夜の森、一人の鍛練
良前 収
静かな夜
構える、踏み出す、刺す。構える、踏み出す、刺す。
リリは延々とそれを繰り返していた。
夜の森に少し分け入った先、不自然に開けた空き地のような場所。枝先にランタンを吊るして光源を確保し、少女は一人、動作を繰り返す。
構える、踏み出す、刺す。構える、踏み出す、刺す。
使っているのはただの木の棒、女性の腕の長さよりは幾分長い棒切れだ。ただし先端が細く鋭く削られた、突き刺すことを想定した道具。太さは彼女が固く握るのに適した程度。柄があるわけではなく、鋭利な穂先とは逆の端がやや丸く角を取られているだけ。
それをリリは左手で握り、右手を丸い端に添えて、構える。踏み出す。刺す。今は前にいない敵に向かって。
額から流れた汗が目に入った。彼女は眉をきつく寄せ、動作を止めた。荒く息を吐きながら右手を棒から外し――舌打ちした。
棒にささくれが出来ていたらしい。手のひらに棘が刺さった痛みがあった。
こういった負傷は軽くても放置してはならない。下手をすれば化膿し、後に響く。しかも利き手の掌底だ。リリが棒を使うのに重要な部位。
彼女はランタンの直下に行き、棘を視認しようとした。極小の灯火のみで苦心しながら、ようやく発見する。
小さい、だがはっきりとした、痛みを感じる棘。
リリは左手の指を使って引き抜こうとした。爪を立てる。しかし取れない。棘はすり抜け、むしろより一層中へ食い込んでいく。
苛立ちに彼女の表情が歪む。更に自分の手のひらの肉に爪を立てる。それでも取れない、抜くことができない。
強く歯噛みし、奥歯が危険な音を出し始めた時。不意にその場に声が響いた。
「何をしている?」
落ち着いた静かな呼びかけに、少女の肩が跳ね上がった。
声をかけてきた青年は足音も立てずに近寄ってきて、リリの右手首をつかんだ。無言で引かれ、ランタンに接する間際の位置で確認されるのに、彼女は抵抗できない。それだけ、彼とリリには力量の差がある。
「……この棘か」
やがて呟いた青年は、スッと顔を伏せた。
「――っ!」
リリの体がわななく。
彼女の手のひらに青年の唇が触れ、舌が舐め、歯が立った。
小さな痛みが表面を通り抜けていく。
青年が顔を背け、唾と棘を地面に吐いた。
「これだけか?」
「……そうだっ!」
少女は怒鳴り、緩んだ青年の手から自分の手のひらを奪い返す。激情そのままの瞳で彼を射貫いて、再び棒を握ろうとした、が。
「今日はもうやめておけ」
青年が今度は左の手首をつかんできて、途端に棒が音を立てて地面に落下した。
リリは相手をにらむ。怒りと屈辱に体が震える。けれど青年の表情も声も変わらず静かで、揺るがない。
「焦る必要はない。俺はそうやすやすと殺されるつもりはないからな、お前以外の人間には」
自分の声は震えてしまうのが、少女は死にそうなほど口惜しい。
「いずれ必ず、殺してやる」
そこで青年は――いつものように――わずかに微笑むのだ。
「楽しみにしている」
いくらリリがにらんでも、怒鳴っても、暴れても、青年はまた彼女を連れ帰る。少女はそれに抵抗できない。
そして静かな夜が明け、再び混沌と無道の昼が来る。
夜の森、一人の鍛練 良前 収 @rasaki
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