不登校児の親と先生の言葉 の巻③
◆◆不登校の社会実情◆◆
学校しかない。ホントにそうなんだ。
不登校になって、学校に行けなくなると、小学生が平日昼間に過ごせる居場所はほとんど無いのだ。
近隣の児童館は、午前中は乳幼児親子のみ受け入れており、小学生は対象外。午後も、コロナ明けの人数制限で予約制になっていた。
学童は、条例があるらしく、『放課後の児童を受け入れる』という大前提があり、午前から引き受けてはくれなかった。そもそも、学校を欠席した児童は、学童に登室出来ない、と言われていた。
フリースクールは一番近くて電車をいくつか乗り換えた先の駅にあった。
公民館は大人の居場所。平日昼間の小学生向けの環境は整えられていない。
公園に放置すれば、危険を伴う。心配した近隣住民に通報されることだってあった。
もうすでに、母は思いつく限りの公共施設に当たっていた。無いんだ。
小学生が平日昼間に安全に過ごせる場所が、どこにも。
家に留守番させたことがある。
仕事から帰ると、お湯をかけないでかじったカップ麺の残骸が転がっていた。1年生のちぃが、ノーヘルで自転車で飛び出した痕跡があった。たこがテレビを独占し、12時間以上視聴していた。
一番つらかったのは、ぴこの自傷だった。むしられた髪の毛の束が、玄関に、洗面台に、台所に、ごっそりかためて置いてあった。その頃、情緒が不安定だったぴこは、怒りに任せて髪の毛を毟り切るという手段を頻繁に発生させていた。
保健室の先生の励ましは、とても浅く、母から『人を頼る』という熱を奪った。先生に悪気はなかったはずだ。しかし、とてもえぐられてしまった。所詮他人事だ、という事実を突きつけられた。
そうなんだ。理解されない。
不登校を本当に理解されることはない。当事者で経験がなければ、
「大変ですね」で終わるんだ。
保健室の先生を責めているのではない。世間の認識、考えの浅さは、大抵がきっとこんなもんだ。
知識としてすら、不登校の実態を知らない人がとても多い。
「親の甘やかし。」「躾の失敗」「子どもの弱さ」。
極めつけは「愛情不足」だ。精一杯の愛情を持って育てているつもりだ。
でも愛情不足で不登校になった、と言われる。仮説に過ぎないと頭では理解しても、「子育ての失敗」という烙印を押された、絶望があった。
あなたの今までのやり方は自己満足に過ぎない。育て方を間違っていたんですよ、と言われたのと同義だ。
八方ふさがりのどん底に落とされるような、漆黒の闇に一人取り残されたような。
そんな気持ちになった。
不登校になって受ける、言葉、態度、視線。当事者以外の人からは、そんな思いを受け取ってしまうことが少なくなかった。
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