【第4話】日常に感じる違和感 の巻①
◆◆保育園児に見る違和感◆◆
長男たこ・長女ぴこ・次女ちぃは、不登校・不安定登校の日々だ。
母は、精神の浄化と、思考と情報に埋め尽くされているパンパンの脳の整理のために、最近『散歩』を日常生活に取り入れていた。
Amazonプライムや、YouTubeを各々の機器で楽しんでいる我が子たちにも、もちろん声をかける。
「ママ、散歩行くけど。一緒に行く?」
即答で「行かな~い。」と返ってくる。
もう慣れたが、最初は「このやろう。ぐうたらとたるんでいる奴らめ。」とモヤついた。
子どもたちのことは見限って靴を履いて表に出ると、冬の北風が母の耳と鼻を冷やす。子どもたち、正解だわ。と室内に居る子どもを羨ましく思う。
しかし、母は意を決して、出発した。
今日は、芝生を歩きたい。落ち葉の匂いを嗅ぎたい。木々の緑が見たい。
そんな思いで、ちょっと大きい公園へ向かう。
公園にはいろんな保育園から、子どもたちがお散歩に来ていた。かぶっている帽子のカラーが園ごとに違う。保育園には、『お散歩』があったな。我が子たちもお散歩大好きだったな。微笑ましく思い出していた。
その中に、リレーの練習だろうか。たすきを持った保育士と、20人ほどの子どもたちがいた。
保育士は、ぽっこぽこのダウンを着ている。
子どもたちは全員ジャージだ。
「子どもは元気だなぁ・・・。」
と昔の私なら、そう思っただろう。
けれど、その光景に出会った今の私は、疑問を持った。
「子どもたちの、ジャンパーはどこにあるのだろう?」
視野を広範囲に広げて探しても、子どもたちのジャンパーは無かった。
『リレーをする』という活動目的のために、動きやすいように、ジャージいっぽんで“来させられた”のだろう、と感じた。
不登校児3人の母の私は、その集団活動に違和感を持ってしまった。
「やりたくない子も居るだろうな。」と。
動かなければ、めっちゃ寒い。ここにはリレーに参加する以外の選択肢はないんだな。と。
◇ ◇ ◇ ◇
もっと、気候の温かい頃に、こんな光景に出くわしたことがある。
保育ママさんと、1〜3歳の子どもたちが、レジャーシートを広げて、お弁当を食べる、という場面だった。
子どもたちは、保育ママさんと一緒に、決められている言葉を暗唱した。
「神様、今日の恵みに感謝して、ご飯を残さず、お行儀よく食べます。いただきます。」
子どもに合わせてゆーっくり唱えられる言葉にも、1テンポ2テンポ遅れてしまって、全然言えてない子がいる。
保育ママさんは「もぅ~(笑)」(毎日言ってることなのにまだ言えないんかい!)と笑いかけ、気を取り直して「はい、食べましょう。」とお弁当をみんなで食べ始めた。
母が違和感を感じたのは、『ご飯を残さず』の部分だった。
完食できるか、出来ないか、その日によらない?と思った。
『ご飯を残さず』と宣言したことで、保育ママさんが、ご飯を残してしまった子を、咎める思考が生まれないだろうか。
ご飯を残してしまった子ども自身も、「うそついちゃった。」とか、「約束をまもれなかった。」と思ってしまわないだろうか。
言わなくてよくない?
◇ ◇ ◇ ◇
ジャージの子どもたちを見つめて、あのお弁当の場面を思い出す。
そして、ふと思った。
あぁ、こんなことを考えてしまう、日常の流れに疑問を持ってしまう母親の子どもだから、我が子たちは揃いもそろって不登校なのだろうな、と。
親の特性は子どもに遺伝する。
あははっ、と吐息に混ざって笑いが漏れる。
それは、嘲笑ではなく、肩の力がふっと抜けたような感覚だった。
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