上がって、そこから節足動物らしき脚がはみ出していた。おそらく砂蜘蛛だろう。脚には青紫色の太い毛が、ところどころに生えていて、よく燃える植物の葉の色にそっくりだった。
『倒して』
「倒しません」
砂のうえをどすどすと歩く足音がする。
遠くの砂丘をラクダのむれが疾走していた。その後ろを巨大なヒヨケムシが追いかけている。最後尾のラクダが転び、そのうえにヒヨケムシがのしかかる。頭に生えた二対の
「倒しません」
『まだ何も言ってない』
実際、倒す意味はあまりなかった。
ヒヨケムシの鋏角は、甲殻防具屋ならほしがるかもしれないが、殻を加工する手間を考えるだけで、やりたくなかった。
あたまから鋏角をちぎって、中身をきれいにほじりだすだけでも大変だ。そのあと洗って乾燥させると数日はかかる。
「生かしておいてあげます」
ヒヨケムシにむけてつぶやいた。ラクダはますますばらばらになり、ヒヨケムシは背後で陽炎のなかに消えていった。
進むにつれて亀裂はせまく、低くなってゆく。あわせて20時間ほど歩くと、深さは4メートルほどになり、亀裂のはばも2メートルを切った。浅くなった海の波が、上下にゆれてしぶきをたてている。
テラノヴァはジャンプしてすきまを越えた。
「ふぃー……」
これからふたたび崖にそって、海岸までもどる。
地図とコンパスをみると、砂漠を北北西に横ぎれば、最短距離で目的地までたどり着ける。すこし行ってみようと思ったが、あたまをふってバカな考えを追いだした。
海岸にもどる途中で、ゆるい土が陥没して、すり鉢状になっているくぼみを見つけた。
好奇心から近寄ってみる。
「丸いです」
中心に向かって、やわらかい砂がさらさらと崩れている。蟻地獄と言うよりはクレーターだった。半径が10メートルほど。中央部では黒い甲虫が土にうもれていた。口には崖ワームをくわえている。両方とも死んでいるのか、うごかない。甲虫の甲殻には、夜空のような模様があった。
「これは天河天道です。背中の模様は、成虫になった日の夜を映しているといわれています。こんなにはっきりと、夜空の模様が出ている状態はめずらしいです。雲のない日に変態したのでしょう」
『星座に詳しい人が見れば、いつ成虫になったのかわかるな』
『テントウムシが捕まえているのって、崖から生えていたみみずだろ』
『俺もノヴァちゃんとヘンタイしてぇな(笑)』
「奇麗な甲殻はたかく売れると聞きました。二匹とも死んでいるみたいですし、千切って持っていきましょう」
『おまえ……学習能力がないのか?』
『気を付けろよ』
クレーターに一歩足をふみだすと、足首まで砂にしずんだ。想定よりも地面がゆるい。念のためにロープを出して、岩にくくりつける。
「コラリア、危なくなったらひいて」
腰にロープをむすび、コラリアに持ってもらう。
中心までは5メートルほどおりる。ずぼずぼと足をとられて進んでいると、途中で斜面がくずれ、半透明の黄色い岩が露出した。黄色く濁った水晶のようだった。
その周りだけ、砂のうごきが速い。
「これ、土の魔石です」
土に刺さったつららのような魔石をぬいた。砂を落とすと蜂蜜のような黄色にかがやく。
この魔石をあつかった経験があった。
ちいさな粒は高価ではないが、ある程度のおおきさがあると武具などに使われるため、一気に値段があがる。今持っている魔石は、削りだして短剣にするのにちょうどいい。
黒い岩のなかにいくつも魔石の筋が走っている。さらにちいさい塊も、天河天道のちかくに散らばっていた。埋もれている魔石を掘りだせば、ひと財産になるだろう。
「私は手近なものだけもらっていきます。あとはこれを見ている月の人にさしあげます。地上にきたときにほって路銀にしてください」
『魔石助かる』
『うんうん』
すり足でおりて、クレーターの底にきた。魔石をひろいつつテントウを観察する。完全に死んでいた。
テントウの背中にのる。
背中をのぼり、翅を持ちあげてうごかそうとしたとき、右腕に痛みが走った。
