第7話 役にたつ月の人の助言
「はぁ……はぁ……」
テラノヴァはかばんに手をのばした。
遠い……からだがうごかない……。
敷物をつかみ、どうにか引っ張ってうごかす。何分も休憩をはさんで、いもむしのようにゆっくりと進む。
のどが痛い。脱力感がひどく、痙攣のしすぎで骨のうちがわに鈍痛をおぼえた。
「ぅぐ……もう、ちょっと……」
鉛のように重い腕で、普段よりも重厚に感じるかばんのフラップをめくる。
なかをあさって、ずっしりとした怪我治療ポーションをとりだした。手がふるえて力が入らず、ふたが開かない。数分挑戦したがだめだったので、口をつかって開けた。
ことりと倒れた瓶からみどりの液体がこぼれる。犬のようにはいつくばって飲んだ。
「はぁぁぁ……」
けだるさが消えてゆく。筋肉の痛みや、骨のきしみが淡雪のごとくきえさった。念のためにもう一本飲む。ずきずきとした頭痛が一掃されて、まっさらになった。
「リードさん」
口移しでリードにも飲ませる。一本すべてを飲ませ終わったとき、精液まみれのリードは目をさました。
「もう一本、自分で飲めますか?」
「……」
リードはぼんやりした目で首をふった。もう一本も口移しであたえる。
「ぷは……わたし、ねてた?」
「はい。ふたりとも気絶していました。夢中になりすぎて、体力を使いはたしたみたいです」
「そうだったんだ……なーんにも思い出せない。うわ、うわ! ぬるぬるでびしょびしょ、うわぁぁ」
リードのからだは各種体液で湿っていた。敷物からはアンモニア臭もする。
「これ、おねしょみたいに思われちゃう……やだ」
「もどったら洗濯しておきます」
「うん。ねえ、今日は朝から、もやもやーってしていたけど、すっきりしたよ! わたし、まちがってなかった!」
「それはよかったです」
「でもテラノヴァ……」
「どうしました?」
「おしりは、あんまりさわらないでね?」
「……はい」
肛内にはたっぷりとそそぎこんだ精液がつまっている。膣もそうだ。
リードがたちあがったとき、半透明の液体と、精臭が、股からむわりとたちのぼった。
しばらくテントで後始末をしたあと、体力が思ったよりも回復せず、眠ってしまったリードを抱っこして街に戻った。
市門をこえたときには、すでに太陽は沈みかけていた。
「んー? どこ?」
「目が覚めましたか。ここは大通りです」
「寝ちゃってた?」
「はい」
「んんぅー……まだ、へん。股のあいだがじんじんするし……お腹のなかも、あったかい。なんで?」
「外側はふきましたが、なかに精液が残っているからです」
「そっかぁ。精液ってあったかいんだ! じゃあ、じゃあ、股がじんじんするのはどうして?」
「私のペニスでたくさんこすったから、その感覚がまだ残っているのでしょう」
「そっかぁ。いっぱいしたもんね」
となりを歩いていた中年の市民が、ぎょっとした表情をした。ふたりのあからさまな会話をきいて、いぶかしげに見ている。
テラノヴァはそれに気づいて、リードの名誉のために苦しい言いわけをかんがえた。
「猥談の練習です」
と照れて言った。明らかにごまかしきれていなかった。
「ん……もうおろして、ひとりで歩ける」
「動かないでください。このまま家まで連れて行きます」
「でも、恥ずかしいし……ひとりで歩けるし!」
「ふらふらしては危ないです。私の実験を手伝ってくれている助手のかたも、終わったあとは、いつも立てなくなってます。無理しないでください」
「……え?」
「だから家まで送っていきます」
「う、うん……えっ?」
リードはしばらく大人しくしていたが、胸中では、もやもやとした疑問がうずまいていた。
テラノヴァには自分以外にも、このような行為をしている相手がいる?
