第8話 さっさと着替えてこい

「あっ……!ロンゼル様!おはようございます!!」


 翌日。早朝。酒場にて。


 想い焦がれる男の姿を見つけた一国の女王の声が、まだ人もまばらな酒場に響いた。


 幼く無邪気な足取りでドレスを翻し、カウンターに座るロンゼルの隣へ立つ。マスターと挨拶を交わすと、相変わらず不愛想な男へ向け他愛ない世間話を一言二言述べた後、芸も無く頭を下げてきた。


 ああ、やはりダメだろうな。遠巻きに様子を眺めていた酒場の男達は眉を垂らし、手元の酒に視線を落とす。


 しかし、今日は少し様子が違った。


「……あ、あの……」


 一向に返事が無い事に痺れを切らし顔を起こすメルフェリア。遂に無視されるまでに機嫌を損ねさせてしまったかと少女の表情が崩れかかる寸前で、ロンゼルは手にしていた齧りかけのパンを口に放り込み、喉を鳴らす。


 食事中だったことに気付かなかったメルフェリアは咄嗟に詫びを述べるが、ロンゼルは意に介さず、小さな溜息と共に告げた。


「お前は何ができるんだ」


「……え?」


 急な問い掛けに肩を揺らす。しかし、直ぐにその意図を読み取り胸に手を当て答えた。


「ほ、殆ど、と言っても良いぐらい、お役に立てることは無いと思います。体力もありません。魔境で生き抜く知恵や知識もありません。剣術は教わりましたがあくまでもだけで、実戦経験は皆無です。少しだけ回復魔法が使えますが、痛みを和らげる程度のものです……」


 あまりに正直な答えに、ロンゼルは額を抑えた。


「……例えば、山や川で遊んだ経験とかは?」


「……それも、殆ど無いです……」


「マジかよ……」


 わざとらしく放たれた大きな吐息に、少女の肩が縮こまる。


 ああ、やはり無理か。そんな想いが彼女の視線を落とすが、しかし、その視線の先に、革袋が放り投げられた。


「え……?」


 軽い金属音と共に床に放り投げられた大きめの革袋を前に、メルフェリアは顔を上げる。


「着替えだ」


「……え?え?」


「着替えだよ。そんなヒラヒラした格好で魔境に行くつもりか?さっさと裏で着替えてこい。時間が無いんだろうが」


「……!」


 少女の顔が、見る見るうちに輝きを取り戻していく。


「は、はいっ!!」


 慌てて足下の袋を抱える。袋は顔が隠れる程大きく、そして重さで足がふらついた。穏やかな笑みを浮かべたマスターが店の裏へエスコートする。メルフェリアは一度立ち止まると、酒場の一堂に向け深々と頭を下げた。


 巻き起こる歓声の中、ロンゼルは鬱陶し気に水を呷るが、仄かに上がっていた頬をマスターは見逃さなかった。


 ―――


「お、お待たせいたしました」


 店の奥から慣れない足取りで姿を現したメルフェリアの服装は、全体的に褐色を帯びていた。


 ポケットが多く備わった厚手の革の服。厚底の革靴に、蛇腹のような浅い溝が掘られた手袋と、肌の露出を最小限に抑えたその服装はまさに冒険者といった身なりだ。


 地味な色合いだが、それ故に彼女の丹精な顔つきと美しい黄金の髪が映える。その勇ましくも美しいに野次馬共は拍手と口笛を鳴らした。


「こ、これで良かったですかね……?」


 我慢できない喜悦を口元に浮かべながら歩み寄ってくる新米冒険者に。ロンゼルは一瞬眉を上げ、口元を緩める。それまで岩のように固い表情しか向けられてこなかったメルフェリアは、その穏やかな表情にほんのりと頬を染めた。


「短剣の向きが逆だ。ちょっと手を上げろ」


「は、はいっ」


 堅い動作で両手を上げるメルフェリアの腰の辺りを武骨な手が這う。少女はくすぐったそうに身を捩った。


「これでヨシ。着心地はどうだ?」


「とても良いです。こんなに着込んでるのに、暑さも感じませんし、動きやすいです。冒険者の方の服って、凄いんですね……」


 何かを口出ししようとしたマスターを、ロンゼルが視線で制止する。


 今、メルフェリアが着ている服はそこら辺の冒険者が着ているものとはわけが違った。魔境でしか取れない極上の素材を使用して作られた特注品であり、あらゆる衝撃に対して高度な耐久性を持つほか、通気性も非常に良く見た目に反してかなりの軽量である。


 ロンゼルがここ数日間姿を見せなかったのは、この装備の調達をしていたからだった。


「わ、私、ロンゼル様に同行させて頂いても、よろしいのでしょうか……?」


「今更何を言ってるんだ」


 沸き立つ酒場。マスターの力強いサムズアップに、メルフェリアも年相応の綻びを浮かべる。が、そんな浮足立つ最中、ロンゼルは重い声色で告げた。


「ただし、条件がある」


 と。


 メルフェリアは慌てて背筋を伸ばす。


「まず一つ。俺の言う事には絶対に従う事。絶対に身勝手な行動をしない事。これに反した時点でお前の御守りは終わりだ。例え魔境の中だろうが置いて行く。いいな?」


「は、はい。胸に刻んでおきます」


「それともう一つ。そこの帝国の女に関してだ」


 酒場の隅に背を預けていたエルダが閉じていた瞼を開き、ロンゼルと視線を交わす。


「お前に関して、俺は一切手助けしない。そして、一切俺の邪魔をするな。俺のやり方に口を出すな。もしその条件を破ってみろ。お前を魔物の餌にしてやる」


「……肝に銘じておこう」


 心配そうなメルフェリアに対し、静かに頷くエルダ。


「よし、他にも色々と伝える必要があるんだが、取り敢えずは小手調べに危険度の低い魔境から行くことにしよう。ホラ、行くぞ」


「え?あ!はい!」


 ゆったりと歩くロンゼルの背を、小刻みな足音が追いかけていく。


 何時以来だろうか、誰かを引き連れ歩く彼の姿を見たのは。しかもその連れが一国の女王ときた。


(……せいぜい愉しめよ。ロンゼル)


 野郎どもの声援に見送られるの背を見送りながら、マスターは酒の入ったグラスを掲げるのであった。









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