第2話 感動への渇望

 まるで光に包まれているような満天の星空。


 涼やかな空気の中、一切の不純物の無い黒いキャンバスに、宝石のような輝きが敷き詰められたその絶景。しかし、腕を組み空を見上げる男の表情は無であった。


 感傷に浸っているわけでは無い。何一つ心が動かないが故の『無』であった。


 彼の名はロンゼル。世界に点在する秘境を求め旅する冒険家である。


「……」


 見方が悪かったのだろうか。厚手のコートに巨躯を隠したロンゼルは、手に提げていた諸刃の太刀を鞘に仕舞うと溜息交じりに砂丘に腰を下ろした。ヒトか魔物か分からない骨が足元で転がる中、再度天を仰ぐ。賑やかな眩さが男の堅く傷だらけの肌を、レンガのようなくすんだ赤褐色の短髪を照らした。


 物騒な見てくれに反し気だるそうな細い目から覗く黒い瞳に、喧騒が飛び込む。


 眩しい。それだけが、彼が得た感想であった。


 そんな感想を得る為だけに、四時間もかけて魔物が蔓延る山と洞窟を抜けて来たのかと思うと、余計な倦怠感が襲った。よく見ると彼の頬には何者かの返り血がこびり付いている。


「……」


 ロンゼルはコートの裏から魔物の臓器で作られた水筒を取り出し、砂漠のように乾き切った喉に温くなった水を流し込んだ。その両手には黒い皮製の手袋が嵌められている。喉を潤すと今度は空腹感が忘れていたようにやって来る。


 腰に提げていた革袋に手を突っ込み、紫色の干し肉を引き摺り出すと無造作に齧り付いた。強烈な苦みとゴムのような食感に堪らず鼻息が漏れる。


『……ギチュチュ……』


 二口齧ったところで、足下の砂の中から濡れた革靴を擦り合わせたような鳴き声が聞こえてきた。見れば、濁った赤を湛えた三つの瞳が砂の中から顔を出していた。


 男が食べかけの干し肉を宙に放る。瞬間、瞳の傍から細長い棘のようなものが飛び出し干し肉を貫くと、一気に砂中へ引きずり込んでしまった。


 砂の中から似たような鳴き声が多く聞こえる。大方、仲間で取り合いでもしているのだろう。


「……帰るか」


 目的地に到着して五分も立たぬ間に、男はその場を去った。



 ―――――



「で、どうだった?今度の冒険は」


「特に」


 茶色の髭が陽気な酒場のマスターの問いに無味を返すロンゼル。カウンター席に座る彼のはだけたコートの下からは多くのポケットが備わった硬質な衣服が窺える。刃物のような物も見受けられた。


 夜の酒場は数多くの人間でごった返す。ロンゼルに気さくな挨拶を交わしてくる顔見知りの冒険者も居たが、彼は疲労感の籠った短い言葉を返すだけであった。


 樽のジョッキになみなみと注がれた酒を一気に飲み干し、二杯目を要求する。


「今回の魔境も、お前さんを満足させられなかったようだな。あそこの星空は三日三晩は飲まず食わずで眺めていられるって噂なんだけどな」


「着いて早々に飲み食いしたぞ」


 マスターは苦笑を漏らしながら差し出された空のジョッキに酒を注いだ。


「道中の魔物はどうだった?相当手強かっただろ?」


「『グレップス』に『トートヤ』ぐらいだな。後は雑魚だ」


「ナニ!?トートヤだと!?毛皮がとんでもない額で取引されてるっていう、あの魔物か!?何で捕まえて来てくれなかったんだ!」


 トートヤ。全身を覆う緑色の毛皮と六本脚が特徴的な狼に似た魔物である。その毛皮はどんな刃物も通さぬ強靭さと優れた保温性を有しており、市場では高額で取引されている。ロンゼルが纏っている黒いコートにもその毛皮が編み込まれていた。


「知るかよ。そんなに欲しければ自分で獲って来い」


「無茶言うなよ。一瞬で魔物の餌にされてオシマイだ。にしても、あの魔境を一人で踏破しちまうとはな。それも日帰りときたもんだ。流石は『狂気のロンゼル』だ。狂ってやがるぜ」


「誉めてんのか、貶してんのか」


「もちろん前者だ。お前は大陸中の冒険者の憧れの的だよ。そんな奴とこうして知り合えてる幸運に感謝だぜ」


「大袈裟な……」


 冒険者。未開の地を切り開いたり、魔物蔓延る危険地帯、通称『魔境』を探索する者をそう呼んだ。一獲千金の為、名声を得る為に冒険者になる者が多いが、ロマンを追い求めるが故にその身を投じる者も少なくない。ロンゼルはそのロマンを求める代表者である。


 感動したい。それが、ロンゼルが冒険者を続けている理由である。


 だが、ここ数年、彼の心を満たす感動には出会えていなかった。


「そう言えば聞いたかい?エルドラ帝国の件」


「何の事だ?」


「処刑だよ、処刑。今度はメイランド国の女王らしいんだけどよ、何とまだ十六のガキらしいぜ。惨い話だよなぁ……」


「……」


 興味の無い話だった。彼にとっては帝国もその他の国々の騒動もどうでも良い事だった。


 その後もマスターは帝国に対する愚痴を延々と語っていたが、ロンゼルの頭の中は次なる冒険の事でいっぱいであった。









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