好きなきもちを、べつのひとにも向けている?
ちがう人ともしているなんて、裏切りであり、ゆるせない。それは嫉妬からくる、怒りに似た感情だった。ともあれ、事実を確認しないといけなかった。
「ねえ、助手にも、おなじことしたの?」
声のトーンが低くなっていた。テラノヴァはしばらく考えていた。なにか小声でつぶやいている。
(わかりました。はい。そういいます)
「いえ、レーニさん──助手のかたの名前です──から恋人の話を聞かされたとき、そんな風になるって教えてもらいました」
「ちがうひとの話なの? テラノヴァはその人とは何もないの?」
「レーニさんは助手です。仕事でしか関係がありませんが……ほかに何かあるのですか?」
「ううん……なんでもないよ。わたしのかんちがいみたい」
「そうですか」
「うん」
リードは疑念を追いだした。
本人がちがうと言っているのだから、それを信じたかった。明らかに矛盾があるのだが、裏切られたと思いたくない。逆に怒ってしまった自分を恥ずかしく思い、所有権を主張するように、ひとまえにもかかわらず、たくさん抱きついた。
テラノヴァはされるがままになっていた。
(なんとかなりました)
機嫌がなおったリードを抱きながら歩く。
テラノヴァが失言してしまったとき、視聴していた月の人が、すぐにごまかせと教えてくれた。
私生活を話しても無関係だと思っていたが、感情に関しては無関係ではないらしい。
『リードが浮気していたときを想像してみろ』
『2股は、ばれないようにするのが基本』
『普通は黙ってるだろ頭いかれてんのか』
などと辛らつなコメントを受け、挽回にうごいたのだ。
(ありがとうございます。危うく怒らせてしまうところでした。私としては浮気をされても気にならないのですが、感情って不思議です)
『ごまかせてえらい!』
『なんで平気なんだよ。リードとは遊びだからどうでもいいってか』
『気を付けろ。こんな調子じゃ近いうちにバレる。そん時の言い訳も考えておけ』
『もしばれたら、両方に「お前が本命でほかは遊び、もう別れた」って言え』
(……参考になります)
テラノヴァとしてはふたりともかわいいので、みんな仲良くできればいいし、それほど深い人間関係を維持したいとも思っていない。本質的には個人主義者であるため、他人の人生にかかわっても、あくまで一時的であり、あいてもそう思っていると考えていた。
いうなれば、通り過ぎるだけの通行人の役割に、自分を置いていた。
それゆえ性行為での共感や快感は楽しかったが、それ以上の関係は求めていなかった。
しかし、どうもそう簡単にはいかないらしい。
自分がそう思っているからと言って、あいても同じだと考えるのは失敗だった。
3人で一緒にやるとしても、リードとレーニは面識がなく、おたがいを異物と認識するだろう。知らない人なのだから。
テラノヴァも他人と寝所にいるのは怖い。無防備に裸をさらけだす、愛の行為などできるはずがなかった。
(そうだ。3人でするときは、ひとりをコラリアに相手してもらうのはどうでしょうか。私とおなじ見た目なら不快感もすくないと思います)
『何の話だよ。前提をまず教えてくれ』
『もしかして2人いっしょにやるつもりなのか? 絶対にこじれるからやめろ』
『キレられてもおかしくない』
『頭おかしくて笑った』
(賛否両論です……)
『賛がねえよ』
月の人たちにきびしい意見をぶつけられ、やや落ちこんだ。月の人はリードがほかの人に寝取られた場合を想像しろと言っていた。それでもいいと言えば、共感されないのだろう。
抱っこしているリードに、人目を忍んで時々キスして、感情をごまかした。
リードを家に送りとどけたとき、あそび疲れて動けなくなったと一応の理由を話した。信じてくれたようで、ミニロック鳥のたまごをわたすと、たくさん取ったと褒めてくれた。
