外伝 幸せになる覚悟

※ぬるーい性描写あります

苦手な方はとばしてください





 ――そういえば昔、師匠が言っていたっけ。


「お前の父も俺も面食いだから、きっとお前も面食いだぞ」と。


 確かに綺麗な顔を見るのは好きだけど。そばにあると嬉しいのは否定しないけれど、恋愛対象にするなら顔より性格を選ぶ、と言い返した記憶がある。今でもそう思っている。


 だからきっと、今、私が口付けを返した彼が美形であることも全くの偶然だ。

 実際、先にアタックしてきたのは向こうだったし、私は彼の紳士さに惹かれたから――いや白々しいな。やめておこう。

 彼の顔は好きだ。でも人格があってこそ、見かけの美しさの価値が際立つものだ。それだけは強調しておく。


 これだけ美男で性格も良ければ、さぞかしモテるでしょうに。

 なぜ私が選ばれたのか。彼の頭の中は見えない。


 ――なんて、甘い甘いこの時間を余計な思考に充ててしまうのは、きっと現実味がないからだろう。

 幼い頃の夢を叶えた時はむしろ現実に身が引き締まったというのに。


 自分が誰かとこういう関係を持つなんて想像したことがあっただろうか。まさか、あるわけない。


 だから、上手くいかないんだろう。

 心がざわついて、不安に震えて、たっぷりの愛情を受け入れられないでいる。


 息の詰まるようなこの思いを胸の内においておくには随分と窮屈で。

 早く吐き出してしまいたい。

 このままじゃいけない。


 ねえ。


「――私、きっと、あなたのこと選べない」

 

 指を絡め、間近に見つめ合ったこの状態では、何ひとつ説得力のない言葉を吐いた。

 まだ甘味を含んだ彼の視線が、私の瞳を捉える。


「別に、騎士を辞めろなんて言うつもりないよ」


 知っているし、仮に言われても辞める気なんて毛頭ない。

 問題はそんなことじゃなくて。


「飲み込まれちゃいそう」


 このままじゃ、いつか溺れる。もう既に溺れかけている。


「まぁ実際、君の顔中を食んでるところだし」


 そう言って彼は乾いた笑いを零したが、流石にそのままふざけ続けられるほど鈍くはなかった。


「……どうしたら、君の顔を晴らせる?」


 少し考える。

 泣きたくなる。


「たぶん、私もあなたも晴らせない」


 未来への不安はいつになっても消えない。

 何度彼に好きだと言われても、ありとあらゆる方向から胸の内を突かれ、ざわざわざわざわ、常に揺らいでいる。


「ずるいよ。それじゃあもう、答えは決まってるようなものじゃん」

「……うん」

「僕は君のことを幸せにする覚悟があるのにな」


 寂しげに笑う顔はやっぱり綺麗で、手放すには惜しいな、なんてこの期に及んで思ってしまうのだけれど。


 私はきっと手放せてしまうだろう。


 彼を傷つけて、自分の欲をことにして、眼前の恐怖から逃げてしまえる。


 その恐怖はもしかしたら、いや、間違いなく、奥に大きな幸福を隠しているのでしょうけど。

 今はまだ、それを覗き込む勇気はない。


「私は、幸せになる覚悟がない」

「覚悟ができるまで待ってても良い?」

「駄目。私のことは忘れて」


 職場が一緒だから当然、存在を忘れられるわけはないけれど。


 たぶん、この人と一緒になっちゃ駄目だ。


 好きなのに。大好きなのに。

 優しくてかわいくてかっこよくて、大切に思っているのに。


 身体が恐怖に対して、危険信号をあげるから煩い。


「いや……僕が、忘れられそうにない。だから、勝手に待ってる。

でも、君は、僕のことは忘れていいから」


 ――私はなんてことをしでかしたのだろう、と思った。


 掴まえてはいけない人を掴まえてしまった。

 自分の一存で、こんなにも優しい彼がいとも容易く左右されてしまうことが、あまりに恐ろしく思えた。


 でも、今更引き戻して、責任を取れるわけでもなく。


「なんてずるい人」


 ――本当はずるいのは私の方なのに。


 そんな酷い言葉を返すのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る