第14話
翌日の夜。
指示された通り、俺はかがみの部屋を訪れていた。
インターフォンを押してしばらく待つと、内側から扉が開かれた。
「いらっしゃい」
かがみの目的がわからずテンションに迷う。
無難に「よ」と軽く手を挙げるに留めておいた。
「ささ、入って」
室内の短い廊下を歩きながらかがみが訊ねてくる。
「夕飯は食べた?」
「いや、食べてないけど」
「じゃあ一緒に食べようか。用意しちゃうねー」
首を縦に振る。
約束の時間からして半ばこの展開を予想していたので、サイカには夕飯不要の旨を伝えてある。
こちらとしても問題はない。
何を訊かれるのかビクビクしながら来たので、いつもと変わらない(ように見える)かがみの様子には正直ホッとした。
これが嵐の前の静けさでないことを願うばかりだ。
先日、宅飲みをした部屋に通される。
かがみは「ちょっとその辺で待ってて」と、廊下に戻っていった。
どこかの扉を開閉する音や何かを取り出す音が聞こえだしたので、さっそく食事を準備しているのだと思う。
かがみと料理があまり結びつかないけど、一体どんなものを作るんだろう。
別に、下手そうと思っているわけじゃない。
かがみは基本的になんでも器用にこなすので、味の心配は全くしていない。
ただ家庭的な和風料理もオシャレな洋風料理もいまいちピンとこないというだけだ。
手持ち無沙汰だが、部屋の中を無遠慮に眺めるのは失礼な気がしてやめておいた。
そもそもこの部屋には物自体が少ない。
せいぜいクローゼットくらいだ。
奥の居室には勝手に入らない方がいいだろう。
というより、それどころじゃなくてあまり考えていなかったけど、今女の子の家に二人きりなんだよな。
しかも同級生の、仲の良い美人さんだ。
意識したら緊張してそわそわしてきた。
気を落ち着かせようと、思いっきり息を吸い込む。
すると、ふとした瞬間に感じたことのある、かがみのふわっとした甘いバニラみたいな香りがした。
完全に逆効果だ。
このシチュエーション、童貞にはハードルが高いぜ。
しかしかがみが戻ってきたときに、鼻息が荒く気もそぞろな男がいたら、めちゃくちゃ気持ち悪いだろう。
ここは定番に倣い、頭の中で素数を数えてみる。
2、3、5、7、11……53、57……おっと、57は素数じゃなくてグロタンディーク素数だった。
ちなみに現状知られている素数で最大の数字は2の8258993乗から1を引いたものらしい。
フフフ、この無意味に数字ネタを調べる習性、これ理系あるあるね。
誰とも話したことないけどな!
そんな感じで深淵なる数字の世界へと意識を旅立たせていると、かがみが戻ってきた。
「おまたせー」と、手に持ったお盆にはいくつかの小鉢が見える。
麻婆茄子、揚げ出し豆腐、だし巻き卵、もやしのナムル、トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ、野菜の肉巻き、それとご飯と味噌汁……ふむ。
「すごいな」
「なにが?」
「美味そう。それに品数が多い。よくこれだけをあの短時間で準備できたな」
「麻婆茄子とナムルと肉巻きは作り置きだよ」
「なるほど」
「それより何か言いたいことあるんでしょ」
「じゃあ言わせてもらうけど……――居酒屋か!」
「あはははは!」
なるほどこう来たかって感じ。
これは解釈一致だわ。
かがみは少しだけ恥ずかしそうに「いやー、最近ずっと凝っててさ」と席に着いた。
俺も向かい側に座る。
「ささ、食べよ。いただきまーす」
「いただきます」
手を合わせて唱和する。
さすがにお酒は出されず、温かいお茶だった。
今日はかがみも飲んでいない。
俺に遠慮しているのかなと考え、一応訊いてみる。
「酒はいいの?」
「んー、今日はいいかなー」
休肝日というやつだろうか。
まあ本人が飲まないものを無理に飲ませる必要はないだろう。
食事は雑談を交えながら淡々と進んだ。