さらに豪華な首輪を見せる。
「宝石が入っているな」
「リードさんが鳥の巣で見つけました。ペットは食べられてしまっていましたけど、捜索依頼が出ているなら、これは証拠になります。リードさんのかわりに、ギルドで確認してくださいませんか?」
「名前が書いてあるが……アリテ……読めんな」
「アリテゲイヨ。魔法語で荒廃という意味です」
「ろくな名前ではないな。ペットにつける名前だとは思えん」
「悪い名前を付けて、邪悪から身を隠す風習なのかもしれません」
「それはこの街でやってる風習なのか?」
「いえ……」
「まぁいいだろう。冒険者ギルドでその「アリテゲイヨ」とかいうペットの依頼を探してやる」
「ありがとうございます。もし達成できましたら、リードさんにいくらかお小遣いをあげてください」
「そうしよう」
#
工房にレーニがたずねてきた。何やら深刻な事態が起こったのか、顔を青くしている。
玄関では言いにくそうにしていたので、応接室をかりて対面にすわる。レーニはお茶を飲んで、しばらく無言で震えたあと、ようやく話しはじめた。
「あの……私、妊娠しているかもしれません。どうすればいいですか……?」
深刻な表情でつげられた。テラノヴァは首をかしげた。
「妊娠している兆候があるのですか?」
「ううん、初潮が来ました。だから、妊娠しているかもって思ったんです」
テラノヴァは隣にすわって肩を抱いた。ゆっくりさすって落ち着かせる。テラノヴァも女なので、望まぬ妊娠の怖さはわかる。
「安心してください。ふたなりポーションで作った精液では妊娠しません。あくまで疑似的な行為ですから、子供を作る能力がありません」
「えっ……そうなのですか?」
「はい。ポーションでつくられた精液は、おたがいが気持ちよくなるだけです」
契約書には書いてあるのだが、レーニは読めない。だますような行為をしてしまい、罪悪感がわいた。
レーニは安心したのか、笑顔になった。まだ残っているお茶を飲んだ。
「気にしなくていいんですね?」
「はい」
「よかった──私、妊娠したらどうしようって、ずっと思っていたんです。子供を育てるお金がありませんし、仕事もこれからですし、すごく不安でした」
「最初に説明すればよかったです。不安にさせてすみません」
「あなたが養ってくれるなら、何も心配はいらなかったんですけど……」
余裕ができたのか、いたずらっぽく笑って、軽口まで言った。
逆にそれが、テラノヴァを恐怖させた。
養ってくれるなら──つまり妊娠させてしまった場合、責任をとって扶養しなければならない。それは家族に対してお金をかせぎ、家庭を維持する責任をもつという意味である。
あり得ない出来事と思いつつも、想像してしまった。
「どうかしましたか?」
「いえ……」
想像が止まらない。
工房での仕事についているので、継続した稼得能力はあると言える。仕事も安定はしている。しかし今までのように、賃金のすべて趣味につぎ込むなどはできなくなる。
ポーション、スクロール、杖、高性能な装備、付与──家族を持つならそれらをあきらめなければならない。
命を軽んじた冒険にも出られない。
「ハァ……ハァ……」
「あの、調子が悪いですか? 人を呼びますね」
「いえ、平気です。もし子供がいたらと想像したら、責任感で胸が苦しくなりました。妊娠能力がなくてよかったです。子供ができると大変ですから」
「……そうですね」
レーニは苦い表情をしているが、もし妊娠機能が備わっていたら、それもできなかっただろう。無責任に性交を楽しめる状況だからこそ、責任が発生する想像で遊べるのだ。
「レーニさんはいい気づきをくれました。友達にも不妊だと教えてあげましょう。きっと安心します」
「ほかにも実験してる人がいるんですか? テラノヴァさんがひとりで作っていると思ってました」
