以上

増田朋美

以上

朝は寒かったけど、だんだん暖かくなってきているのが感じられる日であった。寒い日はだんだん薄れてきて、そうやって暖かい季節に変わっていくのだろう。そうなると、卒業とか入学とか、そういう行事が行われるほか、他にも人生において重大な行事が行われることがある。そういう事をするのに、春っていうのはふさわしい季節なんだろうなと思われるが、、、。

その日、製鉄所の前に車が一台止まった。ちなみに製鉄所というのは名ばかりで、訳アリの女性たちに、勉強や仕事などをしてもらう部屋を貸し出している福祉施設である。車の中から、女性が一人出てきた。彼女は、セミロングの黒髪をしているが、それをきれいにパーマを掛けて、なんだかお金持ちのお嬢さんだなというのがすぐわかる顔をしていた。もうしっかり化粧もしているから、少なくとも30歳は超えているだろう。それと同時に、車の後部ドアが開いて、運転手に連れられて、車椅子の男性が一人でてきた。

「ほら、こちらよ。ここだったら私達の話を聞いてくれるはずよ。」

女性はそう言って、男性の車椅子を押した。そして、インターフォンのない製鉄所の正面玄関を無理やり開けて、

「すみません。あの、突然押しかけてしまいましたが、理事長さんと杉ちゃんはいらっしゃいますか?」

と、製鉄所の中に向かっていった。ジョチさんは、はいはいと言って、廊下を歩いて、玄関先に行く。そこにはかつて、製鉄所を利用していた女性がそこにいた。

「ああ、えーとあなたは確か、加藤美里さんでいらっしゃいましたね。お久しぶりです。なにかあったんですか?」

と、彼女にジョチさんは聞いてみた。

「ええ、たしかに、ここを利用していたときは、そう名乗っていましたが、わたしの名前はもう加藤美里ではありません。古郡美里です。そしてこちらは、私の主人の古郡真尋です。」

美里さんと呼ばれた女性は、にこやかに笑って車椅子の男性を紹介した。それと同時に、顔を粉だらけにした杉ちゃんがやってきて、

「あれれ、加藤美里さんだよな?髪型は変えちまったようだが、あんまり変わっていないから、よく分かるよ。」

と、言った。

「そこにいる男は誰だ?なんか青白い顔しやがってちょっと頼りなさそうだぞ。」

「もう杉ちゃん、そういうことは言わないでください。確かに、体は弱い人ではあるんですけど、でもあたしの事をちゃんと見てくれる人ですから。あの、お入りしてもよろしいですか?もちろん、真尋さんも一緒に。」

美里さんは、半ば強引に製鉄所の中へ入った。とりあえずジョチさんは、こちらにいらしてくださいと言って、応接室に二人を通した。杉ちゃんもタオルで顔を拭いて、それを追いかけた。

「それで今日はどうされたんです?なにかあったんですか?」

ジョチさんがそう言うと、杉ちゃんがとりあえずこれを飲めと言って、二人の前にお茶をおいた。

「ええ、実は私、この人と、結婚しようと思ってるんです。」

美里さんはきっぱりと言った。ジョチさんは二人の顔を見て、

「はあ、えーとそうですか。」

ととりあえず言う。

「真尋さんの親御さんにも会ってきましたら、気持ちよく承諾してくれましたよ。心臓に欠損のある子ですが、息子をよろしくお願いしますって、にこやかに迎えてくださいました。だから、あたしたちは近々アパートでも借りて、一緒に暮らそうねって言ってるんです。」

美里さんはきっぱりと言った。ジョチさんも杉ちゃんも思わず困ってしまった。もちろん、結婚するというのは自由だと法律で決まっているのかもしれないが、彼女のような性質の女性が、こんなに重度の障害を持った男性と、結婚するとは思いもしなかったのである。

「そうなんだね。まずはお前さんと、この白い顔の男との、馴れ初めを話してくれるか?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、あたしの家が、クリーニング会社をやっているのは、ご存知だと思いますが、そこで彼が、働きに来たんです。一緒に仕事をしているうちに仲良くなって、それでこの人なら結婚しても良いって思うようになりました。まあ、一緒に仕事をしていたというよりか、よく倒れてました彼をあたしが世話したということに、近いと思いますが。」

