日常に感じる違和感 の巻②
◆◆子どもファースト◆◆
不登校界隈や、学校改革の場面で、『子どもファースト』という言葉を耳にする。
随分と恩着せがましいもんだ、と少し思う。
私たち大人は、こんなにも子どものことを1番に考えている。
私たち大人は、こんなにも子ども1番に支援をしてあげている。
そんなニュアンスを孕んでいないかな、と。
でも同時に思う。こういう『大人がしてあげるべきこと』という強い言葉を使わないと、世間には伝わらないんだろうな、と。
子どもにも当たり前に人格があって、人権がある。母としても、そこに気が付くまでに、とても長い時間がかかったし、今でも漠然とした感覚しか掴めていない。すぐに「あれしなさい!これしなさい!」と子どもに指示を出す自分に気が付く。
そして、『子どもファースト』という言葉はとてもキャッチーだ。
『すべての子どもに人権がある!!』なんて言葉を世間一般に投げたところで、「へぇ。」で終わるだろうな、と思う。
◇ ◇ ◇ ◇
私が『ファースト』に違和感を持っているのは、『レディーファースト』に起因していると思う。
ジェントルマンが、連れの女性の為に、扉を率先して開けてくれたり、これから座りますって時にベンチにハンカチを敷いてくれたりする、あれだ。
私はちょっと苦手だった。
レストランで椅子を引かれて、タイミングを測って腰をおろすものの、すごく早めに着席してしまう。
(あぁ~。。こんなガバガバの感覚じゃ、落ち着いてご飯が食べられないよ。。。)そう思って、椅子を引いてくれた相手の顔を見ると、とても満足そうだ。
(なんてこった。椅子をガリっとあと数センチ前に出したいよ。けど、この人、完璧な仕事した!と思ってそうだし。。。我慢するか。)
と思いながら、「ありがとうございます。」と微笑み返す。
デート中に、腰に手を回されるのも好きではない。
車道側から内側に入りなよ、というタイミングで腰に回された手が、「あなたをお守りします」とばかりにずっと私の腰にくっついている。
歩きにくい。
相手と足がぶつかりそうだ。邪魔くさ。自由に歩きたい。
ずっとそう思っていた。
夫は、彼氏時代そういうことを自然にする人だった。
けれど私がちっとも喜ばないので、今は全くしない。
自分が『ファースト』のありがたみを全く感じていないので、『恩着せがましい』なんてひねくれたこと考えるんだろうな、と思う。
でもきっと、『ファースト』をする人は、“あなたを大切に思ってる”って事を、ただ伝えたいだけなのかもしれない。
ファーストされた経験のある私は、とても恵まれていたのだろうし、「そんなもんいらねーやい。」と言えるほど、贅沢な環境に居たのだろうと感じている。
学校で困り感を抱えている子どもたちにとっては、『子どもファースト』と言ってくれる大人が居るだけで、希望だし、救いだろうと思う。
ひねくれている私のことは放っておいて、日本中で、どんどん『子どもファースト』が進めば良い!!と思っている。
◆◆自分への教訓◆◆
◎この親にしてこの子あり、ってあるよなぁ。
◎〇〇ファーストって、あなたを大切に思っているよって事だ。
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