「いえ、私一人で作っています。友達にたのんで、実験に協力してもらっていました。今度説明しておきます」
「──あなたとどういう関係のひとです?」
「お友達です。10歳の子(人間換算20歳)で、甲殻防具屋で働いています」
「ああ、まだ子供なんですね──えっ?」
「どうかしましたか?」
「まだ子供なのに、妊娠の心配はないって教えるって、どういう意味ですか? まさかその子にポーションを飲ませているんですか?」
「……」
レーニから陽気な雰囲気がきえて、明らかにマイナスの感情をもった表情をしていた。肩をなでる手をはらわれる。
いままちがった答えを言うと、話がこじれる。
テラノヴァはどの回答が最も嫌われないか考えた。
リードが女の子の場合、
テラノヴァにペニスを生やしてリードを犯す。
リードにペニスを生やして、テラノヴァを犯す。
この二通りがある。どちらも嫌悪感をいだかれる可能性がたかい。
性別を知られていないのなら、リードを男の子だと嘘をつく。
疑似ヴァギナを少年に作って、実用性の実験していた。これならば道徳的に劣るが、嫌われる割合がいちばんひくい。この回答がベストだった。
「実はリードさんは男の子で、ポーションで女の子になってもらっていました」
「……最低。信じられない! 子供に手を出したなんて、頭がおかしいんじゃないですか!?」
「いえ、わたしがやったのでは──」
「やったんでしょう! 常識で考えれば、ダメだってわかるでしょう! 最低です!」
テーブルが叩かれ、お茶のカップがわずかに浮かんだ。
レーニのなかでは少年を女の子に変えて、それをテラノヴァが犯したとなっていた。
「さいっていっ!」
「聞いてください。リードさんはただの友達です。いまは別れて、レーニさんだけを愛しています」
「こ、この……っ」
レーニが立ち上がった。思わずテラノヴァも立ってしまった。振りかぶった彼女の拳が、テラノヴァの左頬をとらえた。
「ぐっ……!」
拳がほほを振りぬき、唇が切れた。肉体労働できたえたレーニのパンチは重かった。あたまがフラフラする。さらに次のフックが無防備なみぞおちを撃ちぬいた。
──ドボッ
「えげっ」
テラノヴァはソファに崩れ落ちた。痛みで起きあがれない。胃がひっくり返って吐き気がする。油断しているときの打撃は、とても効いた。
「帰ります!」
レーニは罵倒を残し、乱暴に扉をあけて出ていった。追いかけようにも痛すぎて動けない。
腹部の痛みがおさまるまで、丸まって耐えていると、心配した工房のあるじが部屋に入ってきた。
「えらい剣幕で出ていったが、あんた大丈夫か? 何があったんだ」
「は、はひ……すこし待ってください……」
「痛がっているなんて珍しいな。殴られたのか」
「油断しすぎて、防御できませんでした──じつは」
話し終えたとき、工房長のニコラスはあたまを抱えていた。
「あんたな……」
ニコラスはあきれていた。テラノヴァは一般常識にかける娘だとは思っていたが、ここまでズレているとは思っていなかった。
10歳の子供に手を出し、14歳の愛人を宿に囲っている。
「このポーションは貴族のかたの娯楽用として売れると思います」
しかも痴情の話を早々におえて、別件を思いだしたとばかりに、ふたなりポーションを売り出せないかと、商売の話に入っていた。
「原価と工賃などを考えますと、金貨680枚が妥当です。商店街のお店で見ましたが698枚にしても売れそうです。ただ、秘密を守れるひとにだけ──」
「その話はあとにしてくれ。まずは、リードにしたことをよそで話すな。とくに父親には黙っておけ。わかったな? ……わかったのか?」
「はい……」
「下手したら殺されるぞ。あんたは2人とそういう関係になったわけだが、どうするつもりなんだ」
「いい友人関係をつづけたいと思います」
