第5話 魔境と欲望

「ふふ、宿屋さんの布団にも、結構慣れてきました」


 決して豪勢とは言えない、ましてや王族の人間が利用して良いような設備ではない宿屋にて、小国の女王が固いベッドの上で静かに微笑む。


 町はずれにある木造の宿屋の一室。窓は一つだけ。部屋にあるのは小さな丸いテーブルとブランケット一枚だけの簡素なベッド。便所も共有で風呂など無い。部屋の壁には謎の虫が這っている。


 テーブルの上には腐りかけの丸い果実が二つ転がっていた。


 そんな劣悪な環境の中でもメルフェリアは笑顔を絶やすことは無かった。


「断られちゃいましたね。まぁ、当然だと思いますけど……」


 脱いだドレスを丁寧に畳みベッドに置く。枕代わりだ。


 メルフェリアが国を経って四日目。始めは戸惑いの多かった宿屋での暮らしも大分慣れていた。路銀は持たされていたが、なるべく無駄遣いを避けていた。ロンゼルに依頼する為の金を少しでも残しておきたかったのもあるが、残してきた民の事を想うととても贅沢をする気分になれなかった。


 敢えて不便、不憫に身を落とすことで、罪悪感を少しでも和らげようとしていたのかもしれない。


「でも、嬉しかったです。あの憧れのロンゼル様に会えた。イメージ通りの人だった気がします」


 純白の下着姿でベッドに横たわるメルフェリア。


 彼女は独り言を呟いているわけではない。部屋の入り口の壁に背を預けるエルダに声を掛けていたのだ。


 エルダは目を閉じたまま黙っていた。監視対象と必要以上に交流してはならないという彼女の立場はメルフェリアも理解していたが、それでも話しかけた。少しでも、寂しさを紛らわせるために。


「……」


 ふと、メルフェリアが起き上がる。彼女はあどけない表情でエルダを見た後、傍にあったテーブルの上の果実を一つ手に取る。


 食べる為ではない。彼女はそれを何も言わずエルダに向けほうった。


「!」


 刹那、巻き起こる風。黄色い果実は空中で細切れになり、ドロッとした果肉を床に散らした。


 メルフェリアが気付いた時、エルダが振り抜いた剣の刀身は既に鞘に収まっていた。目にも止まらぬ神業に拍手を送る少女に、エルダは表情を変えず告げる。


「お戯れはお止めください」


。でも、とても素晴らしい剣技でした。……明日も、ロンゼル様に会いに行こうと思います。付いてきてくれますか?」


 無論、返事は無かった。任務の都合上、付いていくしか選択肢は無い。それでも、メルフェリアは彼女の言葉が聞きたかった。


「……」


 細切れになった果実を広い、テーブルに乗せる。その内の一つを齧った後、少女は黙ってベッドに横たわるのであった……。




 ―――――




「ひいいいぃ!!!」


 霧の濃い樹海に響く悲鳴。


 腰を抜かし必死に地面を蹴る冒険者の視線の先には、巨大な灰色の樹木が唸りを上げていた。


 地面に近付くにつれ太さを増す幹の上方には、生気を感じさせぬ灰色の葉に混じり、美しい球状の紅い果実がぶら下がっていた。


 そして、樹木の周辺には人の腕ほどはあろうかというツタが地面から伸びており、その先端には他の冒険者が捕まっていた。


「たっ、助けベッ……!」


 顔と爪先以外をツタに拘束されていた男は堅い枝が折れるような音と共に声を失う。尚も締め付けは強くなり、隙間から流れる体液がツタを濡らすと、灰色の樹木は喜ぶかのように葉を揺らした。


 地面を見れば、歪に砕かれた人や魔物の骨が樹木を囲むようにして散乱している。


 この灰色の樹木は『バカシーヴァ』という魔境に生息する巨大な植物であり、色鮮やかな木の実で誘惑し、近付いて来た獲物をツタで捉え体液を絞り取り養分とする非常に危険な魔物である。


 凶悪な魔物の為、余程の熟練者でない限り近付くことは賢明ではないが、その果実は非常に優秀な薬の材料であり、また、鉄線を束ねたように頑丈なツタは素材として非常に優秀で、どちらも高値で取引される。


 それゆえ冒険者達は一獲千金を求めてこの樹木を狩りに来るのだが、その大半が樹木の養分にされていた。


「あっ、あああっ!あぁ~!!!」


 既に六人居た冒険者の内五人が犠牲となっていた。


 最後に残された男は情けない悲鳴を漏らし、失禁しながら何とか逃げようと藻掻くも、ツタは容易く男の足を捕らえ宙に吊り下げた。


「やっ!やめっ!やめてくれえええ!」


 赦しを懇願しながらも手にしていたナイフで何度もツタに切りかかる。しかし、ツタは僅かに傷が付くだけで、そうこうしている内にツタは全身を拘束した。


 次第に強まる締め付けに、男の絶叫が森へ響き渡る。


 欲望のまま他者の生活圏に足を踏み入れ狼藉を働こうとした傲慢に、バカシーヴァが温情をもたらすことは有り得ない。


 男は堪らずナイフを手放し、目を見開く。もうダメか。男が諦めたその瞬間、見開かれた目に飛び込んでくる一つの影。


「ふんぬっ」


 人影の正体はロンゼルであった。修羅場に相応しくない気の抜けた声と同時に手にしていた巨大なナイフを振り抜くと、ツタは容易く切断され、捕らえられていた冒険者の男は地面に転がる。


 バカシーヴァは新たな獲物に対しツタを伸ばすも、ロンゼルは手袋を着けた手でツタを掴み、あっさりと切断していく。切断されたツタはボトリと地面に落ち、しばらく蠢いていたが少しするとこと切れたかのように動きを止めた。


「悪いな。もらっていくぞ」


 ロンゼルはコートのポケットからナイフを取り出すと、樹木の上方に向け投げる。ナイフは果柄を切断し、落下してきた赤く丸まると実った果実をロンゼルは受け止めた。


「おい、お前。今のうちにさっさと逃げろ」


「は、はいぃ!!」


 助けてやった泥だらけの冒険者にそう吐き捨てると、ロンゼルはコートを翻し更に森の奥へと飛び込んでいった。


「……」


 安堵感が冒険者の男を包む。命があるだけでも、そんな想いが男に溢れるが、しかし、傍に散乱したバカシーヴァのツタを目の当たりにした瞬間、男の心に下賤な欲求が込み上げてきた。


「へ、へへ……!こ、これだけあれば……!」


 男は傍で事切れていた別の冒険者が手にしていた袋をひったくると、その袋にツタをせっせと詰めていく。その男の背後には、新たなツタが静かに忍び寄っていた……。






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