外伝 副外交長官様

 語学を習いに、僕は兄様の部屋に通っている。


 あの人は、外交官をやっているからかほとんど城にいない。いても城の隅の部屋に閉じこもって忙しそうにしている。


 仕事に追われているのは勿論そうだけれど、姿を見せないことで正体を隠すためでもあることを、僕は知っている。


「じゃあ、今日はここまで。次回までにしっかり復習してくださいね」


 教科書を閉じて、兄様が優しく微笑む。


 よし戻ろう、と思ったのだけれど、ふと頭に不安が過って、思考が止まる。

 ここのところずっとそうだ。


 異変に気付いた兄様が、僕の顔を覗き込んだ。


「どうしました、王子?」


「その…。近いうちにある外国の方と食事会に、僕も参加するじゃないですか。食事の間、僕はどうしたら良いんでしょうか。」


「どうって…利口に食事していれば良いですよ。会談は陛下や外交官様が進めてくださるので。」


「でも乳母様が、たまに僕に意見を求めてくるかもしれないと言っていました。」


「思ったことを素直に言えば良いんです。堂々とした姿でね。流石に大事な交渉の話は貴方には委ねないでしょうから、気負う必要はありません。」


「どうすれば、堂々とできますか?国の顔として賢い姿を見せたいけど、変なことを言ってしまいそうで怖いです」


 兄様なら知っているのではないか。


 僕の知る兄様は、いつも余裕の表情で、大人びている。なんなら他の老官よりも賢く振る舞っているように見える。

 きっと食事会で僕が見せるべきなのはああいう姿だろう。


「うーん、そうですね…。

まずはたくさん勉強してください。知恵は、知らないことへの不安から逃れる足になります。人と戦う武器にもなります。

確かに勉強は大変ですし、それが直接生きる場なんて自分のした苦労に比べれば何分の一かしかありませんが、神は貴方の努力を見ています。いつかきっと報われる日が来ますよ。」


 兄様が今一生懸命に勉強しているのも、いつか報われる日が来ると信じているからなんだろうか。


「知恵があれば、兄様のようになれますか?」


「え?」


「僕は、兄様のように強くて優しくて賢い人になりたいです。」


 周りにどう言われようと負けない。弟に王位継承の座を奪われようと突っ張らない。若いのに周りに劣らず城の仕事ができる。

 僕から見た兄様は、理想そのものだった。


 彼は薄く笑って、小首を傾げた。


「じゃあ、私の欠点はどこでしょう?」


 兄様の、欠点。考えたこともなかった。なぜならそんなこと目につかないから。


 言葉を詰まらせていると、ふ、と彼が小さく鼻で笑ったのが聞こえた。聞いて気分の悪くなる声ではなかったけれど、呆れられたかもしれないと少し不安になった。


「私だって人間です。人間というのは、完璧な生き物ではありません。

美点ばかり見つけていては、世界を正しく見つめることはできない。平和なこの国にも水面下で悪質なものが蠢いている。それを見つけてよりよく改善していくのが王の役割というものでしょう。」


 きゅ、と胸が締め付けられるようだった。


 僕はいずれ王になる。その役目をきちんとこなすためにも、今から自覚を持って、正しい目を持たなければいけない。


「ぜひ考えてみてください。貴方にとって理想と思われる私には、何が足りないのか。もしそれを見つけることができたら…」


 少し沈黙ができたので続きが気になって僕は兄様の顔を覗き見る。

 斜め上を見つめて考えていた彼は、やがて僕をみて微笑み、頷く。


「その時には、貴方にも私の話ができると思います。」


 僕は兄様が大好きだ。一つの目標としても、一人の家族としても憧れる存在。彼が何を思ってどう生きているのか、僕も知りたい。


「そろそろ戻ったほうがいいのでは?またいつか、ゆっくりお話ししましょう。」


 僕によく似た顔が、僕にできない笑顔で手を振った。

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