第5話

 入学する大学は自然の営みが感じられる閑静で落ち着いた場所(全力オブラート)にあり、施設を運営する上ではスペースが広くて良い環境かもしれないが、なにせアクセスがよくない。


 直通の路線バスはあるものの、おおよそ数千人にも上る新入生全員が乗り込めるようなキャパシティは当然ながらないし、ましてや見に来る保護者の分も考えれば、相当な増便が必要になるだろう。

 かといって自家用車に頼れば駐車場が足りない。


 そのため入学式は大学構内ではなく、やや離れた街中の比較的アクセスのいい大ホールを借り切って行われるようだった。


 会場に無事たどり着いた俺は、想像をはるかに超える人の群れに、まず面を食らった。「見ろ! 人がゴミのようだ!」なんて叫んだ某大佐の気持ちがよくわかる。


 さながら千葉ネズミ王国の開演待ちの列のようだが、秩序がない分何倍もひどい。

 下手に突撃すれば無尽蔵に混線する人の流れに乗りきれず、動けなくなって吐くことを確信した。


 仕方がないのでその場でしばらく待ち、ある程度入場の波が収まってから、悠々と会場入りする。

 前の方の席は結構埋まっていたが、後ろの方の席は比較的空いていた。


 空席ならどこでもいいのかと思ったが、よく見ると学部別にプラカードが立っていた。


 目的の工学部は、すぐに見つかった。

 他学部のオシャレに染髪された男女のイケな蝶々舞う花園に対し、我が工学部は雄々しさ迸る黄昏よりも昏き蟻塚だった。


 隣に並ぶ理学部に勝手な仲間意識を覚えてほっこりしつつ、適当な席に座る。

 式典前で空気を読んでいるのか、理系にありがちな人見知りを発揮してなのか知らないが、周囲と話している人は少なそうだ。


 ならば俺も無理はせず、友達は明日以降にあるとかいうオリエンテーションとかで作ればいいやと肩の力を抜いて椅子に背中をもたれかけた、が。


「なあ――……なあ、おいって」

「ん?」


 声のした方を見る。

 すると隣に座っていた男が顔を向けていて、ばっちり目が合った。


 短髪が爽やかな、なかなかのイケメンだ。

 バスケとかやっていそうで、工学部らしからぬタイプ。

 他に話しかけていそうな人もいなかったので「俺?」と自分を指さすと、「他に誰がいるんだよ」と笑われてしまった。


「ここにいるってことはお前も工学部だろ? オレは上水流かみずる爽太ぁそうた。よろしくな!」


 ニカッと白い歯を見せられる。

 爽やかが眩しい。


 しかもなんだ上水流って。爽太って。爽やかの化身かよ。

 俺なんて名字はともかく名前は『凡夫』だぞ。読みは『ただお』だけど。


 内心でぼやいてみるものの、もちろん爽太には何の落ち度もないので表には出さない。むしろ最初に話しかけるというハードルを超えてくれたことに感謝すべきだろう。


「よろしく、爽太。俺は各務凡夫だ」


 精一杯の爽やか凡夫スマイルをくれてやる。

 せめてニタァ……となっていませんようにと願うばかりだ。


 さりげなく名前呼びしてやるのも忘れない。

 こういうのは遠慮するだけ損なのだ。友達を作るのに壁なんてない方がいいに決まっている。


 さて、せっかく最初のきっかけができたし、式が始まるまで一言二言くらい話したほうがいいよな。

 何を訊こうかな、無難に出身とかでいいか、と考えていると、「あ~、いたいた!」と通路の奥から一人の女の子が歩いてきて、爽太の隣の席の前で立ち止まった。


「なんで一人で行っちゃうの! どこに行ったかと思って探したじゃん!」

「あ? だってお前、ずっとバスで隣だった人と喋ってただろ」

「一言くらい声掛けてくれてもよくない!?」


 何やらギャーギャー言い争いを始めてしまった。

 ずいぶん親しい感じだし、俺はすっかり蚊帳の外になってしまった。


 割って入るべきか、入らないべきかと迷っていると、俺の存在を思い出したらしい爽太が「あ、悪い悪い」とこちらを向き、女の子を指さした。


