第7話 憧れ
翌日も、翌々日もそのまた次の日も、ロンゼルは酒場に姿を見せなかった。それでもメルフェリアは酒場に足を運んでいた。朝、昼、夜と定期的に顔を見せてはロンゼルを探す。
会う事こそ出来なかったものの、猛獣が暴れる沼地に咲いた可愛らしい一輪の花のような彼女に対し、荒くれ共は気さくに声を掛けていた。彼女を励まし、勇気付けた。
汗臭く品性の欠片も無い連中だったが、今の彼女にとってその底抜けの明るさは少なからず心の救いとなっていた。気付けば、共にテーブルを囲み語らうようになっていた。
「今日もありがとうございました。とても楽しかったです」
五日目。夕陽が地平線に沈む頃。メルフェリアは酒場の者達に頭を下げる。
また来いよ、いつでも大歓迎だ、何かあったら言えよ。そんな暖かな言葉を背に受け、メルフェリアは笑顔で酒場を出る。続くエルダへも声が掛けられるが相変わらずの無反応。愛想がねぇな、と、笑声が狭い酒場に響いた。
――その日の深夜。
客も捌け、マスターも店を閉めようと大きな欠伸を漏らしていたところで、酒場の門扉が揺れた。
そこに居たのは、黒いコートを着た男。
「よう、今日は随分と遅いんだな」
ロンゼルは何も言わず、いつものカウンター席に腰を下ろす。様々な道具がぶつかり合う音が薄暗い店内に響いた。
マスターは少し甘めの酒をグラスに注ぎ、常連の前に置く。ロンゼルはそれを一気に飲み干すと、鼻から大きく息を漏らした。
「あの子、まだ来てるぜ。ここんとこ毎日だ」
マスターがカウンターに肘を突き、問う。
「どうしても無理なのか?」
暫しの静寂の後、ロンゼルは溜息交じりに呟いた。
「あんなガキを御守りしながら魔境の探索なんて、無茶苦茶だ。しかも帝国の監視付きときたもんだ。守り切れる保証なんて、無い」
その答えにマスターは静かな微笑みを浮かべると、空のグラスにおかわりを注いだ。
「あの『狂気のロンゼル』でも、無理な話かい?」
「無理とは言っていない。無茶だと言っているんだ。魔境は、子供の冒険感覚で入って良い場所じゃない。それはアンタも良く知っている事だろ」
かつて冒険者だったマスターは、腰の古傷を撫でながら、言う。
「あの子が何であんなにお前にご執心なのか、知ってるか?」
「……知るかよ」
突っぱねた言い方だったが、ロンゼルは次の言葉を待っていた。
「お前、『アルクーダ』って知ってるよな?」
「あ?まぁ、そりゃ知ってるさ」
『アルクーダ』。古くからこの大陸で新聞や本を出版している組織である。中でも、時の権力に屈することなく平等な視点で書かれた新聞の記事は人々の厚い信頼を得ていた。
「昔、あの新聞に寄稿したんだって?お前の魔境での冒険譚を」
「何のはな……」
記憶の片隅で何かが引っかかった。気付いてしまえばそれは立ちどころに姿を現し、彼の頭の中に浮かび上がった。ロンゼルは手で口を抑え、小さく唸る。
「……あったな。そんなの……」
それは、彼がまだ駆け出しの冒険家だった頃。冒険どころか日々の飯にもありつけない程金に窮していた時代の話。彼は、金策として新聞に記事を寄稿したことがあった。
『黄金時代』。タイトルこそ大仰であったが、内容は大したものではなかった。素人の冒険家如きに書ける内容などたかが知れている。決して内容が評価されて掲載されたわけではなく、笑い者にされただけである。無論、その後彼の記事がその新聞に載ることは無く、ロンゼルの名は一瞬で忘れ去られた。
「……まさか」
「そう。あのお嬢ちゃん、小さい頃にその記事を読んだらしくてな。エラく感動しちまったらしい。わざわざ記事を切り抜いて、今までずっと部屋に飾ってるんだとよ」
「ば、馬鹿じゃねぇのか」
つい噴き出してしまったロンゼルであったが、直ぐにグラスで口を隠した。そして、今度は静かに同じ言葉を呟いた。
マスターは腕を組み、告げる。
「分かるだろ?お前は、あの子にとって世界一の憧れなんだ。お前に夢を抱かされちまったんだ。その責任は重いぜ?」
「いや、それはいくら何でも無責任だろ。俺に対して」
「いいじゃねぇか。叶えてやれよ。その夢を。たかがガキ一人の頼みすら聞けない程、お前は小せぇ奴だったか?」
「簡単に言うなよ」
「簡単に言ってねぇよ。考えてみろ。あの子はな、あと二十五日で処刑されちまうんだ。女王という立場もありながら、残りの大事な時間を惜しげも無くお前を待つ事に費やしてるんだ。あの子の覚悟は、本物だぜ」
いつになく真剣な友の言葉に、ロンゼルはグラスを置き、カウンターに肘を突く。その表情には、どこか諦めにも似た感情が浮かんでいた。
「お前の負けだよ、ロンゼル」
「……ったく。すっかり懐柔されやがって」
「へへ、良いじゃねぇか。この歳になって、今更ながら出来た楽しみってやつだ。……お前だって、そうだろ?」
「バカ言ってんじゃねぇよ……」
蝋燭の灯が、酒を酌み交わす二人の男を優しく照らす。ロンゼルの顔には、いつ振りか分からぬ笑顔が浮かんでいた。
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