「え?」
何かが足首にからみつき、背中から砂のうえに落とされた。
「が……!」
呼吸が止まった。悶絶しながら足元を見ると、崖ワームがしきりに触手の針を、ブーツに刺そうとしていた。そのまま噛みつかれる。
円形にならんだ牙が貫通し、円形の痛みがやってきた。
とうに死んでいたと思っていた青白い長虫は、まだ生きていたのだ。
「うっ……」
からだがしびれ始める。
ブーツを貫通した冷たい針のさきから、おそらく麻痺毒を流されている。
からだの制御が急速にあやしくなる。不自由になるまえに、なんとしてもワームを殺さなければならない。砂のうえに落ちた短剣をひろい、ワームの頭部をなんどもつき刺す。白い体液がこぼれる。しかし口を離さない。
くり返すごとに手の感覚がなくなっていった。右手の小指から、人差し指までの感覚が消える。
『やばい!』
『大丈夫?』
『逃げろ』
「こここのののわたししししががが、ににげたりりりしまません」
意思のちからで肉体の不調を
自分は無敵の人間だと思いこみ、精神に変調をきたすかわりに、自由に肉体をあやつる。
熟達した戦士は毒をうけても、自己治癒力をたかめて抵抗する技術を持っているが、それをさらに限定的にして、魔力によるあやつり人形と化す。
無敵の人になったテラノヴァは、短剣をつよくにぎった。崖ワームのからだを半分きりとった。傷口からさらに腕をいれ、喉のうえにある神経節とおもわしき部分をこじりまわす。長虫から力がぬけて牙がはなれた。砂のうえでだらりと倒れた。
「……」
唇がしびれてうごかない。指先の感覚もなくなりはじめていた。
(コラリア、ひいて……)
せめてうえに登ろうと思念をおくる。ゆっくりとロープが引かれた。
(まだ動ける。なぜなら私は動ける人間だから。毒なんて無視、無視。私は弱くないから効かない。そう決まっているにゃ)
物語の主人公──魔導獣人のすがたを思いうかべ、それになりきる。
しびれはじめた下肢が言うことをきかない。
足首から股まで一体化したような感覚だった。砂の坂にかみつくように手をにぎり、のしかかり、からだをおしあげる。
目がかすむ。コラリアと視界を共有すると、岩に触手をからめて、ロープを後ろに送ってくれていた。
(ありがと)
ほとんど動けなくなった。砂に顔面をつっこんだまま、ずりずりと引きあげられた。
クレーターのふちをこえたとき、地面にあった礫が顔面をこすっていった。
麻痺が解けたのは数十分後だった。口のなかが砂と血で汚れている。頭痛がして気分が悪い。
「うぅ……」
なんとか起きあがる。そばでコラリアが守ってくれていた。
「ありがと」
礼を言って抱きあげると、腕に絡みついてきた。強くしめつけられ、すこし痛みを感じるほど、心配させてしまった。
水で口をすすいで、なんどか吐きだす。
近くに配信球が落ちていた。魔力の供給がとだえて、自動的にオフになったのだろう。魔力をこめると、すぐに浮きあがった。
何かいうまえに、月の人たちの発言が滝のように流れた。
『生きてた! いやったー!』
『おかえり!』
『心配してた。よかった……』
『驚かせやがって。もし死ぬなら死に顔くらい見せてくれよな(##### → 金貨3枚 銀貨1枚に変換)』
『無事でよかった!』
月の人たちは本気で心配していたらしい。テラノヴァは素直に喜びつつも、性行為と殺戮がだいすきな月の人が自分を心配していて、すこし不思議に思えた。
「お待たせしました。コラリアが助けてくれました。私の従魔は役に立ってえらい子です」
腕にしがみついているコラリアを見せる。
「今は心配して、しがみついています」
『かわいい』
『かわいい。おれもほしい』
『心配させるな』
『いつか死ぬって言われていたけど、こりゃその日も遠くないな』
『がんばれ』
『そのイカを非常食にしろ』
「
(もちろんあります。発言を消したり、発言できなくしたりする機能が備わっています)