「すでにこじれているだろ。あんたそんな説得ができるのか?」
テラノヴァはうつむいて首をふった。
「……駄目かもしれません」
「じゃどうするんだ」
「レーニさんは実験を手伝ってもらっただけですので、終わったあとは独りで生きてもらいます。そのためのお金は渡してあります」
「用が済んだら捨てるって、あまりにも可哀そうだろう。そんなに割り切った関係なのか?」
「契約書を作ってあります。あくまで契約上の関係です」
「あんたの考えが不安になるんだが、ドライな関係なら殴られないだろう」
「……間違えた会話をしてしまいました」
「まぁいい、しっかり話しあってくれ。話がこじれて、危ないやつが復讐しに来るのだけは勘弁してくれ」
「気を付けます……」
ニコラスの杞憂も理解できた。
工房にはたかりをする
覚えているかぎりでも、相手を叩きのめして町にいられなくしたり、復讐にきたあいてを店のまえで死体にしたり、ゆすりにきたならずものたちの住処をつきとめ、朝駆けして数十人単位で殺したりした。
「ごめんなさい」
「家族もあんたを心配しているんだ。不安にさせないでくれ」
「ごめんなさい」
世話になっている一家を引合いに出されると、まったく反論ができなかった。
ニコラスは心配してくれている。
いつか手に負えない相手に当たって、テラノヴァが死んでしまうのではないかと。
リードの父親もおなじ心配をしていた。
市街地で血なまぐさい事件は珍しくない。口論から発展して、あいてが刺殺されるなんて、一か月に一回はある。その当事者になってほしくないと心配されていた。
「困ったら何かするまえに、おれに相談しろ。頼むぞ」
「はい……」
「レーニって子も、仕事が終わったからと言って
「わかりました」
心からの助言に感謝する。
ありがたいと思いながら、さすがニコラスは人生経験が豊富だと感心していた。
一か月がたった。
レーニの契約のおわる日である。
殴られてから会っていなかったが、テラノヴァは意を決して、夜中に宿をたずねた。ノックをして名前を名乗る。
返事はない。
開けてくれないのではないかと思った。いっそ、そっちのほうが楽かもしれない、とも。
しばらく待つと、足音が近づいてきて、カギを外す音がした。
顔をあわせたとき、緊張が走った。
「こんにちは。契約の話をしに来ました。なかに入れてもらってもいいですか?」
「……どうぞ」
ぎこちない反応のまま通される。
「今日で契約がおわりです。きちんと履行されたか確認してから、ここに名前をかいてください」
「私、その文字は読めません。知ってますよね」
「では読みあげます」
プレッシャーに負けて時々つかえながら、契約内容を読みあげた。声を出しているのに無言の空間に思える。ここに来るまでたっぷりと逡巡したが、想像よりも胃に負担が来ている。
「──以上です」
「わかりました……サインしますね」
レーニのサインをもって契約は完了した。
テラノヴァは契約書に魔力を込めて灰にした。これで違反したときのペナルティがなくなった。
「一か月間、ありがとうございました」
「……」
「これからもいいお友達でいてください」
「……」
「契約がおわった記念に、食事に行きませんか? 変わった料理の店を予約してあります。最後ですし、一緒に行きましょう」
「……」
「レーニさんがもう会いたくないと思っていても、最後くらいは楽しく別れませんか?」
あせって早口になっていた。レーニはしばらく黙っていた。
「……わかりました。いきます」
肯定してくれた。一歩前進である。
ニコラスに教えられたとおり、わだかまりのない解決を目指す。
ぎこちないまま、レストランに入った。
エキゾチックな見た目のテーブルに、スパイス油のアヒージョがおかれた。
油でゆでた素材は、市場であまり見かけない品物が多い。