美里さんはそういうのである。

「そ、そうですか。しかしですね美里さん。あなたは、加藤クリーニングのオーナーですよね。彼は従業員。それがどうして、一緒になろうと思ったんですか?」

ジョチさんが聞く通り、美里さんは、加藤クリーニングというクリーニング会社をやっている。今でこそ彼女が会社を継ぐということで決着がつき、安寧に会社をやっていると思われたが、社長の次の座にある彼女が、従業員の一人である古郡真尋さんと一緒になるとなれば、また大騒動が勃発する恐れがあった。

「あなたの、お母さんだって、許してくれたのですか?まああのお母さんですから、相当、厳しかったと思われますから。」

ジョチさんはそういった。美里さんのお母さんは、富士市でも有名な実業家だ。加藤クリーニングを、ただのクリーニング店から株式会社に成長させた、いわば女傑である。そんなお母さんが許してくれるか、杉ちゃんもジョチさんもそこが気になったのであった。

「ええ、そこなんです。」

美里さんは予想通り答える。

「それでは、やはりお母様がなにか言ってこられましたか?」

ジョチさんが言うと、

「ええ。彼を連れて母のところに行きましたら、母がこんな水簿らしい男と結婚させるように育てた覚えはないと言ってすごく怒ったんです。それであたしも思わず怒鳴ってしまいました。もちろんあたしとしては、ちゃんとしたところで式も上げたいと思って、神社や結婚式場もあたってみましたが、真尋さんがここまで重度の障害を持っているということで、みんな断られてしまいまして。母に、対抗して式をあげたい気持ちもあるし、なんとかならないか、それで相談にこさせてもらったんです。なにか、良い式場は無いでしょうか?」

と、美里さんは申し訳無さそうに言った。

「そうか。たしかに神社では、車椅子はダメッて言われるかもしれないな。そういうことなら、お前さんたちは仏教徒だよねえ。仏前で式を挙げられるかどうか、庵主様に聞いてみても良いかもしれないね。庵主様は女性だし。それにしても、お前さん全然変わってないな。激しやすい性格で、見栄っ張りで。」

杉ちゃんは、でかい声でそういう。確かに、彼女、加藤美里さんは大変な問題児でもあった。製鉄所ではとにかくちょっとしたことで直ぐ感情的になるし、そうかと思えば、加藤クリーニングの社長の娘だとか言って、直ぐ見えをはって、いろんな不正を誤魔化そうとするところがあったのである。それは良くないと、杉ちゃんもジョチさんも散々言い聞かせて居たのであるが、やはり、製鉄所を出ても三つ子の魂百までとはよく言ったもので、彼女は何も変わっていないような気がした。

「でもあたし、諦めませんから。母に、あんなひどいこと言われた腹いせに、ちゃんと立派な式をあげたいって、思ってます。もし、その庵主さまに、ちゃんとお話ができるのであったら、あたし、しっかり話します。それで、母に私はこれだけできるんだってことを、見せてやりたいんです。それで今度こそ、幸せをつかみたい。私はそう考えています。」

美里さんはそういうのであった。杉ちゃんが思わず、

「それでは、真尋さんという方にきくが、お前さんのしごとは一体何をしているんだよ。まだ、加藤クリーニングで仕事してるようじゃ、いくらなんでもやりにくいんじゃないの?」

と、聞くと、

「ええ。僕は去年に、加藤クリーニングに入社しましたが、去年の夏にそれはやめて、今は、カルチャーセンターで、皆さんに短歌を作るのを指導しています。」

と真尋さんは答えた。

「そうなんだねえ。その白い顔といい、紫色の唇といい、なんかもう辛そうでしょうがないって顔してるけど、本当に美里さんと一緒になって、幸せに暮らしたいっていう思いはあるんかな?」

杉ちゃんがそう言うと、ジョチさんが、それは、言葉が過ぎますよ、杉ちゃんといったため、それ以上は言えなかった。

「あたしは、誰よりも彼の事を認めています。結婚したら、編集者をやっている友達と一緒に彼の本を出そうとも思っています。だから、一生懸命やっていこうと思ってるんです。それを母がああして怒鳴るから。あたしは困ってしまいまして。だけど、今回、式をあげるというのは、絶対諦めません。その庵主様にお話を伺って見るつもりです。」

美里さんはそう話している。なんだかだんだんヒートアップしてきて、彼女が理性を失いそうな感じだった。彼女の悪い癖と言うか、そうなってしまうのである。そうやって話しているうちに、激してきて、だんだん他の人が手を入れにくくなってしまう。

「そうですか。わかりました。それでは、僕らが年長者として、アドバイスさせて頂きますが、多分、その激しやすい性格であるあなたと、それだけ重度の障害を持っている真尋さんと二人きりでは生活が成り立たないと思いますので、誰か手伝い役を一人雇うことをおすすめします。今の時代、家政婦斡旋所に頼むだけではなく、インターネットで手配することもできるでしょうし、短歌教室の生徒さんに聞いてみるというのもありです。どんなやりかたをしてもいいですから、そういうお手伝い役を見つけてください。」

そういう彼女をなだめるように、ジョチさんは言った。彼女は、なにか提案すると、直ぐ具体的にどうすればいいのかと詰め寄ってくる癖があるので、ジョチさんは、そういう言い方をした。

「何なら、僕のうちにある、家政婦斡旋所の電話番号を教えましょうか?」

「いえ、結構です。あたし、調べてみますから、」

と、美里さんは激したままそう言うが、

「いや、理事長さんの言う通りにしよう。」

と、真尋さんが言った。

「そういうことなら、この番号に電話をしてみてください。家政婦斡旋所の連絡先です。」

と、ジョチさんは手帳を破って番号を書いて、彼女に渡した。

「ありがとうございます。本当に色々すみません。僕らのために提案してくださって。」

真尋さんは申し訳無さそうに言うが、

「いやあ、お前さんの顔見たら、そんな気になっちゃってさ。なかなかいい男だなと思ってね。美里さんにアタックするなら、そんな二枚目ではなくて、暴力団顔負けの体育会系の男が似合うと思ったんだがね。それでは無いってことかな。ははははは。」

杉ちゃんがでかい声で言った。ジョチさんは杉ちゃんにもうそれ以上は言うなと言ったが、

「いえ、いいんです。どうせ、僕みたいな人間を相手にしてくれるのは、美里さんくらいなものですから。どうせ、結婚もできないだろうなって、思ってたのに、美里さんの方からプロポーズされて、夢のようです。」

と、真尋さんは言うのだった。杉ちゃんもジョチさんも苦笑いして、大きなため息をついた。

「じゃあ、式場のことは、庵主様に聞いてみてくれ。直接話したほうが良いと思うよ。庵主様が、日頃から話を聞いてくれる人であることは、僕も保証する。だから安心して。」

「ありがとうございます。なるべく早く、お手伝いさんに来てもらうようにします。」

そういう真尋さんは、若い男性でありながら、なんとなく弱々しい感じがして、もうつかれた顔をしているところから、具合があまり良くないんだろうなと感じさせた。

「それなら、急いでお帰りください。そしてよく休まれた方がいい。これからは、二人で、なんとかしなければならないと思いますし、一緒にいるだけではだめなこともあると思いますので。」

ジョチさんはそう言って、二人にもう帰るように促した。そして、製鉄所の固定電話で、もしかしたら、疲れてしまうかもしれないので、ストレッチャー付きのタクシーを頼めないかとお願いした。そんなことしなくていいと、真尋さんは言ったのであるが、いやあ、お前さんの顔がもうつかれてるよ、と、杉ちゃんはカラカラと笑った。数分後にワゴン車のタクシーがやってきたので、真尋さんを車椅子からストレッチャーに乗せてもらい、自宅へ帰らせてもらうことにした。

「大丈夫なんだかねえ。あんな辛そうな顔した男、結婚することはいいのかもしれないが、簡単には捨てられないぞ。」

杉ちゃんが、走り出したワゴンタクシーを眺めながら言った。ジョチさんは、口には出さなかったが、そういう気持ちであった。

それからしばらくして、美里さんが、製鉄所を尋ねてきた。結局家政婦斡旋所に頼んで見たのであるが、真尋さんの世話まではまかない切れないと言われてしまって、家政婦さんに来てもらうことはできなかったという。そこで、真尋さんの短歌教室の生徒さんの一人をお手伝いさんとしてお願いすることにした、と彼女は言った。その言い方が、また激した感じで、杉ちゃんが思わず、

「そんな目ばっかり釣り上げて、心配ばかりしているようじゃ、結婚生活は成り立たないぞ。」

と言って、彼女をなだめたのであるが、

「真尋さんも、一生懸命私のこと考えてくれたらしいんですけど、疲れてしまっていて、ずっと寝てしまったままなんです。そんな事したら、余計に式を挙げられなくなっちゃうわ。」

なんて言うものだから、思わずジョチさんが、

「そんな事、よくあることじゃないですか。それにあなた、どうしてそんなに式をあげることにこだわるんです?なにか魂胆があるんでしょう?それに、頭の毛一本、あなたの思う通りにはなりませんよ。そんなことでいちいち激してたら、杉ちゃんの言う通り、結婚生活は成り立たないのではありませんか?」

と言ってしまうほどだった。

「なにか理由があるんだな。もちろん、ペラペラ喋るようなことじゃないかもしれないけど、まあ、頭の中にためておくことより、スッキリするって言うし。ちょっと話してみろ。」

と、杉ちゃんに言われて、

「だって、母がいつも私がしたいことを取ってしまうんですもの。」

と、彼女、美里さんは言った。

「取ってしまうって何だ?」

杉ちゃんが言うと、

「私が、これがほしいって言っても、母がそれはだめだと言って別のものを出してよこすんです。子供の頃からあたしはずっとそうだった。母に、欲しいものがあってもなんでも取られてた。行きたい学校も、着たい服も、みんな母の言う通りにしなければならなかったわ。挙句の果てに、美里のお婿さんはお母さんが決めるなんていい出すから、だからあたしは、真尋を選んだのよ!」

と、美里さんは怒りを込めて言うのであった。それは嘘偽りは無いのだろう。そういう怒りの顔を、はっきり示してくれていたから。お母さんはそういう気持ちでは無いのかもしれないけど、美里さんにはそう見えたに違いない。それはまず、彼女の主張を曲げないで、そうだったんだねと受け入れてやらなくてはならない。それができる人は、本当に限られている。それが得られないで、苦しんでいる人のほうが大勢いる。きっと真尋さんはそれができた男なのかもしれなかった。そうでなければ、あれほど気位の高い美里さんが、真尋さんのような男性を選ぶことは無いと思われる。

杉ちゃんたちが返答を考えている間に、美里さんのスマートフォンがなった。

「ハイもしもし。ああ、高橋さん。ええ、あと少ししたら帰るけど、えっ!なんですって!」

美里さんは、驚いた声で言った。そうなると、またパニックになって暴れだすのではないかと杉ちゃんたちは身構えたが、

「わかったわ!あたし、すぐ帰るから、待ってて。直ぐにお医者さんを呼んで見てもらって。頼むわね!」

そう言って、美里さんは、電話を切った。そして、杉ちゃんとジョチさんに、

「すみません、真尋が、また倒れてしまったようで今日はこれで帰ります。」

と言って、タクシー会社の番号を回そうとしたが、やはり慌てているから、なかなか番号が打てない。それを見たジョチさんは、製鉄所の固定電話でタクシーを呼び出してやった。タクシーはすく来てくれた。こういうときに車があったらと思うけれど、美里さんのような激しやすい女性であれば、運転免許なんて持っていないほうが良いと思われた。美里さんはお礼も言うことはなくタクシーに乗って帰ってしまった。ジョチさんが心配そうな顔で、

「大丈夫なんですかね。なんだかあのことが真実であるのなら、真尋さんは美里さんの見栄を貼るための道具にされているだけに過ぎないような気がするんですが、、、。」

と、大きなため息をついたくらいだ。

「やっぱりお手伝いさんは必須だな。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「そうですね。」

とジョチさんも言った。

それから一週間ほど経って、美里さんからは連絡は何もなかった。杉ちゃんたちはいつもと変わらず、製鉄所で利用者たちの世話をして過ごしていたが、その日のお昼ぐらいに、製鉄所の固定電話がなった。ジョチさんが受話器を取ると、

「あの、古郡です。古郡美里です。」

と、美里さんの声がした。ジョチさんは、真尋さんは大丈夫なのかと聞こうとしたが、

「真尋は、お医者さんに見てもらって、今だいぶ回復しています。なので、予定通り式をしたいです。それで理事長さん、お願いなんですけど、あの、庵主様の連絡先を教えていただけませんか?あたし、あのとき急いで帰ったせいで、どこかに紛失してしまったようなんです。」

と、美里さんは言っていた。紛失したことを、しっかり覚えていてくれるなら、美里さんも少し成長したのかなと思いながらジョチさんは、ちょっとまってくださいねと言って、また手帳を開いた。

「えーと、お寺の番号は、、、。」

「ええ、式のときには、うんと立派な式をしたいですね。母が、もうこれ以上私に声をかける必要が無いんだって、わかってくれることを祈っていますよ。」

美里さんはそう言っている。結局これかとジョチさんは思ったが、それは言わないで置くことにした。

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以上 増田朋美 @masubuchi4996

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