テラノヴァはやり方をたずね、コラリアを食料にする旨のコメントを消した。
「コラリアを揶揄する発言はゆるしません。これから先もそういったものは削除しますし、しつこくくり返すなら発言不可に指定します、覚えておいてください」
『はーい』
『BANされたいときはコラリアを
『みんなも気を付けよう!』
『どんなラインが駄目か明示しないと無意味な警告だぞ。配信者と視聴者の権力こう配を考えると、不公平って判らないのか? 少数者の権利をないがしろにする決定は無効(##### → 銀貨1枚に変換)』
「……えっ? ドエロベスピエールさん、意味がよくわかりません」
『なんだいまの?』
『長文で笑った』
『図星を指摘されて焦っているな。信者にはこれでも勝ちに見えるんだろうが、エコーチェンバーって知らないだろうな(##### → 銀貨1枚に変換)』
『消されてて笑った』
『残念ながら当然の結果』
「ではもう一度、
『えっ? バカなの?』
『懲りろ』
クレーターのふちにゆくと、天河天道のからだがふるえていた。丸いからだをもちあげて、ゆっくりと鞘翅をひろげる。内側から透明な羽がまろびでた。
──ヴォン
テントウが飛んだ。クレーターをこえて空高く太陽をさえぎり、テラノヴァの近くに着地した。鼓膜をたたく騒音と、盛大に土煙があがって視界をさえぎられた。
襲われるかと身構えたが、楕円形の甲虫はとまったまま。
黒真珠のような2つの瞳に、テラノヴァのすがたが反射してうつっていた。
「……」
『なんだ?』
攻撃されるでもなく、そのまま見つめあっていると、天河天道がこきざみにゆれた。
メキメキと音をたてて、肉体が内側に折りたたまれてゆく。翅がもちあがり、身体の中心に吸いこまれる。目に見えて質量が減り、幻影魔法のように輪郭がぶれた。
頭部がメリメリと圧縮された。足の数がへり、統合され、甲殻のかわりに肌が生まれた。人間のような肢体──茶色い肌に、すらりとのびた手足、藍色の髪の毛、のけぞった上半身で乳房がふるえた。よつんばいで、あたまをあげ、黒い瞳が空をみあげている。
夜空の色をした布が生まれ、帯のごとく巻きついて身体をおおった。
「ワーレディバグ……」
獣人の一種だ。人間形態に変身できるワーウルフやワータイガなどがいるが、昆虫系の魔物もいるとは知らなかった。
褐色の女はしばらく地面に手をついていたが、ゆっくりと起きあがった。鈍足の杖をにぎった。テラノヴァよりもあたまひとつ分たかい女が見つめてくる。
「タ、タ、タスケル。アリガト」
「……」
「ムラ……クル。レイ、ヤル。チカイ」
区切り区切りでゆっくりと、共通語を話している。甲虫はジジジやビーっといった雑音しか出せないと思っていたため、その知能の高さにおどろいた。ワーレディバグは両手を出した。早くつかめと言わんばかりに、手を広げている。
「クル……イイ?」
「……」
「イイ?」
無言でいると、悲しそうに眉をさげる。人間のように感情表現ができている。
テラノヴァは変身する獣人など、危険な
「……イイ?」
『かわいそうになってきた』
『喋れるし大丈夫だろ。行ってみろ』
月の人たちの能天気な意見を聞きながしつつ、なやむ。
確かに共通語をしゃべる
「わかりました。行きます」
いざとなれば始末すればいいと考え、手を取った。
ワーレディバグは喜びで顔をかがやかせた。
「イク! ワタシ、トブ! トブ!」
ローブが盛りあがり、背中からテントウムシの羽がはえた。両腕をつかまれ、10メートルほど浮きあがった。
「うわぁ!」
空を飛ぶ経験ははじめてだった。
マントが風を受けてたなびく。風が全身をとおり抜けてゆく。
足元を通りすぎてゆく地面をみると、馬車の2倍以上は速度がでている。
浮遊感は自由を感じさせる。地面からの解放、空との一体感──地形を無視して移動できるとは、これほど便利なのかと思った。
「コラリア、しっかり捕まってて」
配信球も肩のちかくで並走している。
『お空飛んでる!』
