#4 追跡

 須垣みたいな能力を持たない俺にも見えたってことは――その先の思考をするよりも早く、息を止めた。

 動揺を必死に抑え込み、意識を集中できたときに、ちらりとだけ見えた。

 あの歪んだ隙間が広がり、そこから顔を出してこちらを覗き込んだ三人。

 シャルロットがさっき言ったように悪党の目つきをした俺と、同様に悪党の目つきをしたシャルロット、そして思い出したくもない過去のトラウマを刺激する悪い顔。

 なぜ、こいつが、ここに?

 しかし時間はもう遡――じゃない宇宙は裂かれ始めている。

 スプラッタ映画みたいに地面に落ちた二人の上半身は元へと戻り、空間断裂の予兆みたいな振動も消えた。

 本当はもっと戻したかったのに、もっと息止めが続くはずだったのに、俺はそこで戻してしまった。

 ガチのリバース。

 裂けたこちら側の宇宙の止まっていた時間が動き出す。

「メイ。私は信じるわ。この……なんで吐いてんの?」

 二人は呆然と俺を見つめる。

 俺は迷わず二人に向かって走る。

 二人はとっさに後退あとずさる。

 そりゃゲロまみれの俺が近づけばそうなるだろう。

「な……シャ、シャルっ、歪み!」

 須垣が叫ぶ。

 俺はさっきの空間が歪んだ場所からわずかに離れ、鉄パイプを拾って思いっきり振りかぶる。

 そして空間の裂け目から現れた悪党ヅラの三人、いや一番右に居た悪党ヅラな俺の頭を思いっきり殴りつけた。

 手応えはまるでなかった。

 ただの素振りをしたみたいに。

 でも鉄パイプの先端は町工場で切断したみたいに綺麗に切れていた。

 悪党ヅラのシャルロット、略してワルロットと、それからあいつは、裂け目の向こうへとすぐに顔を隠し、裂け目は閉じて、地面にはワル俺の頭の上半分だけがべちゃっと落ちていた。

 その光景はまるで地中からひょっこり顔を出しているように見えた。

 またこみ上げる嘔吐感。

 どうにも我慢ができなくて、また吐いた。

 俺は人を殺したのだ。

 それも自分自身を。

 地面に両手をつき、もう何も出てこないってのに、わずかに残った胃液を絞り出すように吐き出していた。

凱夫ときお。これ」

 シャルロットが俺にペットボトルの水を差し出した。

「飲みかけでごめんだけど、口とかゆすぐのに使って」

「……いや、助かる」

 水を口に含んでうがいをして吐き出す。

 服についたところは洗い流す。

 水はあっという間になくなる。

「その頭がそこにあるってことは……助けてくれたんだよね? 私たちのこと」

「助けられなかった。俺の目の前で」

 そこまで言ったらまた胃がぎゅうっとなる。

 空いたペットボトルを一瞥する俺の手を、シャルロットがつかんだ。

「シャル!」

 須垣の叫ぶ。

 でもシャルはまだゲロを流しきれていない俺を、ぎゅっと抱きしめた。

「しっかりつかまって」

 さっきの空間の振動みたいなアレが俺たちの周りに現れ、慌ててシャルロットにしがみつく。

 するとシャルロットはその振動の中心へ歩いて行こうとする。

 俺が踏みとどまろうとすると「信じて」と小さな声で言った。

「わかった」

 シャルロットが進むのと同じ距離、俺も一緒に足を出し、結果的に歩く。

 周囲が急に闇に包まれる。

 不安になり、シャルロットにつかまる手に力が入る。

「滅びた向こう側はね、メイじゃなくとも私にも分かるの。ほら、うっすら裂け目が残っているでしょ?」

 確かに。

「今日は何度も宇宙を裂いたんじゃない? だから今裂いた宇宙はもう滅びている。覗いてみて」

 言われた通りに覗いてみる。

 さっきの光景だ。俺が能力を使い始めた瞬間の。

 そして「滅びている」というよりはむしろ、俺が宇宙を裂き始めたあの瞬間で「固まっている」という印象。

 まるで静止画みたいに。

「これが宇宙の……滅び?」

「宇宙が自然に分裂するには、パワーみたいなのが必要なんだと思う。でも、強制的に何度も宇宙を裂くと、宇宙を分割するだけのパワーが溜まってなくて、結果的にこういう中途半端な出来損ない宇宙ができるみたい。生命が何も息づいていない、死んだ宇宙が」

 想像していた滅びとはちょっと違った。

 あっちの宇宙はそもそも始まっていないというか、なんか宇宙のコピペ失敗というか。

「でも、その出来損ないが溜まってしまうと、宇宙は正常な分裂ができないってことなんだよね?」

「メイはそう言ってた。もちろん真実はわからないけれど、メイがたくさん見てきた結果から推測するとそういうことじゃないかって。実際ね、この滅びの裂け目の近くでは、私の能力で向こう側の宇宙への通り道を作ることができないの。触ってみれば分かるけれど、あの滅びの裂け目から滅びた方の宇宙へは入り込めないし」

