第3話
「初恋の人の名前、だそうです」
「――――………………は?」
意味が解らなさすぎて目が点になった。
「サイカさん――彩華、という字をあてるようですが。会心の出来だった私にどうしてもその名前をつけたくて悩みに悩んだ末の結果だと」
意外過ぎる答えに、しばし呆然とする。
じわじわと心の中からせり上がってくる、名状しがたい不快感に似た複雑な感情に頭を抱えた。
「うわめっっっっっちゃ聞きたくなかったんだけど、それ。え? 俺、これから爺ちゃんの初恋の人と同じ名前を付けられたロボットと一緒に暮らすわけ?」
「『凡夫は多分訊いてこないだろうからオッケー☆』だそうです。でもすぐに気付きましたね、さすがです。博士の想像の上を行きましたよ」
「うれしくねー!」
サイカはパチパチと手を叩いた。
「あと、ロボットではなくオートマタです。ロボットだと
「(笑)、じゃねーよ!」
「博士がロボット工学の道へ進むきっかけになったのも、元をたどればその彩華さんと同じ大学へ行きたかったからだそうですよ。残念ながら彩華さんは他の大学へ進学されたようで、キャンパスライフをともに過ごすことは叶わなかったようですが」
「どうでもいいわ!」
はぁ、はぁ、と肩で息をする俺に対し、サイカはどこ吹く風だ――と思ったが、そもそもオートマタに息切れはないか。
なにせ呼吸をしていないみたいだし。
きっとバッテリーが切れるまでは疲れを知らず一定の調子を保てるってことなんだと思う。
え、なんだそれ。いいなぁ、ズルい。
「それはそれとしてさ、サイカはそれでいいのかよ」
「それでいいのか、とは?」
「よく知りもしない男のところに意味不明な由来の名前をつけて放り込まれて世話させられる人生――いや、機械生? よくわからないけど、そんなんでいいのかってことだよ」
サイカがいくら
「名前に関しては、博士の礎となられた方のお名前を拝命できることはむしろ光栄に存じます。それはそれとして凡夫さま……」
「なんだ?」
「お優しいのですね。不覚ながら少しばかりキュンとしてしまいました」
しっとりとした表情で言うサイカに、照れつつ「そういうのはいいから」と告げると即座に「そうですか」と表情が無くなった。
……めちゃくちゃ切替えが早いッスね。本当に感激していたのか嘘だったのか本気でわからない。
俺が混乱していると、サイカが咳払いをした。
場をとりなすときのサイカなりの
そしてふざけた様子を感じさせない落ち着いた声色で言った。
「――凡夫さまは人生に目的を持って取り組んでおられますか?」
空気が変わった気がした。
突然なんだ? とも思ったけれど、この問いは殊の外重要なのではないかと思ったのでじっくり考えてみる。
目的……どうだろうか。結構難しいし、哲学的だ。
例えばつい最近成したことはなんだろうか。
……そうだな、大学入学か。
ではその選択をした理由はあったのかと訊かれたら、ほとんどないと答えるしかない。
当たり前に行くものだと思っていたし、まだ就職するより遊んでいたいという気持ちもあった。
消極的選択だ。
工学部を選んだのだって大した意味はない。
爺ちゃんとよく遊んでいた経緯で機械に興味があったから。
それと就職に強いと聞いたから。
そんな程度のものだ。
だから、仮に別学部へ行くことになったらがっかりしたかと問いかけられたら、否と答えるだろう。
それなりに満足感を覚えて大学受験を終了したに違いない。
中学生の頃は部活動でサッカーをやっていた。
それなりに一生懸命頑張ったし大会で負けて悔しい思いもした。
だが、それだけだ。
プロになりたいと思うほど練習に打ち込んだわけでなければ、高校に入学してからリベンジを果たそうとしたわけでもなかった。
むしろもうキツい練習はごめんだと、見学すら行かなかったくらいだ。
そう考えると、俺の人生で目的なんて存在したことがあっただろうか。うーん……ないかも。
俺の沈黙をどう受け止めたのかわからないが、サイカが続きを話す。
「オートマタに限らず、ありとあらゆる機械は役割を与えられて生を受けます。身近なところで言えば、自動車、
「共通点?」
「そう。それは『役に立つこと』です。機械が導入される以上それ以前より、より良くあらねばなりません。それこそが生まれる意義であり目的です。私は凡夫さまのお役に立つために生まれてきました。そして今からその目的に沿った生き方をしようとしている。ここに何の不満がありましょうか。それに凡夫さまはわけのわからない男でもありません。創造主――つまり生みの親の、お孫さまでございます。少なくとも私は凡夫さまのお世話をすることに、悪感情は一ナノメートルほども抱いておりませんと断言しましょう」
「なるほどな……」
「それに一昔前は家長がその家の娘の嫁ぎ先を決めていたと聞きます。そういうものだと割り切るという点では、似たようなものではないでしょうか」
「さすがに時代が古すぎるわ。何十年前の話だよ」
茶目っ気まじりの口調に俺も合わせて笑った。とにかくサイカに不満はないらしい。それだけ分かれば俺には十分だった。
サイカの目的は俺の役に立つことだ。
邪魔をする理由はない。
俺の自活能力が低いことは紛れもない事実だし、頼れることは素直にありがたいと思う。
ただそれを当たり前だと思わず、せめて感謝の気持ちはきちんと伝えていきたい。
大事なことだしな。
「これからよろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
俺の差し出した手をサイカが取った。
がっしりと握手を交わす。
見た目にそぐわず手ごたえの重い、温かくもなければ冷たくもないフラットな温度の手だった。
やはり機械なんだと実感し、妙な頼もしさを覚えた。
しかしややあって手が離れた後、サイカが何か思い出したかのように、これ以上なく眉尻を下げた。
ガラリと変わったその表情に、俺は戸惑う。
「……非常に申し上げにくいのですが、どうしてもお伝えしなければならないことが……」
「……なに?」
神妙な様子のサイカに、何を言われるのだろうとそわそわしながら訊き返す。
「私には生活防水程度の防水機能しかありませんので、お風呂だけはサポートできません。凡夫さまの過大なご期待に沿えず、忸怩たる思いでございます……」
「いや頼んでないから。風呂くらい自分で入れるし」
「――でも、ちょっとくらい興味はあるのでしょう?」
ぐ、と不覚にも言葉を詰まらせる。
すると、サイカは俺の耳元にスススっと駆動音を感じさせない滑らかさで近づいてきて囁いた。
「……凡夫さまのえっち」
耳が火を噴いたように熱くなる。
位置関係的にサイカの表情は見えないが、きっとしてやったりとほくそ笑んでいるのだろう。
まったく……せっかくの良いシーンだったのに台無しだ。
どうやらこの
サイカとの生活は、きっと今までとはまるで違うものになる。
けれど、俺にはそれがとても楽しいものになる予感がした。
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