第4話
「朝ですよ。起きてください」
「……ううん?」
聞き慣れない声に目を覚ますと、美少女が俺を覗き込んでいた。
一瞬、夢かと思ったけど、サイカだった。
昨日に引き続き今日もメイド服だ。
もしかして気に入ったのかな。
「あれ? 俺、目覚ましかけてなかったっけ?」
「鳴っていましたよ。何度も止められていましたが。これからは私が起こして差し上げますね。凡夫さまの携帯端末のアラーム機能と同期しておきますので、いつものように設定していただければ大丈夫です」
「そんなことできんの!?」
「はい、凡夫さまの携帯端末はすでに掌握済みですので」
めちゃくちゃ便利でありがたいけど、その後の言葉が不穏すぎた。
慣れ親しんだはずの携帯端末が得体のしれないものに見えてきて、背筋がぞくぞくする。
「ちなみに大切にロックをかけられている領域の、あんな画像やこんな動画などに関してもすでに承知しておりますのでご安心を。それぞれのアクセス頻度についても解析を終えました。凡夫さまの好みは私には丸裸でございます。……ああ、昨晩は耳かきの自律的感覚絶頂反応動画でお楽しみでしたか。代わりに今晩、私が耳元で囁いて差し上げましょうか(笑)」
「いやぁぁぁあああああ!!」
男の子がとても出しちゃいけない悲鳴を上げて布団に隠れる。
なんてことしてくれたんだ!
やって良いことと悪いことがあるだろ!
あまりにも恥ずかしすぎて「うぅぅ……殺せぇ……」とぼそぼそ言っているとと「そんなに気にしなくてもこんなこと明日には忘れていますよ」とサイカ。
お前はオートマタだろ!
というか自律的感覚絶頂反応って言うなよ。
何かわからないだろ、ASMRって言え。
……あれ? 理解が遅れてやってきたけど、今晩やってくれるって言った?
「マジでやってくれんの!?」
期待半分ながらテンション爆上がりで布団から飛び出した俺に「いつまでも寝ぼけていないで早く来てくださいね。朝食が冷めます」と言い残してサイカは部屋をさっさと出ていく。
扉の閉まる音が虚しく響き、追いすがるように手を突き出した間抜けな体勢の俺だけが、部屋に一人取り残された。
結局どっちなんだよぉ。
はっきり言わないと本当に頼んじゃうからな。
「お、すげー」
寝室にしている部屋から出てダイニングへ行くと、ローテーブルにはすでに朝食が並べられていた。
昨晩は先んじて夕飯を買ってあったので、サイカの作った料理を食べるのはこれが初めてだ。
献立はトースト、オムレツ、ミネストローネ、サラダにカフェオレと、朝から作るにはかなり手間のかかりそうなメニューだった。
というか時間をかけても俺には作れない。
「食べていいの?」
「もちろんです」
「サイカの分は?」
「私に食事は不要です。昨晩、電気をいただきましたので」
「ちなみに食べられないの?」
「食べることは出来ますよ。ただ不要というだけです。解析したいときは口にすることもあります。調理時に再現しやすくなりますので」
なるほど。オートマタにとっての食事とは電気の方で、必ずしも食べるという行為は必要ないのか。
ちなみに食べたものはどうなるんだろう。藪蛇になりそうだから訊かないけど。
サイカは「ささ、どうぞ」と早く食べて欲しそうに促してくる。
せっかく作ってくれたのにあんまり待たせるのも悪いので「いただきます」と手を合わせ、備え付けてあったナイフとフォークでオムレツを切って口に入れた。
「うまっ。このオムレツ、中にハムが入ってるんだ。あと、もしかしてチーズも?」
「はい。お気に召しましたか?」
「うん、また作ってよ」
「承知しました」
もちろん他の料理もしっかり美味しかった。
ご機嫌で朝食を終えた俺は、出掛ける準備を始めた。
なにせ今日は大学の入学式だ。
高校までは制服があったが、大学にはない。
先日両親に買ってもらった真新しいスーツに袖を通すと、少しだけ大人に近づいたようで身の引き締まる思いがした。
まぁ、そんな錯覚も試しに姿見へ映した自分を見てすぐに霧散した。
いかにも着なれていないことが丸わかりで、子供が背伸びして着飾っているみたいだった。
成人年齢を迎えたもののまだ大人になるのは早かったらしい。