となりの都市から輸入された斧角牛の小腸は、表面がこんがりと黄金色にあがり、サクサクした外側の食感と、もっちりとした内部のここちよい弾力が混在していた。白いなかみは噛むとあまい脂があふれた。
「すごい脂です。でもおいしいです」
「……」
歩行椰子の実は、芋のようにほっこりとして、安心できる口当たりだった。一度つぶしてから再形成され、内部には白いタピオカが混ぜられており、中心部はサクサクとした噛みごたえがある。
「これ、わざわざ種のかたちを再現して作ってます」
「……はい」
かぎりなく新鮮な食材を楽しんでもらおうという心づかいで、さばいたばかりの軟体動物の触手が出された。皿のうえでうねうねと動いて、吸盤が皿にはりついている。
「うわぁ」
「これ、食べ物に見えませんね」
「やめておきます?」
「……たべます」
あまりの生命力に、ふたりとも目を丸くした。色はちがうがコラリアの触手に似ていた。吸盤をべりべりとはがして油につっこむ作業は、なかなかおぞましさを感じたが、口に入れると白い筋肉はもちもちとしていい味だった。
レーニは口数がすくなかったが、次第に話してくれるようになった。料理はあまり食べないが、かわりに酒量が増えて、目がすわっていった。
杯を片手に、水牛チーズアスパラをぼりぼりとかじりながら、葡萄酒をハイペースで空けてゆく。
「そんなにたくさん飲んで大丈夫ですか?」
「だーいじょうぶです。心配してくれるんですね。そんなやさしい人だって知りませんでしたよ。お仕事が終わったら、関係が切れて終わり。テラノヴァさんってそういう人ですよね」
「私、そんな印象だったのですか?」
「ううん、いま考えました。やさしくて倫理観がおかしくて、それぞれ半分くらいです」
「半分あってよかったです」
「もっと社会に順応してください。よくないですよ。子供とするなんて、よくないですよ。よくないです」
人肉食や近親相姦、子供との性交は社会道徳として、一般的に忌避される。それを無視する宗教もあるが、世間では社会的な規範、社会の道徳として認知されていた。
テラノヴァはそのような社会常識は知らなかった。
「わたし、明日から独りだちをしないといけませんから。テラノヴァさんにはわからないでしょうけど、お金をもらえるお仕事がひとつ減るって、とーっても怖いんですよ?」
「はい」
「知らないくせに。テラノヴァさんはもしお金がなくなったらどうします? そういう明日が不安になるって気持ちがわかりますかぁ?」
「わかります」
なるべく口をはさまずに同意する。
テラノヴァも家をとりあげられてホームレスになり、追いはぎになって生活しようとした経験があるが、おかしいと評価される成分が増えそうなので黙っておいた。
「だーから私は、お酒を飲んで楽しい気分になっているんです。わかります?」
「はい。あとで酔い止めポーションをあげます」
「ありがとうございます! いりませんから!」
楽しい会食は、愚痴と不満をぶつけられる会場になった。
テラノヴァは針の
新しい仕事先では苦労しているらしい。肉体労働のほかに、算術も必要で、苦労しておぼえていた。はげますと怒られそうだったので、ただうなずく。
「レーニさん、そろそろ出ましょう。飲みすぎです」
「ふぁー……」
ふらふらになったレーニを支えて宿に向かう。ときどき溝にかがみこんで、苦しそうに吐いていた。
「げほっ、はぁぁ……夜は涼しいですから、気持ちがいいですね!」
「ええ」
「明日から、わたし、がんばりますから!」
「ええ」
「うっ、うぅぅ……うぇぇぇ」
ふたたび地面に手をついたので、背中をさすってやる。ポーションを飲ませようにも、レーニは片手に酒瓶をもっており、吐いて胃のスペースが空くと、酒をあおって埋めていた。
「さ、歩きましょう! 明日に出発です! うぅー……!」
