第3話 連れて行って
ロンゼルの通う酒場には常に喧騒が溢れていた。昼夜お構いなしに誰かが飲み食いをしては怒声や笑声に溢れていた。酒場は小さな町の端にあるが、それでもたまに町の住民から苦情の声が届く。
今日も今日とて真昼間にも関わらず酒場は大盛況だ。
「お~う!ロンゼル!昨日は『メニタフの墓場』に行ってきたんだって?どうだったよ!」
冒険者仲間の一人が清々しい頭部を輝かせながらロンゼルに尋ねる。随分飲んでいるのか顔は真っ赤で、足取りはまるで赤子の踊りのように覚束ない。
「腐った魔物の臭いがしばらく取れなくて往生したよ。二度と行きたくないね」
「はっは~!そいつは残念だったな!ま、世の中未開の地はまだまだ腐るほどあるんだ!どんどん開拓していってくれ!俺達エリート冒険者様は、そのおこぼれに預からせてもらうからよ!」
「とんだエリート様も居たもんだ……」
苦笑を漏らしながら、ロンゼルは仲間と樽のジョッキをぶつけ合う。その場に居た他の冒険者も皆ロンゼルに向け冗談交じりに盃を掲げた。
此処の常連は皆それなりに熟練した冒険者であるが、ロンゼルには遠く及ばない。彼らが弱いのではなく、ロンゼルが異常過ぎるのだ。
普通、複数人体勢で挑み攻略に五日以上かかる魔境を彼は一人で踏破してしまう。それも日帰りで。洗練された戦闘技術に命知らずの度胸。そして人の域を超えた身体能力に任せ数多くの魔境を踏破してきた。
付いた字名が『狂気のロンゼル』。一応尊称ではあるらしいのだが、本人は不満げである。
『おっしゃ~!今日も飲むぜ~!』
『もうとっくに朝から飲んでるだろ!明日から遠征だぞ!分かってんのか!』
『うるせぇ!若造がナマ言ってんじゃねぇ!ぶっ飛ばすぞ!』
『おっ!いいそ!やれやれ~!!』
突拍子も無く始まる冒険者同士の殴り合い。酒場の熱気は高まり、賭けすら始まる。汗と血と金が飛び交う光景は、普段通りの平和な酒場の姿であった。
ロンゼルはこの酒場が好きだった。人々の熱気、生きる力に溢れたこの空間は彼の荒んだ心に温もりを注いでいた。地元の荒くれに、喧嘩っ早い冒険者に、旅するあこぎな商人に。実に品の無い酒場であったが、その気兼ねの無さが彼に居場所を与えていた。
……が、しかし。
「あの……。失礼致します……」
まるで、猛獣の群れの中に静かに舞い込んだ一枚の羽毛のよう。その気品に溢れた声は酒場の隅々まで染み渡り、その場に居た者の注目を集めた。
それまでのバカ騒ぎが嘘のよう。水を打ったように静まり返った男達の視線は酒場の出入り口へと向けられていた。
そこに居たのは、あまりに場違いな純白のドレスに身を包んだ一人の少女であった。
「あ、あの……。こ、ここは、『スタック』という酒場で、間違いないでしょうか……?」
艶やかな黄金の長髪に、澄んだ蒼の瞳。まだ年端も行かぬその美少女は荒くれ達の視線に怯えながらも、喉の奥から声を絞り出す。
「あぁ、そうだよ。お嬢ちゃん、こんなところに何か用かい?」
少し遠ざけるような、そんなニュアンスを孕んだマスターの言葉に、少女は息を呑み、口を開く。
「わ、私の名はゼ」
「ああぁ~~~~~~!!!!!!」
突如として上がった叫び声が狭い酒場に響く。傍に居た者は鬱陶しそうに耳を抑え、いきなり大声を上げた一人の若い冒険者を睨んだ。刺すような視線に構うことなくその冒険者は人混みを掻き分け少女の前に躍り出る。
「アンタ!そうだ!どっかで見たことあると思ったら!!メイランド国のお姫様じゃないか!!?」
その言葉に酒場に居た殆どの者が目を丸くし驚愕を顔に滲ませる。ただ一人、ロンゼルだけは無表情のまま足を組み酒を呷っていた。
少女は少し照れくさそうに胸の前で指先を絡めると、薄桃色の唇をほんのりと尖らせ、答える。
「仰る通りです。私の名は、ゼノス・メルフェリア。メイランド国の現女王です」
身分を明かした女王の言葉に、先程とは違う熱気が酒場に溢れ返った。
『嘘だろ!?本物かよ!?』
『やべぇ!マジで可愛い!噂は本当だったんだな!』
『何で女王様がこんなところに!?』
『つーかよ、メイランド国って、確か帝国が次に狙ってた……』
「あ、あの……。すいません……」
煮え滾る好奇の視線に晒されながら、メルフェリアは覚束ない足取りで酒場に入ってくる。吐いていたヒールを鳴らしながらカウンターに辿り着くと、マスターに問うた。
「あの、突然の訪問、大変失礼致します。私、人を探しておりまして、噂によればこの酒場によく居られると聞いたものでして……」
「え?あ、あぁ……。そうなのかい?」
突然現れた小国の王を前に、肝の据わったマスターも動揺を隠せない。他の男達も同様に、何が起きているのか理解できぬまま事の成り行きを見守っていた。
メルフェリアはカウンターに座っていたコート姿の大男を一瞥すると、マスターに問うた。
「あの、ロンゼル様は、冒険家のロンゼル様は、居られますでしょうか?私は何としても、彼に会いたいのです」
「えっ……!?」
マスターは慌ててカウンター席に座る男へ視線を送る。コートを羽織った男は酒のグラスに口を付けたまま、何度も力強いウインクを送っていた。面倒事に巻き込むな。探され人のその無言の訴えに、マスターは力強い笑みを浮かべ頷いた。
「こいつがそのロンゼルだ」
「おい!!!」
何の躊躇いも無く親指で示すマスターに、ロンゼルは怒声を浴びせかける。マスターは快活な笑みを浮かべすっとぼけたように頭を掻いた。
「あ、アナタがロンゼル様なのですね!初めまして!私、メイランド国のゼノス・メルフェリアと申します!お会いできて光栄です!」
必死に声を張り上げた少女がドレスのポケットから取り出したのは、メイランド国の象徴である交差した羽と剣の紋章が記された純白の手袋であった。
身分の証明のつもりなのだろうが、それだけでは流石に信用し切れない。が、彼女が放つ高貴な雰囲気と純真無垢な美しさは、その場に居た者に否応なく彼女の身分を信じ込ませていた。
そして、女王様はあからさまに鬱陶しそうな表情を浮かべるロンゼルに向け、言い放つ。
「私を、私を貴方の冒険に連れて行って下さい!!!」
……と。
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