全体の半分くらいを消化したところで、かがみが箸を置き「本題だけど」と切り出す。
声色が真剣味を帯びていたので、俺も同じく箸を置いて居住まいを正した。
かがみは「取り繕っても仕方がないからはっきり訊くけど」と前置いて
「凡夫の家にいたサイカちゃんって子だけど……アレは何?」と訊いてきた。
「渚や爽太は気付いてなさそうだけど、明らかに人間じゃないよね? 最初に言ってた機械人形って話、本当なの?」
……これはもう完全にバレているな。
下手に誤魔化しても意味はなさそうだ。
俺は観念し、説明することにした。
サイカの出会いから一緒に暮らすことになった経緯を話した。
爺ちゃんが科学者で、マッドなサイエンティストということ。
趣味でときどきぶっ飛んだ発明をすること。
サイカは俺の役に立つことを目的に生み出され、それを生き甲斐にしていることなどなど。
なるべく誤解生まれのないよう正確に話した。
「なるほど。うん、大体わかった。少なくとも二二世紀から送られてきた猫型ロボットの仲間とかじゃなく、現代で現代の人の手で作られたものだってことだ」
かがみは途中何度も驚いていたようだが、最終的には信じてくれたみたいだ。
脳内で反芻でもしているのか、何度も深く頷いていたかと思えば、「あのさ」と続ける。
「もう一個だけ訊きたいんだけど、変なこと訊いていい?」
変なことと言いつつ表情は真剣だったので、疑問を感じながらも先を促した。
「あの子……もしも壊れたらどうするの? お爺さん以外に直せる人はいるの?」
かがみの質問は、俺自身考えたこともなかったことだったのでかなり驚いた。
だが、形あるものはいつか必ず壊れる。
それは人間も機械も同じだ。
ただ一つ決定的に違うのは、人間には自己治癒能力があり、機械にはない。
つまり、サイカは自然には直らない。
そんなことにも気が付いていなかったのかと、自分の浅慮さに困惑する。
「ごめん、俺も知らない。多少ならサイカが自分で直せるかも。けど、そうじゃなかったらそんじょそこらじゃ無理だと思う。多分爺ちゃんのところに行かないと……」
「わかった。わたしの訊きたかったことはそれだけ。ありがとね、教えてくれて」
かがみの表情が、ふっと柔らかくなった。
張りつめていた空気が瞬く間に弛緩する。
「あー、スッキリした。飲も」
「結局飲むんじゃねぇか」
「真面目な話は終わっちゃったしねー」
かがみは軽やかな足取りで廊下へと消えていった。
冷蔵庫を開閉する音が、小さく部屋に響く。ほんの数秒後、戻ってきた。
その手にはまるで戦利品のように六缶パックの缶ビールセットが握られている。
キンキンに冷えたビール缶の表面に、部屋の明かりが眩しく反射していた。
「それ今から全部飲む気なの?」
「いーのいーの、もう飲み納めだし」
「ん?」
「しばらくはもう飲まないってこと。だから今日はうちの在庫が空になるまで付き合えー!」
かがみがプルタブを起こすとプシュッと小気味よい音が鳴った。
ゴクゴクゴク、と美味しそうに喉を鳴らして飲み、ぷはーっと息を吐いて缶を置く。
「あ、そうだ。昨日変な感じで帰っちゃったし渚と爽太にはわたしの方から上手いこと言っておくね。少なくとも凡夫が心配しているようなことは何も起こらないと思う」
「マジか。助かる」
「任されたっ」
凡夫、昨日困ってたもんね、とかがみは食べかけだった小鉢へ箸を伸ばした。
俺も食事を再開する。
その間にもかがみは実に美味しそうに飲み、どんどん缶を空にしていく。
「俺も一本だけ飲んでいい?」
「だーめ。我慢しなさい。二〇歳になったら一緒に飲んであげるから」
むう。手厳しい。
とはいえそれまでは当たり前のように友達でいてくれるつもりらしい、かがみの気持ちは素直に嬉しかった。
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