通行人のいる時間帯でよかった。これが深夜だったら、放浪罪を犯した人物として衛兵に捕まりかねない。
宿に到着したころにはレーニはほとんど眠りかけていた。ベッドに寝かせ、酒瓶をとりあげる。
「うう……ありがと、ございますぅ……」
「おやすみなさい。契約終了のお金、テーブルに置いておきますね」
「ひゃぁーい……いっしょに……寝てくれない……ですかぁ?」
「ゆっくり休んでください」
布団をかけてやると、レーニは幸せそうに笑って、すぐに寝息をたてはじめた。
和解はできたと、思う。
最後には頼ってくれた。酔っているので本心は不確かだったが、きっと許してくれたのだとテラノヴァは思った。
「……」
これでつながりが切れ、それぞれ、新しい人生を歩みはじめる。そう感じた。
すこしだけさみしく思う。
たにんの人生を通りすぎてゆくだけ。
親友や伴侶でもないかぎり、ほとんどの人間が、すこしのあいだ関わるだけなのだろう。
部屋を出た。内側から鍵をかける形式だったので、
目抜き通りを歩く。
とりあげた酒瓶には、まだ葡萄酒がのこっていた。
これを飲めば、嫌な気分が忘れられると言っていた。迷妄の杖とおなじ効果があるらしい。
テラノヴァは躊躇したが、勇気を出して飲んでみた。
「うっ……うえ」
度数の高いアルコールが、口の中に広がった。違和感がおしよせた。
その次に葡萄酒のしぶみがあり、さわやかな香りが鼻にきた。無理して飲みこむと、しぶい液体が喉をおちてゆくのがわかった。
あまりおいしいと思える味ではない。もう一度飲んでも、感想は変わらなかった。しばらく歩きながらあおっていると、迷妄の杖を使ったときに似た感覚がやってきた。頭がふわふわとして、思考があちこちに走る。
テラノヴァは酔いの面白さを理解しはじめた。愉快な気分もやってきた。これがレーニのいう楽しさ。感情を狂わせる効果が、精神を高揚させる。
酒瓶をもって歩いていると、衛兵とちがう人種が声をかけてきた。
いかにも酒に酔った若い男が3人、道をふさいで立っていた。
「ようねえちゃん、すいぶんごきげんじゃねえか。おれたちと一緒に飲みなおそうぜ」
「いいえ」
「なんだよ、もう家に帰るところか? だったら送ってってやるよ」
「いりません」
「おいおい、善意で声をかけてやったのに、その態度はねえだろう。せっかく心配してやったのによ」
「まったくだぜ。冷たくすんのは、恥ずかしがってるだけかもしれねえな!」
「そうかそうか! おっ、こいつは軽い。ははは!」
後ろに回り込んだ男が、脇のしたから手を回し、抱きすくめられた。もちあげられ、手が胸をまさぐってくる。酒のせいか、頭に血がのぼる。
「離してください」
「遠慮すんなって。宿まで連れて行ってやるからよ! 何なら路地裏でもいいぜ!」
「いやです」
「おい、だまれよ! 生意気な口をききやがって。おまえは黙っていうことを聞きゃいいんだよ。情けない酔っ払いが!」
「素直にしてりゃいいんだよ! さあ行こうぜ」
テラノヴァはつかまれたまま指先でかばんをさぐり、杖を握った。なれなれしく肩を組んだ男のわき腹に、トンと触れた。
「ああ? な、なんだぁ!?」
「どうし──うおっ」
「何をさわいで……なんだこりゃ!」
杖を順番に振ってゆく。
三人に糸がかぶさり、うごけなくした。
テラノヴァはアルコールの混ざったため息をついた。
「おい、何をしやがる!」
胸を触った男のまえにゆく。男は完全に動けなくなっており、表情に弱気が出ていた。酒瓶を振りあげると、
「なあ、悪かったよ。勘弁してくれ」
と謝った。横面を酒瓶で殴った。
「げっ」
唾液と白い歯が一本、キラキラとかがやきながら飛んでいった。ひとりは憤り、もうひとりは目をそらした。
「おいこらァ! ふざけんじゃね──がっ」