『地平線まで黄土色だよ』
『風の音すげえ』
『カ※※リ砂漠に行ったときこんな風景だったぞ。※※※ンから半日移動したけど何もなかった』
「月の砂漠は広そうです。今からどこに連れて行かれるか楽しみですが、あまり遠いと帰りが大変です。帰りも送ってくれるか頼んでみましょう。ワーレディバグのすみかなんて初めてですし、歓迎してくれるとうれしいです」
『うんうん』
『遊牧民の村みたいな感じなのかな』
『命を救ったんだから何かもらえるかも』
『メスをもらえ!』
1時間ほどの飛行で、砂漠のなかにちいさな森が見えた。中心部に水をたたえたオアシスが見える。
「ムラ! ツイタ!」
あたまのうえで弾んだ声が聞こえた。高度がさがりはじめる。森のちかくには、小柄な人影が何人もいた。ワーレディバグではない。子供がローブをかぶっているようなシルエットだが、腕が地面につくほど長い。
おりたときに正体が分かった。猫背な灰色のモグラの魔物だ。長い爪で草を抜いたり、岩を運んだりしている。
テラノヴァたちが近づくと、作業の手を止め、地面にひれふした。
「ムラ、イク!」
「……」
先導するワーレディバグはモグラたちを
『このモグラたち、目があるな』
あたまを伏せている横顔に、茶色い目がついていた。目が合うとさらに顔をふせる。徹底的に服従をしこまれている。
森の南東部分に、洞窟がくちを開けていた。日に焼けた赤茶色の地面がえぐられ、地中につづくゆるい坂になっている。
ワーレディバグが手を引いてなかに入ってゆく。坂の途中でべつのワーレディバグにであったが、無反応だった。なんどか曲がったさきで視界がひらけた。広大な地下空洞に出た。
思わず息をのむ。
木造の伽藍を中心に、地上とそん色ないくらい果樹園が広がっていた。
琥珀色の魔石に照らされた、色素のうすい白緑色のリンゴの果実がある。地上よりもさらに多くモグラたちが働いていた。
「これは……」
『すげぇー』
『地下農園じゃん』
「コッチ、クル」
コロシアムに似た建物に案内された。
大伽藍の中央には、昆虫形態の天河天道が8匹、円をえがいて座っていた。どこかあまい匂いがただよっている。
「タスカッタ、イノチ、ウレシイ」
テントウたちは何やらカチカチとあごを鳴らし、盛んに触覚をうごかしている。
「ウン、ウン、ワカッタ!」
何もわからぬうちに謁見がおわり、伽藍からつれ出された。
建物の裏手に案内される。そこにはレンガと天然石で作られた露天風呂があった。視線をさえぎるものがほとんどなく、地下果樹園で働いているモグラたちの様子が丸見えだった。
「マツ。ミズ」
しばらく待っていると、モグラの魔物が何匹も、桶をあたまのうえにかかげてやってくる。地上から運ばれた暖かい湯が、湯船に満たされてゆく。
浴槽をかこんでいる黒い石のレンガは、水はけの良い溶岩製だ。テラノヴァは連れ込み宿でみた覚えがある。
浴槽はレディバグ状態にはせまいおおきさだ。
「ここは人間になったときに使うお風呂ですか?」
「ソウ! ヒト、ナル! ハイル! ハイル! ウレシイ!」
『やったぜ』
『フロ、ハイル! ハダカ、ミル!』
『ハイル! ハイル!』
月の人がワーレディバグの真似をして盛りあがっている。
ワーレディバグはすでにローブをぬいで、肌をおしげもなくさらしている。
『見ろよあのデカパイ』
『尻もボリューム感あるよな』
『ありがてぇありがてぇ』
種族の外見の面影が、人間形態にも残っているのだろう。胸も尻もまるみをおびておおきく、太ももはむっちりとしている。蜂のように腰がくびれているだけに、余計に肉付きが強調されていた。
湯をまっているあいだに、モグラが果実を乗せた盆をもってきた。うやうやしく頭のうえにかかげ、ひざまずいている。
「クウ! クウ!」
青白いリンゴが1つ、水色のグミの小山、10個ほどの粒がついた黄色いナツメヤシが一房、ピンク色の苺が5つ、芽キャベツのような外見をした謎の植物が1つ乗っていた。
