不登校について考える の巻④
◆◆不登校って何だろう?◆◆
不登校って、海に似てるな、と考えていた。
陸地を歩く人間が、歩くことに疲れて海に入ってしまったような。
当たり前に陸地を歩く人たちは、「おい!なに海で遊んでるんだ!上がってこい!」と言うけれど。
歩く元気が無いから海に入ったんだ。その海が、凍てつくような厳しさで、肌を刺す冷たさかも知れないこと、きっと当事者じゃなきゃ想像できない。
海でのんびり浮かべるようになるまで、必死でもがいて溺れていて、息も絶え絶えなことも、きっと当事者じゃなきゃ分からない。
海に落ちた子どもを陸に引き上げようとして、親も溺れてしまっていることを、陸地の人間は気が付いているだろうか。
時に親は、自分は潰れてもせめてこの子だけは助けたい!と自分は沈んで子どもだけに呼吸をさせることがあることを、当事者以外が想像できるだろうか。
「不登校でも大丈夫!」と言えている人に時々会う。その人は、海の泳ぎ方を習得したんだ。もしくは、新たな陸地を見つけられたんだ。
体力温存の為に、海面にぷかぷか浮かんでいれば、「人間だろ!陸地を歩け!」と言われる。
「海に居てもいい!でも、歩く練習はしろ!」と海底を歩かされたりする。海底の砂が舞って、視界も無くなる。海を歩くなんて、身体が重すぎる。
無茶言うなよ。と思う。陸地も歩けないんだぞ、と。
不登校児の親になって思う。私は、ずっと陸地を歩いてきた。昭和の親に育てられて、疑うことなく。教育を当たり前に受けて、大学を出て、就職した。海という世界があることも知らず。もしくは、海に落ちる人は変わってるな、と自分とは関係のない世界の事として生きてきた。
子どもが海に落ちて、親も飛び込んで、今、溺れている。親が泳ぎ方を知らないんだ。子どもに教えてあげられない。無力だと痛感する。
不登校が海かぁ。。。広さも深さも、ほんとに分からないよなぁ。と考えながら、この話は、どれだけの人に伝わるだろうか?と思う。
「ちょっと、何言ってるか分からない。」
と、首をかしげるサンドウィッチマン富澤の顔が浮かぶ。
◆◆自分への教訓◆◆
◎自分が整ってなければ、何も成すことができない。
◎家族が平穏に過ごせること、それが一番大切。
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