第4話 女王のわがまま
「メルフェリア様の処刑は、四十日後と、決まりました……。今日にでも、帝国からの遣いがやってきます……」
メルフェリアが酒場に赴くより少し前の出来事。
一人の臣下の重く苦しい報告に、メイランド城の円卓に動揺が走った。ただ一人、国王であるメルフェリアだけは静かに瞼を閉じていた。
報告によればメルフェリアは処刑までに四十日の猶予を与えられ、その間は脱走、自害、その他帝国が不利益を被る行いさえしなければ自由な時を過ごしても良いとのこと。また、如何なる行動が帝国にとって不利益な行いになるのかは、監視の者が判断するらしい。
「他の国の王に与えられた猶予は殆どが十日以内であった。幼さ故の厚遇、とでも言ったところであろうか……」
「愚か者!何が厚遇か!」
円卓の中でも最年少の臣下が漏らした呟きに、メルフェリアの教育係であり臣下の中でも最高齢のオルマドが唾を吐き散らかした。
「まるで帝国に情けがあるかのような言い方は止めろ!こんな馬鹿げた話があってたまるか!嘗められているのだ!我々は!時間を与えたとて帝国にとって何一つ脅威になり得ぬと高を括っているのだ!」
「そうだとも!こんな無法があるか!我らが女王を、誰が渡すものか!」
「立ち上がるのだ!我々メイランドの民の勇猛さを帝国に思い知らせてやれ!」
次々に立ち上がり勇ましい言葉を口にしていく臣下達であったが、女王の表情は暗かった。下唇を噛み、押し寄せる感情を必死に押し殺していた。
「落ち着いてください。心を穏やかに。私は、国民の誰にも傷付いてほしくないのです」
女王の言葉に、しかし臣下達の熱は収まらない。
「メルフェリア様の為ならこの命、何を惜しむことがありましょうか!」
「国民も皆同じ思いです!先代の王の、そしてメルフェリア様の恩に今こそ報いる時なのです!」
「徹底抗戦だ!大急ぎで準備を!!武器を揃えるのだ!!」
いよいよ戦争の準備が始まろうとしている。そんな空気の中……。
「お止めください!!!」
メルフェリアが、叫んだ。
普段からお淑やかで物静かな彼女から初めて耳にした大声に、臣下達は目を丸くする。
「どうか、どうか、争うのだけはお止めください。それは私も、そして亡き父も望んでいない筈です」
彼女の声は頼りなく震え、そして、蒼く大きな瞳からは大粒の涙が零れていた。
メルフェリアは、微笑みながら泣いていた。
そんな彼女に、忠誠を誓った女王の姿に、臣下達は口を閉ざした。自らの無力と帝国の横暴に対する憤怒が身体中を駆け巡っていた。
「……んん。申し訳ありません。見苦しい所をお見せしてしまいましたね。皆さんのお気持ち、とても嬉しく思います。私は皆さんのような素晴らしい臣下に恵まれた事を、この上なく幸せに思います。だからこそ、どうか、争い傷付く道だけは選ばないでください」
ハンカチで涙を拭う女王の前で、臣下達は黙って俯いていた。自らの膝を殴打し窮状を呪う者も居た。
静まり返った円卓。どこからか聞こえてくる小鳥達の平和な声が、ひどく嫌味なものに聞こえた。
「皆さん。一つ、私からのお願いを聞いてもらますか?」
自分に視線が集まるのを確認してから、メルフェリアは続けた。
「私はこの度、最後に幾ばくかの自由な時間が許されております。無論、国民の方々への御挨拶や皆様への引継ぎは努めさせていただきますが、残された三十日程の時間を、私個人のわがままの為に使わせて頂きたいのです。少しだけ、そう、裸足で外を歩くような感覚で、何も気にせずやりたいことをやってみたいのです。皆様のお気持ちを無碍にしてしまうかたちになってしまいますが、どうか、お許しいただけないでしょうか?」
涙ぐむ臣下達。中でもオルマドは嗚咽を漏らしていた。
メルフェリアは亡き王の一人娘であり、今後国を背負って立つ為に厳しい勉強の日々を送っていた。自由な時間など殆ど無かった。しかし、彼女は一度たりとも弱音を吐いたり我儘を言ったことは無かった。
皮肉にも、彼女は処刑される事になって初めて自由な時間を得られたのである。
そんな彼女の最初で最後の我儘に、どうして口出しできようか。
「もちろんですとも。どうか、姫様のお心ゆくまで……」
「オルマド……。ありがとう。ありがとうございます」
彼女が『処刑』以外の最後の仕事を終え国を経ったのは、それから七日後の事であった……。
―――――
「………………。は?」
ロンゼルは固まった。あまりに突拍子も無いその『お願い』に、一瞬何を言われているのか理解できなかった。様子を見ていた周りの者も同様で、そんな中メルフェリアは再度頭を下げ、告げる。
「どうか、どうかお願い致します!私が処刑されるまで、少しの間だけで良いので、ロンゼル様の旅のお供をさせて下さい!もちろん謝礼もお支払いします!」
