第2話 冒険の幕開け

「いでぇよぉおおお!!助けてくれぇええ!!!」


 早朝、突如としてキャンプに響く悲鳴。


 メルフェリアはほんのりカビ臭いベッドから跳ね起きると、下着姿のまま窓を覗き込んだ。見れば、冒険者風の男が一人、板に乗せられ広場に担ぎ込まれていた。


「こ、これは一体……」


 涎を拭い、慌てて外に飛び出そうとするメルフェリアの前に監視のエルダが立ち塞がる。その手にはメルフェリア用の装備が握られていた。


 下着姿の少女は自分の格好に気付き、赤面しながらそれを受け取ると慣れた手つきで着替えた。ロンゼルの足手まといにならない為にと、昨晩エルダの監視の下で着脱の練習をした成果が出ていた。


 お淑やかな小走りで階段を駆け下り、宿屋を飛び出す。既にそこには人だかりが出来ており、板の数も二つに増えていた。


「ひいいいいい!!?ぐうぅぅ!!!」


 最初に運ばれて来た男は大怪我を負っていた。鼻は砕け、指は数本無く、右膝は折れ骨が剥き出しになっていた。ここに医者は居ないらしく、他の冒険者が力任せに包帯を巻き荒っぽい応急処置を施している。


 とめどなく流れる真っ赤な血を前に、メルフェリアは目を見開き一歩後退る。その小さな背を大きな手が受け止めた。


「怪我人らしいな」


 パンを口に咥えたロンゼルが気の抜けた声をメルフェリアの頭に落とす。


「ろっ!ロンゼル様っ!こ、これは一体……!?」


「魔境で魔物にやられたんだな。あの指の千切れ方を見る限り、『バラベラ』か『モヌヌ』の群れにでも襲われたんだろう。よくある事だ、気にするな。それより、よく眠れたか?」


「……っ!」


 凄惨な光景を前にして顔色一つ崩さないロンゼル。青ざめるメルフェリア。


 そんな二人の横を、怪我をした冒険者が板に乗せられ通り過ぎて行った。追いかけるように地面に滴る血を大袈裟に避けながら、少女は転がるように外に出た。


「あ、あの人、は。どうなるんですか……?」


「近くの村の医者に診せる事になるだろうが、あの怪我だとどうかな。まぁ、あの装備を見るに浅い魔境だからって嘗めてかかったんだろう。自業自得だな。よし、俺達も行くぞ」


「……え?」


「『え?』じゃねーよ。その為にここに来たんだろうが。さっさと付いてこい」


「……」


 無表情のエルダに優しく背を押され、メルフェリアはロンゼルの後を小走りで追った。


(……これはもうダメだな)

(あぁ……。中がごっそりもっていかれちまってる……)


 ふと、声の方に視線を向ける。そこに居たのは、二人目の被害者。板の上に仰向けで乗せられた青年の瞳に光は無く、口からは大量の朱が伝っていた。青年の腹部が視界の端に入った瞬間、メルフェリアは慌てて視線を逸らし、頭を振る。


 何とか数歩進んだが、足の震えが収まらずその場に膝を着いてしまった。顔からは血の気が引き、身体が小刻みに揺れる。


 異変に気付いたロンゼルが引き返し、膝を折った。


「どうした?まさか、あの程度でビビったとか言わないよな?」


「う……うぅ……」


 無理も無い。温室育ちの少女には度が過ぎる光景であった。


「あのな、魔境ってのはああいう世界だ。言ったろ?地獄のような場所だって。どうする?ここで帰るか?俺は別に構わないぜ?」


「……す、少しだけ、時間を下さい。ほんの少しで良いので……」


「……ま、良いだろう。少しだけな」


 冷たいように思えるロンゼルの態度だが、魔境の恐ろしさを知っているからこそ、メルフェリアに甘えと妥協を抱かせたくなかった。少しでも弱音を吐けば約束を違えたとして即帰投するつもりだったのだが、少女は大粒の涙を零しながらも何とか踏みとどまった。


 ―――


「……すみませんでした。もう大丈夫です」


「おう」


 目を真っ赤にしたメルフェリアが、拠点の入り口で待機していたロンゼルに告げる。


「飯は食ったか?」


「はい。スープを頂きました」


「そうか。アレを見た後に飯が食えるなら上等だ」


 幼気な少女から仄かな逞しさを感じ取ったロンゼルは、行くぞ、と小さく声を掛け歩き出した。メルフェリアは数回自分の頬を張り、力強く歩き出す。その後ろをエルダが静かに追った。


 コート姿の大男に、装備だけは一丁前の美少女に、軍服を着た美女。


 そんな珍妙な一団を見送る者は誰も居なかった。


 雲一つ無い晴天の下、一行は仄かに汗ばむ程度歩いたところで目的の森の入口へと辿り着く。一見して何の変哲も無い森に見えるが、立ち入りを拒む看板が多く立てられ、異様な雰囲気を醸していた。


 爽やかな風が木々を揺らし、木の葉が鳴る。歓迎しているのか、手招きしているのか、何の変哲も無い自然現象すら今のメルフェリアには畏怖の対象として映っていた。


 そんな少女の眼前に、ロンゼルは自分の水筒を差し出す。


「飲め。喉は常に潤しておけ」


「は、はい!」


 魔物の臓器で作られた水筒を両手で受け取り、勢い良く呷った。


 緊張で乾き切った細い喉を温い水が通り抜ける。予想以上に中身が減ってしまった水筒を手に、ロンゼルは微かに苦笑を漏らした。


「どうだ?魔境を前にして。帰りたくなったか?」


「い、いえ。大丈夫です。少し緊張してますが……。それ以上に、胸が高鳴ってます」


「はは。それは頼もしいな。せいぜい楽しめ。俺の傍に居る限り、命の保証ぐらいはしてやるさ」


「が、頑張ります……!」


 むん。と気合を入れ、早速一人で歩き出す女王様の首根っこをロンゼルがひっ捕まえた。


「はい。一回死んだぞ」


「す、すみません!つい……」


 本当にさっきまでぼろぼろ泣いていた少女なのだろうか。余程魔境に憧れを抱いていたのだろうか。ロマンというのは恐ろしいものだ。


「エルダとか言ったっけか?一応確認しておくが、俺はアンタを護る気は全く無いからな。それでもついて来るか?」


 大男に捕まり力無く項垂れるメルフェリアを眺めていたエルダは、その問いに静かに頷いた。


「よ~し。それじゃ、行きますかね」


「はい!!」


 三人の賑やかな足音が、静かな森へと吸い込まれて行く。


 遂に、メルフェリアの冒険が幕を開けたのであった。

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