 いや、触りたくはないです。

 さっきあんなグロいの見ちゃったばっかだし。

「……でもなんかさ、裂けて滅んだっていうよりは、滅びる前というか、裂けかけて止まったというか……まるで、ささくれみたいじゃない?」

「ササクレ?」

 シャルロットの声が疑問形だ。

 というか女子の声が耳の近くで聞こえてようやく俺は美少女と抱き合っている現実に向き合った。

 しかもさっきは間接キスまで――じゃなくて。

 落ち着いて説明を考える。

 俺はフランス語なんて知らないし、ささくれを英語でどう言うかさえもわからない。

「えっと、爪の周りの皮がぺりって向けるやつ」

「……うーん、それだと Petite peau かな? 英語だと Hangnail」

 プチなんとかはよくわからないけど、なんとかネイルの方はなんとなく耳でとらえることができた。

「あとで辞書で調べてみるけど、なんか響きは合ってそう」

「なにそれ、響きって」

 シャルロットが初めて笑った。

 耳のあたりがくすぐったい。

 ひとしきり笑った後で、シャルロットからもう一回ぎゅって抱きしめられた。

「ありがとう。私とメイのこと、助けてくれたんだね」

「ごめん。能力を使ってしまった。癖で、とっさに。癌だのなんだの言われた直後だったのに」

「でもそのおかげで私もメイも助かった。ありがとう。この凱夫は良い凱夫だった」

 悪の方の俺は、今この目の前にある裂けた瞬間の記念写真みたいなささくれ宇宙に、悪い顔で記録されている。

「向こうの俺、本当に悪い目をしているな」

「向こうの私もね……でも、もう一人は誰だろう。初めて見る」

 胸の奥がざわつく。

「……俺、こいつを知っている」

「そうなの?」

 さっきから耳がそこばゆい。

 しかも水に濡れて冷たかった服が、二人の密着した体温で温められ、なんというか生々しい体温を感じる。

 これあんまりこの体勢キープし続けるとヤバいやつだ。

 絶対にセクハラ認定されちゃうやつだ。

「あ、あのさ。滅びた宇宙のことはわかったから、いったん戻らないか? 二回説明したくないから、須垣も合流してからあの女の話をするよ」

「うん。そうしてくれると嬉しい」

 元の宇宙へと戻った俺は、すぐにシャルロットから離れた。

「シャル、遅い! 心配したんだからね!」

「ごめん、メイ。向こうはやっぱりササクレ宇宙だった」

「さ? ささくれ宇宙?」

「滅びているというより、滅びる前に止まっているって言ったほうが正しい気がしたから」

「ちょっと、ゲロ先輩? 私のシャルに何か変なことした? さっきから態度がおかしいんですけど」

 おいおい。今度はゲロ先輩かよ。こいつ本当に口が悪いな。

「メイ、あんまり酷いこと言わないで。凱夫はメイのことも助けたんだよ。私、見てきたから」

 須垣は一瞬、不服そうな表情になったが、じっと俺を見つめてから深呼吸を一つ。

「……あ……りがとう、ございます……これからはちゃんと先輩として敬いますよ」

 その言い方、敬ってないだろ、と思いつつも、話をややこしくしないために俺は大人の対応を。

「でね、メイ。向こうで見てきたんだけど、悪い私と悪い凱夫ともう一人、見知らぬ女が居た」

「見知らぬ女?」

「それについては俺の方から説明するよ」

 俺は説明を始める。

 ガキの頃、仲が良かった幼馴染が居たこと。

 でも小学校に上がった頃くらいからその幼馴染が俺をイジメるようになったこと。

 そのイジメがだんだんエスカレートしていって俺は登校拒否になったこと。

 俺はいったん祖父母の家に預けられ、そこでようやく学校へまた行けるようになったこと。

 そしたらある日、祖父母の家の玄関前にその幼馴染が立っていたこと。

 俺は逃げ出して、迎えに来てくれた母親と一緒に別の街へひっそりと逃げたこと。

 それが原因で両親が離婚したこと。

 幼馴染はそれからもしばらくすると場所を突き止めて出現したこと。

 母親は苦労しながらも俺を連れて引っ越してくれたこと。

 ずっとつらかったこと。

 あるとき、逃げ出したいと思ったときに、この能力に気付いたこと。

 それから何度かこの能力で遭遇を回避するうちに、その幼馴染が俺の前に現れなくなったこと。

「あいつの名前は、綾津あやつ莉茉りま。あの頃よりずっとずっと悪い目つきになっていた。悪い俺と悪ロットと同じ目つき」

「もしかしたらその綾津って女、能力者なのかもね」

 珍しく俺も須垣と同意見だ。

「だとしたら、私たちを殺そうとしてきたのはその子かも説すらあるよね……ねぇ、追おうよ。今すぐ。その子は別の宇宙の私を洗脳してたっぽいし、時間を与えれば与えるほど戦力を集めちゃう恐れがある」

「だね。行こう。元凶かもしれないその女を殺そう」

 その須垣の言葉を、出遭った当初は物騒に感じていたけれど、実際にその所業を目の当たりにすると、なんというか殺人やむなしみたいな気持ちになってくるから不思議だ。

「何やってるの、凱夫。早く来て」

 シャルロットが、須垣を抱きしめていない方の手を俺に向かって伸ばしている。

「シャル? 一度に運べるのは一人だけじゃないの?」

「別の宇宙の私は二人運んでいた。なら、私にだってできるはずでしょ? さあ凱夫、早く」

 俺は少しだけ迷ったけれど、シャルロットの手をつかんだ。

 もしも綾津莉茉が元凶なのだとしたら、そこには俺との過去がきっと関係している、そんな気がしたから。

「よろしく」

 シャルロットにしがみつくと、俺たちの周囲がまたあの闇に包まれる。

「メイ、見える?」

「うん。最近の歪みが二つ。片方が滅び……ささくれ宇宙なのだとしたら、もう一個の方、こっち」

 須垣が指差す方向へ、シャルロットは手をかざした。

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