もう一人は鼻づらを何回か殴ると、鼻が折れておとなしくなった。最後の男は黙っていたので、そのままにしておいた。
ほかの通行人たちは無視していた。よくあることなのだ。
まだ底に数センチほど葡萄酒が残っていた。これ以上、あたまを熱くしたくない。側溝が目に入った。
どくどくと中身を捨てる。血のような葡萄酒がドブに流れていった。
「嬢ちゃん、いらないならくれないか?」
裏路地から、路上生活者が声をかけてきた。
ボロ布を着て、白髪の混ざった髭が、のび放題になっている。独特の匂いもした。
「頼む。捨てるんだったらこっちに投げてくれ」
路上生活者は、明るい道路にでるのが恐ろしいのか、向こうの暗がりから手を広げている。
「頼むよ」
「……どうぞ」
いくらも残っていない瓶を投げると、全身を使って抱きしめるように受け取った。
「へへへへ、あんがとよ、嬢ちゃん──かぁぁぁ、効くなぁ……いい酒だぁ」
「では」
歩き出すと、声が追いかけてきた。
「あんたのおかげで、今夜は気持ちよく寝れる」
冷たい石畳のうえで寝るとき、酒でからだを温めると、死ににくいのかもしれない。
(疲れた……)
テラノヴァはなぜか心に浸透してきた悲しみを、我慢しながら工房へ戻った。
数日後──シレンの甲殻防具店に呼び出されたテラノヴァは、ペットの首輪の
捜索依頼はでていた。依頼主は商人で、ペットのコンテストに出場させるために、雷狼の子供を育てていたそうだ。平野で訓練をしていたら、逃げ出してしまって、そのまま行方不明になってしまったのだ。
「悲しんでいましたか?」
「いいや。死んでしまったのは残念だが、区切りがついてよかったと喜んでいた」
「そうですか……持ち主に戻ってよかったです」
「あの商人が目指していたのは、シュアン市の万国動物博覧会だ。今年はまだ受け付けをしてるぞ。あんたも参加したらどうだ?」
「コラリアはまだ子供ですから、あまり目立ちたくないです」
「参加しろって言っているんだ。見物するだけでもいい。しばらく街を離れろ」
シレンの声は冷静だったが、剣呑な声色がのっている。
静かな敵意を感じた。
筋肉のある店主にすごまれると、恐ろしくなった。
理由を思いえがいたが、店に入ってからリードに会っていない。つまり手を出したとバレたのだ。
「……わかりました。しばらく距離を置いて、あたまを冷やします」
「そうしろ。落ち着いたら、おたがい納得できるかもしれん」
「いまのまま、友人ではだめですか?」
「ひとの娘に手を出すなら、それなりの覚悟が必要だ。あんたが子供を作れないなら、リードのお先は真っ暗だ。わかるな」
「はい」
「ともかく、おれはまだ納得していない。距離をあけろ。近頃は血統主義を気にしない風潮も出てきているがな」
テラノヴァは追い出されるように店をでた。
社会では自由恋愛もまれにはあるが、ほとんどが家と家の見合い結婚である。その風潮が強い都市で、娘に手を出されたとあっては、風評の点でよくない。
子供を作る能力があればちがった。
テラノヴァ自身は妊娠できるだろうが、あいてを妊娠させる能力はない。
ふたなりポーションのさらなる改良点として、また社会的な有効性を高めるためには、生殖能力も必要だった。
「……ばかばかしい」
テラノヴァにとってはどうでもいい話だった。
子供ができないから楽しいのだ。
生殖という本来そなわった自然のことわり、神の定め、宇宙の法則から逸脱するからこそ、娯楽になるのだ。
それはそれとして、シレンには不義理を働いたと思われているため、解決しなければならない。旅に出なければ、武器をもって自力救済に訴えるかもしれなかった。
工房にはどの道迷惑をかけてしまう。
「仲良くしたかっただけなのに……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます