知らないうちに時間を吸い取られました
仲瀬 充
知らないうちに時間を吸い取られました
夢でも見ているのかと目を疑った。それほど現実離れした出来事だったのだ。明日の月曜日からの学年末テストに向けて朝から机に向かっていた。こんなに必死に勉強することはこれまでなかった。特に赤点続きの世界史で今回相当いい点数を取らなければ進級がヤバいのだ。世界史は人名も地名もカタカナなので覚えにくい。「医学の父」ヒポクラテスをヒップがふっくらしているイメージで覚えたらヒップフックラデスと書いてしまって先生に叱られたこともある。こじつけずに人名や年号を覚える方法はないものだろうか。それにしても学年末テストは試験範囲が広い。絞ってくれればずぼらな生徒でも投げ出さずに勉強するのに。試験問題をチラッと見せてくれればなおありがたい。おっと、テスト対策がどんどん他力本願に傾いていく。集中力が途切れて眠くなったので机に顔を伏せた。すると誰かが側にいる気配を感じた。顔を上げてふりむくと真後ろに宇宙人が立っていた。夢でも見ているのかと自分の目を疑った。
僕が思わず椅子から立ち上がると宇宙人は驚いたようなしぐさを見せてつぶやいた。
「チッ、見えるのか」
宇宙人は僕の大好きなアニメ『機動戦士ガンダム』のジオン公国軍のような軍服姿だ。
「あなたは誰なんですか? まさかシャア・アズナブルの部下とか?」
「それはアニメとやらの話だろう。私は宇宙連邦軍のシャア・ベントン、正確には天の川銀河方面司令部長官シャア・ベントン少佐だ」
あんただって十分アニメの実写版じゃないか、とつっこみたい。
「ファーストネームはアニメとおんなじですね」
「シャアはこの銀河系ではポピュラーな名前だ。私の部隊にもシャア・ビールンとシャア・バンメシンがいる。そんなことより私を見てもあまり驚かないな」
シャアが言うのはもっともだ。
制帽の下の顔は目や鼻や口などのパーツがなくゆで卵みたいにツルンと真っ白なのだ。
「僕、霊感が強いんで幽霊とかしょっちゅう見てますから」
「やはりそうか。霊感の強い人間には我々の姿も見えるらしい。強い霊感は第六感を超えるから私の言葉も分かるようだな」
確かにシャアの言葉はテレパシーみたいに脳内に直接響いてくる。
「今の僕みたいに目撃する人間もいるのに宇宙人の存在が信じられてないのは不思議ですね」
「不思議なものか、君だって私に会ったことをあとで人に話すかね?」
「そうか、話したら僕がおかしな人間に思われちゃう」
幽霊を見た話でさえ信じてもらえず気味悪がられたのだから。
シャアの後ろの低い本棚の上には母の手作りのサンドイッチと目覚まし時計が載っている。8時から始めてまだ1時間くらいかと思っていたらもう昼の12時だ。シャアに帰ってもらってサンドイッチを食べてテスト勉強を再開しなければ。僕は遠回しに言った。
「あのう、うちに来たのは何か用事でもあるんですか?」
「ここでの任務はもう終わった」
それなら早く帰ればいいのにシャアは手にしているライフル銃のようなものを僕に見せた。便器が詰まった時に使う
「これで君の時間を3時間ほど吸い取らせてもらった」
「あ! それで4時間勉強したのに1時間しか経ってないように感じるんですね?」
「そういうことだ」
シャアの銃は兵器ではなく時間を吸い取る掃除機のようなものだったのだ。感心しながらも僕は12時を指している目覚まし時計を指さした。
「でも8時に勉強を始めたから3時間吸い取られたのなら今は9時のはずですよね?」
シャアは時計を振り返りもしなかった。
「地球人のアインシュタインは特殊相対性理論と一般相対性理論を発表したが超相対性理論まではたどり着けなかった。君から吸い取らせてもらったのは主観的時間だ。主観的時間は現場の時系列には殆ど影響を及ぼさないのだ。そして我々が回収した主観的時間は密度に応じて客観的時間に変換できる」
僕は意味がよく分からなかったが話を先に進めることにした。
「どうして僕の時間を吸い取ったんですか?」
「宇宙の滅亡を引き延ばすためだ。実は宇宙の寿命はそう遠くない将来に迫っている」
本当なら大変な話だがどうも現実味がない。僕は改めてシャアのパコンパコンふうの銃を見た。宇宙の滅亡をパコンパコンで救うのかと思うとおかしくなった。
「漫画みたいな話ですね」
僕が笑うとシャアの白いのっぺらぼうの顔が赤くなったり青くなったりした。まずい! 怒らせてしまったのだろうか。
「だって今日みたいに毎日僕のところに来ても、ええと3時間×365日÷24は……」
急いでスマホの電卓機能で計算した。
「ほら1年でも45日分の時間にしかなりませんよ。たった45日間宇宙の寿命をのばしても……」
シャアの顔色が元のゆで卵に戻った。
「君は一人で宇宙を救うつもりか? 地球の人口は78億だろうが。それに地球以外の星にも生命体はいて私の仲間が派遣されている」
うかつさを指摘された僕は名誉挽回の策を提案した。
「それなら僕のとこなんかよりも渋谷の交差点あたりで次から次に吸い取ればどうですか?」
「それは三つの難点がある。まず動いている人間からは吸い取りにくい。次に大勢の中に君みたいに私の姿が見える人間がいたら騒ぎになる。そしてこれが最も大事なことだが人間が複数いる場面では我々は作業しない。主観的時間を吸い取るだけとはいえ本人とその周囲の人間との時間感覚に微妙なずれが生じることがある。その違和感が話題に上ったらそれは我々が地球人の生活に介入したことになってしまう」
それならばと僕はさらなる提案をもちかけた。
「一人の時がいいのなら寝てる時間帯が効率的じゃないですか?」
「それは逆に効率が悪いのだ。さっきの君のように何かに集中して取り組んでいる時とは時間の密度が違う。酒で言えば同じ1杯でもストレートと水割りではアルコールの量が大違いだ。睡眠時間やぼうっとしている時間を6時間吸い取ったとしても実質は30分にもならん。それに本人の違和感回避のために一人4時間までという内規もあるのだ。さてこれからほかを回ろうと思うが協力してくれないか?」
献血は一人400ミリリットルまでみたいな話だなとのんきに聞いていた僕は協力を依頼されて身構えた。
「君みたいに集中して濃密な時間を過ごしている人間を探し出したいのだ。本来なら高密度脳波検知器を使うのだが故障してしまった」
高密度脳波検知器? 盗聴器発見機みたいなものかなと思いながら僕はふと気になった。
「検知器が故障してるのならどうやって僕を探し当てたんですか?」
「たまたまだ。私が宇宙船を止めた真下がこの家だった」
僕は少し気分を害したが情報を提供してやることにした、何しろ宇宙を救う手伝いなのだから。
「明日から試験なので同級生は皆一生懸命勉強してると思います」
「ありがたい。では案内してくれ、一緒に回ろう」
とんでもないことになったと僕は後悔した。
「1軒1軒歩いて行くんですか? 日が暮れますよ」
「ちょっと待っていてくれ」
シャアはふわりと浮いたかと思うとそのまま天井を通り抜けていなくなった。驚いた僕は急いで窓を開けて上空を見た。すると円盤型の小さなUFOがチラッチラッと2度光って見えた。恐らくシャアが船内に入る時と出てくる時だったのだろう。超常現象を立て続けに目の当たりにして僕の心臓はバクバクと脈打った。
「さあ行こうか」
戻って来たシャアは一足のブーツを僕に渡して気軽に言ったが僕の動悸はおさまらない。
「驚かさないで下さいよ。いきなり屋根を通り抜けるなんて」
「物質はみな原子でできている。ミクロなレベルで見ると原子と原子の間はかなりスカスカだから波動を調節すれば何ということはない」
僕はユーチューブで見た体育大学の学生の集団行進を思い出した。隊列を組んで行進している集団どうしが斜めに交差してもぶつかることなく互いにすり抜ける。そんなイメージなのだろうかと考え込んでいる僕にシャアが顔を寄せてきた。
「物質透過でびっくりするくらいなら私の宇宙船にも驚いたのではないか?」
指を立てて上空を指さすシャアに僕は黙ってうなずいた。
「UFOが急に現れて急に消えたと地球人は騒ぐが我々は超相対性理論を応用して時空を縫って飛んでいるのさ」
「時空を縫って?」
「時空を布にたとえると君たちは布の表側の時間と空間の中でしか生きていない。我々は布を縫う針のように表から裏へ行くことも裏から表に出ることも自由自在なのだよ。そして飛行機とはまるっきり違う飛び方も珍しがられるようだがそれは反重力装置で飛ぶからだ。このブーツも同じ原理だ。履いてみろ」
反重力? 訳が分からないまま僕はひざ下までを覆う長さのブーツに足を通す。
「地球が大きな磁石だということは知っているだろう? 磁石のたとえばN極とN極が反発し合うように私の宇宙船もこのブーツも地球の磁場と反発し合う磁場を作り出しながら飛ぶのだ」
シャアが教えてくれた反重力ブーツでの飛行法はセグウェイの操縦に似ていた。体の重心を行きたい方向に傾けるだけで前後左右への飛行ができスピードは傾ける角度の大きさでコントロールするということだ。
「ブーツには君の体の原子の組成を超柔軟かつ無色にする波動調節機能も備わっている。簡単に言えば壁などを通り抜けることができて人の目にも見えないということだ。さあ行こう」
シャアが手をつないでくれたが屋根を通り抜けるのは怖いので窓を開けて出ることにした。マイケル・ジャクソンのダンスのように直立した姿勢のまま体を前方に傾けた。するとふわりと斜め上に体が浮揚した。窓から出たあとは上空から級友の家を見つけて1軒また1軒とシャアを連れて行った。この寒い時期に窓を開けている家はないので屋根や壁から入った。最初に屋根から侵入した時は緊張した。屋根が体に食い込んだ状態で身動きがとれなくなったらどうしよう。幸いそれはなかったがスーッと通り抜けたわけでもなく多少のざらつき感があった。突き棒で押されて木枠の網目からニョロニョロ出て来るところてんになったような感じだ。級友の中にはゲームをしたり居眠りしたりしている者もいたが殆どは真面目に机に向かっていた。シャアはそんな級友の真後ろに立つと例のパコンパコン銃を後頭部に向けて引き金を10秒ほど引き続けた。たったそれだけで時間を吸い取る作業は完了なのだが見ていると面白いことがあった。吸い終わってシャアが引き金から指を放すと皆ハッとしたように時計を見るのだ。そして僕と同じように「もうこんな時間か!」と驚くような顔をした。
級友の家をあらかた回り終えたところで僕はあることを思いついた。世界史の先生が同じ町内に住んでることを思い出したのだ。
「シャアさん、近くに友達はもういないから先生のうちにも寄ってみませんか?」
思ったとおり先生はテスト問題の作成中だったがそれは3年生の世界史の問題だった。そうか、僕ら2年の世界史は明日の1発目だからとっくに印刷まで終わっているだろう。がっかりしている僕におかまいなしにシャアはさっそく銃の引き金を引いたが驚いたように背中を反らした。
「あなたお茶が入ったわよ」
奥さんらしき人の声で先生が階下に下りていったので僕はシャアに尋ねた。
「シャアさん、さっきどうかしたんですか?」
「ああ、さすがに先生だ。生徒たちの時間の数倍の密度だった。おかげで本日のノルマが達成できた」
「そうですか」と僕は気のない返事をして机の脇のカラーボックスの上を見た。するとそこに無造作に置いてあった原稿は明日の僕らのテストではないか! 僕は天にも昇る気持ちで問題用紙と解答を見ていった。しかし問題の全てを暗記することは不可能だ。大づかみに把握して今夜集中的に勉強することにしよう。出題されているのはどの時代、どの国、そして政治、経済、文化のどの分野か。僕は必死で頭に入れ始めた。シャアはそんな僕とテストの用紙を黙ったままじっと見ている。シャアには目も口もないから表情は読み取れない。僕は後ろめたい気もしたが勉強時間を犠牲にして宇宙防衛に協力したご褒美と思うことにした。家に引き返すと僕は反重力ブーツを脱いでシャアに返した。夕暮れの薄暗い部屋の中でシャアは僕に向かって軍人らしい敬礼をした。
「君には助けられた。お礼に君と過ごした思い出を残していく。名残惜しいがさらばだ」
シャアの顔の両目に当たる部分がチカッと金色に光って僕を照らしたかと思うと真上に浮かんで天井を抜けた。窓を開けるとシャアは夕焼け空を背景にゆっくりと上昇していた。
「お礼に思い出を残して行く……か、シャアさん、詩人だな」
そう呟いて僕が手を振るとシャアも気づいたようで再び僕に敬礼した。シャアの姿は敬礼したまま小さくなっていった。
窓を閉めると僕は急に疲れが出てベッドで横になった。小1時間ほど仮眠すると階下から母の声が聞こえた。
「
下りていくと母が夕食を調えて待っていた。
「父さんは?」
「ゴルフコンペの打ち上げで遅くなるって。あら、それ食べなかったの? まさか寝てたとか?」
僕はラップがかかったままのサンドイッチの皿をテーブルに置いた。
「お昼も忘れて机にかじりついてたんだよ、今日は最後の追い込みだから」
宇宙の滅亡を防ぐ手伝いをしていたとは言えない。
「あーッ!」