『おお、まともそうな食い物』
『毒は平気なのか?』
ワーレディバグは手づかみでむしゃむしゃと食べはじめる。あごの力が強く、リンゴが一口で半分以上がけずりとられた。
果汁が飛びちり、テラノヴァはすこし距離をとった。
色の濃い果実は地上産、その逆は地下だろう。しかし謎の植物だけは何かわからなかった。
「これは何ですか?」
「パン。アブラパン」
ワーレディバグが濃い緑色をした実を手にとり、メキメキと割った。内部はあかるい黄色がかった実がつまっている。中心に橙色の種がひとつ入っていた。片方をわたされた。思わずうけとってしまう。
「クウ。ウマイ」
ニッとくったくのない笑顔を向けられる。
黄色い断面から、ほのかにあまい香りがした。
ワーレディバグは皮ごと果実を食べている。ギュム、ギュム、とかたそうな咀嚼音が聞こえた。
「いただきます……」
おそるおそる、皮をむいてかじってみる。
生焼けのパンのような、もっちりとした噛みごたえがした。噛むたびに、わずかなあまみを持った果汁があふれる。痛みや痺れはない。
「ん……これ」
唇が果汁ですべる。果汁に油分が大量にふくまれている。
だからアブラパンなのだろう。
ひとまず害はなさそうだったが、生食よりは焼いたほうが、おいしく食べられるのではないかと思った。
「……」
テラノヴァが持っている果実を、ワーレディバグがじっとながめている。かじりかけで悪いと思いつつさし出すと、目をかがやかせて受け取り、ひとくちで食べた。
成人女性の外見をしているのに、子供のようにほおばるすがたはギャップをおぼえた。
風呂の準備ができた。
「フロ、ハイル! イッショ!」
ワーレディバグが一足先に飛びこみ、なかから手招きしている。
こんな魔物の巣で服をぬいでは危ない。しかし断ったとき、機嫌を損ねたあいてが戦いを決意し、修羅の巷をつくりだす可能性もある。
それをふまえても、風呂は魅力的だ。
砂漠の野営では、ときどきからだを拭くだけ。湯船は透明なお湯で満たされ、はいれば清潔感をもたらしてくれる。
「いただきます」
誘惑に負けた。マントを脱ぎ、ローブをたたみ、下着を置く。コラリアだけはもって風呂にはいる。
『ハダカ! ミル!』
『魔物より貧相な身体だ』
「あー……きもちいいです」
「キモチイイ。アー」
なさけない声を出したテラノヴァを見て、ワーレディバグがまねをして笑っている。月の人の低知能な感性とちかい。
お湯の中にいる浮遊感。空中とはまたちがった、溶けるような解放感があった。
ワーレディバグが肩にいるコラリアを指さした。
「タベモノ?」
「違います。仲間です。仲間、食べる、だめ。理解できますか?」
「ワカッタ」
ワーレディバグがとなりまで泳いできた。腕につかまってあたまを寄せてくる。
「ヒヒヒ」
みょうな笑い声をあげた。舌で頬をなめてくる。あたまの奥がむずがゆくなる。そのままキスされた。
「んむっ」
果物のあまみを残した舌がからんできた。背中に微弱な快感がはしる。
いますぐ走り出したくなるような衝動が、唾液を味わうたびに背中にはしる。
やんわりとおし返そうとしたが、無理やり浴槽の壁におし付けられて、お腹のうえにまたがってくる。
「イヤ? イヒヒ……イヤ?」
豊満な胸の感触がする。やわらかいパンのように腕にあたってつぶれる。首に腕を回され、もっちりとした肌で、全身をこすりつけられる。ざぶざぶとお湯が波打った。
ふたたびキスをされ唾液を流しこまれた。
『レズ! レズ! レズ!』
「ん……」
見た目があまり人間とかわらないため、昆虫人間と性行為をおこなっている忌避感はうすい。ただ、あまりに付きあいが薄いため、精神的なつながりなどなく、行為自体では興奮はできなかった。
身体をあわせて時間にして5分ほど。
ワーレディバグが不思議そうな顔で首をかしげていた。
「オマエ、ヘン」
「何がですか?」
「ワタシ、スキ、ナイ。ヘン」
「唾液に催淫作用がありましたが、もしかして誘惑していたのですか?」