「こいつ、同じ高校出身なんだ。名前は――」

白砂しらすななぎさでーす。渚でいいよ。よろしくー」


 爽太が言う前に自ら名乗った渚は、気安い感じで手を振ってきた。俺もやんわりと振り返す。


 ショートカットで明るめに染めた茶髪がよく似合っていた。

 顔立ちはかなり整っているようだけど、気さくで親しみやすそうな雰囲気で、話しかけづらさを感じない。

 ちょっと小柄な体格もそれを手伝っているのかも。鬼のようにモテそう。


 それにしても白砂に渚か。

 脳裏に連想されたのは――無限に広がる白い砂浜、穏やかな海の波打ち際を素足で歩く女の子。


 爽太といい渚といい、爽やかを安売りするんじゃない。

 (しつこいようだが)俺なんて凡夫だぞ。


 そんなことを思いつつ俺も名乗り「凡夫でいいよ」と無難に挨拶を返す。

 すると今度は三人での他愛のない雑談が始まった。


「へー。凡夫も他県出身なのか」

「ということは二人とも?」

「ああ。なら一人暮らしだよな。ぶっちゃけ大変じゃね? オレ、二週間くらい前に越してきたんだよ。最初はウザったい親がいなくてラッキーとか思ってたけど、料理は面倒くさいし作ってもたいして美味くねぇし。弁当とかカップ麺はもう飽きたわ」

「だよな、わかる」


 俺の場合はサイカが来たことで解決したが、来なかったら絶対に同じ悩みを抱えていた。


 騙すようで若干の心苦しさを覚えるけど、さすがにサイカのことは言えないな。

 これから仲良くなっていったら、そのうち言う機会もあるかもしれないけど。


 まぁ、例え言ったとしても『家に人間そっくりのオートマタがいます』なんて信じるわけがない。

 オーバーテクノロジーすぎる。

 俺だって爺ちゃんがいなかったらいまだに現実を認識できていなかったかもしれない。


「なら爽太、あたしが作ってあげようか。もちろんお金はもらうけど」

「あ? お前料理できんの?」

「できるわ!」

「なら……いや、やめとく。腹壊したら怖いし」

「めっちゃ失礼! う〜〜っ、もう怒った! こうなったら絶対に食べさせてやるから! つかいいかげん住所教えろ!」

「いや……お前絶対来てウザったくギャーギャー騒ぐだろ。せっかく一人になったのにさ」

「あたしはガキか!」


 痴話喧嘩を始めてしまった。

 言い争っているけど絶対にめちゃくちゃ仲良いやつだろこれ。


「二人は付き合ってんの?」

「ちげぇ!」

「付き合ってない!」


 試しに訊いてみたら、息ぴったりに否定された。

 うーん、この予定調和感。似たものカップルが。

 二人とも良いやつっぽいし、お似合いだし、俺に出来ることがあれば協力しよう。


 そうやって勝手に脳内で推しカップル認定していると、式の始まる合図があった。

 うすうす思っていたけど、渚も工学部だったらしく爽太の隣に大人しく座った。


 それにしても男の爽太はともかく、渚みたいな女の子はかなり珍しい。

 後ろの方から眺めてみても、数えるほどしかいなかった。

 まさか爽太を追っかけてきたのだろうか。さすがにないか……ないか?


 式は予定調和というか、実にありがちな展開で進んだ。

 まず管弦楽団とチアリーディング部による歓迎演目があり、続けてお偉いさんたちの挨拶。


 最後にグリークラブと一緒に学生歌を歌って終了だ。

 ただ高校までの入学式より幾分かイベント感が強く、多少は楽しめた。


 特筆すべきことなどなかったが、学長式辞で述べられた「大学は人生の興味関心を満たす場です。君たちには四年間という短くも長い時間がある。生かすも殺すも自分次第です。勉学に、遊びに、恋愛に。その他いろいろあるでしょうが、何事も大いに楽しみ、積み重ね、励むように。必ずや未来の糧となるでしょう」という言葉が妙に心に残った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る