ご飯を食べながら夜の勉強の手順を考えていた僕は大声を上げた。「何?」と母がけげんな顔をする。
「テストに備えて覚えたことを忘れちゃったみたい」
「頼りないわねえ」と母は自分の食器を流しに運んだ。僕は落胆したまま夕食を食べ終えた。母に言ったことは本当だった。明日の世界史のテスト問題を先生の家で見た。問題も解答も一つ一つ見たが覚えきれなかった。その代わり出題されている時代、国、分野を頭に入れることにした。ここまでははっきり覚えている。ただ、どの時代、どの国、どの分野だったか、その肝心なことが思い出せない。朝起きて夢を振り返る時によくあるパターンだ。仮眠したのがよくなかったのだろうか。お茶を飲みながらシャアとの半日を最初からたどってみた。テストの内容はやはり思い出せなかったがそれはどうでもいいことに思えてきた。ほんの数時間前に別れたシャアがもう懐かしかった。かけがえのない体験をした、それでいいではないかと思うことにしよう。
流しで洗いものをしている母のところに食器を持って行った。ふと思いついて膝を伸ばしたまま体を前方に倒してみた。つんのめって流しの洗い桶に食器を投げ入れてしまった。
「危ないわねえ、何してるの!」
しぶきが飛び散って母ににらまれた。
「マイケル・ジャクソンのまね」
「珍しく
「そうかも。テストが終わったらしっかり遊ばなくちゃ」
「それはそれで問題だけどね」
母をあとにして僕は自分の部屋に上り教科書とノートを広げた。2時間ほど経ったころ父が帰って来たようで階下に両親の声がする。空気を入れ換えようと立ち上がって窓を開けた。冬の夜気が一気に流れこむ。首を外に出して昼間シャアのUFOがいた方角を見やった。空気が澄んで星がきれいだ。夕焼けだったから明日も晴れるだろう。窓を閉めたあと僕はテスト勉強をもうひと頑張りしてベッドに入った。
「優弥、起きなさい。昼ご飯よ」
顔を上げてふりむくと真後ろに母が立っていた。
「こんなことだと思ったわ、下から何度呼んでも返事しないんだから」
夢でもみているのではないかと耳を疑った。
「昼ご飯? 朝ごはんじゃない?」
「何ねぼけてるの、早く来なさい。明日から試験だっていうのに大丈夫?」
立ち上がろうとして椅子のひじ掛けに手を置いた僕はまたハッとした。ベッドでなく机を前にして椅子に座っている! 本棚の目覚まし時計は? ……昼の12時! それからの僕は抜け殻のようだった。午後一杯机の前に座ってはいたものの何も手に付かなかった。夕食のとき父が帰宅していたのも不思議に思えた。
「父さん、今日はゴルフコンペじゃなかったの?」
「隣り町の打ちっぱなしの練習場さ。冬にコースに出るのは寒すぎるよ」
風呂に入ったあとは早めにベッドにもぐりこんだ。明日からのテストはどうとでもなれという気分だった。眠りに就きながら頭の中でいろんな考えが渦巻いた。シャアの宇宙船は時空を縫って飛ぶと言っていた。複数の時空を操って僕にいたずらをしかけたのだろうか。あるいは僕と別れたあと宇宙船の故障か何かで時間の流れがねじ曲がったのだろうか。それとも母の言うとおり僕が昼間うたた寝をしていただけなのだろうか。もしそうなら僕が変な夢を見ていたに過ぎないということになる。
夢なら記憶はどんどん薄れていくだろう。見たはずのテストの出題内容は思い出せないし。シャアも僕が夢の中で創り出したガンダムのパロディーの登場人物のように思えてきた。
翌日のテスト初日、僕は昨夜の続きのような不確かな感覚で登校した。テストのときは出席番号順に座席が指定されるので僕は窓際の列だ。1時間目が苦手な世界史でおまけに昨日はろくに勉強していない。開始のチャイムが鳴ると鉛筆を手にしてのろのろと問題用紙を表に向けた。問題を一通り見て「駄目だ」と観念して目をつぶった。その一瞬のちのことだった。僕は背筋を伸ばして鉛筆を握り直した。目を閉じると暗いまぶたの裏に金色の文字で問題と解答が画像として浮かぶのだ。いける! 鳥肌が立った。まばたきするたびにスクロールされる答えを僕は解答用紙に書き写していった。全部の解答を終えて鉛筆を置くと僕は放心状態におちいった。高得点が取れればそれは僕とシャアが実際に同じ時を過ごした
知らないうちに時間を吸い取られました 仲瀬 充 @imutake73
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