「ユウワク……ソウ、ワタシ、ユウワク、シタ!」
「そうですか。私は精神耐性が高いので、毒はあまりききません」
理解できなかったのか、からだをかたむけた。
「ドウシテ?」
「耐性ができるまで、なんども自分にかけました」
「ドウシテ?」
「どうしてでしょう……」
理由を話したくなかったので、自分でもわからないという風に回答する。じゃっかんあたまのおかしい人に見えてしまった。
ワーレディバグは考えてもわからなかったのか、湯船をおよいで離れていった。
「ふぅ……」
『おいレズおわりか?』
『いつものねちっこいセックスはどうしたんだよ』
『やる気だせ』
「仕方ありません……もうすこし毒をのんだら、効くかもしれません。誘惑を試してみますか?」
「スル! ン……」
両手をひろげると、すぐに戻ってきてキスをしてくる。背中がむずがゆくなるが、それ以上の効果はない。
「ン……ン……ヘン……ヘン……」
ワーレディバグの表情が、ゆるくほどけはじめた。
風呂の熱で蒸されているのではない。
性的な衝動が、皮膚をあかくそめていた。誘惑効果は減衰されていたが、魔力によってわずかな快感が共感され、本来の効果としてワーレディバグに伝わっていた。
「ヤル」
「何をですか?」
「コドモ、ツクル。オマエ、ワタシ、ヤル」
「できません。私たちはおなじ性別で、そのうえあなたはべつの種族です。子供は無理です」
「……カナシイ」
ワーレディバグはあきらめて湯船に沈んだ。ぼこぼこと泡が浮かんだ。
『なにやってんだよレズセしろよ』
『オカズにしようとしたらすぐに終わって風邪を引きそうなんだが?』
『ドキドキしちゃった』
「こんな魔物の巣で何もしません」
月の人にむけた小声を、ワーレディバグが聞きとがめた。
「シナイ? オマエ、ドコ、ハタラク?」
「私はポーション屋さんではたらいています。いまは休暇中です」
「ウエ? シタ?」
「どういう意味でしょうか」
「シタ……リンゴ、グミ──ウエ……イチゴ、アブラパン」
必死に言葉をさがして話している。幼児と会話しているようだが、言語レベルはその程度なのだろう。
「ハタラク、ナイ、ダメ」
ワーレディバグが食べる仕草をした。
「もしかして、ここではたらく場所を決めろと言っているのですか?」
「ウン! ハタラク!」
「ここにとどまるつもりはありません」
「ダメ、ハタラク、シナイ……エサ」
「……餌?」
「モグラモチ、ハタラク、シナイ、ブシャー」
ワーレディバグがモグラの魔物を指さして、首を切る仕草をした。そのあと口をうごかしている。
この虫はこう言いたいのだろう。命を助けたお礼に奴隷にするが、はたらかないと食う、と。
巣から出ようと立ちあがったが、そばにおいていた服とカバンが消えていた。
「えっ」
下着すら残っていない。ぬれた岩のタイルだけが残っていた。
恐るべき後悔がやってきた。敵地で装備なし。味方もなし。動悸がはやくなり、湯にまざって冷や汗が流れた。
「コラリア、こっち」
浴槽のふちにいたコラリアを腕につかまらせる。これで丸腰ではなくなった。しかし装備がなければ、脱出は難しい。
ワーレディバグが太もものあたりに泳いでくる。無害なふうをよそおって、やってくれたと怒りをおぼえる。
「コドモ、ヤル?」
「やりません。私もはたらきます」
「ウン」
「それで、私の服と装備はどこですか?」
「モツ、ダメ。ミンナ、ツカウ」
「共有財産になったという意味ですか? ですが私のかばんは、私でなければ開きません」
「ダメ! ミンナ、ザイサン!」
かたくなな返事だった。
テラノヴァは自嘲して、引きつった笑いを浮かべた。
「困った事になりました……」
『やべぇ~』
『何とか隙をみて逃げ出そう』
「こんなところに長居はしません……月の人にお願いがあります」
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