大学を卒業する頃にはスーツが似合う人間になれているのかな。
なれているといいなぁ。
さて最後の仕上げにとネクタイを結んでみるが、これがなかなか上手くいかず四苦八苦する。
学生時代は学ランだったので、ネクタイを結ぶのはこれが初めてだ。
携帯端末で表示した画像通りにやっているつもりなのに変なふうに絡まったり、前後の長さがちぐはぐだったりした。
だんだんと減っていく時間に反比例するように焦りは募るばかり。
ヤバい、ヤバい、と出口の見えない迷路で袋小路にぶち当たった気分で泣きそうになっていると、部屋をノックする音とともに「凡夫さま、どうかされましたか」と声がかかった。
天から救いの手を差し伸べられたかのようだった。
「サイカさまぁ! 助けてぇ!」
俺が涙声で叫ぶと
「え? あ、はい。入りますね?」
と戸惑ったようにサイカが中に入ってきた。
様子を見て、すぐに事態を悟ったらしく「なるほど」と顎に手を添えて頷く。
「念のため確認しますが、ネクタイが結べないということでよろしいですね?」
「はい! お願いします!」
首に絡まったネクタイを残して両手をだらっと下げる。
もう全面的にお任せのポーズ。
サイカならネクタイの結び方くらい知っているだろうし、知らなかったとしてもこの場で検索するだろう。
携帯端末のセキュリティを軽々突破するんだから、この家のWi-Fiに乗り込むなんて赤子の手をひねるが如く造作もないはずだ。
というか端末を使わなくてもその場で検索できるサイカさんパネェ。
もうこれ完全に人間の上位存在じゃない? と考えていたら案の定、サイカは困ったような様子もなくささっと目の前まで来て、これまたさささっと解いてしまった。
「結び方にご希望はございますか?」
「一番いい感じのやつで! 一応自分ではそこに出てるフォアインハンドノット? ってやつでやってたんだけど……」
「もちろんそれでも悪くはないですが、一応入学式となればもう少しフォーマルな方が相応しいでしょうね。ウィンザーノットなら左右対称に綺麗に結べますしエレガントな印象で素敵な上、式典という場においても適切なのですが、凡夫さまはまだお若いですし悪目立ちするといけません。ここはややフォーマル寄りなハーフウィンザーノットにしておきましょう」
「…………?」
俺が話の内容を全く理解出来ずにクエスチョンマークを頭上に飛ばしまくっている中、サイカは宣言通りにハーフ? ウィン……なんちゃらを流麗な動作で作っていく。
先ほど俺が見ていた結び方より、複雑に動いている気がするが確証はない。
「……よし、これで完成、と。ディンプルも綺麗に出来ましたよ。凡夫さま、確認をお願いします」
良い仕事が出来ましたとばかりに、サイカは額を袖でこすった。実際に汗腺はない(よね?)ため、ただのフリだろうけど。
いちいち人間くさいやつだ。
姿見には先ほどまでとは見違えてネクタイをきちんと結んだ俺が映っていた。
実際に完璧かわからないが、サイカが綺麗に出来たと言ったのだ。
きっと完璧なのだろう。
「おお……! ばっちりだ! ありがとう!」
「お役に立てたようでなによりです」
丁寧にお辞儀するサイカ。
思わず頭をポンポンすると、即座に半眼でじとっと睨まれた。
「凡夫さま。私にはかまいませんが、大抵の女の子は頭を触られるのを嫌がりますので、外ではお控えくださいね」
「そうなの!?」
「当たり前です。誰が恋仲でもない相手に身体を許すと思っているのですか。それに時間をかけて丁寧にセットしている髪をくずされて、良い感情を覚えるはずがないでしょう。相手の嫌がることをしない。これは人付き合いの基本ですよね」
「おっしゃる通りです……。すみませんでした……」
気を付けよう。今日言ってもらえてよかった。
本当にサイカ様様だ。
それはそれとして――だ。
「ちなみに俺の携帯端末を覗き見るのもやめてもらえると嬉しいんだけど……」
「私は仕人(つかまつりびと)として凡夫さまのことを把握しなければなりませんので。言わば職務上の必然というやつですね」
ねぇ、本当に必要なの? ねぇってば!
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