淑女であるメルフェリアにしては少し卑怯な言い回しであった。だが、なりふり構っていられないこの駆け引きこそが、彼女の本気を示していた。
「お前、俺が誰だか知って言ってんのか」
「存じております!」
顔を上げた少女の瞳は羨望で満ち溢れていた。
「大陸でも随一の冒険家。魔境探索のスペシャリスト、ロンゼル様です!踏破した魔境は二百を超え、未知を知り尽くしたと言われるお方。私はどうしても、そんなロンゼル様の魔境探索へ同行させて頂きたいのです!未知の世界を冒険したいのです!」
それが、彼女の最初で最後の我儘。
遠出どころか家から殆ど出た事が無い彼女にとって、魔境というスリルとロマン溢れた世界は幼い頃からの憧れだったのだ。
無論、臣下の何人かは反対したが、彼女は押し切った。ロンゼルへの交渉も自分の力だけでやると決め、臣下は誰も連れてきていない。ロンゼルに会いに来るだけで三日も費やしたが、後悔は無かった。
少し誇張が過ぎる。と、ロンゼルは嘲笑を漏らし、言う。
「もう少し考えてものを言え」
「ご無理を押し付けているのは重々承知の上です。ですが、私はどうしてもロンゼル様の冒険に付き添いたいのです。私の、今生での最後の望みなのです……」
彼女の話を聞き、酒場では同情や哀れみのような空気が立ち込める。涙もろい冒険家が鼻を啜る音も聞こえた。だが、ロンゼルは胸襟を開かない。
「その辺の山や川でも探検すればいいだろう。お嬢様にとってはそれでも充分な冒険だ」
「それではダメなのです。私はどうしても、魔境の神秘に触れたいのです。子供の頃からの夢なのです」
今もまだ子供ですが……。と照れくさそうに俯くメルフェリア。
「死にたいのか」
「覚悟の上です」
――それは困ります。
不意に、声が響いた。
その場に居た全員が酒場の入口へと視線を向ける。
そこに居たのは、漆黒の黒地と朱色のラインが特徴的な服を着た、一人の背の高い女性。それがかのエルドラ帝国の軍服である事は皆が一目で解った。それも、雑兵ではない。
「……おい。あれ、もしかして、『エルダ』じゃねぇか……?『ロスラグナ』の……」
誰かがポツリと放った言葉に酒場中が動揺を露にする。
現れたのは、エルドラ帝国の中でも最強と名高い騎士団『ロスラグナ』に所属する騎士、エルダであった。
厳格を形にしたような細く鋭い目からは琥珀のような瞳が覗き、生真面目を現したかのように切り揃えられた黒髪のショートヘアは艶やかな光沢を放っている。
一見して勇ましい軍服だが、腰の括れや肉付きの良い太腿の曲線がくっきりと浮かび上がり、ゆったりとした胸部の造りは成程、女性用の軍服である。
腰には長剣が提げられており、軍服の胸の辺りにはロスラグナの証である太陽を貫く剣の紋章が刺繍されていた。
疑念の視線が集まる中、エルダは軍靴を鳴らしロンゼルの前に歩み寄る。
「我が名はエルダ。エルドラ帝国がロスラグナの一員にして、メルフェリア女王の護衛の命を受けている者です」
「……護衛?監視の間違いだろ」
喧嘩腰のロンゼルに対し、エルダは表情を崩さない。
鍔迫り合いの如く睨み合う二人の間で、メルフェリアは居心地が悪そうに肩を竦めていた。
「知っているとは思いますが、メルフェリア女王は三十日後に帝国によって処刑されることが決まっています。故に、それまでに死なれては困るのですよ」
「ああそうかい!だったらさっさとその女王サマを連れ帰ってくれ!そうすりゃ万事解決だ!」
「それはできません。彼女の意思を尊重する責務が私にはある。よって、私は彼女を護衛する為に魔境探索へ同行させて頂きます」
「…………」
メルフェリアの肩が跳ねる。ロンゼルが手にしていた木製のジョッキをカウンターに叩き付けていた。飛び散った中身が少女の頬に掛かる。
男の瞳は獰猛な憤怒を湛えていた。
ロンゼルはコートのポケットから数枚の貨幣を握り取り無造作にカウンターに投げると、荒々しく足音を立て酒場から出て行ってしまった。
メルフェリアが追いかけようと一歩踏み出した時、既にその背は視界から消えていた。彼女は皆の方へ振り返ると、頭を下げ、詫びる。
「……申し訳ありません。大変失礼をしました。あの、その……。申し訳ないです……」
それ以外に、何も言えなかった。
メルフェリアは何度も何度も頭を下げた後、消沈を背に浮かべ酒場から出て行った。エルダはその後ろを憮然とした様相で追った。
『…………』
静寂に包まれる酒場。
その日は、まだ空も明るい内にお開きになるのであった……。
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